なんやかんやで明け方近く、既に一時間を超過していると知りつつも悪足掻き的に最後は全速飛行になって白玉楼に到着した。地面に着地して誰も居ない開きっ放しの門を潜る。不用心だなと思って何気なく扉を見ると、まるで十代の巫女が剣士を倒した後勢いに任せて空中回し蹴りで蹴破ったかのような真新しい靴跡がついていた。傍若無人な楽園の巫女さんは冥界でも絶好調のようだ。
ふよふよとまばらに漂うひんやりした霊達を横目にさくさく歩いた。何度も訪ねているので道は分かっている。砂利を踏みしめて立派な日本庭園を横切りその先に見える屋敷に向かうと、葉も花も無い淋しげな巨木が見えた。
西行妖である。
顕世にあった頃はこの桜の下で多くの人間が命を絶ち、その精気を吸って妖怪化したと聞く。西行寺家の西行妖と言えば平安京でもそれなりに名が通っていた。
まー妖怪化したからっても特に祟る訳でも無いんだけどね。封印してあるし。
西行妖の根本で周囲を見回したが誰も居ない。桜から数十歩離れた白玉楼からは三つの霊力を感じた。三人共そこで待っているようだ。ぼちぼち日が昇るし食事の用意でもしてるのかね。
そう言えば晩ご飯以降マーガトロイド邸でクッキーを摘んだだけで徹夜で飛んでいた。捨食の魔法身に着けてるから食べなくてもいいんだけどお腹が減った気がする。
さっさと済まそう。
木の幹に手を当て、目を閉じる。力を送り込み内部を探ると封印に干渉する力を弾こうと迎撃機能が作動した。ハッカーにでもなった気分で迎撃をかわし、防御網を破って封印の中枢を担う式へ辿る。千年も昔だが私が組んだ迎撃システムなので侵入はそこまで難しく無かった。
ウイルスを追い出そうとする防御式を潜り抜け書き換えて押し破り、十重二十重の罠を解除していく。罠の他にも認証キーやら暗号やら……我ながら面倒くさい封印にしたもんだ。
何度か自分でも忘れかけていたトラップに嵌まりそうになりながらも無事春度変換式まで辿り着く。ほっと息を吐いた。
なんで私はこんなに厳重に封印したんだろう? 一体誰の攻撃を想定したんだってぐらい過剰に守られていた。
十世紀も昔にどういう心境で封印したかは覚えていない。幽々子が死んでしんみりした空気が何かしらの理由でブレイクされたのは記憶にあるけど。
思い出に浸っているとまた数時間は軽く経過しそうだったのでちょちょいと春度変換式を逆転させる。タイマーをかけて一日後には元の術式に戻るようにして幹から手を離した。
次の瞬間西行妖から春度が爆発的に溢れ出した。
「うげ」
頭の中まで春になりそうな春っぽさの奔流に押され、私は慌てて逃げ出した。よくもまあこんなに溜め込んだもんだと呆れ返る量の春度が西行妖の枝という枝から溢れ、空気に溶けて散って行く。
西行妖を除く冥界の桜達は一瞬で蕾を膨らませ二秒で満開になり、その根本からはつくしが勢い良く顔を出し、冷たく張り詰めていた空気は見る間に緩んでいった。
桜前線、リニア並の速度で拡大中。明日の今頃には幻想郷全域春真っ盛りだろう。
「白雪、おっそいわよ」
背後からの声に振り返ると霊夢が湯飲み片手に白玉楼の縁側から出て来た。眠そうに目を擦り、お茶を啜りながら私の隣に歩いてくる。
「悪いね。これでも随分急いだんだけど」
「ダウト。嘘の匂いがするわ。路上演奏会に首突っ込んで来たとかそのへんでしょ」
「…………」
だからなんで分かるんだよ。エスパー? ……そうかも知れない。
「冥界の桜も顕界の桜とあんま変わらないのねぇ。拍子抜け」
霊夢は春一色になり競い合う様に咲き誇る花の間を蝶が舞い始めた冥界の様子をぼんやり眺めていた。草葉の陰から顔? を出した霊達も心なしか浮かれて見えた。
私は霊夢と一緒に揃って桜を見上げながら答える。
「西行妖以外の桜は普通の桜だから。桜の霊もあるけど」
「そうなの? ま、なんでもいいわ。これでやっと花見よ、花見。明日は神社で宴会ね」
「手配しとくよ」
「玉露も」
「……手配しとくよ」
「八女茶ね」
おまっ、それ最高級じゃねーか!外の世界でさえ馬鹿高いのに幻想郷でいくらすると思ってんだ。現金収入不足気味の神社がそんな金出せると思ってんのか!
……とは言えず。人を待たせておきながらあちこちふらふらして迷惑かけたのは私なのだから逆らえず(言質もとられているし)、大人しく頷くしか無かった。
神社の儚い貯蓄でも足りると思うけどなぁ。足りなきゃバイトだ。
そもそも現金収入が賽銭だけってのが不味いよね。最近は妖怪退治の依頼も陰陽師がこなせる量だからウチには回って来ないし、食事・日用雑貨代で賽銭は消える。いい加減里の中に分社でも作った方が良いかも知れない。
やたら勘が鋭く多方面に絶大な才能を発揮する霊夢も金運だけは絶望的で、私も悪くは無いが良くも無い。金策にはいつも頭を悩ませられる。
「はぁ」
「辛気臭いため息吐かないでよ」
「はいはい」
私達は軽口を叩きながら誰よりも早い春一番を感じつつ白玉楼へ向かった。
白玉楼の茶の間では卓袱台に突っ伏してくたびれている幽々子と、部屋の隅で体育座りをして刀を抱え虚ろな目をしている妖夢が迎えてくれた。あまりにもどんよりとした雰囲気に思わず障子を開いた姿勢でフリーズする。
なにこれ、と言おうとした瞬間に幽々子のお腹がキュウと鳴いた。亡霊が腹の虫を鳴らすってどうなんだろうと思うが幽々子の理由は把握。
「妖夢はなんでいじけてんの?」
妖夢に歩み寄り、目線を合わせてしゃがんだ。半霊は賞味期限が一週間過ぎた大福の様にツヤを失って傍らに転がっている。目の前で手を振り、頬を引っ張ってみても反応は無い。おお、妖夢の頬超伸びる。
「辻斬りに失敗して拗ねてるみたい」
勝手に急須を持ち出して慎重に湯飲みに注ぎながら霊夢が言った。四人分用意しているのが少し意外だ。
「え、妖夢そんな事したの?」
「出会い頭に切りかかられたから取り敢えずスペカで倒してふん縛ったのよ。そこで萎びてる亡霊倒した後に大人しくなってたから開放したんだけど」
「ずっとこの調子、と」
「そ」
ろくに修行もしてない年下の人間に負けたのがショックだったのかね。
妖夢も数十年剣術修行に明け暮れてたから人間に負けないくらいの自負はあったのだろう。それなのに十代の少女に負け落ち込んでいる訳だ。
メンタル弱いなー。
「タテタテヨコヨコ」
頬をぐにぐにしていると若干目に生気が戻った。もう一息。
「よーむ~、ご作らないと幽々子餓死するよ」
もう死んでるけど。
「幽々子様が……」
「……妖夢のほっぺた美味しそうって言ってた」
「……どうぞ御賞味下さい」
勝手に言葉を繋げると恐ろしい返事を返した。やっぱだめだ、脳が正常に働いていないっぽい。もしも正気で言っているとしたら忠誠心を褒めるべきか行き過ぎを諫めるべきか迷う所だ。
それから頬が真っ赤になるまで弄り回しても正気に戻らなかったので諦めた。先程からお茶を飲み続けている霊夢を一瞥し、ふぬけた主人二人を放置して台所へ向かう。
適当な食材で朝食を作ってあげよう。幽々子が復活すれば妖夢も復活するだろ。私の料理でほっぺたこそぎ落としてやんよ。