「はあ、魔法の教本」
「そうだ」
「グリモワールではなく?」
「心構えが分かる程度の内容で良い」
師匠が神社に本を借りに来た。なんでも寺子屋で必要になったらしい。
「そのぐらいの物ならそのへんに転がってるでしょう」
「巷では外界から流れてきた紛い物が多いんだよ」
「あ~、外界の魔法書は本物の魔法使い視点から見ると笑死しそうなのばかりですからね」
世話好きの慧音は生徒の職の面倒を見る事があるが、魔法使いになりたい奴でもいるのか。職業魔法使いは金稼ぎに向かないから基本自活、自給自足。お勧めな職ではない。私がしっている魔法使いは日がな一日鍋をかき混ぜていたり人形を作っていたり本を読んでいたりだ。捨食と捨虫の魔法が無ければやっていけない。
「持っていないか?」
「昔私が書いた論文もどきは数冊手元にありますけど、教本になるような物は無いですねぇ。マレフィは本を書かないし、アリスは顔を知ってる程度だから気軽には貸してくれないだろうし。借りるなら大図書館……パチュリーかなぁ……いやパチュリーはまだ面識無いんだった」
「お前が書けないか? 一応魔法使いだろう」
「別にそれでもいいんですけどね、一から書くより借りた方が楽なので。いつまでに欲しいですか?」
「明後日の夕方にはあった方が有り難い」
「了解しました。それまでに用意しておきますよ」
「助かる。すまんな」
「いつも参拝客の送迎やってもらってますから、そのお礼です」
博麗神社は信仰こそ高いが立地が悪く参拝客が少ない。師匠がいなければ賽銭箱の中が木の葉だけになるだろう。
ほっとした表情の師匠は明後日の夕方に取りに来ると言い、御土産の菓子折を置いて帰っていった。
「ふむう……」
パチュリーに本を借りると言う事は紅魔館に入るという事だ。館の主を滅多打ちにした私をそう簡単に通してくれるだろうか? 否。断わられたらどこぞの白黒ではあるまいし無いので押し入る訳にも……ん? 白黒?
あれ、人里の魔法使い志望? それって魔理沙じゃね?
……あー、名前聞いておけば良かった。つーか何で気がつかなかったんだ。
魔理沙、魔理沙ねぇ。霧雨の親父さんが腕に抱いてあやしてるのを見た事あるけど、もう寺子屋に通う年齢なのか。早いもんだ。
確か東方正史だと魔法関係のイザコザで勘当されてた気がするけど、ここで師匠に教本渡したら確実に魔法習得フラグが立つ。いいのかなぁ……
「……まあいいか」
勘当されても魔理沙は家族を恋しがる様子無く頑張っていた。ゲーム内で描写されていないだけで葛藤があったのかも知れないが知った事ではない。ここはゲーム内ではなくリアル。魔法を習得しても勘当されない可能性もあるし、例え勘当されてもそれは魔理沙の選んだ道であり私が気にする必要は無い。
さて、大図書館で超基本~基本程度の魔法書を見繕うとして……そうだな、マレフィをパチュリーに会わせる名目でくっついて行けば追い返されたりはしないだろう。
マレフィ外出してる所見た事無いけど大丈夫かな……
「マレフィマレフィ、紅魔館の魔法使いに興味は無い?」
魔法の森の小屋の中。ただでさえ狭い空間に空き瓶やら薬草の切れ端やらを転がしているため余計に狭い。見た目も匂いも水としか思えない猛毒の液体が入った鍋をかき混ぜていたマレフィは首を傾げた。
「紅魔館?」
「え、知らない? 吸血鬼異変の。結構騒ぎになったと思うんだけど」
「もう何年も小屋から出ていないんだから知る訳無いでしょう」
ああ、最近は薬の材料調達も私がやってたからね。交友関係が狭過ぎる。お姉さん心配。
「まあ少し前に紅魔館って言う真っ赤な館が湖の傍に幻想入りしてきてですね、ちょっとした騒ぎになったんだけども」
「そこの魔法使いに会わないか、という訳ね。興味無いわ」
マレフィはあっさり言い、しかめっ面で大鍋から目を離さない。気のせいか人の子供の頭蓋骨に見える物を大鍋に突っ込み、超速でなにやら詠唱した。頭蓋骨がドロドロに融解して底に溜まる。……うわぁ。
マレフィは続いての棚の奥から蓋の閉まった瓶を取り出し、リウマチのせいでこわ張った指でぷるぷる震えながら開けようとする。私はそっと近付き、耳元で囁いた。
「でもさ、その魔法使いの名前がパチュリー・ノーレッジなんだけど」
途端にマレフィの手が滑って瓶が丸ごと液体の中に落ちた。ガラスの瓶が一瞬で溶け、中の小さな球根が液体にさらされたかと思ったら次の瞬間に紫の煙を上げて爆発した。衝撃で鼓膜と小屋がびりびり震える。
咄嗟に結界を張ったので私とマレフィは無事だったが、飛び散った液体がかかった棚やフラスコはジュウジュウ音を立てて溶けていた。あー……久し振りにやっちまったぜ。
それを気にもせずマレフィは目を瞬かせて私を見る。
「ノーレッジ?」
「そう、ノーレッジ。紫の髪の、なんかこうモヤシみたいでむきゅっとした」
「むきゅ?」
「そこは忘れて」
マレフィはモノクルの縁を弄りながら考え込んだ。私はその間に結界を解除して風魔法で薄く漂う紫の煙を追い出し、割れた瓶の欠片を片付ける。
「ふうん……その子は私に会いたがってるの?」
「さあ……話に聞いただけで直に会った事は無いから。名前からしてマレフィの縁者かなと」
「はっきりしないわね、使えない。まあ会うだけ会ってみましょうか」
「片付けは?」
「適当でいいわ、後で纏めて掃除するから。たった二か月、希少な魔法素材を注ぎ込んで寝る間も惜しんで作った薬だもの。台無しにされたぐらいで私は怒らないわ。どうしても謝罪したいと言うなら作り直させてあげるけど」
「ほんとごめんなさい。悪ふざけが過ぎました」
土下座した。
ねちねち皮肉られながらざっと薬品を浄化し、小屋の外に出る。昼間にやって来たのに事故のせいで日が沈みかけていた。
「館の主は夜行性だけどパチュリーはどうなんだろうね?今から行って失礼じゃないかな」
「知らないわよ」
私は飛び上がったが、マレフィは少しだけ浮いて戸惑った顔をした。
「どしたん?」
「……長く飛んで無かったから」
「鈍った?」
マレフィは少しためらったが頷いた。ふむ。マレフィのペースで歩いて行くと一日はかかりそうだ。いや、休憩入れると二日か三日か。
「私が背負っていこうか?」
「……それはやめておくわ」
「なんで?」
「家訓で」
「いくらなんでもそれは苦し過ぎるよ。私なんかに背負われるのは嫌?」
「白雪はチビで大雑把で気分屋で唯我独尊の我が道を行く考え無しだけど嫌ではないわね」
そんな風に見られてたのか……あんまり否定できない所が悲しい。
「嫌じゃないならなんで?」
「…………」
「…………」
「……は……」
「は?」
「……は、恥かしい、じゃない」
「ぐっはぁああ!」
今ッ! 何かがッ! 何かが確かに私の胸を貫いたッ! やめてッ! 伏目がちにチラッとこっち見ながら頬染めて言わないでぇ! このッ! 沸き上がる熱い感情はぁああああぁああぁあっもうダメぇ!
身悶えして地面に落下しもがき苦しんでいると顔面に薬をぶっかけられた。あっという間に頭が冷える。
「落ち着いた?」
「……イエスマム」
いつもの不機嫌顔に戻ってしまったマレフィが頬を掻いた。
「何を錯乱したか知らないけど、座標も知らず今から転送魔法を使うには手間がかかり過ぎる。私を背負っていくといいわ。嫌だけど」
「あれ、やっぱ嫌なの? 恥かしいんじゃなくて?」
無言で睨まれたので肩を竦めて背負ってあげた。そのまま宙に舞い、マレフィの負担にならない速度で飛んだ。
「……どうせ引き籠もりのくせに重いとか考えてるんでしょう」
「いや、軽過ぎるぐらいだよ。もっと肉つけたら?」
「大きなお世話よ」
冷ややかに言われたが何やら悩んでいるような気配がする。
もうね、背負うだけで恥ずかしがるとかね。口は冷たいし毒吐くけどこっそり労ってくれるしね。マレフィの可愛いさは異常。
月が出て星が輝き始めた頃、私達は紅魔館の門前に降りた。マレフィは背負われていただけなのにダウンしている。
珍しく居眠りしていなかった美鈴は、カンテラを掲げて私の姿を認めると顔を引きつらせた。
「なななな何の御用でしょうか? 悪事は働いていませんよでも白状すると今日の昼間居眠りしていましたごめんなさい許して下さい蹴らないで殴らないで撃たないで」
「……いや別にそんな事私に言われてもね。用があるのはこっち」
私が青い顔で栄養剤を飲んでいるマレフィを降ろすと、美鈴は懺悔をやめて首を傾げた。
「あれ、いつの間に外出なさったんですかパチュリー様? ……でも何か違うよう
な」
「モノクル、帽子、髪の長さ」
「今流行のいめちぇんですか」
「いや別人だから。マレフィ、何か言ってやって」
「何でもいいから早く休ませて頂戴」
「あー……美鈴、この死にそうな魔法使いがマレフィ・ノーレッジ。多分パチュリーの親戚だろうと思って確認に来たんだけど、通してくれない? このまま立たせてるとまずそうだし。ああちなみに私は付き添いで」
美鈴はおろおろとマレフィと私を見比べた。
「そういう事なら良いですけど……白雪さん、暴れないで下さいね?」
「神に誓って」
「神はあなたじゃないですか」
「小悪魔に誓って」
「かえって不安になりましたがまあいいです」
美鈴は門を開け、詰所の妖精メイドに何度も丁寧に事情を話して復唱までさせて案内を命じた。妖精メイドは分かったのか分かっていないのか楽しそうに羽をパタパタさせていた。大丈夫かこれ。
ぐったりしたマレフィを背負って妖精メイドについていった。中庭を通って玄関を潜り、無駄に広いエントランスホールから長い廊下を行く。途中同じ場所を何度か通った気がしたので不安に思っていると、妖精メイドは厨房に入ってお菓子を食べ始めた。
「ちょっと」
「?」
「パチュリーの所に案内してくれるんじゃなかったの?」
「……?」
マフィンを囓りながら心底不思議そうにつぶらな瞳で見上げてくる妖精メイド。だめだこいつ早くなんとかしないと。
完全に言われた事を忘れているようだったので諦めて探知魔法を使った。三階に強力な反応が二つ。館全体に細かい反応が大量。地下に封鎖結界、強い反応が一つ、若干強めの反応が一つ。多分それぞれレミリア、咲夜、妖精メイド、フランドール(IN地下結界)、パチュリー、小悪魔だ。
踵を返して地下に行こうと厨房を出た瞬間目の前に咲夜がいた。心臓が飛び出るかと思ったがポーカーフェイスを保つ。
意識的に抵抗しなければ私でも時間を止められてしまうから、タネを知らなければ三階から瞬間移動してきたように思える。
「事情は美鈴から聞いているわ。でも館の中で無闇に魔法を使うのはやめて頂戴」
「いやぁ、道に迷って探知魔法をね」
「道に迷った? 案内を付けたでしょう」
「案内を任された妖精メイドならマフィン食べてるよ」
咲夜は不審な顔で私の背後を覗き、すっと無表情になると厨房に入った。扉が閉まり、直後に悲鳴と共にピチューンと音がする。若干間を置いてまた悲鳴、ピチューン。再び若干間を置き聞いてて切なくなるような悲鳴、ピチューン。更に(略)。
……咲夜さん怖いです。
しばらくして出て来た咲夜は瀟洒な微笑を湛えて何事も無かったかのように道案内を代わってくれた。厨房の扉が閉まる瞬間にナイフで壁に縫いとめられた妖精が見えた気がするけど気のせいだろう。
終始無言で図書館の入口まで案内すると、咲夜は音も無く消えた。ようやく復活したマレフィを降ろして中に入る。
「雑多な取り揃えね」
マレフィは見上げるほど高くそびえる本棚の群を見回し、目を細めて呟いた。手近な本を数冊(はじめてのせかいせいふく、近代魔法史1885年版、料理大辞典⑪――肉じゃがの真髄――)手に取り、適当にパラパラめくって崩れた本の山に更に積み上げる。
そしてそのまま棚の奥にふらふら歩いていった。
まあ放っておいても大丈夫だろう。迷いはすまい。
私はパチュリーの姿を探してうろついたが、図書館が広過ぎてなかなか見つからない。
一時間ほどかけて隅々まで探すと小悪魔は見つかったがパチュリーは何故かいなかった。
「契約者の通信で探せない?」
「契約者念話はパチュリー様からの一方通行なので無理です」
私の名前を聞いた途端に怯えはじめた小悪魔と一緒に図書館の入口まで戻るとマレフィが崩れた本の山の一角をじっと見ていた。
「何見てんの?」
マレフィは横目で私を見ると黙って本の山を指差した。本の隙間から紫色の髪の毛が……む、中から咳が聞こえた。
OK、把握。
「パチュリー様ぁあああああっ!?」
小悪魔が叫び声を上げて猛烈な勢いで本を掻き分けだした。私が念動魔法で本動かして手伝ってやり、パチュリーは間も無く救出される。
ひゅーひゅーかすれた息を吐いているパチュリーにマレフィは懐から出した薬を飲ませた。ものの数秒で息が整う。
病弱紫二人は全く同じ仕草で首を傾げ、小声でぼそぼそ話し始めた。パチュリーもマレフィも生き生きしているように見える。
「わー、お二人並ぶとそっくりですねぇ」
「遠い血縁だから。髪揃えて帽子とモノクル取ったら見分けつかないかもね。ところで小悪魔、魔法の簡単で分かりやすい入門書探してるんだけど」
「え、あ、はい。返して下さるなら貸し出ししますよ。えーと……どこだったかな」
この日は本を数冊借り、話し込んでいるマレフィを置いて帰った。後日聞いた所によるとマレフィが喘息の薬を提供するかわりにパチュリーがマレフィが使えない属性の魔法研究を手助けをする事になったらしい。
魔理沙にも(本人と確認した)魔法書を渡したしノーレッジの仲は良好。上手くいったようで何よりだ。