紫によるとここ十数年外の世界では戦闘機やら戦車やらが出てきてドンパチやっていたらしいが、幻想郷はどこ吹く風で平和そのものだった。
二十世紀前半、動乱の時代も結界で隠された幻想郷にはさしたる影響を及ぼさなかった。世界大戦? 何それ美味しいの状態だ。
そして戦争が終わると軍事目的で急発展を遂げた航空技術が今度は平和利用される。空へ、成層圏へ、宇宙へ。一度科学発展の足掛かりを見つけた人間はあれよあれよと有人宇宙船飛行を成し遂げた。
すると面白くないのが月人だ。月人的思考でいくと宇宙と月=高貴な月人の領土、地上=卑しい地上の民がはいつくばる領土、である(永琳談)。
つまり宇宙進出は領土審判、宣戦布告と見られる。一方的勘違いで慌てて月人達は戦準備を始め……戦の匂いに怯えた鈴仙が地上に逃げてきた。あても無く脱走しため身一つで十数年地上を彷徨った鈴仙。最後に辿り着いたのは兎の楽園迷いの竹林だった。これが鈴仙移住の経緯だ。
永遠亭の管理は永琳に一任しているが、家主は私なので当然鈴仙入居の報が届けられた。何故か履歴書付。スリーサイズまで書いてあるのは何の嫌がらせだろう。
「白雪様、何見てるんですかー」
鳥居の上に腰掛けて手紙を読んでいると下から巫女さん(楽天家)に声をかけられた。
「手紙」
「そーですか。お客さんが来てますよー」
「うん?誰?」
「烏天狗です。しゃ……写真丸?」
「射命丸じゃない?」
「ああそれです」
「何の用?」
手紙を畳んで懐にしまい、下に降りる。
「白雪様に勝負を申し込みたいとか」
「えっ?」
「全力で」
「えっ?」
「今から」
「えっ?」
全力勝負したらどちらがとは言わないけど悲惨な事になるぞ。文ってこういうキャラだっけか? 争いは避けるタイプだったと思うんだけど。
首を傾げつつ本堂の裏へ回ると文が仁王立ちしていた。真剣な顔で頭に必勝鉢巻きまでしている。
「……長かった……機を待つ事数百年……あなたに敗北して以来努力に努力を重ねてきました。椛をからかいつつ飛び回り、哨戒天狗の訓練では体に錘を付けて飛び回り、椛の着替えを盗撮していたのがばれて逃げ回り、天魔様と賭けで競争して飛び回り、椛の初恋を新聞のネタにしていたのがばれて逃げ回り……」
お前なにやってんの?
私が白い目で見ている事に気付かず文は目頭を拭った。
「豪雨の日も嵐の日も飛び続けました……しかしっ! これでっ! あなたの力が半減している今ならっ! 私にも勝目があるっ!」
文は団扇を私に突き付けて宣誓した。
「勝負です白雪さん!私は今日、あなたに勝つ!」
「あっそう」
「げふぅ!」
先制して腹に跳び蹴りを食らわせると文は呻き声を上げて吹っ飛んだ。木の幹に叩き付けられて気絶する。なんだ弱いじゃないか。
「白雪様ー」
「何?今すぐって言ってたし、口上終わったんだから先制攻撃は悪く無いでしょ」
「いえ。勝負って飛行速度の勝負の事じゃないですか?」
「……あ」
文は殴り合いをするなんて一言も言っていなかった。あれか。幻想郷最速の座を奪いに来たのか……それを不意打ちでノックダウン。やっちゃったぜ。
「殺っちゃいましたねぇ」
のほほんと言う巫女さん。ぴくりとも動かない文を御祓い棒でつついている。
「殺してはいないよ……あー、起こしてあげて」
「はいはい」
巫女さんが御祓い棒で文の頬をひっぱたいた。文が悲鳴を上げて飛び起きる。
「もう少し丁寧にできない?」
「いいじゃないですか、起きたんだから」
「起こせばいいってもんじゃないよ。えーと、文?ちょっと私勘違いしてたみたいでさ。空を飛ぶ速さを競いに来たんだよね」
頬を押さえてジャーナリストは暴力に屈しない、とかなんとかぶつぶつ言っていた文はきょとんとした。
「それ以外に何があるんですか?」
だよね。
それから気を取り直して幻想郷一周競争をしたのだが、三馬身ほど差をつけて負けた。いやあ流石天狗、速い速い。速度系の力をフルブーストしても追い付け無かった。
少し悔しかったので今度またやろうか、と言うと全力で断られた。文には背後に迫る私が獲物を追う飢えた肉食獣に感じられたらしい。失礼な。
なにはともあれ射命丸文、幻想郷最速の座を奪取。おめでとう。
この世界の輪廻転生システムは妙な具合になっている。
妖怪や神を含めると面倒なので人間だけで見てみると、まず死んだ後に幽霊と怨霊と亡霊に分けられる。普通に死んだら幽霊(人魂とも言う)になり、強い怨みや怨念を抱いて死んだら怨霊に、生前力が強く転生を拒む意志があれば亡霊になる。
どれになっても閻魔に裁かれ、罪の重さによって地獄行きの後転生、直転生、成仏して天界に行った後に転生など過程はとにかくいずれ転生する。
で、最近成仏先の天界が満員になったため成仏を待つ幽霊が現世の外の世界に移住する騒ぎがあった。天上界も土地不足だったし、どの世界も人口増加や土地不足の悩みは根強い。何か切なくなってくる。
溢れた幽霊を回収するために幽々子や妖忌や最近妖忌に弟子入りした妖夢がしばらくの間飛び回っていたが手が回らないので巫女さんも駆り出されていた。
後日この事態を重く見た閻魔が対策を講じ、冥界が拡張された。白玉楼を訪ねるといつも過密状態で前後左右上下どこに目をやってもひんやりした大福だらけだったから助かった。
幽々子に会いに行く度に幽霊の群を突っ切るのはあまり良い気持ちがしなかったので嬉しい。
ある日御土産の白餡まんじゅうを持って遊びに行くと、妖忌と妖夢が斬り結んでいた。幽々子と一緒に縁側に腰掛けて眺める。
「妖忌妖忌、妖夢の腕前はどう?」
「…………」
「妖忌、聞かれたら返事をしないと駄目よ」
「いや、真剣勝負の最中に観客に返事をするのはもっと駄目じゃないかな」
「ならどうして聞いたの?」
「迂闊に答えでもしたら叱ってやろうと思って」
「叱り損ねたわね」
「うん。腹いせに余ったまんじゅうを一気に一口で……んぐ」
「あら、お茶受けが無くなったわ。妖夢~、何か持って来て」
「今手が離せません!」
「妖夢私の話聞いてた?」
意識が逸れて出来た隙を突いて陰陽符を投げると、妖夢はもろに食らってたたらを踏んだ。そこに妖忌が刀を突き付け勝負が終わった。刀を納めた妖忌が不機嫌にやってくる。
「白雪殿、余計な手出しは遠慮願いたい」
「これが実戦なら真っ二つだったよ。大して強くも無いのに勝負の最中に気を散らすなって忠告」
半分は悪戯心だけど。
強くも無いのに、のくだりで妖忌はぴくりと眉を動かした。悔しいのかそれとも怖かったのかうつむいてぷるぷるしている妖夢を横目で見てため息を吐き、少し離れた所で素振りを始める。
「妖夢~、お菓子はまだかしら」
「は、はいただ今!」
刀を納めて妖夢が屋敷の中に駆けて行く。庭師だ剣術指南だって言うが、私は魂魄師弟が庭仕事をしている所を見た事が無い。剣術指南も幽々子がのらくらかわすので多分一度も行われていない。
私の中では妖忌=門番、妖夢=雑用係というイメージである。そしておそらく実際その通りだ。
妖夢は煎餅を持ってくると庭に戻って妖忌の隣で素振りを始める。熱心な事だ。
「白雪は剣を振らないの?」
「私は振るより鍛える側だねぇ。剣術も使えない事は無いけどさ、使う必要無いから」
昔から力ずくで押し通す事が多かったので体術や剣術は修めていない。技術的には平均よりはかなり高いが達人には一歩及ばず、といった所か。
妖忌の技を見て盗もうとも思ったが部外者が居る所では基本中の基本の型しか使わなかったので早々に諦めた。まあ半霊がいない私に魂魄流剣術が使えるとも思えないし別にいい。
私はしばらく幽々子と談笑しながら鍛練風景を眺めた。
人里の大手道具屋に霧雨道具店がある。二百年ほど前から続く店で、家系なのか手先が器用な者が多く日用品から微妙な用途のイロモノまで幅広く扱っている。
陰陽師が里の外に出かけて妖怪退治をした時に時々外の世界から流れ着いた物品を拾ってくるのだが、そうした物もこの店に卸される。
霧雨店は店もでかいが倉庫もでかい。倉庫の中は用途が分からないが値が張る物だったら勿体ない、と捨てずにおいた外の世界の道具がひしめいている。
その道具達をなんとかしようと店主が雇ったのが森近霖之助である。店主はいずれ自分の店を構えようと考えている霖之助に商業のノウハウを教え、霖之助は霧雨店のガラクタを鑑定する。ギブアンドテイク。商売の基本だ。
「霖之助、それ弄って面白い?」
ある日の昼下がり、店番を任されていた霖之助に聞いてみた。ルービックキューブをガチャガチャ動かしていた霖之助は顔を上げた。
「これは全ての面で色を統一させ完成させるカラクリらしいですね。`謎を解く´と`封印を解く´を関連付けた封印用魔法道具の一種だと思うのですが……なかなか難しく」
私は横を向いてニヤニヤ笑いを隠した。霖之助の`未知のアイテムの名称と用途がわかる程度の能力´は使い道が分かっても使い方が分からない。使い道にしても分かる情報は具体性に欠け、今の様に的外れな推測をする。ちなみに丁寧語なのは商売中だからである。普段はもう少し砕けた喋り方だ。
私は悪戦苦闘する霖之助を放置し、鑑定中の棚に置かれたぼろい電化製品を眺めて感慨に浸った。
店主の奥さんが今子供を身籠もっている。名前は女なら魔理沙に決めてあるらしい。
月人時代から生き続け、戦い泣き笑い出会い別れてようやく本編が見えた。私にとっては本編と言っても一つの指標に過ぎず、特別視はしていない。知っているのは紅魔郷から星蓮船までだが、それ以前もそれ以降も異変は起きる。本編も幻想郷の今まで通りの流れの一部なのだ。
私が記憶している史実とは違い博麗神社の祭神の名前は広く認知されているし、陰陽玉が強化され、慧音の父が幻想郷に居る。大筋は同じだが細部が異なっている。その影響で起きない異変もあるかも知れない。しかしそれはそれで構わないと思った。
霖之助に目を戻すと、今度は一ドアの冷蔵庫をいじり回していた。ルービックキューブは脇に退かされている。
「解けなかったの?」
「今日中に後八つ鑑定しなければいけないので後回しです」
「ふーん……これ売って貰って良い?」
ルービックキューブを取り上げると霖之助の目が眼鏡の奥でキラリと光った。考えている事が手に取るように分かる。
私が欲しがる=有用な物。高く売れそうだが手放すのは勿体ない。
そんな所だろう。
「じゃ、これ私が解くからさ、中から何か出て来たらそれを霖之介にあげる。箱は私が買う。出てこなかったらただで頂戴」
霖之助は少し悩んでいるようだった。霖之助は素敵アイテムが中に封印されていると考えている。重要なのは箱=ルービックキューブではなく中の何かだ。解いても何も出てこないならただで良い。
霖之助が頷いた瞬間、私は解析力と推理力と思考力を上げて高速で解いた。二十秒弱で全面の色が揃ったが当然何も起こらない。
私は今日も無料で遊び道具を手に入れた。
白雪はああ言っていますが、本編は全て起こります。