永遠亭の兎達は人間に近い姿をしているが、精神は兎だ。仕事を頼めば素直にやってくれるのだが手際が悪い。イメージは伝わるが会話は出来ないので複雑な仕事は任せられない。
妖怪とは言っても元は兎、暇な時は意味も無くぴょんたん跳ねている。それだけで楽しいらしい。兎の思考はよく分からない。
彼等は兎らしく人参畑は熱心に世話をするのに大根や白菜、茄子の栽培は怠け気味だ。枯れかけたり実が小さかったり虫喰いだったりは茶飯事。兎に意図を正確に伝えられる監督者が欲しいところである。てゐ、早く来てくれ。
まあ、悩んでいてもどうしようもないので今日も今日とて幻想郷をふらふら小旅行。今は白玉楼への長い階段を登って(飛んで)いる。現世と冥界を隔てる幽明結界は空を飛ばないと通り抜けられないのだ。
逆に言えば空を飛べば通り抜けられるという事であり、えらく無防備な結界であるといつも思っている。紫は閻魔が指示した通りに張ったので設定変更をする気は無いようだが、飛んで越える事を前提にした結界なのに階段ってどうよ? あの階段が使われてる所を見た事なんて一度も――――
「うん?」
階段に少女が一人腰掛けていた。
曲がりくねって途中で一回転した長い木の杖を持ち、うつらうつらしている。赤っぽい黒髪をポニーテールにして、頭に……なんだろう、鍵の形が刻まれたエンブレム? みたいなものをつけ、ゆったりとした紅色を基調とした唐風の衣の腰にはじゃらじゃらと大小様々な鍵束を下げていた。
興味を惹かれて下に降りる。眠っていた少女は私が目の前に降り立つと緩やかに覚醒した。
「……ああ、こんにちは」
「こんにちは。こんな現世でも冥界でもない中途半端な所で何やってんの?」
「疲れたので憑かれ無いよう休憩を」
「ふーん、霊力は十分あるように見えるけどね……いや、少し変かな?」
普通の人間は白い霊力が体から蒸発するように漏れているが、この少女にはそれが無い。霊力が体内の心臓付近で塊になっていた。
霊力を体内にとどめ、塊を――丹を作るのは限られた者にしか出来ない。
「それは仙人ですから」
少女が静かな語り口で言った。懐からやたらと部品が多く複雑な知恵の輪を取り出し、解き始める。
仙人、ねぇ。確かに体内に丹を作る内丹術を使うのはほとんど仙人である。
今まで会った仙人は全員男で老人だ。そして皆考え方が独特と言うか奇抜と言うか、ちょっと変わっていた。この少女もそうなのだろうか? 冥界への階段で一休みしている時点で変わっているが。
「名前は?」
「姑尊徊子」
「冥界に用事?」
「むしろ階段の方に」
「はあ?」
徊子はマイペースに知恵の輪をカチャカチャ弄りながら言う。顔は上げない。
「仙人ですから」
「いや分からないよ」
本気で分からない。
「分かりませんか」
「さっぱり」
「……私は鍵や箱などを開ける程度の能力を持っていまして」
`など´ってまたアバウトな定義の能力を……応用範囲が広いとも言えるけどさ。
「…………」
「…………」
「……それで?」
「分かりませんか」
分かるか阿呆! これだから仙人は! どいつもこいつも話し難くて困る!
「一から十まで丁寧に説明して」
「十二までありますが」
「なら一から十二まで」
徊子は急に見えないぐらい素早く手を動かして知恵の輪を解くと、ようやく顔を上げて私を見た。
「私は鍵や箱などを開ける他に扉も開ける事が出来ます。どれも開ける事は出来ますが閉じる事は出来ません。開いたままです。困ります」
話が長くなりそうなので徊子の隣に腰を降ろした。徊子は視線を私に向けたまま知恵の輪を組み直している。器用だ……
「開いたら閉じる。常識です。私は非常識では無いので閉じられないものは開きません。でも色々開いてみたい。だから閉じる練習をします。練習の為にここに来ました」
徊子は組み直した知恵の輪を寄越した。この絡んだ毛糸玉みたいな知恵の輪を私に解けと?
「ここは言わば生と死の世界の境界。あの世への扉も現世への扉も開閉し易い。ここまでで十二です」
「つまり扉とやらを閉める訓練をしていると」
「そんな感じです。解けましたか」
「もう少し」
分析力と解析力と推理力を上げてばらしていく。
最後の二パーツを外し、全二十四組の部品を徊子に返した。
「はい解けた」
「早い」
「能力使ってるから」
「知恵の輪を解く程度の能力ですか」
本気か冗談か分からないのんびりした声で言う徊子。一瞬で私がバラバラにした知恵の輪を組み直すと懐にしまい、更に部品の数が多い知恵の輪を取り出した。もはや絡まり過ぎて鉄屑にしか見えない。それを解くのか……
「いや、力を操る程度の能力」
「……なるほど。ところで」
「?」
「貴女の名前は」
「ここで聞くか……博霊白雪だよ」
「シラユキダヨさんは冥界に御用事ですか」
「だよ、は名前に入らないから」
「白雪さんは冥界に御用事ですか」
「御用事です」
「なるほど、なるほど」
何か知らんが納得された。なんだこのぬるい空気は……嫌いじゃないけど。
「白雪さん、心の鍵が壊れてます。ああ失敗しました」
「はあ?」
徊子はまた残像が残る速度で手を動かしたが、知恵の輪は絡まったままだった。
「え?もう一度」
「失敗しました」
「そっちじゃなくて!」
ああああぁあ! これだから! 仙人は! 面倒臭い奴ばっかりだ!
「どっちですか」
「心の鍵が壊れてるって方」
「はい。修理できないぐらい壊れてます。何度やっても開きませんから。鍵穴も見当たりません」
「開けようとしないでよ……それ、力が足りないだけじゃない?」
「え?」
徊子は手を止め、きょとんと目を瞬かせた。
「能力は相手と実力差があり過ぎると効かないんだよ。知らない?」
「……なるほどなるほど。道理で鍵穴が見えない訳です」
なんだよ脅かすなよ……心が壊れてるって言われて傷付いたぞ。人間視点で見れば私の心は十分壊れてるんだろうけど、妖怪としては普通だ。多分。
徊子が完全に自分の空間を作って知恵の輪を解き始めたので私はそっとその場を離れた。
仙人との会話はほんと疲れる。