我輩は刀である。名前はまだない。
我輩を鍛えたのは白雪という名の偉大な主である。主は幾多の鉄塊を経て我輩を精魂込めて鍛え上げ、究極の刀に仕上げられた。天割り地を裂く力を持つ我輩に斬れぬものなどなにもない。
我輩は主が与えられた力により焼き入れの時点で自我を持つに至った。しかし同じく主が与えたもうた枷により喋る事も化ける事もならん。せめて我輩をこうも美しく力強く鍛え上げて頂いた礼を申したいのだがそれもならん。
口惜しや。我が身に許されたのは思考と周囲の知覚のみ。手も足も出ぬ。
主は我輩を鞘に納めて腰に下げ、工房を出た。続いて晴れ晴れとした顔で工房を破壊し、意気揚々と人間達の気配が感じられる方向に歩き出した。
何とも豪快な方である。我輩は、生みの親であり我が身を振るに足る力と気品を兼ね備えたこの主に一生仕えようと決心した。
しかし世の中無情なり。そうそう上手くはいかぬ。
往来へ出た日から、主の持つ高貴な気に当てられ手癖の悪い賊共がひっきりなしに我輩を奪おうとやって来た。
当然物の数としない主だが、我輩を見て始終ため息を吐くようになられた。
独り言を聞くに、我輩のあまりの名刀振りに下賤な連中が寄ってきて鬱陶しいらしい。
圧倒的な偉大さには人妖問わず惹きつけられるものである。致し方なし。
そして主が人の世に出て十日余、我輩は護衛の青年に譲られる事となった。
何と言う速さであろうか。主が我輩を身に着けたその月日、僅かに十日。悲しみを通り越し尊敬すら覚える。
我輩を鍛えのに百年かけたというのに使用は十日。その間一度も振るわず。流石我が主、傑物である。
まあ主が決めた事なら仕方ない、元々拒否権など無いのだ。我輩は青年のものとなった。
青年は勤勉な気性であった。朝早くおきては我輩で素振りをし、夜遅くまで起きては我輩を振る。
しかし努力は結構だが腕の方は今一つであった。霊力もさして感じられぬ。我輩を使いこなすには到底足りないであろう。
実直に仕事をこなしていた青年だが、我輩を持って五度目の商人の護衛において山賊ではなく妖怪に襲われた。
妖怪、妖怪、人ならざるもの。彼等は往々にして人間より優れた力を持つ。
場所は深い森の中で孤立無援。危惧した通り、妖怪は我輩を脅威と見たが使い手は貧弱と見た。青年が妖怪に向け我輩を振り抜くが、妖怪はひらりと身をかわし商人に飛び掛かった。動揺しながらも返す刀で妖怪の首を狙う青年。しかし恐れからか緊張からか剣筋が乱れ、はずれてしまう。妖怪はその隙に商人の喉笛を噛みちぎった。
噴き出す鮮血に呆然自失する青年に妖怪の爪が迫り、その命を刈り取る。青年の手から滑り落ちた我輩は地面に突き立った。
やれやれ、困った事になった。主が認めた人間は死んでしまった。我輩はもう主以外に振るわれたくは無いのだが……
青年の死、それ自体には特に感慨も沸かず、商人を咀嚼する妖怪を眺める。
妖怪は商人の肉を食らいながら我輩を用心深く眺めていたが、やがて青年と商人の亡骸を担いで去っていった。
地面に突き立ち、さながら伝説の剣のような――伝説級の刀ではある――我輩はぽつねんと取り残された。
刀身についた血が気持ち悪い。塩水や血糊ごときで錆びる我輩では無いが、不快感は感じる。妖怪め、鞘はそこに転がっているのだから軽く拭っておさめる程度はしても良かったではないか。
野晒しのまま妖怪に心中呪詛を吐いたが呪う事は出来ず。本当に我輩に出来る事は考える事のみである。
月が三度満ち欠けする間、我輩の友は虫の音と風だけであった。
数度の雨が地面に広がった血を洗い流し、我輩の血も大方落していた。
月夜の晩に我輩を手にしたのははぐれ妖精であった。
興味津津で我輩の周囲を飛び回り、柄をつついては離れ刀身をつついては離れ。
表向きは何も反応を示さない我輩を害無しと判断したのか、柄を掴んで地面から引き抜いた。
ここから見る景色にも飽いてきた所である。使い手としては認めようもないが、運び手としては認めてやっても良かった。
妖精はひ弱で我輩を帯刀する力も無く、柄を持ち切っ先を引き摺るように運んでいった。鞘は置き去りである。刀の本体はあくまで我輩、鞘にも強化が施されているが我輩から離されればやがて朽ちるだろう。主の鞘が失われるのは避けたいが天命と諦める他無かった。
妖精は霊力が集まっている方向に向かっていく。人間に悪戯をするつもりだろうか。たかが悪戯に使われるのは屈辱であるが文句の一つも言ってやれない。
妖精はどうにか森の端まで運んでいったが、枯れ葉の間を逃げて行く野鼠を見るや我輩を放り出して追いかけていってしまった。
所詮妖精、気紛れである。
我輩が落とされたのは森と街道の境目の草むらであった。近くに町が見え、すぐ隣に小さな祠がある。祠から神力は感じない。大方人間が意味も無く建てたものであろう。
祠の由来について考えを巡らせる事しばし、月明りを遮って人影が現れた。みなりの良い男で、一心に祠に祈りを捧げ始める。
口からは娘の快癒を願う言の葉が漏れていた。どうやら娘が怨霊に取り憑かれているようだった。
人間、その祠に祈ろうと意味は無い。そう伝えようにも我輩は沈黙しかできはしない。
男は祈りが終わったようで顔を上げた。その時、月光を反射した我輩に目を留める。男は草むらを掻き分けて我輩を見つけた。息を飲み、捧げ持つ。
どうだ人間。主が創った我が身は美しかろう。
しかし男から発せられたのは我輩への賛辞ではなく祠の神への感謝であった。阿呆。居もしない神が刀なぞ授けるか。
男は我輩を退魔の刀と勘違いし、片手に持つや小走りに町へ駆けていった。
実は我輩、退魔の力もあるにはある。本来争いを避け、安全な旅をせんが為に創られた刀であるが故、持ち主の健康を保ち害意を寄せ付けぬ効果があるのだ。ただし持ち主が戦意を持った時はその限りで無い。
これは様々な力を付与され混ざりあった福次効果である。
もっとも害意を弾くのは持ち主に対してのみ、我が身は範囲外。それがために刀を狙う者達が跡を断たなくなったのだが……我が主は迂闊なところがあるようだった。
さてそういった背景を知らず、男が床に伏せた娘の枕元に我輩を置いた。途端、娘に取り憑いていた怨霊が我輩の力に押され逃げ出した。
真っ青だった娘の顔は見る間に朱を取り戻す。自分でも驚いた風に起き上がった娘を男……父は力一杯抱き締めた。
いとも容易く娘を癒した我輩は夢護刀と名付けられ家宝にされてしまった。
鞘をあつらえてくれたのは有り難いが、主以外に命名されるのは気に入らない。なかごに銘を刻もうとした輩は傷一つつかない我が身に諦めたが、呼ばれるだけでも嫌である。
ああ我が主よ。いかな理由で名を与えて下さらなかったのか。誇る名があればこのような煩わしい思いもせず済むものを。
日に一度我輩を拾った男――多少名の知れた武士らしい――が手入れをしてくるが、そう何度も願掛けされようとこれ以上の御利益は出せぬ。どこぞの神でも見つけ、そちらに祈っていれば良いものを。
年月が経ち、幼かった娘に縁談が来るようになった頃。我輩は夜陰に乗じて忍び込んで来た賊に盗まれた。
我輩を持ち去った小汚ない男は闇夜に紛れて誰にも見つからず事を成し遂げた。警備の者も露ほども気付かぬ手際である。
町の外の木立ちで少年が待っていた。盗人と少年の話を聞くには、さる貴族が我輩の噂を聞き付け、手放そうとしない娘とその父に業を煮やし盗ませたとのこと。少年はその貴族の下男、盗人は雇われのならず者である。
後先考えぬ愚かな行いであった。家宝が盗まれたとなれば近頃いざこざがあった相手を疑うに違いなく、かつ盗品では表に出せぬ。
更にこのような木立ちで取引を行うのも拙い。夜は妖の時間である。
我輩はその気配に気付いていたが愚かな二人は報酬で揉めて気付いておらなんだ。
一閃、煌めく狂刃。二人は背後から一刀の下に斬り倒された。
下手人は年老いた蛇の妖怪。腰は曲がり、ぼろぼろの麻の服を身に着け、擦り切れた草鞋を履き、肌に浮き出た鱗はくすんでいる。しかし目だけは爛々と輝き、血塗れた刀を片手に我輩を見据えておった。
老婆はチロチロと二つに分かれた舌を出し様子を見ていたが、おもむろに地面に投げ出された我輩を持つと人間の死体には目もくれず木立ちに入っていった。ふむ、これで我輩に付けられた名は失伝するだろう。
下草を踏み分け倒木の間をすり抜け、辿り着いた先は山裾の小さな鍛冶場であった。
我輩は主に創られた時の事を思い出す。原点回帰、我輩は場所こそ違うが鍛冶場に戻ってきた。なかなか感慨深いものがある。
老婆は我輩を手に鍛冶場に入った。中には誰もおらぬ。老婆一人の工房であるようだった。
台座に我輩を置き、じろじろ無遠慮に舐め回すように値踏みするように眺める老婆。
丸三日はそうしていた老婆だが、最後に金槌で我輩を一叩きして唸り声を上げた。
完璧だ、と。
見る目はある妖怪らしかった。老婆は翌日どこからか地金を大量に持ち込み、一心不乱に鉄を打ち始めた。
一振り打ち上げては我輩と比べて炉で溶かし、二振り打ち上げては我輩と打ち合わせ炉に戻す。工房は僅かな睡眠と食事の時を除き、始終熱気と老婆の狂気に満たされていた。
何が老婆をそこまで駆り立てるのかは定かでなかったが、打ち上がる刀に憎悪や怨念は籠っておらぬ。感じられるのは狂おしいまでの情熱のみであった。
刀を愛する老婆は数十年の間残る命を削るように刀を打った。我輩はそれを台座の上から眺めるだけだったが、充実した歳月であったように思う。時折工房を覗く視線を感じたが害意は無いようだったので無視した。
やがて無理が祟り老婆の体も衰え、振り上げる鎚も命を振り絞る様相を呈してきた頃。一人の半人半霊が工房を訪ねてきた。
何用かと不機嫌に訪ねる老婆に老人は自らの二刀流剣技を見せ、我が腕に足る名刀が欲しいとのたまった。
老婆はちらりと工房の隅の我輩に目をやったが、僅かに瞑目し十日後に刀を取りに来るよう言った。
老人が去った後、老婆は我輩の刀身を愛しげに撫でため息を吐く。彼の技量はかなりのものであるが、お前を差し出すには惜しい、と呟いた。
老婆は倉から一振りの短刀を出して工房の目につく場所に置いた。そして最初の 三日静かに瞑想し、残る七日で魂を注ぎ込むようにして長刀を鍛え上げた。
約束の日、長刀に銘を刻み終えた老婆は糸が切れたように崩れ落ちる。
刀を愛し、刀を鍛えた蛇の妖怪の充足した最期であった。
老婆が事切れてからさして間を置かず、老人が現れた。
倒れた老婆に驚いた様子で駆け寄ったが、息が無い事を認めると黙祷を捧げ、目立つ場所に分かりやすく置かれた二振りの刀を手に立ち去った。
工房の隅で布をかけられていた我輩には気がつかなかったようだ。
青年が去ったすぐ後、我輩の傍の虚空に裂け目ができ、金髪の妖怪がずるりと這い出した。室内だと言うのに傘をさし、うさん臭い笑みを浮かべて我輩を見る。
我輩は老婆が刀を打ってる間に時折感じた視線の正体を知った。
突如金髪の妖怪から妙な力が発せられた。我輩は存在の領域が侵される感覚に悶えたが、自らの意志では一切抵抗できぬ。
我が身に元来備わった守りの力と侵略する力は拮抗し、危うい綱渡りをした。
一瞬にも永遠にも感じられた時間の後、圧力が消える。心中安堵して金髪の妖怪を見ると、呆れた顔をしていた。彼女の口が小さく動く。
――白雪は何のつもりなのかしら?
主の名を言葉に乗せた妖怪は物思いに耽っていたが、しばしの時の後来た時と同じ様に虚空の隙間に消えていった。
それから工房に取り残され数年、我輩にかけられた埃の積もった布を取り払う者があった。小ずるそうな顔をした狸の妖怪である。背には工房の工具が詰められた袋を背負っている。今度我輩を手にするのはこの妖怪らしい。やれやれ、主の元に帰るまでに何度持ち主を変える事になるのやら。
我が主は血や戦乱を求め我輩を鍛えたのではない。むしろ逆である。それが為、我輩の存在は今後も決して歴史の表には出ず、裏から裏へ闇から闇へ渡ってゆくであろう。