師匠の伝は思いの他広く、さる弱小貴族の屋敷に護衛として住まわせてもらえる事になった。
私は衣食住を賄ってもらう代わりに屋敷に結界を張っておいた。師匠に「やり過ぎだ」と言われるほど強力に。しかし綿密に隠蔽してあるので、余程注意して探らないと腕の立つ陰陽師でも結界に気付かないだろう。
事実上平安京で最も安全な場所と化した屋敷の主は師匠と蹴毬をしたり歌を詠んだり割と暇そうである。宮中では藤原氏を中心にドロドロした権力争いが繰り広げられているようだが、木端貴族なので相手にされず気楽な様だった。
一度知り合いの集まりで開かれた宴で連歌に参加してみたが、師匠に即座に私は歌を詠む才能が無いと言われてしまった。ショックだったので隅でドナドナを歌ってやった。
囲碁も練習したが全然勝てないし訳が分からない。分析力や思考力を上げてやっと九子ハンデをつけた師匠と互角である。
蹴毬は逆に私が強すぎて皆相手にならない。蹴毬は勝負するものではない、手加減しろと言われたがイマイチ感覚が掴めなかった。
その他平安京の娯楽のほとんどが楽しめず、昼間は寝て過ごすハメになった。
生活は夜型になり、夜な夜な妖怪退治と称して出かけては京に潜む妖怪と世間話をするのが近頃の日課である。
「最近どう?」
「陰陽師が強なってかなわんわー。私は油舐めてるだけで殺されそうになってん、も~人食い妖怪だろーがそうじゃなかろーが見境なしやね」
「逆に考えるんだ、正面からかかってくるだけマシだと」
「鬼みたいな事言わんでや。こちとらしがない小妖怪やで」
「でも隠れるの上手いでしょ」
「白さんにはあっさり見つかったやん。あんときゃ心臓止まるか思たわ」
「私は例外だから……この頃何か面白そうな噂無い? 退屈でさ」
「ん、白さんにゃお世話んなっとるけな、とっときのネタを一つ」
「ほほう」
「富小路のボロ小屋知っとる?人間にゃあ見えんよー結界張ってあんのやけど」
「富小路は行かないから」
「そかそか、とにかくそんな小屋があるんよ。でな、その結界が妙でなあ。霊力でも妖力でもない力で張られてるのな」
「神力?」
「そない神々しいもんやないな。なんやよう分からんボヤボヤしたヤツなんよ。噂まとめるとそれはボロ小屋に住んでる奴が張っとる結界なんだと」
「妖怪? 人間?」
「さあなあ。見た目小娘らしいけどアテにならんわ」
外見少女で一万歳もいるからね。
「そう。明日にでも行ってみるよ、ありがと」
「いやいや、お役に立てたようで何よりですわ」
「これ駄賃代わりに」
「なんですこの瓶?」
「鯨の油」
「やや、白さんタラシやわー! 私の好み心得てらっしゃる!」
「量は無いけどね。それじゃまた今度」
「どーもなー!」
富小路に面した貴族屋敷の土塀に寄り添う様にボロ小屋が建っていた。小屋というか長さの揃わない木材と布切れでどうにか建築物の体裁を整えただけの代物で、吹けば飛びそうな雰囲気だ。
地面には小屋を囲むように円陣と紋章が書かれており、ゆらゆらした結界を形成していた。
円陣……五芒星……ラテン系言語? ……魔法使いか!
永い事生きていたが魔法使いには始めて会う。あれか、魔法使いは大陸の血が流れてないとなれないのかね?白蓮は見た目ジャパニーズだけど。
私は知っている力しか操れないので、今まで魔力を使う事は出来なかった。結界を構成している力を読み取ると勝手に体から魔力が溢れ出た。
あれ……まだ妖力を魔力に変換してないんだけどな……まあいいか、不都合無いし。
しかしこれが魔力か……性質のよく分からない力だ。どことなく曖昧な感じがする。
私はひとしきり魔力を分析してから存在力と干渉力を操って結界をすり抜け、扉(らしきもの)をノックした。
「たのもー」
途端に小屋の中で何かがガタガタ動く音がした。続いて「あっ」という少女の声の後に軽い水音がして最後に爆発音が聞こえた。
おおぉ……なんかやっちまったぜ的な香り……
中に飛び込んだら更に酷い事になりそうな予感がしたので罪悪感に駆られながら待機していると扉が細く開いた。紫色の髪の端を焦がした少女が不機嫌そうな顔を覗かせる。
……パチュリー? いやショートカットだし顔が違うし右目にモノクルをかけている。別人だ。
「わざわざ結界抜けて、魔法使いが何の用?」
「は?」
「は、じゃないわよ。魔力纏ってるじゃない」
「ああこれね」
魔力を妖力に切り替えた。ショートパチュリー(仮)が目を細める。
「……変な奴ね。まあ魔法使いでも妖怪でもなんでもいいわ。何の用か知らないけど帰って。研究の邪魔よ」
「あー、さっきの音は……」
「あなたのせいで十日かけて調合した薬が廃液になったわ」
「ほんとごめんなさい」
「謝っても無駄よ。いいから帰って。私は忙しいの」
モノクルパチュリー(仮2)は俗世には興味が無いとばかりに扉を閉めてしまった。
ああ、第一印象最悪。どう挽回すれば良いんだろう。
しばらく扉の前で悶々として、とりあえずもう一度声をかけてみる事にした。
「あのー、紫の人?」
「まだ居たの?白い人」
尖った声で返事が返ってきたが扉は開かない。ここで選択肢間違えたらバッドエンドだ。
三択・ひつだけ選びなさい。
①頭脳明晰な私は突如解決法をひらめく。
②師匠が現れて助けてくれる。
③どうあがいても嫌われたまま。現実は非情である。
「ノーレッジ家って知ってる?」
小屋の中の音が消えた。少し間を置いて扉が半分開く。偽パチュリー(仮3)が片手を出して手招きした。
「中で話を聞くわ。入って」
よしゃ。選択肢①にして良かった。頭脳明晰って訳じゃないけど。
小屋の中は一部屋しかなく、中央を占拠して大鍋がどどんと据えられ、壁は薬棚でいっぱいだった。床には羊皮紙が散らばっていて足の踏み場も無い。隙間だらけの小屋なのでしっかり換気されていて空気は良かった。
パチュリー似の魔法使い(仮4)はナイトガウンとローブの中間の格好をしている。サバト帰りっぽいイメージだ。
「適当に場所作って座って」
「適当って……」
とりあえず散乱した空き瓶をどかして座る。紫魔女(仮5)は大鍋の縁に腰掛けた。
「あなた姉さんに言われて来たの?」
「姉さん?」
「本家の。まだ継いでないけど」
「何の話?」
「え?だってあなた………………ああ抜かったわ、私とした事が名前だけで勘違いを」
「えーと、そろそろ名前教えてくれないと呼びにくいんだけど」
「今それどころじゃないわ。勝手に呼んで」
「じゃ、ひねくれムラサキ(仮6)」
「……マレフィ・ノーレッジよ」
マレフィは深々とため息をついた。苛々と大鍋の縁を指で叩いている。
やっぱりノーレッジか。パチュリーの先祖?
「ノーレッジの名をどこで聞いたの? こんな島国では知られていないはずよ」
「風の噂で」
「正直に答える気は無いようね。力ずくで聞き出すのは……無謀そう」
「やってみる?」
「遠慮するわ」
「私は魔法使いの噂を聞いて見物に来ただけだよ。ノーレッジについては名前しか知らない」
「教えないわよ」
「別にいいよ。代わりに魔法を教えてもらいたいんだけど」
マレフィはモノクルの位置を直して私をじっと観察した。私も観察し返す。
「本当に変な奴ね。少しだけ気に入ったわ。捨食と捨虫の魔法は教えないけど」
「それ以外は?」
「基礎は教えてあげる。でも魔法運用は十人十色、基礎から発展させるのはあなた自身よ」
「学習力も応用力も自信あるから大丈夫。……チート使用だけど」
最後に小声で付け加えた言葉は聞こえなかったらしい。マレフィは大鍋から降り、羊皮紙の山から椅子を引っ張り出して腰掛けた。
「まずは基礎の前に実践よ」
「いきなり?」
マレフィは怖い笑顔で大鍋を指差した。
「作り直してもらうわ」
その後丸々十日間小屋に拘束されるハメになり、師匠には式神を送ってしばらく帰れない旨を伝えた。
マレフィはリウマチを患っているそうで、手が強張るので薬品の調合も神経質なまでに慎重に行っていたらしい。私が来て作業が楽になったと言っている。ノーレッジ家の魔法使いは持病持ちがデフォルトなのだろうか?
マレフィはあれこれ薬品調合について椅子に座ったまま指図しながら魔法について教えてくれた。
魔法の行使は術者の技量、魂の気質(語弊はあるが血統のようなもの)、道具などの物質、実行する場所の空間、いつ実行するかの時間、(この国で言う)縁起物などによる運の六つの要素が関わっている。これらの要素を総称して魔力と呼ぶ。
この内、運が最も強く魔法に影響する。運は万物に宿る記憶に基づいており、複雑な由来を持つ物や永い歴史を辿った物ほど強い。
そして私は運が非常に強い状態にあるそうだ。
そりゃそうだよね。私以上永く生きてる奴なんて天上界の神様ぐらいだし、なかなか数奇な道を辿ってきたと自負している。
私ほど魔力があれば力に任せてかなりの魔法が使えてしまうそうだが、技術を学ぶに越した事は無い。天文学、魔法陣、呪文など、魔力操作だけで解決しない技術も多々あるのだ。
また魂の気質には能力も含まれる。マレフィは土水火風を操る程度の能力、私は力を操る程度の能力。
能力によって魔力の質が変わるとか。だから魔力って曖昧な感じがするのかねぇ。
ノーレッジ家について質問してすげなく無視されたりしつつ、私は鍋を掻き混ぜ続けた。
※マレフィはパチュリーの曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾祖母の妹