平安京到着まで後一日、私は素泊まりの宿で早起きをして雑穀粥を作っていた。
昨日摘んだ山菜を入れて鬼火で煮立たせ、惰眠を貪っている師匠の布団をひっぺがす。
「師匠、朝餉できましたよ」
「む……あと半時……」
一時間じゃねーか。
私は容赦無く師匠を蹴って布団から追い落とした。呻き声があがる。
「……お前年寄りは大切にしろよ」
「だったら今すぐ私に土下座して下さい」
「前言撤回」
「いいから顔洗ってきて下さいよ。あと髭剃って」
「断固断る」
ふらふら部屋を出ていき、髭を剃らずに顔だけ洗って戻ってきた師匠と一緒に朝食をとる。
「お前は平安京に行ってどうするつもりだ」
「会ってみたい人がいるんです。一人を除いて生まれてるか分かりませんが」
「なんだそれは」
「友人に会うついでに未来の有名人の顔も覗いて行こうという若干ミーハーな私用です」
「ますます分からん。名前は?」
「言っても分からないと思いますよ」
「言うだけ言ってみろ」
「はあ……えーと、八意永琳、蓬莱山輝夜、藤原妹紅、西行寺幽々子、魂魄妖忌、聖白蓮、封獣ぬえ」
「ほとんど聞き覚えが無いが……蓬莱山輝夜というのはなよ竹のかぐや姫の事か?」
「そうでしょう、分かる訳……え?」
「かぐや姫なら知ってるが、もう百年以上前に月に帰ったそうだ。会えないな」
「え、ちょ、それ、ええ?」
竹取物語って平安時代の話だよな。今は平安時代に入ったばかりなのになんでもう百年前?
「何を混乱してるんだ」
「いやだってこれ……数千年振りの再会が……師匠、かぐや姫についてどこで聞きました?」
「京から流れてきた旅人がたまに話していたな。粥を喰わんのか、冷めるぞ」
どういう事だ。平安京に来た目的の半分は永琳なのに……
…………
……ああ、竹取物語が「書かれた」のが平安、「起きた」のが平安以前だったのか。それなら納得がいく。うっかりってレベルじゃねえ。
「師匠、ちょっとここに妖怪呼んでいいですか? 害は無い奴なので」
懐から通信用陰陽符を取り出して聞くと、師匠は私の粥を食べながら頷いた。
「どうも……紫起きろー! 起きろって! 起床! 起床! 朝だ! 起きろー! あ、起きた? 文句は後で聞くから藍呼んで」
紫は早朝に大声で叩き起こされて物凄く不機嫌そうに文句を言ってきたが、しっかりスキマを開いて藍を送ってくれた。
「紫様はまたこんな……あれ、白雪様?」
大根と包丁を持った藍がきょとんとしていた。料理中でしたかすみません。
「藍、ちょっと質問があるんだけどさ」
「また急ですね……あちらの陰陽師は?」
「今は空気だと思えばいいよ」
「はあ」
「おい。目上の者に向かってそれは……いやなんでもない」
「料理の続きがあるだろうからさっさと行こう。竹取物語って知ってる?」
「月人が竹から出てきて、最後には油揚げを残して月に帰ったという?」
大体合ってる。
「そう。それで最近迷いの竹林に誰か住み着いた?」
「いえ、私の知る限りでは」
ふむ……永琳達は月人の追手から逃げるために永夜抄まで隠れ住んでいたみたいだし、藍が気付いて無いだけでもう居るのか、それともまだ幻想郷に辿り着いて無いのか……
「里で薬屋を見た事は?」
「無いですね。病にかかれば加持祈祷が主流です」
「分かった、ありがとう」
結論、永琳は輝夜を連れて放浪中。幻想郷にはまだ着いていない。
くそ、ニアミスか。刀打ってる暇があればもっと市井の噂に耳を傾ければ良かった。
「それだけですか」
「これだけ。これ紫に渡しといて」
陰陽術概論をまとめた冊子を土産として持たせ、藍に帰ってもらった。あれで機嫌が直ればいいんだけど。
「話は終わったか」
「うわっ! ……師匠、見事に空気になってましたね」
「陰陽師を舐めるな。食器を片付けておけ、四半時後に宿を出る」
師匠は空になった椀を二つ寄越した。あー、朝食食べ損ねた……
永琳との再会はお預け食らったが、乗りかかった舟だし他にも目的はあるので平安京へ向かった。
羅生門から京入りしたのだが、まず道が広いのに驚いた。優に道幅20メートルはある。四車線道路並の広々した道を牛車がのらくら進んでいく。
「焦れったい乗り物……」
「歩きで牛車を追い抜かすなよ。心の狭い貴族だと怒る」
「器が知れますね」
「無駄な争いは避けた方がいいだろう」
内裏の陰陽師に挨拶をしておこうと道の端を歩いていると、物陰から飛び出した妖怪が牛車を襲撃し、丸々太った貴族を引き摺り出した。真っ昼間から出没するとは馬鹿なのか自信があるのか分からない妖怪だ。市民は悲鳴を上げて逃げていき、護衛の陰陽師は妖怪と戦い始める。
私は即座に不可視結界で自分と師匠を周囲から見えなくした。
「妖怪を目にして高見の見物とは陰陽師にあるまじき所業だな」
「師匠も同じ穴のむじなじゃないですか」
「あの貴族、前に平安京に寄った時に護衛をしてやった奴だ。あいつ任務の後俺を殺そうとしたんだよ」
「なぜ」
「今のように妖怪に……大妖怪に襲われた。依頼主には傷一つ無かったが牛車の荷物を奪われた。しかし俺は一人で大妖怪を相手にしたんだ、褒められこそすれ咎められる覚えは無い」
「それはまた……」
「白雪はなぜ助けない?」
「食事の邪魔はしない主義ですから。あの貴族に恩は無いですし、目が濁っているので見殺しです」
「妖怪的思考だな」
私は死にそうな奴を善悪問わず全て助けるほど善人ではない。
私にとって妖怪の死と人間の死は等価であり、どちらか選べと言われれば気に入った方を助ける。その場合選ばなかった方を間接的に殺す事になるが、私は全知全能では無いので切り捨てる。
もっとも両方気に入った時は力ずくで両方助けようとするが。
「あ、貴族喰われましたね」
「丸呑みか」
暴れていた貴族は深手を負いつつも陰陽師を蹴散らした妖怪に食べられた。妖怪の腹は見た目には膨れていない。質量保存の法則に喧嘩を売っているがファンタジーだから気にしない。あやめなんて街一つ分の人間を完食してもスリム体形を保っていた。
私と師匠は妖怪が逃げて視界から消えたのを確認して結界を解いた。何食わぬ顔で負傷した陰陽師を見て驚いたふりをし、肩に担いで内裏の陰陽師の所に連れていく。
そして負傷した陰陽師を引き渡す際に妖怪掃討の命を受けてしまった。
なんでも最近あのような昼間の襲撃が増えているらしく、腕利きの陰陽師を集めていたらしい。今回の貴族襲撃の報も鑑みて陰陽師総動員をかける事にしたとのこと。
依頼ではなく命令。断れば陰陽師の名を剥奪され、京を追われる。ため息が出た。
「面倒な事になりましたね」
「腕利きの陰陽師は引っ張り回されると言ったろう」
とぼとぼと宿に向かう。組織に属するのは私に向いて無いよなぁ……平安時代が終わったら陰陽師やめて幻想郷に戻ろう。
数日後の早朝、羅生門前に一部の貴族の護衛を除き平安京中の陰陽師が集結した。
行動開始まで若干の時間があるので師匠は知り合いを見つけて情報交換をしていた。私はというと年配の陰陽師に撫で回されている。
「若いのに偉いのう」
「あ奴の弟子は苦労するじゃろうて」
「めんこい子やの、将来別嬪さんになるで」
やめて撫でないで、髪が乱れる……やめろってば! ……ブルスコファーブルスコファー。
揉みくちゃにされている内に時間になり、宮中から来た陰陽師の大家が今回の作戦の事由と意義を語った。ちなみに安倍晴明ではない。爺様方にそれとなく聞いた所によるとまだ生まれてもいないらしい。
で、作戦開始。地区毎に何組かに分かれて解散したのだが、私と師匠は二人一組で南南東の一区を任せられた。駆け足で現場に向かう。
「一々殺すまでしていたら霊力が切れる。適度に痛め付けて追い払うぞ」
「私は大丈夫ですけどね。ほら」
走りながら一瞬大量の霊力を噴出すと師匠は呆れ返った。
「お前一人で平安京の妖怪を全滅できるだろう」
「目立つからやりません。師匠が髭剃ってくれたらやりますが」
「拒否する」
「ですよね。まあ普通に退治します」
「そうしろ」
軽口を叩く内に到着。宮中から前もって御触れがでているので、市民は皆家に引き籠もっている。通りに人影は無く静かなものだ。
集中すればあちらこちらに妖力が感じられた。隠れるの下手だな。
「行きますよ師匠」
「ああ」
私は呪符をばらまき、周囲に逆妖怪払い結界を張った。これで結界内に妖怪が吸い寄せられかつ隠れさせない。
たちまち家の影から井戸の中から積荷の隙間からゾロゾロ妖怪が現れた。逃げようとする妖怪もいたが結界がそれを許さない。相手の力を見切って適度な霊力を込めた呪符を放ち、一枚につき一匹確実に撃墜していく。気絶した妖怪は師匠のぺらい人型紙式神が外に運んでいった。
私はひたすら妖怪の弾幕をかわしながら呪符を投げて投げて投げまくる。
逃げるやつは妖怪だ! 逃げないやつは訓練された妖怪だ! ホント掃討戦は地獄だぜ、フゥハハハーハァー!
……やばい、少しテンション上がり過ぎた。
うっかり腕を吹き飛ばしてしまった妖怪を軽く治療し、締め落して放り投げる。それを式神がキャッチして運んでいった。式神便利だ。
それから少し気持ちを落ち着けてから師匠と背中合わせに撃破数を確実に増やしていった。
夕方頃には全区掃討が完了したが、あまり妖怪の死体はでなかった。皆追い払っただけである。
これは妖怪に慈悲をかけた訳ではなく、陰陽師の霊力的問題と死体処理の手間を省くためだった。
妖怪は妖精と違って殺しても死体が残り疫病の元になるし、力の強い妖怪の死体に触ると呪われる事がある。一度退治された妖怪は当分大人しくなるので数年は平安京も安泰だろう。
私の今回の活躍は全て師匠のお陰という事にしておいた。しつこく宮中に仕えないかと誘われた師匠は陰陽師見習いのおどおどしたか弱い少女を演じる私を怨めし気に見た。ごめん師匠、私正体妖怪だしあんまり目立ちたくないんだ。
この日結局宮仕えを断った師匠と宿屋へ向かい、平安京での初戦は幕を閉じた。