東に向かって日中ひたすら歩く事三日、人の手が入った道にでた。地面は踏み固められ、頭上の枝は払われている。妖怪達の話を信じるならこの道の東に里があるはずだ。
この時代はまだ貨幣経済が発生しておらず、里と里の交易は物々交換で行われる。私は道中で猪を狩り、毛皮と肉を確保した。商人偽装の為である。
いくら強かろうと見た目は年端もいかない少女、一人旅には相応の理由付けが必要だ。神様が里を放置して旅にでているというのは触れ回る事では無い。里中では神・妖力を隠して霊力を出し人間を装い、口減らしで捨てられ泣く泣く商人の真似事をして生計を立てる少女のふりをする。
山歩きをしていて妖怪に襲われないのかと聞かれたら偶然会った旅人の屍体から頂戴した衣に妖怪避けの効果があったと嘯き、結構価値のある猪の毛皮の入手経路を聞かれたら藁しべ長者的な説明で誤魔化す。バックストーリーに抜かりは無い。
昼過ぎに里に着いた。早速ミシャグジ様の宿る神木に向かおうとしたが、その前に人垣に囲まれる。旅人は私が思っているよりも珍しいようだった。
「あら白い髪」
「染料じゃなさそうだねぇ」
「実は婆さんとか」
「家のかかぁより白いぞ」
髪の色を気にする住人達にひたすら若白髪ですと言い張り、説得力を上げて無理矢理納得してもらった。もっと突っ込む所あると思うんだが……
ミシャグジ様を参りたいと言ったら案内してもらえた。村外れの見上げるほど高い杉の木。幹の辺りにうっすら神力が漂っていた。拝むふりをしてしゃがみこみ、私の神力を送り込むと反応が返る。歓迎と疑問の意思……喋れないんだな。
交信力を上げて要件を伝えると快く答えてくれた。
南の方にミシャグジ達を統括する神がいるらしい。名前は分からないが凄い神だという事は伝わった。十中八九、諏訪子だ。
神奈子という大和の神を知らないか聞くと農耕の神にそんな感じの奴がいるとのこと。まだ諏訪大戦は起こって無いっぽい。
質問に答えてやったのだから供え物をしないと祟るぞ的な軽い脅しをかけられたので猪の毛皮を供える。同じ神に供物を要求するとは容赦ねぇな……それだけミシャグジ勢力が強いって事か?
別れ際に近辺の妖怪の話を聞いた。生意気にも自分に従わず、四つ離れた山に住み近くの人間をさらっている奴が居るらしい。つまり自分じゃ負けるから代わりに退治してくれと? 妖怪使いの荒い祟り神だ。
私は気が向いたら退治しておく、と伝えて立ち去った。
供えなかった猪肉は地酒と交換し、その日は里長の家の一画を借り、丸くなって寝た。
翌日朝日と共に起き、里の住民が目を覚ます前に出立した。ミシャグジに逆らっているという妖怪を訪ねてみるつもりである。
名の知れた祟り神に逆らってまだ生きている妖怪となれば多分能力持ちの中~大妖怪だ。会うのが楽しみだった。
妖怪の健脚は疲れを知らず、山を四つ程度なら一日で踏破できる。私は草に埋もれかけた道を四苦八苦して進み、霞雲がかかった夜空の頂上に月が昇る頃ようやく次の里に着いた。里の中心の広場で焚火が焚かれていたが、夜も遅いので接触は明日に回す。酒を少しあおり、毛皮にくるまって寝た。人間と違い、狼や熊に襲われる心配が無い(例え襲われても返り討ち)ので心おきなく野宿できる。
さて次の朝、住民が起き出した頃を見計らって里に入ったのだがどうも雰囲気が物々しい。張り詰めた緊張の気配漂っている。水桶を運ぶ女も弓の弦を張りなおしている男も時折不安げに周囲を見回してした。
「今日は何かあるんですか?」
通行人を捕まえて聞いてみた。
「む? ……なんだ小娘。見ない顔だが」
「複雑な事情により商人の真似事をし、旅暮らしをしている者です。こちらの里で交易をしたいと思ったのですが、皆さん気が立っていらっしゃる」
「ああ旅人か、なら知らんな。昨日満月だったろ? この里は満月の次の日には鬼が人をさらいに来るんだよ」
「鬼ですか」
「そう、鬼だ。俺の爺さんの代から近くの山に住み着いた奴だ。何度も追い払おうとしたが歯が立たんのでな、今日は流れの退魔師の方に頼んで退治してもらう事になったのさ」
退魔師ねぇ……
「なら安心じゃないですか」
「まあそうなんだが……里の力自慢十人がかりで敵わなかった鬼に本当に勝てるのかね。お前も今日は商いを諦めてどこかの家に入れてもらいな」
通行人は首を降りながら行ってしまった。私はそれを見送りながら考える。
鬼は妖怪の中でも特に強い種族である。私の神社の巫女でも年若い鬼と互角が精々、流れの退魔師ごときに退治できるとは思えない。余程腕に自信があるのか?
もし強そうなら幻想郷への勧誘を、などと企みながら退魔師を訪ねてみる事にした。
「…………」
「…………」
里長の家に居た退魔師は老齢の冴えない男だった。霊力の量はまあまあだが能力持ちほどでは無い。力を振り絞って短距離飛行が出来る程度だ。
これで鬼退治って……無理じゃね?
「何だ小娘。突然来てジロジロ見おって」
退魔師が不機嫌そうに言う。皆して小娘小娘ってさぁ、見た目小娘でもあんたの百倍は生きてるんだぜ?
「いえ、霊力が高いなー、と」
常人に比べればだが。
何気なく言った言葉だが、退魔師は感心した顔をした。
「ほほう、その歳で霊力が分かるとは見どころがある。よし、特別に今日の妖怪退治を手伝わせてやろう。見込みがあれば弟子にしてやってもよいぞ」
弟子(笑)。こりゃ駄目だ。確かに私は妖力と神力を消し一般人レベルの霊力を出しているが、気を入れていないので少し探れば力を抑えているのが分かるはず。それを見抜けない時点で器が知れる。
「私が退魔師様(笑)の弟子(笑)などとは……(そちらが)足を引っ張らないか心配です」
括弧内の言葉を口に出さず付け加えて言うと、退魔師は鷹揚に頷いた。
「何、多少枷がある方が対等な勝負と言うものだ。心配せずとも良い。昼になったら鬼の住む山に入るぞ。支度をしておけ」
その底なしの自信はどこから来るんだ?
まあいいか。これを機に世の中の広さを知ってもらおう。
日が高く昇り、里人達に期待半分諦め半分といった顔で見送られ山にわけいる。本人曰く強力な退魔剣だという微かな霊力が籠った剣で草を薙払って進む退魔師。私はその後ろを着いていく。
「どんな妖怪を退治された経験が?」
「うむ、専ら羽根の生えた童の妖怪を退治しておる。稀に人に近い姿の妖怪も追い払う」
声に自慢げな調子が入ってるけど、あんたが退治してるのは妖怪じゃなくて妖精だからね。しかも妖怪は追い払うだけ。最低限の心得はあるんだろうけどよく鬼退治なんかしようと思ったな。過信って怖い。
ひたすら草を刈って進む退魔師を見て`お爺さんは山へ芝刈りにー´、などと心の中でナレーションをつけていると、かなり強い妖力が山の頂上から降りてくるのを感じた。
が、退魔師は気付いた様子が無い。流石にこの距離で察知するのは無理かと思って黙っていたが、あれよあれよという間にもうすぐ目視できる所まで接近してしまった。
「む……妖の気配。童よ気をつけろ」
だめだこいつ早くなんとかしないと。
そろそろ呆れを隠しきれなくなってきた顔を引き締め、隠れもせず堂々と現れた鬼と対峙する。
「ほお。二人共里の者では無いな。自ら贄となりに来たか」
とんでもない美人の鬼だった。顔の造詣は非の打ち所が無く大人の色気がある。藍色の長髪を結って前に垂らし、かんざしを刺している。短い角が髪の間から覗いていた。ワンピースだか着物だかよく分からない半端な百合模様の服を着こなし、下駄を履いている。時代考証も何のそのな出で立ちだ。背が高く胸も……
凄く……グラマラスです……
私が自分の大人の魅力に敗北感を感じてうなだれていると、退魔師が剣を掲げて宣戦布告した。
「ほざけ妖怪、ぬしの悪行もここまで! 我が退魔剣の露となるがいい!」
これだけ妖力を撒き散らしている妖怪を前に怯まないとは、間抜けかなのか豪胆なのか判断しかねる。まあ、鬼の美貌に動じない所は評価できた。
「受けてみよ退魔弾!」
何か技名を叫びながらごく普通の弾幕を数発撃った。避ける素振りも見せない鬼に直撃し、光に紛れて退魔師が切りかかる。歳の割に俊敏だな。
キン、と高い音がした。
回転して飛んでいく折れた刀身。剣を降り抜いた姿勢で唖然とする退魔師。拍子抜けした顔で拳を振りかぶる傷一つ無い鬼。
まあこうなるよね。剣もナマクラなら使い手も三流。想定の範囲内だ。
私は脚力を上げて二人の間に割り込み、鬼の拳を片手で受け止めた。鬼が目を見張る。
「選手交代。退魔師さんは退いてて」
「ぬ、ぬぅ、やるな童。だが退魔師たるもの妖相手に退く事は無い!」
腰抜かしてる癖によく言うよ。目には怯えも無いし、本気で言っているのは分かる。これで実力があればな……
「そういう台詞はもう少し力つけてから言って。幻想郷の巫女を訪ねれば多分鍛えてくれるよ。でも今は強制退場」
私は退魔師の頭を鷲掴みにして大きく振りかぶった。何か喚いているけど無視。
「飛んでけー!」
空へ向かって放り投げた。投げる瞬間に防御力を強化してあげたので着地で死にはしないだろう。
「さて一騎打ちと行こうか。そういうの好きでしょ?」
向き直ってウインクすると、鬼は呆気にとられていたが一拍置いて嬉しそうに笑った。
「鬼の心が分かる人間よの」
「あははっ、果たして人間かな?」
私は霊力に加えて妖力を出した。
「なんぞ、妖怪だったかの?」
更に神力をプラス。
「……神?」
「私に勝ったら教えてあげる」
半身に構えて挑発すると、鬼は口の端を吊り上げて妖艶に笑った。
「面白い。いざ、尋常に」
「勝負!」