姑尊徊子は大陸の貧しいの農村にで三女として生を受けた。母譲りの赤い髪で、丸々とした、とは言えないがまあ虚弱児ではない赤子だった。
その時代、農村において生まれる女は三人目となると、実も蓋も無く言えば「ハズレ」である。まともな労働力にならないからだ。食い扶持>労働による生産量、の公式が成り立つため、生まれて早々に野山に捨てられるのは茶飯事で、作物の実りがよく運良く少女と呼べる年齢まで育っても今度は人買いに売り払われる。売られた先の境遇はまあお察しだ。少なくとも明るい未来は待っていない。
幼い頃、まだ徊子という名では無かった少女は、村の同年代の誰よりも早くハイハイを卒業し、誰よりも早く喋りだし、誰よりもよく質問した。誰よりもよく考えた。その成長の早さは五歳になる頃には村の大人と同等の知識を身に付けていたほどだった。男であれば将来間違いなく大国に三顧の礼をもって招かれるほどの才女である。
ところがどっこいこの頃の大陸では女の地位が非常に低い。家に引きこもり大人しく夫を支えるのが良しとされ、度を過ぎた利発さを示すとかえって嫌われた。何より女はどれほど賢くとも官吏にはなれない。
幼い天才幼女は頭は良いが身体はごく平凡で、身体能力が優れる訳でなし、霊術を扱える訳でなし。一応「鍵や箱などを開ける程度の能力」を持ってはいたが決して戦闘向きの力ではなかった。妖魔退治の戦力にはならない。従って彼女の評価は盆百の少女と何も変わらない、どころかあまりの利発さに恐ろしがられてすらいた。頭の良さを褒められるのは男の特権なのである。
で、まあ、少女が六歳になった時飢饉が起き、サラッと人買いに売られた。
自分を売り渡し僅かばかりの銭を受け取る両親の顔が「厄介払いができて清々した」というものであったのを見て、少女はああこの連中は最早親ではないなと思った。親を、年長者を、祖先を敬うよう教えられてきた少女だが、敬うべきかどうかは自分で判断しなければならないと考えていた。
曲がりなりにも両親に対して自分を生み育ててきてくれた恩を感じていた少女はここで泣いてくれたなら大人しく売られようと考えていたが、コレである。少女は人買いに連れられて村を離れたその夜、焚き火にくべられていた太い薪をごく自然な何気ない動作で持ち上げ、おもむろに人買いの頭をぶん殴って逃走した。
勿論鍛えてもいない少女の腕力で人買いをノックアウトできるはずもなかったが、不意をついた事と、薪の火が人買いの髪に燃え移りパニックを起こした事でまんまと少女はトンズラに成功した。少女が逃げた事により家族だった者に迷惑が行くかも知れなかったが、もう知ったこっちゃなかった。どうにでもなーれ。
さて一目散に逃げた少女だが、早速死にかける。
飢饉のせいで売られたのに、山に食べられるものが残っているわけがない。飢え死にの危機。更に飢饉のせいで餓えた獣が山には跋扈している。喰い殺される危機。
豊富な知識と鋭い観察眼、獣の痕跡を知る術を生かしなんとかかんとか毒物以外のしかし食用でもない野草を食べて命をつないだ少女だが、腹を壊し、動けなくなり、いよいよもって死にかける。
少女はイチかバチか能力を使って空間を開いてみる事にした。理論上はいかなる空間にも霊的境界線があり、その境界は物理的空間を越えて連続しているはずである。よーするに空間の切れ目を広げるとどっか別の場所に繋がる。繋がった先に食べ物が、せめて水があれば御の字である。
少女が虚空に手を伸ばし撫でるように引くとくぱぁと黒い亀裂が入った。端にリボンは無く、ビシリビシリと軋みながら勝手に広がり、衰弱した少女を飲み込む。
少女は上下が分からないぐらぐらした暗い空間に落ちた。よく分からない絵の描かれた看板(道路標識)や妙なマークの書かれた円筒(核爆弾)、目玉に触手、空間に漂っているものは節操がない。空間は完全な無音で、生命の気配がない。長時間いると発狂しそうだった。
と、少女の目の前を漂っていく雑多な物品の中に香ばしい匂いのする焼き菓子があった。うまい具合に湯気の立つ茶まである。
少女は反射的に飛びついた。どういう訳かできたてのような気配がしたが、少女もこの不思議空間の全容を把握している訳ではない。皿に山盛りになっている焼き菓子を一心不乱にがっついた。涙がでるほど美味しかった。
皿を綺麗さっぱり空にして一心地ついた少女は高級そうな枕やら掛け布団やらが漂ってくるのに気付いた。統一感のないこの空間で寝具がまとまって流れてきている。しかも触ってみるとまだ体温が残っていた。こんな奇妙な場所に誰か住んでいるのだろうか? と少女は疑問に思う。
「ちょっと藍ー? クッキーが見あたらな……あら?」
背後から聞こえてきた声に少女が振り返ると、ナイトキャップを被った金髪の美女が目をクマのぬいぐるみを片手に寝ぼけ眼で少女を見た。
「……え?」
「失礼しました」
即座に一礼し、足元に外へ繋がる亀裂を開き少女は脱出した。
開いたものの閉じれない。少女はスキマを開きっぱなしにしてその場から逃げた。なんとなく嫌な予感がしたので。
スキマから出た少女だが、しばらく歩いている内にまた餓えた。もう一度亀裂を開いて大冒険するのは怖かったので、村々の穀物庫を開けては食料を失敬した。定住しようにもツテがない。放浪は続く。
一年ほど経った頃、いつものように夜陰に乗じて穀物倉庫の厳重な鍵をちょいと開けて侵入した少女は仙女に捕まった。なんでも少女が開けたものを開けっぱなしにしていくので各地で騒ぎになっているらしい。宝物庫も穀物倉庫も空間の歪みも異世界の扉も少女は開けるだけ開けて放置していたのである。
仙女は少女に三日三晩滔々と説教をし、能力あるものの責任を説いた。簡単に言えば後片付けをしっかりしなさい、である。少女は開きっぱなしにした様々な門や亀裂や封印が程度の差はあれど災禍を生んでいた事を聞かされ恥じ入った。能力に頼る前に能力を制御しようと決心する。
仙女は少女の目の確固とした光を見てもう大丈夫だと思い、帰っていった。
少女は能力に任せて開けるだけではなく、閉じる訓練を始めた。少女の能力に開けられないものは無かったが、閉じる事はできない。「閉める」には純粋な技術が必要だった。
が、訓練している内にまたもや餓えた。こう頻繁に食べ物を探してウロウロしていたのでは訓練にならない。
少女は以前会った仙女の霊力の流れと術を思い出し、うろ覚えで再現する。少女は能力行使以外で霊力を扱った事がなかったので、日照りで枯れかけていた老木に川から水を汲んできてかける事を対価に木の精に霊力を扱う触媒となる杖を貰った。
流石に即座に完璧に真似る事はできなかったが、少女の天才具合を舐めてはいけない。一年足らずで仙女の術の一部をアレンジを加えて再現し、餓えず老いない体を手に入れてしまった。
最早少女は食い詰めて流浪していた人間ではなく、仙人のはしくれ。以前の自分と決別し、名を変える事にした。
導いてくれた仙女の名から一字もらって苗字にし、姑尊。
杖をくれた木の精の名から一字もらって名前にし、徊子。
かくして少女は姑尊徊子と名乗る様になった。
ちなみに知恵の輪は手が寂しいから暇つぶしにやっているだけである。特に意味はない。