俺が住むアパートの近所には寂れた神社がある。風雨に晒され手入れをする人もおらず、雑草は伸び放題落ち葉は溜まり放題。鎮守の森の根は石畳を崩し、境内まで侵略している。
何を祭る神社かも定かでは無く御利益など到底期待できなさそうなその名前は、博麗神社といった。
大学でレポートを提出した帰り、俺はコンビニで買った週刊誌と缶コーヒーを片手に博麗神社へ向かっていた。
防音対策を頭から無視した安アパートではゆっくり読めない。昼間から隣の部屋の奴がロックミュージックをガンガンかけているのだ。
一度文句を言いに言ったがスキンヘッドの刺青兄ちゃんが出て来たので、以後は関わらないようにこちらが退散している。夜は決まってどこかにでかけるので安眠が保証されるのは救いだった。これで夜中も音楽垂れ流されたら発狂する。
古びた鳥居を潜って境内に入ると、いつも静かで閑散とした神社に人が居た。変な帽子を被った黒髪と金髪が何事か言い争いをしている。彼女達の顔と言うか特徴的な帽子は大学内で見掛けた記憶があった。同じ大学の大学生だ……しかし他人には違いない。挨拶の必要も無いだろう。
内容は見当も付かないが人が論争をしている隣で週刊誌を広げる訳にもいかず、少し遠いが公園にでも行こうかと迷っていると二人がこちらに気がついた。
俺が手に持っている週刊誌と缶コーヒーを見て事情を察したのか、黒髪は頭を掻いて金髪はため息を吐く。
互いに目配せして仕方ない、と言う顔をすると、二人は俺の横を通り過ぎ足早に去って行った。
なんだったんだ。
首を傾げたがよく分からない。珍しい参拝客? に頭を悩ませるよりも手に持った週刊誌の方が気になったのでさっさといつもの定位置に座って傍らに缶コーヒーを置いた。
本堂の扉前、石段の最上段。ひさしが木漏れ日を遮り完全な影を作り、風通しが良く雨の翌日でも乾いている。
さてじっくり読むか、と表紙をめくって巻頭カラーを目に入れた瞬間、前触れも無く背後の扉が強烈な勢いで開いて俺の頭を強打した。
「ババーン!」
もんどりうって石段から転がり落ちた俺は幼い声を聞いた。無様に落ち葉が散乱する地面に転がり、逆さまになった視界が捉えたのは小さな女の子。幼女か少女かは意見が分かれそうな微妙な身長と顔立ちだった。
何故か自然に馴染んで見える白髪。黒い瞳。時代錯誤な紅の衣。アニメで見る様な堂に入ったポニテ。靴では無く草鞋。
女の子は本堂を「内側から」両手で開けた姿勢で目を丸くして俺を見ていた。
誰だこいつ。変な衣装だがこの神社の巫女……なんて事は無いか。いくらなんでも幼な過ぎる。の割には偉く似合っているが……
「や、ごめん少年!」
女の子は年上にも臆する様子無く拝むようなポーズを取って簡単に謝った。どこに目をつけているんだこいつは。俺が少年に見えるならお前は胎児だ。
女の子は石段を降り、俺の手を掴むと外見に見合わない力で助け起こしてくれた。驚いてまじまじと見つめるとにやっと笑う。不思議な事にその顔が一瞬老獪な婆さんに見えた。
「いやぁ、悪かったね。まさか扉の前に人がいるとは思いもしなくてさ、うっかりうっかり」
あっけらかんと言い放つ女の子に悪びれた様子は無い。
……今気がついたが扉を開く衝撃で大の男を転がすというのは凄くはないか。この歳で格闘技でもやっているのだろうか?
「本堂の中で何をやっていたんだ? 勝手に中に入って怒られないのか」
「私を怒る奴なんていないよ」
服についた落ち葉を払いながら聞くと女の子は妙な答え方をした。
「君は博麗神社の関係者なのか?」
「関係者? 関係者と言うか……そんなとこかな」
曖昧に答える女の子。役場も権利者を把握していなさそうな古びた神社にもまだ縁の者は居たらしい。大方神社の巫女服を着て巫女さんごっこをしていたとかその辺りだろう。
髪の色がおかしいがそういう年頃だ、仕方ない。アニメのヒロインに憬れて魔法を唱えてみたり、母の香水を持ち出して真っ暗な部屋で恋の黒魔術に手を出してみたり。
正直白髪というチョイスはどうかと思うが銀色にしたかったのかも知れない。俺は服と髪には触れないでいてあげる事にした。誰もが通る道だ、温く見守ってやろう。
和やかな表情になった俺を女の子は不思議そうに見ていたが、何でもないと手を振って週刊誌と缶コーヒーを拾い上げた。プルを開けなくて良かった。危うく118円が無駄になる所だ。
再び石段に腰掛けて週刊誌を広げると、横にちょこんと女の子が座った。目を向けると視線が絡んだ。
「…………」
「…………」
少々の沈黙の後、花が咲くように微笑を浮かべる女の子。年上好みの俺でもくらりとくる笑顔だった。
ロリの道に引きずり込もうとする魔眼を渾身の力で振り切って週刊誌に目を戻す。NOロリータノータッチ、変態紳士の仲間入りは御免だ。
しばらく、コーヒーを飲みながら集中して週刊誌を読む。少年達のバトル漫画はいくつになっても俺の胸を熱くさせてくれる。それが死神だろうと忍者だろうと狩人だろうと、現実では決して叶わないファンタジックな大活劇には心踊る。俺はギャグよりもバトル志向だ。
日が暮れて弱くなってきた明かりに目を細めつつこの漫画は落ち気味だ、こっちは来週が山場だな、などと評価しつつ読み終えて閉じると、横からそっと覗き込んでいた女の子と目が合った。
行儀が悪いと叱ってやろうかと思ったが泣かれても困るのでやめておく。躾は親に任せる。俺は知らん。
「君は家に帰らなくていいのか?親は?」
残ったコーヒーを飲み干して尋ねると女の子はひらひら手を振った。
「大丈夫、同居人には断って出て来たから二、三日戻らなくても心配されないよ」
大人びた話し方をする子だ。しかし同居人とは、また複雑な家庭の事情がありそうだ。保護者がどんな奴かは知らないがこんな小さな子に一人旅をさせるとは正気を疑う。
関わらない方が良さそうだと判断して帰ろうとしたが、踵を返す直前に服を掴まれた。無邪気な笑顔を浮かべた女の子が俺を見上げてのたまう。
「少年、私はカレーを食べたいんだ」
どういう成り行きか自分でもよく分からない。女の子に言葉巧みに丸め込まれ、俺はいつの間にか野菜が詰まった買い物袋片手にアパートの前に立っていた。辺りは既に夜の帳が降り、子供が出歩く時間ではない。
「少年、ぼろい所に住んでるんだねぇ」
反対の手を握った女の子が失礼な事を言う。なんでもこの女の子、わざわざカレーを食べるためにある意味遠い所? とやらからやって来たらしい。それでなぜ神社にいたのか聞いたがはぐらかされた。謎だ。
今の御時世カレーぐらいどこでも食えるだろ、と言ったら女の子の住んでいるあたりにはスーパーもコンビニも無いとの事。どんなド田舎だよそれ。
女の子の友達にそういう嗜好品や娯楽を提供してくれる奴がいると言っていたが、生憎今は冬眠中だそうで……冬眠てお前蛙か熊でも友達にしているのか。絶対人間じゃないだろ。
もっと普通な人間の友達はいないのかと聞いたら少し考えていないと答えが返ってきた。悲しい子だ。虫や動物に名前をつけて一緒に遊んでいる所を想像すると泣けてくる。きっと愛と勇気も友達なのだろう。
色々怪しい部分もあったがはるばるカレーを食べたいがためにやってきた可哀相な女の子を無下にはできず、自腹切ってカレーの材料を買ってやった親切な俺。アパートのキッチンは狭いが二人分のカレーぐらいなら作れる。
俺はこの時間帯に少女を家に連れ込む姿を知り合いに見られたらアウトだなと思いながらドアを開けて変わり者の女の子を部屋に入れた。
「おじゃまします……汚な……くはないねぇ。意外」
草鞋をきちんと揃えて上がったのでしっかりしているな、と思ったらまた失礼な事を言った。一人暮らしの男大学生が皆部屋を散らかしていると思ったら大間違いだ。
女の子は俺から買い物袋受け取ると狭い台所に移動し、ゴソゴソ料理の準備を始めた。料理するのは女の子、俺は台所を貸すだけ。包丁を使えるか心配だったが本人は大丈夫だと言っていた。よくわからない説得力があり頷いてしまったので、全て任せてパソコンの電源を入れてのんびり待つ事にする。俺の分も作ってくれるらしい。あの歳で食べられるものが作られれば儲け物だろう。
インターネットを立ち上げてネットサーフィンをしていると不意に肩を叩かれた。振り返ると女の子がジャガイモ片手に困った顔をしている。
「包丁も鍋も上の棚に入ってるぞ」
「いや、あのね……」
「ガスの元栓は入ってるはずだ」
「そうじゃなくてね、身長があの、足りなくてね……踏み台になるものない?」
俺は情けなさそうにしている女の子と台所の高低差を見比べ、黙ってジャガイモを取り上げた。
まな板を出し軽く水洗いし、玉葱を一個微塵切りにする。ニンニクもひとかけ微塵切りにして玉葱と一緒にサラダ油をしいた深鍋で炒めた。
香ばしい匂いが漂ってきて鼻と腹を刺激するがここからが長い。玉葱がしんなりしてきたのら蓋をして、約40分間あめ色になるまで弱火で炒め続ける。
「パソコンやっていい?」
台所追放令を受けて手持ちぶさたな女の子がベッドに転がりながら言った。気楽なもんだ。にしてもなんで俺が初対面の女の子のために手間暇かけてカレー作ってんだ……せめてレトルトにすれば良かった。
「駄目だ。漫画でも読んでろ」
お絵描きソフトを立ち上げてやっても良かったが、下手に設定を弄られても困るので却下した。少女漫画は無いが少年漫画の種類は豊富なので適当に気に入ってものを読むだろう。
ipodでお料理行進曲を聞きながら同時進行でトマトのヘタをとり、反対側に十文字の浅い切れ目を入れて熱湯に放り込む。一分経ったら冷水に移して冷やして皮を剥き……早くも面倒臭くなってきたので適当に種を取って適当にぶった切った。喰えりゃいいだろ。
他の具材も皮を剥くなりなんなりして乱雑に切る。見た目はアレだが良く言えば漢の料理だ。気にしない。
やがて良い具合になってきた玉葱の深鍋にジャガイモ、ニンジン、赤唐辛子、ローリエ、カレー粉、ターメリックをぶち込んで炒めつけ、水を加えて蓋をした。
そのまま弱火で15分放置。
随分前に駅前で貰って本棚の奥にしまっていた聖書を引っ張りだしてニヤニヤしながら読んでいた女の子は、部屋を支配したスパイシーな香りに腹をキュウと鳴らして顔を赤らめてた。
「ま、まだー?」
「大人しく待ってろ」
レンジでパック御飯を温め、皿に盛って出来上がったカレーをかける。福神漬けを乗せてウーロン茶と共に卓袱台に運ぶと女の子は目を輝かせた。
「いただきます!」
行儀良く手を合わせた女の子は美味しい美味しいと連発しながらがつがつカレーを掻き込んだ。ウーロンにはほとんど手をつけず、俺が一杯食べる間に三杯完食した女の子に唖然とする。こいつの胃袋はどうなってんだ。
けふっと息を吐いてスプーンを起き、ウーロンを一気飲みした女の子はおもむろに立ち上がった。
「ご馳走さま。帰るよ」
「あん? もうか? もう少しゆっくりしてけよ」
俺はまだ食べ終わっていない。食べるだけ食べてあっさり言った女の子に思わず引き止めた。女の子は目を瞬かせ、つつっと寄ってきて俺の背中に張り付いた。
「なんなら今日は添い寝してあげてもいいけど?」
「やっぱ帰れ」
もうテレビのゴールデンタイムが始まる時間だが、なんとなくこの子は危ない目に遭ってもなんとかしてしまう気がした。スプーンを置いて女の子を玄関まで送る。
草鞋を履いた女の子はふと気がついたように懐に手を入れ、小指くらいのニンジン飾りがついた携帯ストラップのようなものを俺に渡した。
「なんだこれ」
「昔悪友から買った予備の幸運の御守りの首飾り。それ持って宝くじでも買ってみるといいよ」
首飾りなのか。こんなものを首にかけて大学に行く蛮勇は持ち合わせていない。ストラップにしよう。
首飾りをポケットにしまい、目を上げると女の子は消えていた。玄関から首を出して外を覗いてみが、夜の闇が広がるばかりで人の気配は無かった。
俺が女の子から目を離したのはほんの二、三秒。その間に居なくなってしまった。
「これはホラー、なのか?」
カレーを食べに来る妖怪なんぞ聞いた事が無い。女の子と会った場所を思い出し、あの子は巫女ではなく神様だったのではないかという考えが脳裏を過ぎったが、すぐに馬鹿馬鹿しいと否定した。こんなフレンドリーな神様がいてたまるか。
俺は玄関をしめ、卓袱台に戻って残りのカレーをもくもくと食べた。
この年、俺は宝くじで一千万を当てた。