ある日うららかな春の陽気に縁側で船を漕いでいると、カヤが白湯と相談事を持ってきた。
「妖怪の山に妙な妖怪が?」
「はい。なんでも霧に紛れて現れ、人間を食べるとか」
昔剛鬼が創った山にいつの間にか妖怪が集まり始め、妖怪の山と呼ばれるようになっていた。強力な妖力の残り香が心地よいらしい。まあ大量の妖力で創られた山だからね。何千年経っても土に染み付いた妖力は完全に消えないようだ。
能力持ちがうじゃうじゃしているのはやはり幻想郷だけのようで、普通の妖怪は特別な力を持っていなかった。せいぜい飛んで弾幕を出すぐらいである。怪異を起こす妖怪は大抵能力持ちだ。
「霧に紛れて現れる、ねぇ……」
「どうします?」
「今回はいつもより手強そうだ。カヤには荷が重いから留守番」
「白雪様……」
「く……そ、そんな顔をしても駄目」
カヤは短距離だが飛べるようになり、小妖怪相手なら八勝二敗程度に戦える。しかし能力持ちに勝てるほど強くは無い。
私は涙目のカヤをなだめすかし、どうにか居残りを納得させた。
その晩早速妖怪の山へ向かった。雲一つ無い星と満月の綺麗な夜だ。今は春だが夜はまだ肌寒い。闇夜と満ちた月は妖怪を強化するので普段妖怪退治は昼間に行うが、今日はカヤがいないので夜でいい。
私は神だが能力のせいか妖力も持ち妖怪でもある。満月は霧の妖怪を強くすると同時に私も強くするのだ。
神社から小一時間飛び、妖怪の山の麓からは地面に降りて徒歩で進んだ。
何度か小妖怪とすれ違うが気配を断っているので気付かれない。
疎らな木々を避け、湿った下草で滑らないように注意しながら緩やかな山道を登るとやがて霧が出てきた。風も無いのに生きているかのように私に纏わりつく。
「妖力を帯びてるな……自然の霧じゃない。この辺りか」
私は神力を消し、妖力を霊力に変えて一般人レベルの量を纏った。これで気配は人間だ。
囮作戦である。
良く考えれば夜中に一人で妖怪の山の奥に人間がやって来る訳がないし、少女にしては髪の色がおかしいのだが、ほとんどの妖怪はそのあたり無頓着なので心配しなくて良い。
演技力を上げて不安そうにきょろきょろしながら進むと霧が濃くなってきた。遠くに割と強めの妖力が現れて近付いてくる。毒入りの獲物に気付いたようだ。食べれるもんなら食べてみな!
私は心の中で新世界の神のような笑いを浮かべながら表面上は怯えた様にうろついた。足場は草地から岩場に変わっている。
む、気配が速度を上げて動いた……後ろに回り込んでくる? 背後から奇襲する気か?
三歩先も見えないほど濃くなった霧に戸惑う振りをしていると、すぐそばまで妖力が近付いてきた。心の中で身構える。
ひたひた、ひたひた……
あれ?
ひたひた、ひたひた……
足音が重なってるような……
ひたひた、ひたひた……
足を止めてみる。後ろの足音は私より一歩遅れて止まった。
おぉい! どこのオヤシロ様だよ! どちらかと言えば私の方がオヤシロ様だろうが!
後ろを振り返ると霧が一部晴れ、下手人が現れた。
紅い衣に長い白髪。身の丈は幼女と少女の中間。草鞋を履いた彼女は黒い瞳でじっと私を見てきた。
私だ。私が私を見ている。私の目に私が映り、多分私の目も私を映していた。
ああなるほど……ドッペルゲンガーか。高い山に深い霧。確かに出現要素は出揃っている。
鏡映しが現れたのに戸惑うどころか薄く笑う私を私が不審そうに見てきた。完全に模倣はできないらしく、ドッペルゲンガーの体からは霊力ではなく妖力が出ていた。
「今晩は。懲らしめに来たよ妖怪さん」
霊力を妖力に切り換え速力を上げて一気に詰め寄った。抵抗の隙は与えないぜ! 驚く妖怪の衣を素早く掴んで背負い投げをする。
「なふぅ!」
変な声を上げる妖怪。声まで私だ。私は妖怪を地面に押さえつけそのまま固め技に入った。
「痛い痛い!」
「正直に話せ。お前は人間を食べたな?」
「あなたも妖怪っ、あわやや折れるー! 食べました食べましたごめんなさい!」
自分の声で謝られるって変な気分だ。素直に白状したので締め付けを緩める。
「正直でよろしい。ところで近くの里から神社に霧の妖怪の退治依頼が入っていてだね」
「ひっ!」
妖怪の顔から冷や汗がダラダラ流れはじめた。逃げようともがくので妖力を全開にして威圧する。付近の妖怪の気配が一斉に遠ざかっていくのを感じた。格の差を思い知るがいい。
「あうふぇぅう……」
あれ……気絶した。
間近で大量の妖力の圧迫を受けて気絶した妖怪はうなされていたが、しばらくすると悲鳴を上げて飛び起きた。
「とわー! ……何だ夢か。良かった」
「どんな夢見てたの?」
「っひゃきゃー! ど、どうか命ばかりはぁ!」
騒がしい声を上げてガタガタ震える妖怪。そんなに怖かったかな……
「いや、殺したり封印したりはしないから」
「ほわ?」
「最初に言ったでしょう。懲らしめに来たんだって」
「……はふぅ~」
妖怪はへなへなと崩れ落ちた。感嘆詞のバリエーションが多い奴だ。誤解も解けたようなので話を進めようか。
「とりあえず私に化けるの止めてもらえる? 変な感じがするからさ」
「えやー……どうしてもですか? 誰かに化けてないと禁断症状出るんですけど」
「どんな?」
「逆立ちしたり体をむちゃくちゃに捻ったり」
それなんて死神リューク?
「あんまり見たくないな。それなら姿はいいか。名前は?」
「煙霧意捕です」
「エンムイドリね。じゃあ意捕、しばらく人間食べれるの抑えて」
「と、突然ですね。でも私食人妖怪ですもん、人間食べないと死んじゃうじゃないですか。えーと……」
「私? 白雪」
「白雪さんも妖怪なら分かるでしょう」
「分かるよ。まあ脅かすぐらいならいいから。私は里の神様もやってるからね、意捕が里の人間を食べると困る。里以外の場所から来た旅人は好きにしていいし、飢え死にはしないと思うよ」
私は力こそ強いが一人しかいない。分身はできない。守ると決め守れるものは守るが、守備範囲外は関知しない。神とて万能ではないのである。
「んむぅ……」
意捕は顎に手を当てて私の顔を伺いながら悩んでいる。
月人文明時代は時々人を脅かせば妖怪は生きていけたが、天地創造以降法則が書き変わった。今では二、三ヶ月に一度人を食べるか頻繁に人を脅かさなければ生きていけない。絶食してもすぐには死なないが徐々に妖力が衰えて最後には消滅だ。
多分天上界の神様達は食人妖怪を増やし加えてその食欲を増し、かつ人間の妖怪嫌悪を薄くする事で人間の数を増え難くし、文明の発達を遅らせようと考えたのだろう。月人文明は発展が早過ぎて人と妖の折り合いをつける余裕が無かった。
「……分かりました。何か断ったら粉々にされそうなんで」
「まさか。両手の骨を砕くぐらいだよ」
当分人を襲えないようにね。
ぞっとした顔の意捕を放置し、私は空を飛んで悠々と神社に戻った。任務完了!