腹が減っては戦はできぬ。
太陽が真上に登り、神社を出てから動きっぱなしだった霊夢は洩の湯の温泉宿の屋根に腰掛けておにぎりを頬張っていた。
豪雪地帯の幻想郷の家々の屋根の傾斜は基本的に急だが、洩の湯の宿は地熱の影響で雪が積もらないため、のんびり笹にくるんだ弁当を広げられる程度には緩やかである。
霊夢が腹拵えをしている間、三人の供は好き勝手に動いている。マレフィは捨食の魔法があり、徊子は霞を食べており、意捕は妖怪だ。今食事をとる必要は無い。
温泉客にセルフサービスで提供されるお茶を啜り、霊夢はけふっと息を吐いた。下を見下ろせば温泉街を談笑しながら行き来する妖怪、人間、時々神。大結界の異変に欠片も気付いている様子は無く呑気なものだ。
霊夢は鬼神を味方につけようと考えていた。
強力な妖怪種族の代表格は鬼、吸血鬼、天狗。プライド最優先のレミリアは一時的とは言え巫女の下にはつかないだろうし、フランドールは恐らく白雪に牙を剥くのを嫌がる。天狗は混乱していて使えない。その点鬼は捩じ伏せれば快く仲間になるから楽な物だ。
どうせ味方につけるなら最上級の鬼神が良い。それが失敗しても四天王なら確保できるだろう。
そんな魂胆で地底、旧都へ向かう予定だった。
「予定だったんだけどねぇ……」
霊夢は目の前に立ち塞がる怨霊にため息を吐いた。
一風呂浴びて来た三人と合流してさあ行こうと空に舞った矢先、橙が怨霊を引き連れて逃げて来た。そのまますれ違えば問題は無かったのだが、あろう事か橙は言葉巧みに霊夢に追手をなすりつけ尻尾を巻いて逃げて行ったのだ。上司に猫可愛がりされている化け猫だが、大ボスの影響もしっかり受けていると見える。
その結果がこちらを睨む怨霊。粗末な麻の服を着た昔風の少女で、少々不揃いなショートカットの黒髪に艶は無く、顔色も宜しくない。些かやつれた病人の様な青白い顔に冷徹さを貼り付けたその表情はなかなか迫力があった。
消えない執念の業火
【マナ】
その身に纏うのは見た事も無いほどドロドロした禍々しい霊力だったが量は多い。余程長い間怨み辛みを溜め込んで成長したのだろうと推測される。あまりお近付きになりたくない種別の人間……いや霊だが、厄介な敵ほど味方につけた時に頼もしい。
霊夢はこの怨霊を勧誘してみる事にした。
「なんで橙を追ってたか知らないけどちょっと――――凄く時間貰える?」
「凄くは無理ですが少しなら。あなたは人間の様ですが……あの猫の仲間でしょうか」
「ただの知り合いよ。仲間になった事は一度も無いわね。それで本題」
霊夢はこの世全ての闇を封じ込めた様な暗いマナの瞳を真正面から見据える。
「下剋上に付き合ってくれない?」
「……見た所あなたは博麗の巫女の様ですが。神殺しになるおつもりで?」
「ハァ? なんで殺すのよ物騒ね。パパッと弾幕で退治すりゃ良いだけの話じゃない」
「ふむ。彼女には私も多少の恨みがあります。協力するのは吝かでは無いですが……しかし……後ろに連れているのは妖怪か?」
マナはがらりと口調を変えた。低い寒々しい声で脅す様に言う。霊夢は雰囲気からここで肯定するとマナの機嫌を損ねる事を察したが、だからどうという事も無く率直に答える。第一妖力を纏っている奴を妖怪じゃないと主張するには無理があった。
「妖怪、仙人、魔法使い。それが何?」
マナは答えず突然意捕に向かって弾幕を放った。
「ひぁあ!」
「私の姿に化けるな下衆が!」
「そんなっ! 私のアイデンティティーを否定するの!?」
「問答無用!」
何やら済し崩しに弾幕が始まってしまった。呆気に取られている霊夢の前で意捕が必死に禍々しい霊力弾を避けている。
徊子は困りましたねぇなどと言いつつ手を貸す気配は無く、マレフィに至っては空を流れる雲を眺めていて意捕に目もくれない。双方助ける気は無いらしい。
霊夢はどうしたものかと頭を掻いた。
弾幕決闘は不意打ちをしてはならず、不意打ちで始まった以上これは弾幕決闘とは呼べ無い。更に殺気の籠ったマナの弾幕は明らかに殺傷設定だった。
しかし弾幕決闘でなければこれは単なる生存競争の闘い。弾幕決闘ならばルール上横槍は拙く、弱肉強食ならそれもまた霊夢の関与する所では無い……が、今回襲われている意捕は自分のサポート役だ。見捨てるのは拙かろう。
思考を纏めた霊夢は半泣きの意捕を二重結界で囲み、護った。マナの弾幕は全てあっさり結界に阻まれ弾かれる。
ちゃちゃを入れられた怨霊は突如現われた結界の強度に目を見張り、ギロリと霊夢を睨んだ。
「神に仕える者が妖怪を庇い立てするか。貴様それでも巫女か?」
「失礼ね、これでも巫女よ。博麗の巫女は必要なら妖怪でも悪魔でも護るわ」
幻想郷の平和と境界を護る為の巫女なのだから当然だ。
「幻想郷の巫女も地に墜ちたか。もっとも村を滅ぼす妖怪に肩入れするような神の配下、元より腐っていたのやも」
「酷い言われ様ねぇ。あんた妖怪に怨みでもあんの? 怨霊だし無い訳無いんだろうけど」
「千年の昔、私の故郷は一夜にして妖怪に滅ぼされた。妖怪共を根絶やしにするまで私は止まらない」
「うわぁ後ろ向きー。もっと前向いて生きればいいのに」
「好くも憎むも第三者が口出しする物では無いと私は思いますが」
「なんでもいいから早くして頂戴」
見事に足並みが揃わない三者三様の声に押されて霊夢はため息を吐いた。
「どいつもこいつも捻くれてるわねぇ。ま、あんたの事情はどうあれ揉め事は弾幕で片付けるのが幻想郷の流儀よ。そっちが勝てば煮るなり焼くなり好きにしていいから負けたらこっちに従ってもらうわ」
「ふ、妖怪に魂を売った神職にあるまじき巫女よ。我が積年の怨念、その器に収まるか!」
意捕に使った結界を見てそれなりに霊夢の実力は分かっていたのだろう、マナは最初から手加減抜きで弾幕を放って来た。妖力弾よりよほど妖力弾らしい怨念が詰まった霊力弾をグレイズしながら霊夢は小手調べに御祓い棒を振る。四色と仙人の弾幕をマナはぎこちないながらも確実に躱し、更に弾幕を返す。
数十秒通常弾の応酬を繰り広げた二人だが、霊夢が早々にマナの弾幕の癖を見破り押し始めた。時間を追う毎に宙を飛び交うマナと霊夢の弾幕の比率は偏っていく。
しかし漫然と撃ち合うだけでは押し切られると判断したのだろう、マナは通常弾を休止しスペル宣言をした。
怨符「ここで会ったが千年目」
霊夢は身構えたが、スペルによくある「宣言直後の猛攻撃」は無かった。確かに通常弾幕より密度は増し押し返されたものの避けながら撃ち返すだけの余裕がある。
意捕が言っていた様に必ずしも霊力量と弾幕の強さは結び付かないが、この程度の弾幕がマナの全力だとは思えなかった。
しかし恐らく罠だと分かっていても手を緩める事は無い。霊夢は右手で御祓い棒を振るい牽制の弾幕を飛ばしつつ左手に挟み持った四枚の札に霊力を充填。鋭く息を吐くと共に殺りに行くつもりで投げる。
牽制の弾幕に紛れて空気を裂き自分を狙う御札をマナは紙一重でかわした、が――――
「うん?」
グレイズした瞬間にマナの纏う霊力が脈動した。目を凝らせばマナが弾幕を掠るたびに霊力が蠢き少しずつ少しずつ増幅している。
……霊夢は御札を投げる間に牽制に大量の弾幕をばらまいていた。あくまで牽制、その弾幕はグレイズも容易く、気がつけば膨張した霊力は弾けんばかりになっている。
スペルカード効果時間は最大六十秒間。現在四十秒弱が経過しており、残り十数秒であの膨れに膨れた霊力を弾幕に変えて解き放つとなれば、
「まっず!」
通常弾幕では対応しきれないだろう。霊夢は一際大きく収縮するマナの霊力が解放される前に急いでスペル宣言をした。
神霊「夢想封印・双」
予想通り宣言直後に数瞬前とは比較にならない圧倒的な弾幕が牙を剥いて襲って来た。怨もうぞ祟ろうぞと狂おしい負の念が籠った弾幕が、纏わりつく様に絡み付く様に殺到する。亡者の憎しみが生者を奈落に引き摺り落とそうとするように弾幕一発一発に猛執を感じる。一般人ならグレイズしただけで発狂するんじゃないか、と霊夢は背筋を這い上がるような怨念に眉を顰めた。
通常弾を放つ暇も無く回避に専念する。スペルカードの多くは一度宣言すれば制御の必要は無く自動で弾幕を展開する。
マナも霊夢も全力で避けてかわして見切って受け流す。それはスペルとスペルの戦いだった。
そもそもスペルカードは必殺技の代名詞。どちらのスペルが上手く組まれているか、それが勝敗を分ける事は少なくない。今日の三戦で霊夢が一枚もスペルを使わなかった事こそ異常なのだ。
しかしマナの方が霊夢よりも早くスペル宣言をしており、当然の帰結としてマナのスペルが先に切れる。
スペル効果時間が切れたマナは無抵抗に霊夢のスペルに曝される事になり、素早く次のスペルを宣言するのだが――――
猛執「八代先まで祟ろうぞ」
「馬鹿じゃないの? 私のスペルはそんなに甘く無いわ」
稀代の巫女の必殺技が敵にスペルの息継ぎを許す訳も無く。
二枚目のスペルを宣言した直後、横から強襲した札の嵐がマナを飲み込んだ。
「よもや私の執念を飲み下すとは……」
「阿呆らしい。弾幕ごっこに恨みもへったくれもあるもんですか。あんたは負けたの、大人しく従いなさい」
「……む……う。承知、しました……」
サポートキャラクターが追加されました。
マナ[敵から逃げ切る程度の能力]
自機補正:当たり緩和……当たり判定が若干小さくなる
※マナ未使用スペル
怨霊「怨み晴らさで」
少女祈祷中……