嵐のような学園祭も過ぎた、とある休日のこと。
鍋島直樹(なべしまなおき)は、最寄の駅から二駅先にある城東新町まで足を伸ばしていた。
直樹の地元はいまも城跡が残る旧城下町だ。観光客向けの店が多い反面、学生が遊ぶところといえば、貧弱極まりない。
自然、遊ぶときは遠出することになる。
とりあえず繁華街へ向かうため、直樹が駅の構内を出た、矢先。
思わぬ光景をとらえ、直樹は足を止めた。
駅前にでんと鎮座する、有名芸術家の作だという巨大なオブジェ。
その下に、宝琳院庵(ほうりんいんいおり)が立っていたのだ。
抜けるような青空の下、病的に白い肌が眩しいほどで、非常に人目を引く。
定期的に時計へと目をやっているあたり、だれかと待ち合わせしているらしかった。
青空と宝琳院。
デートと宝琳院。
宝琳院を悪魔に書き換えても可である。
「……似合わねぇー」
思わず口から出た言葉は、掛け値なしの本音である。
およそ、その名とイメージにそぐわない。
それにしても。
直樹はうなった。
彼女に、休日をともに過ごす相手がいたとは驚天動地である。相手の顔が非常に気になった。
「――と、あんまり詮索するのも悪趣味か」
想像をめぐらせかけ、直樹はそれを振り払った。
興味はそそられたが、友人のプライベートを詮索する真似はしたくなかった。
ちょうど小用を足したくなったこともあり、直樹はその場を離れ、駅の構内へ戻った。
しばらくして出てきた直樹は、すこし遠回りしてオブジェを避けながら、それでも宝琳院庵に目をやってしまう。
直樹は目を丸々と見開いた。
男が引っかかっていた。
男が引っかかっていた。あの(宝琳院に。
「いやいや」
直樹は自分の目を疑った。
一度目を閉じ、瞼ごしに眼球をしっかりと揉みほぐしてから、直樹は尾再び目を見開く。
男が宝琳院庵を、熱心に口説いていた。
目の錯覚ではないらしい。
直樹は現実を受け入れることにした。
考えてみれば、宝琳院庵はすこぶるつきの美少女である。
直樹とて、彼女が宝琳院庵でさえなければ素直にかわいいと思うだろう。
見ず知らずの他人が惹かれることも、無いことではないだろう。
なんとなく見てはいけないものを見た気になって、直樹は眼をさまよわせた。
宝琳院庵は迷惑そうなようすを隠しもしない。
男のほうは気にした風もなく、しつこく声をかけている。
他人と会話しない彼女が、どう断るか、かなり興味があったが。
――それもまた趣味が悪い。
直樹は切り捨てた。
友人が困っているのを見ながら、手を貸すことをためらうなど論外だった。
「宝琳院」
手をあげて直樹が近づいていくと、宝琳院庵が振り返った。
釣られるように、男の視線が直樹に向かう。
値踏みするような表情。
視線の交錯は、時間にすれば一瞬だった。
「――ちっ」
舌打ちを残して、男は去っていった。
「よ、宝琳院、意外なところで会うな」
すこし誇らしげな調子で、直樹は友人に声をかける。
「――あなた、だれですか?」
意識が凍るとは、こういう事を言うのだろう。
直樹は、彼女の口から発せられた言葉に、その場で硬直した。
「わたしの目の前にいるあなたは、だれですか?」
少女が言いなおす。
直樹はいまだ固まったままである。
「わたしの目の前にいるあなたは、だれですか? わたしは、あなたが姉の知人ではないかと推察します」
ようやく、直樹は意識を取り戻した。
目の前にいる宝琳院庵そっくりの少女は、どうやら彼女の妹であるらしかった。
「姉――って、ひょっとして宝琳院の妹か?」
「わたしも宝琳院ですが」
至極平坦な口調で、そう返された。
直樹はどう応えていいかわからない。
友人と瓜二つの少女は、かまわず言葉を続ける。
「わたしも宝琳院ですが、あなたの言いたいことは、察することができます」
言葉を継ぎ、一拍。
「わたしも宝琳院ですが、あなたの言いたいことは、察することができます。宝琳院庵はわたしの姉です」
つぎつぎと言葉を継ぎ足してゆく、奇怪なしゃべり方である。
「俺は、鍋島直樹……って、姉さんから聞いてないかな」
「肯定です」
返答は端的だった。
直樹はひとまず胸をなでおろす。まともな会話も可能なようだった。
「わたしの名前は宝琳院白音(ほうりんいんしらね)と申します。ご承知の通り庵の妹です――さきほどはありがとうございました」
「いや、余計なお世話かと思ったんだが、困ってそうだったし」
直樹は頭をかきながら応じた。
平坦な口調に無表情。よくよく見れば、宝琳院庵とは芸風が違う。
とはいえ、区別がつくとすればその程度。あとは顔の造作から体型までほとんど同じである。まるで双子だった。
「ですが、思った通りの方でした」
姉とおなじ声で、妹は言った。
「ん?」
「姉から得た情報から、わたしなりに鍋島さんとはどんな方か、想像しておりました――主人公のような方だと」
「また妙な比喩だな」
主人公のような、とはどんな意味か。
直樹が考えているあいだに、白音が言葉をつけ加える。
「ギャルゲーの主人公のような方だと」
「――っておい! なんか枕言葉がついてベクトルが変わったぞ!」
「優柔不断ヘタレ属性がついたギャルゲーの主人公のような方だと」
「意味はわからんがそれははっきりと悪口だろ!」
「これをきっかけに白音ルートに入るのですね」
「なんの話だよ!?」
「ですが、わたしは十四歳。きっぱりと攻略不可だと申しておきましょう」
「だからなんの話だよ!?」
と、ひとしきり叫んで。
直樹は気づいた。ここは天下の往来である。
恐る恐るあたりを見回せば、無遠慮な視線が直樹たちふたりにおもいきり集中していた。
「……あー、つーか、あいつ、家でなに話してんだ? ひどい歪曲が為されてるみたいだけど」
直樹はごまかすように空咳をした。
周囲はごまかせないが、自分くらいはごまかしておかねば、羞恥に耐えられなかった。
白音は、やはり無表情のまま、不思議そうに首をかしげた。
十四歳ということは宝琳院庵と三つも違うはずだが、外見上はまったく変わらない。
姉が発育不良なのか、妹の方が成長過多なのか。きっとその両方だろう。
「姉は、あの通りの人ですから、家でもほとんど口を開きません」
白音の何気ない言葉に、直樹は絶句した。
気を許した人間とは普通に会話しているものだと思い込んでいたのだが、どうやら彼女の無口は筋金入りらしかった。
「口を開きませんが、家族ですので、会話レベルの意思疎通は可能です」
「家族……」
直樹はその言葉をかみ締める。
宝琳院庵は悪魔で、おそらくは家族も、それを知らない。
だが。妹である彼女は、純粋に宝琳院庵を、姉と慕っているのだ。
「具体的には、日記を盗み読みして知っております」
「――って駄目だろそれ! 犯罪だ!」
「家族ですから」
「そこだけ聞けばイイ言葉だけど前振りが最悪だ!」
「かけがえのない、家族ですから」
「そこを強調したって駄目!」
「かけがえのない、家族ですから、姉の気持ちを、姉の言葉で知りたいんです」
「なんかイイ話になっちゃったじゃねぇか! ……って、いいことなのか。いや、よくはないけど」
わけがわからなくなって直樹は口を閉ざした。
対する少女はどこか誇らしげである。
宝琳院庵の妹、宝琳院白音。
直樹は深い感慨を込めてため息をついた。
「ああ、なんか、ベクトルは違うけど、間違いなく宝琳院の妹だな」
「光栄です」
白音の口の端が、わずかにあがった。
「姉のことを、あなたの言葉でうかがいたいところですが、残念ながら本日はバイフォーとの約束があります。後日、お聞かせ願うために、よろしければ携帯電話の番号とメールアドレスを交換願えますか?」
「いや、そりゃいいけど……バイフォーって、外人さんか?」
耳慣れない音に、直樹は首を傾げた。
ニュアンスから人物の名であることは間違いなさそうだった。
「クラスメイトです」
やはり端的に、白音は答えた。
「クラスメイトの、通称です」
「通称? あだ名か。にしてもバイフォー? 妙なあだ名だな」
「multiply by four(四倍)が由来と聞きました」
「ふ……ん?」
とっさに意味がわからず、直樹は生返事する。
「双子(ツイン)で混血(ダブル)であるのが、由来のようです」
「……2×2=4、て訳か。気のきいたあだ名だけど、中学生っぽくはないよな。それとも、学校ではそういうネーミングが流行ってるのか?」
「違います」
即座に彼女は否定し、そして続けた。
「違います。事実です」
「どっちだよ。学校で流行ってるってことか?」
「違います。事実、実際として、バイフォーはあれら(の本質を現す言葉なのです」
白音は断定口調である。
「どこかで掛け算が働いているとしか思えない。特に、ふたり揃うと手がつけられない。しかもあれらが絡むと、やたらと事態が大げさになる。まさに、災厄の双子です」
至極深刻なようすだ。
そういう年ごろなのかな、などと思いながら、直樹はかるく相槌を打つ。
「――と、いまはバイフォーの話などしている暇はありません。電話番号です」
思い出したように、白音が言った。
「電話番号です。連絡手段が必要なのです」
言って携帯電話をつきだしてくる。
とりあえずは断る理由もない。直樹は携帯を取り出し、番号とアドレスを白音に送ってやった。
「これで、連絡は取れます」
携帯をしまいこむ白音の姿はどこか満足げだ。
「連絡は取れます。ですが、約束が必要です」
と思えば、また言葉を継いできた。
面倒な、と思いながら、直樹は白音を促した。
「連絡は取れます。あとは、あなたと会うために、約束が必要なのです」
「いや、いいけど。宝琳院の話が聞きたいってんなら、別に」
「約束です」
白音が突出してきたのは右の小指だった。
「約束の、指きりです」
そのしぐさはどこか幼げで。
直樹はあらためて、彼女が年下なのだと納得した。
「約束の、指きりを……破ったらどうなるんでしょうか? 魚河岸にハリセンボンって置いてありますかね?」
やんわりと脅しの言葉をつけ加えた少女に、直樹は苦笑を向ける。
「べつに破りゃしないよ。約束の、指きりだ」
直樹は、白音に向かって指を差し出す。
小指と小指が結び合う。
やけに冷たい手だな、と、直樹はなんとなく思った。
再会を約して、鍋島直樹は去った。
その残像を、白音は無感動に見つめつづける。
ふと、いやな予感を覚えて、白音は我にかえった。
「レディ――ゴーッ!」
同時に、背後から声が上がる。
白音はとっさに一歩横へ移動した。
その脇を、ふたつの人間砲弾が吹き抜けていった。
小気味よい音が響いた。
背後にあったブロンズ製のオブジェに、砲弾が突き刺さったのだ。
「……鍋島澄香(なべしますみか)、鍋島忠(なべしまただし)、いったいなんの真似ですか」
オブジェに突っ込んだふたりに一瞥をくれて、白音はため息をつく。
ふたりが頭を押さえて振り返ってきた。あがった音からして相当強くぶつけたはずだが、存外ぴんしゃん(としたようすである。
「――さすが、白音ちゃん。あたしたちの攻撃を躱すとわ」
かたわれの少女が、畏怖の混じった瞳を白音に向けた。
「馬鹿なっ! 後ろにも目がついていると言うのか!?」
いまひとりの少年も、驚愕を面にだした。
容貌はたがいに相似形。
彫りの深い顔立ちといい、中学生には見えない長身といい、日本人離れしている。そのくせ、髪だけはやたらと艶やかな黒色。
白音は盛大にため息をついた。
「バイフォー。わたしはあなた方の買い物につき合うために待っていました」
「うん」「そーだね」
「待っていました。一時間前から」
「え? そうだっけ?」「待ち合わせ三時じゃなかったっけ?」
とぼける双子に、白音の眉が一瞬だけ、跳ね上がった。
「待っている一時間のあいだに、ふたりの男性に声をかけられました」
「ナンパ?」「ナンパ?」
とたんに双子の瞳がそろって輝いた。
「ひとりはあなたがたの兄です」
『え!?』
ふたりの声がそろった。
白音は不敵に笑って見せる。
「電話番号を交換しました。メールアドレスもです」
「うっ……」「いつの間に……」
「よって、あなた方の兄とはメル友と言ってよいでしょう」
「な、なんと……」「そんなことが……」
「親友と呼んでも過言ではありません」
「そんな……」「ぼくたちですら義兄弟止まりなのに!?」
「おつき合いしていると言えない事もありません」
がーん、と、わかりやすい驚愕の表情を浮かべ、双子が固まった。
みごとな三段論法なのだが、ふたりが気づいたようすはない。
「というわけで、わたしはあなた方の義姉です。敬って崇めなさい」
「お義姉さま!?」「ははーっ!」
「さあ、義弟たち。さっさと買い物を済ませましょう」
「おごって、お義姉さま!」「奢って、お義姉さん!」
双子の言葉に、今度は白音が驚愕する。
「まさか、そう返してくるとは……」
「お義姉さまだものねー」「義弟たちに奢るのは筋だよねー」
「まさか、そう返してくるとは思いませんでした。やはり、侮れない……」
なにやら微妙な空気を背負って、対峙する三人。
周りの目は、たいそう白いものだったが、彼女たちは気にも留めていない。
だから。
冗談のようなその会話を、直樹の幼馴染、龍造寺円(りゅうぞうじまどか)が聞いていた事など、天真爛漫な中学生たちが気づくはずもなかった。