佐賀城跡。
かつて城が建っていた場所は、観光用に新築された一部を除いて公園になっている。
風の運んで来る新緑の香りを嗅ぎながら、鍋島直樹は石垣の上に腰をかけ、そのまま仰向けに寝そべっていた。
休日のこと、観光客の数も多い。
そのざわめきを耳に受けながら、直樹は日常的で平和な時の流れを噛みしめて、口元に微笑を浮かべた。
「直樹さん、なに寝転がってニヤニヤしとるんじゃ」
声とともに、直樹の視界に影が落ちた。
首をひねり、声の主を確認する。長身の少女が直樹を見下ろしていた。
「ヨウか」
斉藤用子。
直樹の親友、正之助の、ひとつ年下の妹だ。
戦国猛将な兄正之助のどこに似たのか、古風な趣ながら、京劇役者のような華のある容姿の主だ。
「どうも。直樹さん、日曜の昼間っからぼーっと、なにしとるんじゃ」
呆れたような声だ。
直樹からすれば平和の実感を噛みしめる行為なのだが、はたから見ればぐうたらにしか見えないに違いない。
「考え事だよ」
身を起こしながら、直樹は答える。
「――ヨウこそ、なんでこんな所ウロついてんだ」
「わたしはランニングじゃ。たまには動いとかんと、調子が悪いしの」
「……なんで兄妹そろって体力お化けのくせに文系なんだ」
直樹はしみじみとため息をついた。
兄、正之助は戦国猛将のガタイで科学部。
妹の用子はというと、文芸部で小説なぞ書いている。意外性の高い兄妹たちである。
「そういやさ、ヨウ」
ふと思いついて、直樹は用子に声をかける。
「なんです? 直樹さん」
「お前、恋愛小説とか書くんだな」
直樹の言葉に、用子はしばし、理解しかねたように首をひねり。
ややあって、彼女の顔は一瞬にして茹だった。
「な、な、な、なんでそれを! 兄貴じゃな? 兄貴じゃろ! あの馬鹿、なんで他人の秘密を無遠慮にばら撒くんじゃ!!」
「それに関しては、お前もわりとどっこいどっこいな気がするがな……まあ」
ぎゃーと喚きながら耳まで真っ赤な少女の姿を眺めながら、直樹はしみじみとつぶやく。
「意外っちゃ意外だよな。ヨウが恋愛小説なんて」
ぴたり、と用子の動きが止まる。
それから、彼女は剣呑な視線を直規に向けてきた。
「直樹さん、そりゃちょっと、失礼じゃないかのう?」
「いや、ヨウに恋愛が不似合だなんて言ってないぞ。俺が意外だって言ったのは、お前がそういう、なんつーか、その手の心の葛藤みたいなのを、文章とかで表現したいって思うのが意外っつーか」
頭のてっぺんから足先まで抜けるような直情少女だ。
もっとストレートな。週刊少年漫画のバトル物のような、分かりやすく面白いものを書いているんじゃないかと、直樹は勝手に思っていた。
「それは、恋愛が不似合より角が立つような気がするんじゃが」
「気を悪くしたのなら謝る。ごめんな、ヨウ」
「ま、いいじゃろ」
直樹が手を合わせて謝ると、少女はさらりと謝罪を受け入れた。
「また、見せてくれよ。お前の恋愛小説、見てみたい」
「またそういう……直樹さん、からかわんで下さい」
「からかってるんじゃない。ほんとに見たいんだよ」
「課題図書読むのに2週間もかける直樹さんが?」
「いつの話だよ……まあ、いろいろあって、近頃は本を読むのも嫌じゃなくなってきたんだよ」
二年近く前、一人の少女と出会ってから。
宝琳院庵という熱狂的な本好きと話すようになってから。
直樹にとって睡眠導入剤でしかなかった小説も、少しずつその立ち位置を変えてきている。
「まあ、からかうつもりがないのなら、いいんじゃが……そうか。直樹さん恋愛小説を読みたいか」
今度は用子のほうが、しみじみとつぶやいた。
「おかしいか? つか恋愛小説だから読みたいんじゃないぞ」
「いやいや。恋愛に興味が出てきたのはよいことじゃ」
「興味が出てきたって……俺は別に恋愛に興味がなかったわけじゃないし」
訳知り顔でうなずく用子に、直樹は自己弁護を試みた。
事実なのだが、しかし用子のほうは、またまた御冗談を、と言いたげな反応だ。
鍋島直樹。龍造寺円と宝琳院庵という二大美少女に好意を寄せられながら、まったく恋愛ごとに発展しなかった、そんな少年の評価など、ごらんのあり様である。
「まあまあ、ええことじゃないですか。どうです? ここは一発、わたしとつき合わんですか?」
ごく自然な流れで、さらりと。
斉藤用子は直樹に、告白の言葉を伝えた。
それに対する直樹の反応はというと……嘆息。その一事。
「なんでため息じゃ」
「お前な……兄貴の方もそうだけど、ノリと思いつきでものを言うんじゃない」
そのあたり、遺伝だなと直樹は思う。
彼女の兄、正之助も、よく思いつきでいろんなことをやらかしている。
もっとも、正之助にそれを言えば、「お前の思いつきで痛い目見たことのほうがよっぽど多いわい」と、返されるだろうが。
「まあ、ノリなのも思いつきなのも否定せんが……乙女の告白にその返しは傷つくんじゃが」
恨みがましい視線を向けてから、用子は直樹の隣に腰をかけた。
二人の肩が並ぶ。直樹よりも拳ひとつほどは低いが、女性としてはずば抜けた長身だ。
「こうして肩を並べて目線が上に向くのも、知り合いの中じゃ直樹さんぐらいのもんじゃし、体あいとるんなら、つき合って欲しいんじゃが」
「身長かよ」
「重要じゃ」
「もし俺より男前で身長高い奴が居たら?」
「一も二もなくそっちに行くわい――まあ、直樹さんより男前なんぞ、そうはおらんじゃろうけど」
せいぜい兄貴くらいじゃな、とつぶやいてから、用子は肩を寄せてくる。
「どうじゃ? 考えてくれんか?」
言葉に偽りはない。
間違いようのない、本心からの告白だ。
だから直樹は、用子に向かって本心を返した。
「悪いけどな、ヨウ。俺はお前を妹くらいにしか見れん」
「はっきりと言うのう」
直樹の返答を予測していたのか、用子はすっきりと笑った。
若干の安堵が見られるのは、龍造寺円を出し抜いた負い目を背負わずに済んだからだろうか。
幼いころから「なんでもできるお姉さん」だった円を、二つ年下の用子は尊敬しているふしがあった。
「しかし、直樹さん。妹を侮っちゃいかんぞ。世の中には実の妹と恋愛関係になる小説なんかも、あるんじゃぞ?」
「マジか……」
用子の言葉に、直樹はカルチャーショックを受けた。
直樹にも妹が居る。鍋島澄香がそれだ。
直樹にとって澄香は女性ではなく、感覚としては性別妹だ。
それが恋愛対象になるとは、一体どういったことか。理解不能である。
「理解できんって顔じゃな。直樹さんとこは義理の妹なのに」
「母親や弟妹に、義理もなにもねえよ。そんな文字がついたとしても、実の親兄弟となにが変わるってんだ」
直樹が言うと、用子の表情に柔らかい笑みが浮かんだ。
「直樹さんのそう言うまっすぐなとこ、好きなんじゃが……頑固じゃな」
「いや、お前ほどじゃない」
直樹の言葉にかか、と笑ってから、「一度直樹さんと澄香をモデルに小説書いちゃるよ」と言い、用子はまた笑った。
「まあ、なんにせよ、楽しみにしてるから、見せてくれよ」
「ああ、そういえば」
直樹の言葉に、用子が思い出したように手を打った。
「わたし、小説の投稿サイトに投稿しててじゃな、たぶん直樹さんの携帯でも見れると思うんじゃが」
言いながら携帯を取り出し、とん、とん、とん、とリズムよく操作し手から、少女は携帯を直樹に押し付けた。
スマートフォンの大きな画面には、文字の並んだページが開かれている。機械音痴の直樹はもたもたと携帯を受けとり、その拍子にページを戻してしまった。
「おっとと」
「なにやっとんじゃ、直樹さん」
「すまんすまん。おお、なんかタイトルがずらっと並んでる。これみんな小説か。すごいな……ヨウのはどれだ?」
「真ん中あたりにあるやつじゃ。タイトルは……ええい、口で言うのも恥ずかしいわ。これじゃ、これ」
表示された一覧の中ほどを、少女は指差す。
「これか。えーと、投稿者white soundの“朴念仁でポニーテール萌えな俺のせいで彼女と彼女の妹と幼なじみと妹とその他大勢が修羅場すぎる”? すごいタイトルだな」
「違う。わたしはそんなハーレム系ラブコメなんぞ書かん。その下じゃ」
「“観月祭~不思議の夜の恋舞曲”……これか? 作者名 斎宮司……サイグウジ? っての」
「そうそう、それ、あと名前はサイグウ ツカサじゃ」
「男っぽい名前だな」
「ペンネームなんじゃから、気にせんでください。それより、ほら、読んで」
「ああ」
直樹は文章を開くと、目で追いはじめた。
主人公は長身がコンプレックスの少女。
そんな彼女が、ある町のお祭りで一人の少年に出会う。
少女はひと目見て少年に惹かれたが、少年は自分より背が低かった。
コンプレックスが邪魔して少年に素直に接することができない少女と、素直で一途な少年。
二人はループする一夜の祭りの中で別れては出会い、そのなかで心を通わせていく。そして最後に、月の見える丘で、二人は幻想的に結ばれる……
「――どうじゃった?」
黙って隣で見ていた用子が、顔をのぞかせてくる。
ほろ酔いにも似た読後の余韻に浸りながら、直樹は用子に視線を返す。
「なんというか……ヨウも乙女だな」
「あらためて言われんでも乙女じゃ」
しみじみと言うと、用子は胸を張って答えた。
「面白かった。なんつーか、ヨウの生の想いが詰まってるっていうか、それがわりと共感できたりして……いいな。なんかお前と一晩語り明かした気分だよ」
「は、恥ずかしいこと言わんで下さいっ」
直樹の言葉に、少女は赤面する。
書く小説から連想される作者のイメージに近しい、それは乙女の姿だった。
「でも、なんか不公平じゃ。わたしは自分晒したのに、直樹さんは晒してないのは」
ややあって。ほほを朱に染めたまま、少女は不満げに漏らした。
「俺も何か書けってか? 無茶言うなよ。俺が読書感想文書くのにどれだけ唸りながら規定の字数埋めてると思ってんだ」
「なら、書くのは置いといて、話の筋だけでもええから。ほれ」
恥ずかしさを紛らわすためか、用子はなぜか必死に進めてくる。
お話。
直樹は腕を組んで考える。
自分が話を作るとしたら、どんなものにしたいだろう。
と、考えれば、直樹は自然と思い浮かべてしまう。作り話よりよほど不可思議な体験の、数々を。
“ユビサシ”の悪魔。
“ユビオリ”の事件。
“ユビキリ”の悪夢。
“ユビツギ”の謀略。
“ユビサキ”の障り神と、巫女。
悪魔を騙る人間と、語る悪魔の物語。
「そう、タイトルをつけるなら――」
直樹の言葉は、しかし中断を余儀なくされた。
直樹の足元、石垣の下に、見慣れた顔を見つけたからだ。
「円に、宝琳院、それに澄香と白音じゃないか」
直樹の幼馴染の龍造寺円に、妹の澄香。
悪魔少女、宝琳院庵と、その妹で人間の、白音。珍しい組み合わせだった。
「また直樹は。ヨウなんかとイチャイチャして」
自分を放っておいて、という不満を体全体で表しながら、円。
それに対して宝琳院庵が、いつものニヤニヤ笑いを崩さずに口を挟む。
「いやいや円くん。キミなら二人の様子を見ればそんな気配は欠片もないと洞察するに苦労はないだろう? まだ付き合ってもないのにそこまで縛るのは、ボクはどうかと思うよ?」
「傍観ばかりでいまだに名字呼び。妹にまで遅れを取っているあなたには言われたくない」
「ひ、ひとが気にしてる所を……」
「そんなことはありません」
やや焦った口調で、宝琳院庵そっくりな妹、白音が口を挟んだ。
「そんなことはありません。何故なら、この中で直樹さんとの仲が最も進展しているのは、姉さまに他ならないのですから」
「おお! 白音ちゃん、断言しちゃった! その根拠は?」
澄香が調子を合わせて尋ねる横で、宝琳院庵が白音に冷たい視線を送る。
「白音? きみ、またボクの日記を見たりしてるのかな?」
「あ、いえ、姉さま、しかしこれは非常手段というか……」
「なるほど、白音ちゃんのお姉さんの日記には、兄さんとの仲の進展具合とか書いてあるんだね! で、どこまでいったの!? もうキスとかした!?」
「黙秘! 黙秘です!」
カオスである。
宝琳院庵と龍造寺円のいがみ合いに、白音が自爆気味に加わり、澄香がとにかく煽る。収拾がつかない。
「あーもう、お前ら、とりあえず喧嘩すんな落ち着けあと澄香はあとでおしおきだ!」
「なんで!?」
石垣の隙間に足をかけながら、直樹は少女たちの所へ下りていく。
その様子を見ながら、残された少女はぽつりとつぶやく。
「これは、あれじゃな、こまごま違うが」
少女は、先ほど見た投稿小説のタイトルを口にする。
“朴念仁でポニーテール萌えな俺のせいで彼女と彼女の妹と幼なじみと妹とその他大勢が修羅場すぎる”
「ヨウ! 馬鹿なこと言ってないで手を貸せ!」
足元では、お仕置きを免れんと目論む妹連合と円、それに直樹を盾にした宝琳院庵という三つ巴が形成されている。
その様子を眺めながら、長身の少女はしみじみとため息をついた。
「……平和じゃなあ」
「ヨウ、いいから手伝えーっ!」