「真っ当に解いていけば、必ず正解にたどり着く」
そう言った彼女は、死んでしまった。
高校生の癖にやたらと達観した少女だった。
いつも醒めていて、人の輪から外れたところにいた。
そのくせ独りぼっちになるわけでもなく、すこし離れたところで皆の姿を見ているのだ。
“孤高の女王”。彼女はそう呼ばれていた。
それも、彼女の一面には違いない。
だが、直樹には、彼女が輪に入る事を頑なに避けていたように思うのだ。
一座の主役となれる資質を持ちながら、観客に甘んじて、またそれを楽しんでいるふしが、彼女には確かにあった。
そんな宝琳院庵が、事件に関わり、自ら舞台に上がった。
結果、彼女は死んだ。
決して尊敬できるような人柄ではなかったけど、なぜか気が合った。
頭を使うことが苦手な直樹だったが、彼女と話しているときは、不思議とそれを楽しいと感じた。
いま思えば、彼女は自分を啓いてくれていたのかもしれない。その事に、いまさらながら気づいた。
いま、こうして筋道だてて考える地力を与えてくれたのは間違いなく宝琳院庵だ。
だから、それに応えるためにも、直樹は考える。
龍造寺円、諫早直、千葉連、多久美咲、そして鍋島直樹。
悪魔に取って代わられたのは一体誰なのか。
宝琳院庵は、おそらく答えを出していた。
最後の答えまでは聞くことができなかったが、答えまでの道筋は、すでに用意されていた。
“あれが人により召喚されたモノだとすれば、かなり専門的な知識が必要となる。その手の専門書を読む機会など限られている。インターネットで調べるにしても、本物にいき当たるには、ネットにかなり熟練していなければ不可能だろうね”
“ところが、もうふたりほど容疑者が上るのだよ”
パソコン以外で、専門書を読む可能性のある場所。なにより、宝琳院庵が確信を持って、ある、と言える場所。
――“図書室の主”。
宝琳院庵の異名だ。
なら、それがあるのは、図書室以外考えられない。
直樹は思い立ち、腰を上げた。
「多久。俺、ちょっと図書室行ってくるから」
返事を期待していたわけではない。直樹としては、美咲を不安がらせないよう、こちらの意図を知らせておきたかっただけだ。
「はやく……帰ってきてね」
意外な返事に、直樹は驚いて振り返った。
美咲は膝を抱いた姿勢のままだった。
心を開いてくれたわけではない。
だが、そうして声をかけてくれる程度には、信頼が残っている。
直樹はすこし、救われた。
「ああ」
その言葉に、あらん限りの感謝を込めて。直樹は灯りひとつない廊下に踏み出した。
時刻はすでに午前三時に近い。あの悪魔の言っていた“一時間の縛り”など意味を成さないくらい、多くの人が死んだ。
だが、それも終わる。
「――見てろ、宝琳院。俺が、悪魔の正体を暴いてやる」
決意とともに、直樹は拳を握り締めた。
「ただいま」
出てから五分も経っていないだろう。
ふたたび教室の扉を開いた直樹は、多久美咲に声をかけた。
彼女は出る時と同じ姿勢のままでいる
「うん」
返事はそれだけだった。
直樹は美咲から少し距離をおいて地面に座る。
しばらくの間なのか、それとももっと長い時間が経ったのか、直樹にはわからない。
「鍋島、くん」
ふいに美咲が、口を開いた。
「なんだ?」
直樹は問い返す。見れば美咲は顔を上げ、こちらを向いていた。
「――なんで、こんなことになっちゃったのかな」
「多久」
彼女の泣き出しそうな顔を見て、言葉に詰まる。
「文化祭、どうやって回るかとか、みんなでどうやって遊ぼうとか、ついさっきまで考えてたのに――考えられたのに。なんで、みんな信じられなくなっちゃったんだろう」
言葉が震えている。顔を伏せているのでわからないが、泣いているのだろう。
「いやだよ。こんないやな気持ち、いやなのに、我慢できない――あたし」
美咲の言葉をさえぎるように、教室の扉が開く。
目を向けて、直樹は目を見開いた。
扉の奥には、動かない諫早直を担ぐ龍造寺円の姿があった。
「もういや! この人殺し!」
両手で頭を抱え、美咲がヒステリックに叫んだ。
冷静に考えれば、直が死んだわけではないとわかったろう。だが、美咲の絶叫に、直樹も一瞬引きずられた。
「鍋島くん! あんな人殺し、殺そうよ! もういやだよ、こんなの!」
人殺しを恐れ忌みながら、人殺しを望む。
その不整合すら、彼女はもはや見えていない。
「鍋島くん!」
多久美咲が直樹を促した。
彼女はすでに円を指さしている。
円はなにも言わない。ただじっと、直樹に目を向けている。
それがかえって直樹を落ち着かせた。
落ち着いてみれば、なんのことはない。直が気を失っているだけである。直樹はようやくそれに気づいた。
「多久、落ち着け。諫早は死んでない」
直樹は美咲をやわらかく諭した。
直が殺されたと信じて疑わなかったのだろう。美咲は驚いて目をしばたかせた。
「諌早は気絶させただけだ。千葉先生は諌早に殺された」
美咲の瞳に理性が戻るのを待ってから、円が事情を説明した。
「そうか」
直樹は視線を落とした。
彼女まで死んでしまったのは、痛恨事である。
直樹がもっと早く気づいていれば、すくなくとも千葉連は助かった。
だが、いまそれを嘆いても仕方ない。後悔するのは、残された“三人”が無事生き残ってからでも、遅くはない。
「じゃあ、ここらで、解決編といこうか」
龍造寺円、多久美咲、それに気絶している諫早直を見回し、直樹は口を開いた。
言葉が宝琳院庵に似てしまったのは、こんな場面に使える言葉が、ほとんど宝琳院庵との会話でしか知らなかったからである。
「生き残った四人。この中に――悪魔がいる」
確信を持って、直樹は言い放った。
それが、推理ものの常套句であることすら、直樹は知らない。だが、だからこそ、言葉には重みがあった。
「だれ? だれなの?」
多久美咲が不安げに皆を見回す。
龍造寺円は、戸口に立ったまま、微動だにしない。
諫早直は未だに気絶したままで、廊下側の壁にもたれかかっている。
三人を視線で追っていき、直樹は美咲の所で目を止めた。
「多久。あんただ」
その言葉が美咲に沁みるまで、たっぷり二呼吸ほど時間を要した。
理解とともに、美咲の表情が驚きに変わる。
「――どうして? ひどい。なんであたしが悪魔なの?」
思わぬ人物からの攻撃に、美咲の表情には強い怯えがある。
だが、鍋島直樹は揺るがない。
この指名に、仲間の命がかかってくるのだ。その重みが、直樹の感情を揺らさない。
「宝琳院庵が残してくれたヒント。あれが役に立ったんだ。この事件、悪魔を呼び出す機会と能力があったのはふたりだ」
指を立て、直樹は説明する。
「ケースその一、あの悪魔がこのオバケ屋敷の魔法陣で偶然召喚されたとする。だとしたら、容疑者は宝琳院か多久になる」
直樹は一呼吸置き、理解を促した。
魔法陣が完成したと思われる時、その場所にいたのは、このふたりだけ。
迷うことなき容疑者である。
「その二。悪魔がそれ以前に召喚されていたとしたら、悪魔を呼ぶための専門的な知識が必要となる。その本が、図書室にあった」
直樹は、一枚のカードを取り出す。図書館の貸し出しカードだ。
「去年の五月に宝琳院庵、つい三日前に多久美咲。この本を借りたのは二人だけだ」
「そんな、それだけで」
「それだけで十分なんだよ」
美咲の弁護を、直樹は遮った。
「悪魔を呼び出すってのは、普通の事件とは性質が違う。だれしも機会があれば可能ってもんじゃないんだ。クリアすべき条件があって、それを満たすものがひとりである限り、犯人はそいつでしかありえない」
「――私も同意見だ」
口をはさんだのは円だった。
「ついでに言うなら、私も直樹も悪魔やまじないには疎い。諫早がその方面にのめり込んでいたのなら、中野が必ず気づいている。
多久は、そんな本を借りるくらいには、悪魔……黒魔術かな? まあどちらでもいいが――それに興味があったのだ。なら、答えは出たようなものだ」
指をさす円。直樹も、それに倣う。
いやいやをするように、美咲がかぶりを振る。
哀願を振り切って、明白な意思のもと、直樹は告げた。
「お前が悪魔だ、『多久美咲!』」
ふたりの声が重なった。