「はじめまして、だね、ふふふ。あなたどこの小学校?」
泰盛学園に入学し、はじめて話しかけてくれたのは、長いおさげが印象的な女の子だった。
すぐに死んだ。
「ああ、君があの――宝琳院先輩の妹なのか」
はじめて話した先輩は、姉に対してなにやら畏敬に近い感情を抱いているようだった。
すぐに死んだ。
「ぜひとも姉のように、本を読み尽したから、などと言うわけのわからない理由でよそへ編入なぞしないで欲しいものだな」
姉の担任でもあった教師は、姉を快く思っていないようだった。
次の日に死んだ。
「イェアー! 白音ちゃん」「白音ちゃんおはよー!」
いつも飛びかかるようにして話しかけてくる双子の同級生は、ハーフらしい。国際的な容貌と、年不相応の体格の持ち主だ。
まだ死んでいない。
この学園はどこかおかしい。
宝琳院白音はそう思う。
泰盛学園に入学してからおよそ一ヶ月。実に三人もの人間が死んでいる。
連続殺人事件、ではない。言葉にしてあらわすなら、連鎖した事件と言ったほうが正しいだろう。平素なんの問題もないように見えた人間が、いきなり狂乱し、あげくに自殺する。まるでなにかに憑かれたかのように。
ネコの呪い。と、学内ではひそかにささやかれている。
その呪いで、人が死ぬのだと。
そのためだろうか。猫避けに水入りのペットボトルを常備している生徒も多い。
馬鹿げている――とは、白音は思わない。
人死にという異常事態がこれほど続けば不安になるのは当然だ。それを理外の存在に仮託して避けようとすることは、幼稚ではあっても、けっして愚かではない。
じっさい呪いを否定する生徒のほうが、むしろストレスを溜め込んでいるように見えるのだから、迷信というのも馬鹿にはできない。
「まあ、なにも考えないのが一番のようですが」
連休明け早々。早朝の廊下を吹き抜けていった双子を眺めながら、白音はひとりごちた。
入学して早々に、そのにぎやかさがうわさになっている双子は、校内の沈んだ空気を破ってくれるという点で、おおむね好意的に評価されていた。
「やぁ、白音ちゃん」
双子の足音が消えぬうち。後ろから声をかけられ、白音はふり返る。
そこにいたのは、ひとりの女生徒だった。
造作すべてがやわらかいラインで構成された温色の美少女である。白音の知人で、名を小城元子と言う。白音も一年の中では背が高いほうだが、元子はさらに拳ひとつ抜けている。
当然と言えば当然である。なにせ彼女はふたつも年上なのだ。
前年度までこの学び舎にいた姉を知るものとしては例外的に、白音に気安く話しかけてくれる先輩だった。
「小城先輩。おはようございます」
「おはよう、白音ちゃん」
白音が礼をすると、やさしい笑顔で返された。
つやのある黒髪を背に流す、そのしぐさは同姓の目からも色っぽく見える。
「今日もいい天気だね。“ヒゼンさま”に感謝しなくちゃぁね」
まあ、発言にはドン引きだが。
よい先輩なのだが、自分で作ったらしい妙な神様を信仰しているのは、白音が見てもどうかと思う。
“一人教(”などという妙なあだ名を奉られる所以である。
「今日はいっしょにお昼、しないかな?」
「わかりました」
元子の誘いに、白音は即応した。
彼女が昼食をともにする知人といえば、双子しかいない。その双子も、気まぐれにいろんなグループに突撃するので、彼らを気にかける必要はまったくなかった。
「うん。“ヒゼンさま”のご加護がありますように」
笑顔ひとつ残して。小城元子は去っていった。
「あっ」
と、すぐ横で転んだ男子生徒が鞄の中身をぶちまけた。
教科書やノートが舞い散るなか、白音の上履きにぶつかったものがあった。
水の入ったペットボトルだった。
その男子生徒はまっさきに、ペットボトルを回収した。
「ちょっと」
昼休み。元子の住処である放送室に向かう途中で、白音は見知らぬ生徒に呼びとめられた。
見れば男女の二人連れである。
上履きの色は双方、黄色。二年生らしい。声をかけてきたのは男のほうだった。
「何か?」
「ちょっと、つきあってほしい」
白音が首を傾げると、男が言葉を重ねた。
逆立った髪といい、顔立ちといい、ライオンを髣髴とさせる、が。
終始だるそうな無表情をみれば、餌をもらうのに慣れて狩りを忘れてしまった動物園のライオンと評したほうが、適切に思える。
「はい」
男の言葉に、白音はうなずいた。
だが、男の様子は変わらない。三度、口が開いた。
「ちょっと用があるから、つきあってほしい」
「……はい」
返事はしたが、妙な様子に白音は戸惑う。
「あー、ごめんね。こいつ言葉、足りないんだ」
見かねたのだろう。女のほうが、口を挟んできた。
鷹のような、鋭い目つきの主だ。
男とは対照的に、声にも立ち居振る舞いにも張りがある。白音と同程度の身長ということは、二年生なら平均程度だろう。癖なのか、しきりと肩を揺らしていて、背中まで伸びたポニーテールがそのたびに揺れていた。
「キミ、宝琳院――イオリ先輩の妹だろう? すこし聞きたいことがあってな。いいか?」
「はい」
白音は無表情のままうなずく。
少女の眉がひそめられる。
「あー。言葉は、通じてるよな?」
「はい」
「……ここまで徹底されてると、バカにされてる気もするんだけど。通じてるんだな、いいんだな?」
少女は執拗に念を押してきた。
どうやら、白音の無表情――と言うより無反応に戸惑っているようだった。
幼少のころから、すぐそばに仕草や表情だけでコミュニケーションを成立させる人間がいたせいか、白音は必要最低限のことしか口にしない。そのうえ無表情なのだから、ちゃんと聞いているのか不安になるのもしかたがないかもしれない。
「はい。ですけど、あなたがたはどなたですか?」
あらためて白音のほうから尋ねると、ふたりは目を見合わせた。
自分たちを知らないことがおかしい。そんなそぶりだ。
「わたしは立花雪。でもってこっちが大友麒麟。二年生。よろしく」
女生徒――立花雪の紹介は簡潔極まりないもので、しかし、それで充分だった。
「“双璧”の、おふたり、でしたか」
畏敬を込めて、白音はその名を口にした。
二年生に文武両道の生徒がある。編入生ながらその優秀さは万人に勝る。
いわく、さきの期末考査の総合得点では互いに並んでトップだった。いわく、陸上競技の校内記録ではふたりの名がずらりと並んでいる。さらに、競技会や各種大会のおり、表彰状には事前にふたりの名前が書いてある。入賞すると分かっているからだ――などといった眉唾もののうわささえある。
互いに優越のつけようのない、一対の宝玉のごとき存在。だから人はふたりをこう呼ぶのだ。
“双璧”と。
有名人である。新入生で、うわさに疎い白音ですら聞かずにはいられない名だ。
「その呼び名、大げさすぎてイヤなんだけどな」
そう言って眉をひそめた雪だったが、うわさが本当であればその二つ名は大げさでもなんでもないだろう。
言われてみれば、なるほど。その名にふさわしい雰囲気を、彼らは持っていた。
「で、付き合ってくれるかな」
あらためて問う立花雪の言葉に、抗う理由はなかった。
「こんなところで話すのもどうかと思うんだけどね」
中等部の、校舎と体育館に挟まれた中庭。体育館側の外壁に肩を預けながら、立花雪は鋭い目を向けてきた。
彼女が大友麒麟に向ける目つきも似たようなものなのでそれが標準らしいが、知らなければ怒っていると勘違いしかねなかった。
「あんまり人に聞かれていい話じゃないから」
「はい」
返事をすると、深いため息が返ってきた。
無愛想に関しては、あきらめてもらうしかない。
「なんか、君と喋ってると手ごたえなさ過ぎて不安になるよ」
「そうですか」
無表情のまま返す白音に、より深いため息が返された。
「ま、本題に入ろうか」
その点に関しては、あきらめたらしい。雪はすっぱりと話題を切りかえてきた。
「この学校で起こってる事件は、もちろん知ってるだろう?」
「はい。“ネコの呪い”ですね」
白音はうなずいた。この泰盛学園に、現在進行形で起こっている事件と言えばそれしかなかった。
「ああ。その、ネコさんの呪い。あれについて、君はどう思ってる?」
言葉を受け止め。白音は視線を雪に据えたまま、思考をめぐらせる。
ややあって、白音は口を開いた。
「環境かと」
「……どういうことだ?」
「環境だ」
白音の言葉をそのままなぞったのは麒麟だった。
雪の怪訝な視線は、麒麟に移った。
「犯罪を醸成する環境だ」
「ちゃんと説明しろ」
雪の瞳が剣呑な色を帯びる。
「犯罪を醸成する――起こりやすい環境が先にあって、その影響を受けたものが犯行――傷害、自殺をするんじゃないか。そう、言いたいのだろう」
雪のためにだろう。言葉を易しく解きながらではあったが、麒麟の言葉は白音の考えを過不足なく言葉に表していた。
「なるほど、環境ね。あー」
雪はなにやら言葉を探すように視線をさまよわせている。
まるで用意していた言葉がオシャカになったような狼狽ぶりである。
「ねえ、宝琳院さん。キミは目にみえない存在を信じているかな」
ポニーテールを揺らしながら、雪は尋ねてくる。
それが本題なのだろうが、あきらかに会話の繋がりがおかしかった。
「むりやりだな」
「麒麟は黙ってろ」
白音と思いを重ねた麒麟の言葉は、雪の視線ひとつで封殺された。
しばし沈思して、白音は口を開く。
「それが超自然的な存在のことをさしているのであれば、信じておりません」
「……まあ、普通そうだよな」
白音の回答に、雪は肩をすくめてみせる。
「でも、この状況。狂気が伝染していくさまを考えてみてくれ。狐憑き、悪魔憑き。古来そんな言葉であらわされるそれを想わせないか?」
「精神医学的には統合失調症の類かと」
「ていっ!」
割と本気で手刀を喰らい、白音は頭を抑えることになった。
「水を差さない。これから本題なんだ――で、わたしは実は、そういうのを祓うスキルがあるヤツなんだ」
「いきなりだぞ」
「うるさいあんたは黙ってろ――と、いうわけなんだ」
麒麟のほうにも手刀を送って、雪は視線を白音に返してくる。
「わかりました」
白音は頷いた。
「わかってくれた?」
「その手の話を喜ぶ人を知っています。いっしょに放送室に行きましょう」
「わたしをあんな電波女といっしょにするなっ!」
雪が叫んだ。思い切りいやそうな顔である。
「たいして変わらんとおもうが」
「麒麟うるさい! つーかあれか!? お前ら共謀してわたしをおちょくってるのか!?」
「まさか」「そんなわけないだろう」
同時に返す白音と麒麟。息がぴたりと合っていた。
「さてはお前ら、仲いいだろう」
「……ふむ」
目を眇めてくる雪に、麒麟はどこか納得したように、相槌を打った。
「付き合うか、宝琳院」
「お断りします」
唐突の誘いを、白音は瞬息で断った。
「雪、ふられたぞ」
「当たり前だ――つーか初対面でなに告白してんだ」
しごく常識的な発言とともに、雪の拳が麒麟に落ちた。
麒麟のほうは、いまだ承服しかねたように首を傾けている。
「あー、とりあえず麒麟は黙ってろ――宝琳院もとりあえず信じれ。じゃないと話が進まないし」
「はい」
うなずきながら、白音は考える。
立花雪の言葉には、虚実を交えたような歪みがない。少なくとも雪自身は、おのれが漫画やアニメに出てくるような――退魔師のようなものだと信じているらしい。
ありえなくもなかった。
そう言った職業に従事するものの存在は古くからあったし、現在もあるだろう。それに従事するものが同じ学校にいる確率は、微少であっても皆無ではない。
それに、悪霊祓いを治療行為の一環として解釈するなら、存外いかがわしい行為ではない。
狐に憑かれた。悪魔に憑かれた。
そんな妄想に取り付かれた人間を治すためには、とり憑いている狐や悪魔を祓ったと思い込ませればいい。そう考えれば、今日の精神医学にも通じるものがある。
案外当時の精神風土の中で生まれた、経験則的な療法なのかもしれない。
「とにかく、わたしにはそういうスキルがある。こっちに転校してきたのも、それっぽい気配を感じたからなんだから。そこんとこ押さえておくこと。くれぐれもあの電波女と同列に扱わないように」
雪は強く念を押してくる。
よほど小城元子に含むところがあるらしい。
「で、この事件が起こって、調べてるんだけど。どうも――キミの周りで起こっているみたいだから。なにか心当たり、ないか?」
「それは、わたしを疑っておられる。と、解釈してよろしいんでしょうか」
わずかに身を硬くして尋ねたが、話の流れ上、雪が求めているのは実体を持つ犯人ではなく、架空の――この場合、“ネコの呪い”だろう。
案の定、雪は首を横に振ってみせた。
「ぶっちゃけわたしはそういう(気配に敏感だから、わかるんだ。キミからは憑きものの匂いがしてこないからね」
雪の言葉は、白音にとって理解の外にあった。
彼女と自分はお互い別の理に基づいて生きている。そして揃って思考を推し進めるための歯車が、決定的に欠けている。
白音はそう実感した。本来ならばその役目を大友麒麟に求めたいところだったが、彼は突然の告白ののち、押し黙ったままである。
あんがい、黙ってろ、という立花雪の命令を律儀に守っているのかもしれない。
「そうですか。とはいえ、心当たりと言えるものはありません」
「そうか……まあ、それならいいんだ」
雪がため息をつく。なにか言いかけたように見えたが、それがなんだったのか。白音の推測の及ぶところではない。
「でも、事件はキミの周りで起こっている。いつ巻き込まれてもおかしくないんだ。気をつけたほうがいい」
言いおいて、雪は去っていった。
それを見送って、白音は動く気配のない麒麟に目を向ける。
「あなたも、立花先輩とご同業なのですか」
「いや」
麒麟の口が、もそりと動く。
「いや、違う」
「では?」
「いや、違う。が、手伝っている。そのような縁だ」
その無表情からは、なにも読み取れない。
白音には、二人の関係を量りかねた。
少なくとも、ただ同時期に転入してきた転校生。あるいはただの恋仲であるというわけでは、なさそうだった。
「宝琳院」
と、麒麟が声をかけてくる。
はい、と、白音は応じた。
「宝琳院、携帯を持っているか」
この問いにも、白音ははい、と、答える。
「アドレスを教える。身の回りに妙なことがあれば、連絡がほしい」
どうやら、それが本題らしかった。
さきの麒麟の言葉を信じれば、雪を手伝う行為の一環とも取れるし、あるいはただアドレスが知りたかっただけかもしれない。
どちらにせよ、麒麟には妙な下心はないように見えたので、白音は了解した。
「そういえば、大友先輩。ペットボトル、持っていないのですね」
「あれは迷信だ」
最後にそんな会話をして、白音は麒麟と別れた。放送室では小城元子が、首を長くして待っているはずだった。