冬休みが始まって数日後。
福岡空港国際線ターミナルの到着口に、鍋島直樹の姿があった。
十二月二十四日、クリスマスイブである。
夜にはクリスマス会が待っているのだが、埋め合わせとして直樹は家の用事に使い倒されるはめになった。無論ここにきたのも、従兄弟を迎えるためである。
到着口からが吐き出される人の波も三度目になって、ようやく直樹は待ち人の姿を見つけた。
「やー、ナオ!」
キャリーバッグを転がしながらやってきたのは、長身の欧米人だった。
大きい。長身の部類に入る直樹が、なお上を向く形だ。そのわりにスリムで、全体的に細長くみえる。服もタイトなものを選んでいるから、余計だろう。
ただ、手や頭といった末端部分が不釣合いに大きい。頭に乗ったブラウンの帽子が、同色の髪と一体化したようで、余計にそれを強調している。総合的な印象と言えば、“マッチ棒”だろう。
「レオン兄さん、久しぶり」
直樹も手を挙げながら、一年ぶりに会う従兄弟に歩み寄る。
そのままハイタッチ――にはならなかった。
互いの瞳がぎらりと光る。
乾いた音が、空中で響いた。
直樹の手は、レオンが被る帽子の、十センチ手前で静止している。レオンの手が、直樹の動きを阻んだのだ。
小刻みに震える二人の腕が、そこに込められた力のほどを示していた。
「お・ま・え・は・なんで毎度毎度人の頭狙うんだぁ」
「い・い・じゃ・ないかどれくらい進行したか気になるしぃ」
がっぷり四つに構えながら、双方妙な笑みを浮かべている。どちらかというと、レオンの方がより必死なようだ。
「に・い・さんも、もう若くないんだから気にしなきゃいいのに」
「だ・ま・れ・一の位を切り捨てたらまだ二十だぁ」
「一・昨・年・までは四捨五入だったよねぇー」
「お・ま・え・こ・そ・こんな日に使いっ走りってことは、どうせ女いないんだろう」
不毛な会話である。そのうえ、大柄な男二人の取っ組み合いは、人目を集め放題だ。
たっぷり三十秒ほどの格闘の結果、ようやくそれに気づいたらしい。二人は互いに視線を交わし、手を離した。一時休戦である。
年齢の差か、それとも元々の体力差か、レオンははや肩で息をしている。
「ナオ、荷物持ってくれ。ボクはもう疲れた」
「まったく。ほんとに年寄りみたいだな」
へた、と、その場に腰を落としそうなレオンに、直樹はため息をつきながら荷物をあずかった。
「無茶言うなよ。チャンピーノからここまで何時間飛行機に乗ってたと思うんだ」
「プラス一時間ちょい、ここから電車だけどね」
直樹が言うと、レオンの恨めしげな顔が返ってきた。
両手を横に広げ、肩をすくめるさまを言葉で表わすならば、“オーノー”だろう。
「ハゲのオジサン、久しぶりー」「ハゲのオジサンこんにちはー」
家の玄関を潜ってすぐ。
秒速数万光年で言葉の暴力に打ち貫かれたレオンは、その場に崩れ落ちた。
さすがの直樹も哀れをもよおす、それは悲しみっぷりだった。
「こら、二人とも、従兄弟相手におじさんはないでしょう」
ごん、ごんと、双子の頭の上に拳骨が落ちた。
頭を抱える双子を見下ろす瞳は青い。髪は見事なブロンドで、顔立ちから見ても明らかに欧米人であるが、身にまとっているのは柄抜きの着物である。
年のころは三十半ばほどか。顔立ちは双子に似ている、と言えば逆になる。
彼女は双子の生みの親で、つまりは双子が母親似なのだ。
「だってー」「干支が同じだし」
いいわけを聞かずして、再び母の拳が落ちた。
ちなみに、彼女も干支は同じである。それが拳の重さに一助を加えた可能性は否定できない。
結果、双子は、そろって床を転がることになった。レオンの膝も、いまだ地についたままである。
床を這う三人に、直樹はため息を落とした。
とりあえず哀れなレオンを尻目に、直樹は彼の荷物を客間に放り込むことにした。
しかし、それから十分も経たないうち。
直樹が部屋でくつろいでいるところに、レオンがほうほうの態で入ってきた。
その慌てように、直樹は怪訝な目を向ける。
「兄さん、どうしたんだ」
「ナオ、助けてくれ。あの悪魔の双子め、俺の貴重な前髪を引き抜こうとしやがるんだ」
直樹が尋ねると、そんな答えが返ってきた。
心底脅威を感じているらしい。レオンの表情は真剣そのものだった。
直樹は呆れるしかない。
「兄さんが嫌がるから喜ぶんだよ。一、二本も抜かしてやりゃ満足すると思うけど」
とはいえ、そろそろ額が広いなどという言い訳も、苦しくなってきたレオンである。彼にとっては、一、二本が大問題なのだろう。
それに関してレオンが口を開きかけたところで、直樹の部屋の引き戸が開いた。
入ってきたのは、もちろん件の双子だ。
「おじさーん!」「つるぴかー!」
「おわー! やめろー!」
獲物を捕らえて喜ぶ原始人のように、レオンの周りで奇妙な踊りを踊る双子。
レオンが過剰に反応するから楽しんでいるだけなのだろうが。
正直、直樹も見ていて楽しかった。
だが、レオンの受難も長くは続かなかった。
「こら」
と言う声とともに、二本の手が伸びてきて、双子はつまみ上げられた。
十四とはいえ、二人とも高校生といっても通じる体格である。それに見合った体重を有している筈だが、深く考えると恐ろしい結論が出そうだった。
腕の主は龍造寺円である。
「あー! おねーちゃん!」「円ねーちゃん!」
吊り下げられているというのに、双子は楽しそうに手足をばたつかせだした。
さすがに耐え切れなくなったのだろう。円の手から、人型をした重りが切り離された。
「人の嫌がることはしちゃ駄目だ」
「はーい」「わかったー」
双子は存外おとなしく引き下がった。二人そろうと手のつけられない双子も、なぜか円の言うことには素直なのだ。
そのまま去っていく双子を見送って、レオンの頭が上がった。円に向けられた視線は、尊崇の色が強い。
「おお、助かったよ、マドカ」
「一年ぶりです」
感謝の念を隠さないレオンに、円が返した言葉はあっさりしたものだ。
「またすこし、後退したみたいですね」
「はう!」
言葉の銃弾に打たれ、レオンの体がのけぞる。
「――立場が。どうも年々双子の遠慮がなくなってきてる」
付け足された言葉は、レオンの身を支える役には立たなかった。再びくずおれるレオンの姿は、もはや哀れというほかない。
「円。レオン兄さん無駄に傷つけるな」
言い方に気をつけさえすれば、だれも傷つくことはなかったろうに。
直樹はため息をつく。
円は何のことか分からないと言う風に、首を傾けていた。
「ナオー」
レオンの声を聞いて、直樹は振り返った。
疲れも手伝って、あれから客間に閉じこもっていたはずだが、退屈の虫がうずきだしたらしい。
なにがうれしいのか、レオンの顔には笑みが張り付いていた。
「ナオ、聞いたぞ」
「……何を?」
直樹はいぶかしげに聞き返した。レオンの上機嫌の理由が、まったくわからない。
「今夜、出かけるんだって?」
「ああ、クラスの会があるから。早めに戻るつもりだけど」
「遅くていいぞ」
笑顔を崩さないレオンに、直樹はひっかかりを覚える。
そういえば。
直樹は思い出す。母もこの話をしたとき、上機嫌だった気がする。いつもは家族のイベントをはずすと怒るのに。
「どんな魂胆だよ」
「ナニとぼけてんだよ」
直樹が目を眇めると、いきなり細長い腕が首に巻き付けられた。
「チャンスだぞ。ちゃんと決めてこいよ」
「何の話だよ!」
思わず声を荒げる。
「マドカと――」
「まてまて、待ってくれ。なんでいきなりそんな話になるんだ」
チョークスリーパーから逃れながら、直樹は頭を手にあてる。数秒ほどは、本気で息ができなかった。
「ハハハ、とぼけるな――いや、言わなくてもわかってるよ。照れくさいんだろう? 大丈夫。戦果を聞くほど野暮じゃない」
全てわかってる。そんな様子のレオンに、頭を抱えたくなった。
要するに、直樹が円のことを好きだと誤解されているのだ。むろん、情報源であろう母にも、である。
――いやにあっさり出させてくれるはずだよ。
直樹は心中に愚痴をこぼす。
クリスマス会をダシにしたデートだと思われていたのだ。
無論、直樹は龍造寺円を嫌ってはいない。好きか嫌いかで問われれば、好きと答えるだろう。
だが、それが恋愛感情かと聞かれれば、直樹は首を横に振らざるを得ない。
円とは、かれこれ六年ほどの付き合いになるが、一貫して幼馴染で友人で、互いに保護者のような関係だった。
ほとんど家族同然であり、他の感情を抱きようがないと言うのが、直樹の実感である。
「ナオ、いい物を貸してやろう」
そういってレオンが取り出した物は、直樹の目に馴染みのないものだった。無論、磔刑を受けた聖人をデザイン化した、十字を描くこの意匠を、直樹は何度も目にしたことがある。だが、実物としてちゃんとした形で見るのは、おそらく初めてだろう。
「なにこれ」
直樹は、自分の手の平に収まったこの寂びた銀色の十字架と、それを渡した本人とを交互にみる。
「これはな、無神論者だったおじいさまが買った唯一の十字架だ。信心深いおばあさまを口説くために買ったらしい」
「罰当たりだな、それ」
「無神論者だし。その辺りは気にならなかったんじゃないか? まあ、それはともかく、霊験あらたかなのは確かだよ。ボクも保障する。三回くらい効いた」
「それは逆に駄目なんじゃあ……」
直樹は笑みを作りそこなったような、妙な顔になった。少なくとも二回、別れている計算になるのだ。
「まあ、それはともかく」
レオンはにこやかな様子で、肩に手を置いてくる。直樹の話など、耳に入っていないらしい。
「がんばれよ」
なんのてらいもない、祝福の表情だった。
結局、気づかい自体はうれしいのだが。飄々と去っていくレオンに向け、直樹は肩を落とす。
「俺は円と付き合いたいわけじゃないっての」
この誤解は、根が深そうだった。