鹿島茂は死んだ。
だれひとりとして、それから口を開こうとしなかった。
冗談のような死のゲーム。そこで、実際に人が死んだ。ごまかしようのない事実が、楽観を無慈悲に打ち壊した。
鍋島直樹は、その場に座り込んでいた。
龍造寺円がそれにそっと寄り添っている。ふたりの姿は、たがいをかばいあうようだった。
諫早直は、気を失って倒れた多久美咲を介抱している。
彼女が心配だというよりも、なにかをしていないと落ち着かないようだった。
彼女たちのそばについている一馬も、どうしていいかわからないのだろう。ため息と頭をかくしぐさを繰り返している。
宝琳院庵は、椅子に座ってみなを見降ろしていた。
彼女だけが普段と変わらない。
神代良は、すこし離れてひとり、膝を抱えて座っている。
神経質に爪を噛み、らんらんと輝く瞳は虚空をさまよっている。
間接的にとはいえ人を殺した。
その事実が、小心な少年を追い詰めていた。無言の空気すら、彼にとっては非難であった。
彼の心境を推し量れなかったことを、だれも責められない。
あまりにも異常な状況に、だれもが自分のことで精一杯になっていたのだ。
だが。
たとえばこのとき、だれかが彼に、一言でも声をかけていれば、彼を励ましていれば。
あるいは、のちの運命も変わっていたかもしれない。
「一馬」
長い沈黙を破ったのは直樹だった。
「どう思う」
相談する相手に中野一馬を選んだのは、やはり彼を頼る気持ちが大きかったからだろう。
だが、一馬の反応は、鈍い。
「直樹か……すまん。落ち着くまで待ってくれ」
普段冷静な彼が、ノイローゼのように頭を抱えている。
直樹はおのれに活を入れた。
頼れる親友がこんな状態である以上、自分で考えるしかなかった。
――まず、そうだ。わかることから整理していこう。
直樹が最初に思いついたのは、全員の数字を確認することだった。
中野一馬が“4”
諫早直が“6”
神代良が“3”
宝琳院庵が“4”。
「――直樹、私の数字、わかるか?」
目を向けると、むこうも似たようなことを考えていたらしく、円のほうから声をかけてきた。
彼女の頭上、淡く輝く数字。
「“3”、だろ?」
「なんだって?」
「だから、“3”」
円がわずかに眉をひそめた。
「ちょっと指で示してくれないか?」
不審に思いながら、直樹は指を三本突き出した。
円が淡いため息を落とした。
「自分の数字は認識できない。そんなルールがあるようだ」
「なんだって?」
「直樹の数字は――だ」
彼女の言葉の、その部分だけが、無音。
直樹はうそ寒いものを覚えた。
と、会話に何か耳障りな音が混じった。
その音に、直樹が耳をそばだてていると、それはやがて哄笑へと変わる。
「――HYA‐HAHA! 自分で気づくとはたいしたもんだ! YO‐HO!」
大気をかき混ぜるように、異様な空間のうねりをともなって。
悪魔が、ふたたび姿を現した。
「YO! 一時間どころか十分も経たずに殺っちまうなんてたいしたもんだ、やるもんだ! 気づいての通り自分の数字はわからねえようにしてあるぜ! ゲームを面白くするための“エッセンス”ってヤツだ!
じゃあ、この調子で“DEATH-GAME”楽しもうぜHYA‐HAHAHA!」
言うだけ言って、思うさまはしゃいで、悪魔は再び姿を消した。
予期せぬ不意打ちに、直樹の思考は微塵に吹き飛ばされた。
再び、沈黙が教室を支配する。
「――っ! なんなんだよ!?」
直樹が、抑えていた感情をぶちまけた。
「なんだよこれ! なんで俺たちが――」
「落ち着け直樹!」
声とともに冷えた感触が、直樹の手を包んだ。
円の手だった。
彼女の瞳は、直樹を見据えたまま離れない。
言葉はない。それがかえって直樹の心を落ち着かせた。
「――すまん、円。落ち着いた」
急に気恥ずかしくなり、直樹は手を振りほどいた。
円が緩やかに口角をわずか、持ち上げた。彼女の微笑だ。
「ああ。まずは落ち着いて考えるんだ。あの悪魔の言葉が正しいのなら、あと五十分は、猶予がある。それまでに、悪魔を探し当てればいい」
「悪魔を……見つける」
直樹は、円の言葉を反芻する。
悪魔は言った。これはゲームだと。
開放されるためには、悪魔を見つけなければならないと。
だから。
制限時間までに悪魔を見つける。それが当たり前の解決策だ。
「そうだな。人が死んだ以上、馬鹿らしいなんて言ってられないんだ。なんとか見つけないと」
「そうだ、直樹。パニックを起こせば、悪魔が喜ぶだけだ」
つけ加えられて、直樹は眼をそらした。
やんわりと、さきほどの醜態を咎められた気分だった。
「だけど、どうやって――」
「直樹、名前は?」
「っ!? 鍋島直樹」
「好きな食べ物は?」
「ラーメン」
「家族構成は」
「両親とじーちゃんと妹と弟、知ってんだろーが」
「まあ、この程度でぼろを出すとは思えないけれど、やっておく価値はあるんじゃないか?」
「――って、いまのテストかよ!?」
直樹は半眼になった。
円は抜け目なく試したのだ。
「……悪くないな」
横合いから声をかけてきたのは中野一馬だった。
自分たちの中に、悪魔が混じっている。
それがどの程度、入れ替わった人間の知識を持っているのかはわからない。
だが、どれくらい巧妙に化けているのか。それを知るためにも、やっておく価値はある。
一馬はそう主張した。
「俺も、やってみてもいいと思う。けど、正解を確認できるか?」
直樹の指摘は的を射ていた。
趣味嗜好性癖、誰もが誰ものことを知っているわけではない。
だが、一馬は首を横に振って言った。
「俺はわかる」
顔色は悪い。無理を押しているようにも見える。
それでも。推して立つ彼の姿は、直樹の目に、なによりも頼もしく映った。
一馬が持つ情報は確かで、質問を受けたほうが呆れるほどだった。
気絶した多久美咲はさておき、まずは諫早直、それから龍造寺円、宝琳院庵と順に答えていく。
爆弾を探り当てるような緊張をともなう答弁は、しかし滞りなく進んでいく。
「つぎは神代だな」
神代良の番となった。
みなの注目が、この膝を抱えた少年に集まる。
「――るさい」
神代良が、小声でなにかつぶやいた。
前髪に隠れ、その表情は誰にも見て取れない。
「神代?」
「うるさい(」
今度の言葉は明白だった。
ぎょっとした一馬を尻目に、神代良は立ちあがる。眼が尋常ではない。
「どうせみんな、ははっ、僕が悪魔だって思ってるんだろ!? よってたかって僕を殺すつもりなんだろ! 殺される前に――殺してやる!」
直樹は射竦んだ。
それはまさに殺気だった。
人を殺す。その意志を明確に浴びた経験など、むろん直樹にはない。
小柄な良が、直樹の目には恐ろしい肉食獣と映っていた。
良の指先が、直樹に向く。
猛烈な悪意が指先に集中していくのがわかった。
「鍋島――」
死んだ、と、直樹は思った。
たしかな死の予感が、黒いもやとなって心臓を鷲づかみにする。
だが、名を唱え終えるまでの一瞬。
言葉と言葉のわずかな隙間に、彼女は体をねじこんてきた。
「――直樹!」
悪魔の指名が終わる。
だが、なにも起こらない。
それも当然。
良の指先にあるのは、指名者とは別人だった。
直樹をかばうように、良の前に立ちはだかっていたのは――龍造寺円。
神代良が、このとき逡巡を見せたのは、正しい。
鹿島茂の行動から、良が持つ数字は、残る七人の中で最も小さい"2”だとわかる。茂の“1”を加えて“3”である。
そして直樹を守る彼女の数字も“3”なのだ。
おなじ数字の者を指名すればどうなるのか。わからぬ以上、迷って当然だった。
だが円はためらわなかった。
一瞬も指先を惑わせず、円の指先がまっすぐ神代良をとらえる。
直樹は選択を迫られた。
同じ数字のふたりが指名し合えばどうなるか。
なにも起こらないか。あるいは両方死ぬか。
――円が死ぬ。
そう思ったとき、直樹の指がとっさにあがった。
円を救う、その一念。ほかのことなど頭にない。
『神代良!』
ふたりの声が重なった。
最後の瞬間、神代良の面に浮かんだのは、恐怖。
顔をくしゃくしゃにしたまま、臆病な少年は塩の柱と化した。
真っ白な塊が崩れていく。
神代良のカタチが崩れていく。
それが床に山を成したとき、直樹はようやく己の罪を思い知った。
殺してしまったのだ。神代良を。ほかならぬ直樹の手で。
「なんだ……なんなのだ、お前たち」
吐き捨てるような一馬の声を、直樹は他人事の遠さで聞いた。
「なぜ、そんなに簡単に殺せるんだ。おかしいぞ、お前ら」
「一馬」
「来るな!」
直樹は体を強張らせた。
拒絶、だけではない。一馬の目に浮かんだのは、たしかな敵意。
直樹の表情を見て、一馬の顔に悔恨の色が浮かぶ。
「……すまない。言いすぎた」
だが、直樹には、どう答えて良いかわからなかった。
「直樹くん、龍造寺くん」
凍てついた空気のなか、声をあげたのは普段寡黙な少女、宝琳院庵だった。
「すこし席を外したほうがいい。たがいに落ち着くべきだ」
その言葉が、みなの心に重く響いた。