死んだ“親指”横岳聡里の兄が、なにものか(・・・・)に憑かれている。
それが、事件に関わっていないと考える方が難しい。
とはいえ、陽花たちに聞く雰囲気でもなかった。二人の、彼に対する態度は、明白な拒絶だった。
横岳聡史。泰盛学園高等部の三年生で、生徒会役員。“五本指”のような、あるいは“バイフォー”のような個性こそないが、優秀な生徒だという。
兄弟仲は良くも悪くもないが、他の五本指との面識くらいはある。
あとで双子に聞いた話の中で、直樹がまとめられたのはそれ位だった。
運悪く二人一緒だったため話が四方八方へ飛び交った結果、費やした時間に比べれば過小ともいえる情報だった。
念のため、陽花と清深を家まで送ってきて、これも幸いなことに徒労に終わった後だ。精神と肉体、二重の疲労から、直樹は自室で畳に突っ伏した。
ともあれ――天井を見上げながら、直樹は情報をまとめてみる。
5本指が皆でやっていたメール回し。
一連の怪メール事件に関して、時系列に二つのポイントを打つことができる。
ひとつは、出した覚えのない怪メールが回り始めた時点。
もうひとつは“親指”横岳聡里からのメールが死んだ後に送られてきた時点。
怪現象が始まったのは、さて、どちらからなのか。
直樹は考える。
後者は、紛れもなく怪現象だろう。しかし、前者はどうか。
宝琳院白音が言ったように、同じ5本指からの、嫌がらせなのかもしれない。
だが、もしそうでないなら――ひとつの可能性が導き出される。
横岳聡里が怪現象によって死んだ可能性。
空いた席に呼び寄せられたのか、それとも、無理やりに席を空けたのか。
嫌が上にも、文化祭前夜を思い起こす。
あの、指差しによる悪魔のゲームは、それ自体が悪魔を召喚する儀式だった。
この事件も、それと同じではないか。そう考えれば、陽花に見せられたメールに引っ掛かりを覚える。
“小指折った”
“折れた”ではなく、“折った”
それまでは、あくまで予言だった。だが、これは明らかに違う。直樹はそこに、何らかの意図を感じずにはいられない。
それに、“小指”倉町時江は、死んでいない。少なくとも、今はまだ。
横岳聡里は死んだというのに。この違いは何なのだろう。
直樹は、自分の手を見る。
尋常に揃った五本の指。その、親指を折る。そして小指。次に折れるのは薬指だろうか。
だが、それには奇妙な違和感を感じる。
直樹は、指を折るなら、親指から人差し指、中指と、外から内へ順番に折っていく。それが、普通だろう。
直樹はもう一度、親指から小指、薬指中指人差し指と順番に折っていく。出来上がった拳を開けようとして、気づく。
指折り、ではない。逆なのだ。
指を立てて数える、その逆。巻き戻し。それが何を意味するのか、わからない。だが、何かしらの意味を見出そうと思えば、できそうだ。
「あー」
直樹は、頭をかきむしる。
疑問ばかりで、全く答えが出てこない。
横岳聡史の問題もある。
怪現象のそばに、そういうものがあって、それが無関係とは、考え難い。
「どっちにしても、宝琳院の領域だよな」
学園祭前夜と決定的に違うこと。それは、直樹が当事者ではないことだ。
あの時は、ゲームのルール自体が、悪魔への対抗手段だった。
だが、今回は。部外者である今回は、それが無い。
具体的にこの怪現象を何とかする段になっては、宝琳院庵の知識と手を借りざるを得ないのだ。
「明日だな」
直樹は一人語ちる。
「明日、宝琳院庵に石井と会ってもらおう」
たぶん、それが、一番いい手段だ。
彼女の前で大見得を切っておいて情けない話だが、プライドと陽花達の命を天秤にかけるわけにはいかない。
だが、次の日、宝琳院庵の席に、彼女の姿は無かった。
不安になって、直樹は白音にメールで尋ねる。宝琳院庵に直接連絡が取れればいいのだが、残念ながら彼女は通信手段となるこの文明の利器を所有していない。
「ただの風邪です。季節の変わり目には必ずやるのでご心配なく」
白音からは、そんな答えが返ってきた。
ただの風邪だ。引き合わせるのが、1、2日遅れるだけのことである。
だが、それにしても間が悪い話だった。
昼、何か資料が見つからないかと図書館を覗いてみたが、図書館の主がいないせいで、どこを探せばいいのかすらわからない。
結局、昼休みを丸々使って徒労に終っただけだった。
一度うまく行かないと、万事うまく行かないものだ。
直樹はため息をつく。
このズレが、これ以上続かぬことを祈るしかない。
宝琳院庵の手を借りるのは、後日になったが、その間3人を放って置くわけにはいかない。
せめて帰り道くらい付いていてやろう。その旨、メールで送ると、すぐに了承と感謝の返事が返ってきた。
泰盛学園は、城東新駅のひとつ手前、城東駅から自転車で5分の、丘陵地の上に建っている。佐賀高からは、自転車があれば30分もあれば充分カバーできる距離だ。
直樹は自転車の鼻先を泰盛学園に向ける。
ペダルに体重を預け、漕ぎだそうとして――踏み込めなかった。ペダルが、ものすごく重い。
背後を見る。
円が、自転車の荷台をつかんでいた。
「直樹」
「円」
視線が絡み合う。
こういうとき、幼馴染というものは厄介だ。たったそれだけで、何を言いたいのか判ってしまうのだから。
「直樹、教えてくれ。何に関わってるんだ」
すべてを、打ち明けたい。
円の悲しげな瞳に、抗いがたい衝動に駆られる。
「――すまんっ! 後で謝る!」
それを振り払うために、直樹は自転車を漕ぎ出した。
今度は、抵抗は感じない。
「直樹――」
あっという間に離れていく円の、最後に聞こえてきた言葉を振り払うため、直樹は全力で漕ぎ出した。
私を、頼ってくれないのか。
そのまま、気がつけば泰盛学園にいた。時計を見れば、20分ほどしか経っていない。
自転車を壁にもたれかけさせ、自身も、校門の脇に背中を預けた。
下校する者達もまばらになったとはいえ、他校の制服を着た直樹は、人目を引く。
居心地の悪さを感じながら陽花たちを待っていると、一人、見覚えのある顔を見かけた。
昨日、RATSで窓越しに見た男、横岳聡史だ。
「おい」
聡史は、厚ぼったい唇を直樹に向けてくる。相対すると、直樹の身長では見下ろさなくてはならない。
とはいえ、位負けせぬ態度と、背負っている影を見せられては、威圧を感じざるを得ない。
「あんた、いったい何なんだ?」
「は?」
何を言われているのか判らず、直樹は目を白黒させる。
「何で、姉川とあんなとこにいた? 何でこんなとこにいるんだ」
焦りか、苛立ちか。その形相に、ただならぬものを感じた。
「俺は、ただ、相談されてただけで……」
「相談?」
聡史は、その言葉を反芻すると、すさまじい形相で直樹をにらみつけ、直樹に背を向けた。
「あんまり首突っ込むな。迷惑だ」
去り際に吐き捨てた言葉に、鬼気のようなものを感じた。
直樹は、ため息をついた。
聡史は死んだ横川聡里の兄だ。
犯人が実在するのなら、ひょっとしたら彼は、一人で犯人を追っているのかもしれない。
実在しない、犯人を。
「あ……鍋島さん」
校門に背をもたせ掛け、3人を待っていると、のどかな京訛りが直樹の名前を象った。
見れば、姉川清深が、通学鞄を抱えてそこにいた。
「えーと、確か、姉川か……ほかのふたりは?」
「え、と……その……」
姉川清深は急に言葉を濁す。
「どうした? まさか何かあったのか?」
「そ、その……あの……お手洗いに……」
消え入りそうな清深の声に、直樹は内心頭を抱えた。
――人前で中学生の女の子に何強要してんだよ、俺。
「……す、すまん」
「い、いえ……」
二人の間に気まずい空気が流れた。
校舎のほうを見やりながら、直樹は陽花たちの姿を探す。互いに微妙に目をあわさない。
直樹は居たたまれなくなってきた。
――石井、頼むから早く来てくれ。
心の叫びに応えるように、ふいに二台の自転車が校舎裏から飛び出してきた。
「にーさーん」「にーちゃーん」
双子だ。
速度を落とす気配すら見せない。悪魔の笑顔を浮かべながら突っ込んでくる。
とっさに清深をかばう。
身を固める直樹を尻目に、自転車は、急ブレーキとともに見事なジャックナイフターンを決め、二台揃って直樹の前に腹を向けた。
「へいへいへーい」「このところ毎日別の女連れてますにゃー」
「こらー。そこの子たち!」
双子に続くように校門から出てきた黒のセダン車から、注意の声が投げかけられる。
助手席の窓から顔を出したのは、中年の男だった。半分白くなった髪を後ろに撫でつけ、くたびれたグレーの背広を着込んでいる。笑顔がシワと同化しているらしく、いまひとつ感情が読みとれない。
「競技用でもないのにそんなことしちゃ危ないぞー」
「はーい」「ごめんなさーい」
先生なのだろう。あの双子が、無いことにしおらしく謝った。注意点が微妙にずれてる気もするが。
長々と説教する気は、もとより無かったらしい。男の頭が引っ込み、車は直樹たちを横切っていく。
直樹は盛大にため息をついた。
「澄香、忠。静かにしろとはいわないが、頼むから平穏な方法でコミュニケーションとってくれ」
「じゃーねー」「母さんには遅くなるって言っとくよー」
直樹の注意など聞く気も無いらしい。来たそのままの勢いで、双子は去っていった。
部活はどうしたんだとか、変に勘ぐるなとか、先生に迷惑かけるなとか、いろいろと突っ込む暇もなかった。
「……いまの、その、バイフォー先輩、やよね」
「ああ。そう呼ばれてるらしいな」
「ほな直樹さんって、バイフォー先輩のお兄さんなん?」
「ああ……言っとくけど俺にも双子の兄弟がいて揃うと手が付けられなくなるなんて設定はないから」
「そおですか」
心底ほっとした様子の清深に、直樹はあの双子の素行が知れた気がした。
と、メールが鳴る。
確認すると、陽花からのメールだった。
“すみません。ちょっと用事ができました。わたしたちはいいので、清美をお願いします”
そう書いてある。
清深にそれを見せると、ほなお願いします、と頭を下げられた。
姉川清深の家は、泰盛学園のある丘陵地を北に越えた、民家もまばらな辺りで、帰り道を進むにつれ、どんどん人の気配が消えていく。
時節柄、道端は落ち葉でうずもれている。だと言うのに木立に囲まれた道は薄暗い。
直樹は気が滅入ってきた。
おとなしい彼女が自分から会話を振ることはなく、無言のままどんどん沈んで行きそうなので、直樹は益体もない話で清深のネガティブ思考が浮き出ないようにする事に腐心した。
「――直樹さん、聡里のこと、聞いてはります?」
不意に、清深が口を開いた。
「ああ」
直樹はうなずく。彼女がどんな意図で言ってきたのかは知らないが、肯首するに不足無い知識はあるはずだった。
「聡里、きっとわたしを恨んどる」
呟くような、清深の言葉。
「きっと聡里はわたしを殺そうとしとるんや」
多分に恐れを含んだ言葉に、直樹は違和感を覚えた。
「なぜ?」
そう、尋ねる。なぜ、聡里に恨まれているのか。なぜ、そんな確信が持てるのか。
恐れるように、忌むように、清深は身を震わせる。
「聡里を殺したんは――わたしなんや」
驚きより先に、後頭部に鈍い音を聞いた。
視界から色が消え、脈動しながら遠ざかっていく。足から大地の感触が消え、しばらくして頬にカサカサした感触を覚える。
それが落ち葉だとわかって、ようやく、地面に倒れたのだと気づいた。
海の中にいるような感覚の中、メールの着信音を、直樹は確かに聞いた。