学園祭から数えるのに、もはや月単位で指を折らねば間に合わなくなった初冬の休日。
鹿島茂(かしましげる)は学校近くの路上で、クラスメイトの姿を認めて、足を止めた。
普段の彼なら、腕を振り上げ、挨拶のひとつもしながら通り過ぎるところだ。
だが、そうもいかない。
あの神代良(くましろりょう)が、野暮ったい私服姿ながら必死の面持ちで、少女に話しかけている。 そんな希少な光景を無視できるほど、茂の好奇心は怠け者ではない。
「女口説くなんて――やるじゃん、良チン」
普段おとなしい彼が、身振り手振りで必死に話かける様子に、茂の表情も緩む。
「……でもそれは、ちょっと犯罪っぽくねー?」
問題は、神代良の目の前にいる少女が、どう見ても10代前半であることだ。
無論、それくらいの年でも、大人びた少女などいくらでもいる。しかし、当然彼女はその手合いではない。
神代良も充分以上に童顔とは言え、見る者が見れば、警察に通報されそうな光景である。
それはさすがに――茂としても勘弁してほしかった。
「――よ、良チン!」
「うっ、うわわわわ、か、かしまくん!?」
気配を殺して背後に回りこみ、いきなり覆い被ると、神代良は面白いように取り乱した。
腹の中で反応を楽しみながら、茂は良の背中から首を覗かせた。
艶のある髪を後ろに束ね、幼さの残る顔立ちの少女が、大きな瞳をさらに見開いていた。
ランドセルをしていれば小学生、制服なら中学生に見えるだろう。どちらにも見える、微妙な年代だ。
「良ちーん? さすがにマズイだろ」
「ち、ち、ちがうよ!」
茂が半眼を向けると、童顔の同級生は顔を真っ赤にして否定してきた。
「ぼ、僕は、ただ、鍋島くんについて聞かれたから……」
「あ? ナベシマ? 何であいつのハナシ?」
「――あ、あの!」
二人の話に割り込むように、少女は声を上げた。
「わたし、鍋島直樹さんを、紹介してほしいんです!」
その言葉に、茂と良は固まった。少女は、顔を真っ赤にしている。
冷たい風は、冬の訪れを感じさせた。
それから少し後。
二人は少女を案内して、古民家の立ち並ぶ寂びた町並みの中にいた。
休日のこととて、観光客の姿も少なくない。行きかう人たちの目に、自分たちはどう映るんだろう。
鹿島茂は考える。
――たぶん、兄弟ならいい方だろ。
もともと、鍋島直樹の実家に行くなど気が進まないのだが、そう思えば、二重に嫌気がさしてくる。
「あー、やだなー。城の中なんかに行くの」
ぼやきながら、茂は獣毛を思わせるグレーの髪をくしゃりと掻いた。
そう言いながらも結局案内する面倒見のよさは、万人が認める彼の美質だろう。
「城の中?」
少女――石井陽花(いしいようか)が首をかしげた。
どうもこの界隈のものではないらしい。茂がそう思ったのは、この辺りの人間なら、“城の中”を知らない者はないからだ。
「し、城の中ってのはね、ほら、この辺り、旧城下町じゃない? だから、城のワク――土塀とかの跡が、まだ残ってるんだ。その辺りに住んでるのは、旧家が多いから」
「そ、どーも城の中の連中は、付き合いにくいんだよ。ナベシマはまだマシな方だけどな。それでも、わざわざ家に行こうとは思わねーって」
二人が説明してやると、陽花の顔から血の気が引いた。
「そ、そんな大変な家の人なんですか?」
「さあ? 家のほーにゃ、とにかく関わることねーからな。さっぱり」
気後れした様子の陽花に、茂は肩をすくめて見せる。
これは掛け値なしに事実で、茂が“城の中”に住む友人を訪ねたことは皆無である。
「ま、行ってみりゃわかるさ。オレがいるんだ。門前払いなんてこたないだろ」
根拠希薄、自信過剰な態度は、しかし年下の少女を勇気づける役には立ったらしい。陽花の表情がわずかに緩んだ。
それから、5分ほども歩いただろうか。
神代良が覚えていた住所を頼りに、三人は鍋島直樹の自宅にたどり着いた。
何故、彼がそんなことを覚えていたのか、茂は詳しく突っ込む事は避けた。
直樹の家が龍造寺円の隣だと言うことと無関係ではないのだろうが、それは言わぬが華だろう。
「ここ……っぽいな」
鍋島の表札が入った日本家屋を前に、三人は立ちすくむ。
鉄筋コンクリートの建築物は、人を威圧する。などと言うが、茂としては、平屋建ての庭付き日本家屋こそ、そうだと断言したい気分になった。
「う、うわー、ほんとに旧家って感じだね」
「こんなお屋敷がまだ残ってるんですね……」
良と陽花も、門から中を覗き込んで、呆然としている。
この辺りの家屋の平均からすれば、むしろ小さい位だが、それでもマンション住まいの茂とは雲泥の差である。
「よし、呼び鈴鳴らすぞ」
念押しより、むしろ自分を後押しするために宣言し、茂は呼び鈴を鳴らした。
どこか郷愁をさそうブザー音の短い余韻が消えて、数秒も待っただろうか。はーい、という声とともに、近づいてきた足音が止まると、間置きなしに玄関の扉が開いた。
茂より拳ひとつほど高い長身が、こちらを見下ろしてきた。
育ちがにじみ出るような、柔和な顔に、無造作に伸ばした髪がかぶさっている。
「はい――って、鹿島か。どうしたんだ?」
淡い驚きを宿したその瞳に、自然、威圧されたような気になった。どうも最近急に貫禄が出てきて、気後れするときがある。
それも癪な話なので、茂は勤めて平静を取り付くろった。
「ナベシマ、ちょうどいいや。学校ら辺でオマエに会いたいってやつがいたんで連れてきたんだよ――オイ、お前ら、ヘイのカゲに隠れてんじゃねーよ」
茂が声を投げかけると、小心な同級生とそれより頭ひとつ小さい少女は似たような仕草でこそこそと出てきた。
「神代、に――えーと、初対面だよな?」
仕草よりも、その取り合わせに不審を感じたのだろう。直樹の表情に困惑の色が浮かぶ。
茂よりさらに数歩を隔てた遠間で、少女の頭は下げられた。
「い、石井陽花です。初めてお目にかかります」
石井陽花の態度は、年齢にしては上等だろう。育ちのよさを自然と見せつけられた気になり、茂はひねた感情が湧きあがってくるのを自制した。
だから来たくなかったんだよ。
茂はくしゃりと頭を掻く。面倒な感情を抱えながらの友達付き合いなど、せずにいられるに越したことはないのだ。
「にいさーん、お客さん知り合いー?」
と、直樹の脇から、声とともにひょっこりと顔を出してきた少女に、茂は不意打ちを受けたように仰け反った。
艶のある黒髪に国際的な容貌。茂とさしてかわらない視点で、こちらを覗いてきたのは、文句なしの美少女だった。
「あ、こいつ――」
ある意味家よりも衝撃を受けた茂の表情を見て察したのだろう。口を開きかけた直樹の言葉は、しかしより大きい声にかき消された。
「ば、バイフォーの――澄香(すみか)先輩!?」
ほとんど驚愕と言っていい表情を浮かべる陽花に、少女――澄香は頼りなげに首をひねった。
「あれ? えーと……あ、五本指の!」
脳内の人名録に、陽花の名を発見したのだろう。とたんに澄香の顔が晴れ、勢いよく陽花を指差した。
「知り合いか?」
「は、はい。学校の先輩です」
いまだ驚きを隠せない様子で、陽花が問いに答えた。
だが、ほんの少しだけ、彼女の表情が自然体に近くなったのを見て、茂は自分の役目が終わったことを知った。
「そ、か。知り合いがいるんなら丁度いいや。良チン、帰るぞ」
言葉にからことさらに影を取り除き、茂は、自分の背に隠れている同級生に声をかけた。
いきなり声をかけられた良は、挙動不審に手振りだけで応えてくる。傍目には踊っているようにしか見えなかったが。
「鹿島、上がって行けよ。茶くらい出すぞ?」
影のない直樹の言葉に、茂は片手で謝った。
「すまんが、どーもオレこの辺居心地わりーんだよ。落ち着かねーんだ。じゃな、ナベシマ。またガッコーでな。
手をひらひらさせて、茂は踵を返す。
「ちょっとまって――あ、鍋島君、また学校で!」
あわててついて来る神代良の気配を背後で感じながら、茂は歩を緩めない。
寒空を仰ぎながら、茂の感心は、すでに休日の残りをどう過ごすかに移っていた。
たまの休日。珍しく親切心を発揮して、不案内な場所まで来た。
鹿島茂にとっては、ただ、それだけの話。
だが、鍋島直樹にとっては――