メーターの振り切れ具合で、人選があった。
アーサー王子は天凛に恵まれて天命に見放された男だ。
死人をやめた今、彼はその天命を見つけた。
第九話 あのね、ちゅうして
上半身裸の王子様は、リンガー商会と共にハジュラへ行くのに数日の猶予を取った。
今後のことをユウに引き継ぐためだ。この世界の言語を話すことはできても書けないユウは、おいおいジ・クから読み書きを習うことになった。アーサー王子は、言葉の問題を抜きにして、仕事に連れまわして色々と教えている。
ほとんどはジ・クやショウがやることになるのだが、ユウはリーダーとして必要なことを教え込まれているということだ。
重要な点だけを教えるのに、たった数日というのは短い。それでも、アーサーは行くことを決めた。
出立の日、迎えの馬車を待つその時になって、王子はようやくまともな服を着て現れた。どこかの貴族の坊ちゃんのような姿に、砦の一同は爆笑である。
「服って暑いのよねぇ」
今までの裸生活で、久しぶりに着たヒラヒラの高級服がやけに重たい。
一方で、問題が起こっていた。
「やーだっ、ダメ、絶対ダメ」
ユウがアギラに詰め寄っている。今にも剣を抜きかねない勢いだが、誰も助けに入ろうとする者はいない。
「仕方ないだろ。それに、ユウは一人で大丈夫だ」
「だめ、アギラさんが行くならあたしもいく」
アーサー王子と共にアギラも行くことになっている。それは最初に決まったことなのだが、ユウには伏せていた。直前に言ったこともあり、ユウは今にもアギラを殺しかねない、そんな状態であった。
「ユウ、帰ってくるから少し落ち着け」
「嘘つくでしょ。アギラさんってそういうとこで平気で嘘つけるよね。分かってるのよ、今までも、いっぱい無理してあたしと同じってことにしてきたでしょ。ねえ、嫌になった、あたしがおかしいから嫌になった」
「ユウの頭がおかしいのは最初に会った時からだろ。もう慣れた。アーサーが失敗したらなんとか逃げてくるし、大丈夫だ」
「じゃあ明日帰ってきて。それか、アーサー殺してくる」
今にも本当にやりそうなユウに絡みついたアギラは、剣を抜こうとするのを触手で止める。
「無茶言うな。お前も俺も、ここがなくなったら行くあてがない。いいか、二ヶ月くらいだ。それに、簡単に死なないのは知ってるだろ」
体の半分を吹き飛ばされても生きていた。人間には無理だ。
「ダメっ」
「ダメでも俺は行く。みんなお前の力になるんだし、ピンチになったらすぐ行くから、納得しろ。仲間だって言っただろ俺は」
ようやく、ユウは力を抜いた。
「絶対、帰ってきてね。逃げたら追いかけて追いかけて」
「分かってるから怖いこと言うなよ。なんとかなるから任せとけ、王子もいるしな。その間、ここのこと頼む。シキザさんのことも含めて、な」
「うん、分かった」
渋々だろう。目には涙がたまっていたし、ダダをこめた際にぶつけた手が、壁の石組みに亀裂を入れている。
「あのね、ちゅうして」
「ストーカーみたいなこと言うなよ」
「ダメ、約束のちゅう」
「しねえよ。だってユウ、お前それで暴走して愛してるって言わないと殺す、とかなるだろ」
「ううう」
涙目で睨んでくるが、それは却下だ。
「仲間だろ。俺はお前のためだけにいる訳じゃないんだ。ユウもそうしろよ」
「バカ、死ね。アギラさんのバカ」
バカはお前だ。
「はいはい、心配してくれたのは感謝する。そこまで弱くないんだから、あんまり心配するな」
「アギラさん弱いから。うん、でも落ち着いた。帰ってきてね」
「ああ、ユウもちゃんと仕事しろよ」
死ぬかと思った。
見送るユウを背にして、待っていた王子と合流して馬車に乗り込む。
亜人たちの見送りの中で、ユウは剣を抜いて手の代わりに振っていた。
「どう、アタシのアドバイス効いたでしょ?」
「イカレてるのは分かってたが、ここまで凄いことになるとは思わなかった」
やつれたように見えてしまって、アーサーは笑った。依存性の強い関係に問題があるのは分かっていた。特に、ユウは誰かに必要とされたい、という気持ちが強い。なのに、人に心を開かない。強く見せることだけはしっかりとこなしている。
「帰ってこれたら、成長してんじゃあないかしら。多分」
アギラの問題も分かっている。彼は、どこかしら自棄になっているところがある。それは、随分と昔から続いているもので、彼も気づいていない諦めのようなものだ。なのに、人を助けることには必死になる。善を行おうとしている。行動は、自分のためには全てを犠牲にして厭わないというのに、彼は善を求めている。
「頼むわよ、アギラ。護衛ってだけじゃなくてね、突破口を開くには力がいるの」
この状況を切り開くには、突拍子も無い力が必要だ。ユウの力は、『力』でしかない。アギラにはそれ以外の何かがある、そんな気がする。アーサーは、根拠の無い確信でそう思っていた。
ハジュラの都、夕闇通りは悪徳の支配する無法地帯だ。
公的には江戸時代の吉原のような国の認めた娼婦街なのだが、現在はそれよりも貴族の介入できないヤクザ者の支配する自治区の意味合いが強い。
特殊な地区であるのは元々だが、夕闇通りがこうなったのには理由がある。本来はラザンテ区なのだが、この地を管理するラザンテ侯爵が治安維持と裏社会の手綱をとるために、ラザンテ区にヤクザを押し込んだのが始まりだ。
彼らの自治とラザンテ侯爵の癒着で、上手くいったのは百年ほど。そこから後は、力を持ちすぎたヤクザ者が取り仕切るようになった。侯爵家に跡継ぎが生まれず、女系の血筋だったことも災いして、婿養子であるベルロイ・ラザンテがヤクザの仕向けた男だったことが決定打になり、軍ですら入れない無法地帯が形成されることになった。
ここまで最悪な状況になるには、幾つかの奇跡的な不運も関与しているが、今は省く。長らく拮抗していた裏社会の勢力図だが、今はリンガー商会とハーラル一家の二大勢力が抗争を繰り返している。
「これはウニといって、時の王が莫大な財宝と引き換えにしたと言われる伝説の食材ですわ」
壷におさめられたチクチクした棘を無数に蠢かせている黒くてツルツルした不気味なものを、取締官は気味悪そうに見た後で、フタをした。
「通ってよし」
アギラはウニとして無事にハジュラに入国し、アーサーは袖の下を使って簡単に入国できていた。
「あんたおしとやかな喋りもできるのねぇ」
「はんっ、バカ王子が」
以前にエリザベートが来た折に護衛についていたアリス、彼女が今回の迎えと護衛だった。アギラを見て露骨に顔をしかめたが、王子の条件なのだ、仕方ない。
「口の悪いチンピラねぇ」
壷から触手を一本出したアギラは、アリスの肩を叩く。振り向いた時、触手に小さく悲鳴を上げていた。
「メシをくれないか。なんでもいいから生きてるものがいい」
「わ、わ、わかったから、触るんじゃないよ」
わざとである。しばらくして、市場で鳥を買ってきたアリスは、おっかなびっくりで蓋を開けると、また小さな悲鳴を上げてニワトリに似た鳥を放り込んだ。
「羽が邪魔だな」
と、アギラの声が聞こえたが、にわとりの断末魔と、バキバキと噛み砕く音が響いて、アリスの顔がどんどん青くなっていく。バロイ砦でもっと酷いものをたくさん見てきたアーサーにとってはこの程度日常の景色だ。
「さてと、アギラ、しっかり護衛お願いね」
「任せろ。最近になってようやく体の使い方が分かってきた」
なんとも頼りない話である。
馬車にゆられて、夕闇通りの大門についた。大門とはその名の通り、外部と町を繋ぐ唯一の出入り口である。
下水からでも自由に出入りできるのだが、アギラはあえて言わなかった。ハジュラの懐かしい匂い、人と脂の匂い。
馬車を降りたのは、四階建て、というよりはいつのまにか四階建てに変化していたツギハギ建築の大きなビルの前だった。
「クーロン城みたいだな」
壷を抱えた王子は、またしても魔界語を使うアギラを無視した。
細い入り組んだ通路を何度も曲がり、たどりついたのは、リンガー商会の者たちがたむろする酒場のような場所だった。
「ようこそ、リンガー商会へ。快く引き受けて下さって、感謝いたしますわ」
ミス・エリザベートが恭しく頭を下げた。それに対して王子も、しっかりとした礼儀作法で「ご招待に感謝申し上げます、レディ」などと返している。
アギラは、そこに入った瞬間から、件の機人に目を向けていた。向こうも同じく、ちりちりとした殺気に触手が反応する。
「久しぶりね、アギラさん」
と、声をかけてきたのはシルクのドレスに身をまとった女である。髪と顔立ちに見覚えがあった。
「ああ、シャルロットか。久しぶりだな、今度はヤクザの女にでもなったのか」
「失礼ね。こう見えても、リンガーは男爵家なのよ。もっとも、今じゃこんな感じだけど」
「そうか、波乱万丈だな」
数ヶ月前に少しだけ関係性のできた女、こんな風に再会するとは思っていなかった。
「お嬢様、危険です」
と、機人が壷のフタを開けようとしているシャルロットを制する。
「なんもしねぇよ。ガラクタ野朗」
「んだと、このクソ化物が」
気にいらねぇ。
これがバロイ砦で出会った時からのお互いの感情だ。理由がある訳ではない。一方はぴかぴかのコートを羽織って、頭に革のマスクをつけた変態、もう一方は壷から触手を吐き出している異形。どちらも化物だ。
「ちょっとやめてよ、タキガワ。あの金貨でどれだけ助かったと思ってるの」
「知るか。そんな金くらい俺がなんとでもできる」
「ミスエリザベートの前だよっ、見苦しいマネはよしな」
アリスの一括で、アギラもタキガワも睨みあいを中止した。
「悪いけど、アギラさんはここで待っててね」
エリザベートに促されたアーサーはいとも簡単に護衛を手放した。アリスやタキガワ、シャルロットもそれに驚きで応えている。
「……分かった」
「じゃ、また後でね。皆さんと親睦深めといて」
エリザベートも顔には出さなかったが、後ろをついてくるアーサーの胆力に舌を巻いていた。ここで引き離されたとして、彼の立場なら暗殺されてもおかしくない。信用しているのか、と問われれば、彼はそこまで単純な人間でもないだろう。
壷から這い出したアギラは、人間の形態を取って、奇妙な歩き方で空いている椅子に座った。
「薄気味の悪いヤツだね」
「何かいったか、ア・リ・スちゃん」
似合わない名前なのは誰でも思うところだ。一瞬で、顔に鬼気が宿る。
「あァ、化物が今なんつった」
「別に、アリスちゃんが何か言ったみたいだが聞こえなくてな」
「おい、ハンマー持ってこい」
酒場のカウンターにいたバーテンが、長い柄のついた細身のハンマーを投げる。空中でキャッチしたアリスは、肩にハンマーを置くと、中指をたてた。
「ミスアリスって呼べよ、化け物」
「アリスちゃんの方が似あうぞ」
困ったように笑ったアリスは、次の瞬間にハンマーを振り下ろした。アギラの座っていた椅子が砕ける。アギラは形を変えてかわしていた。今は、砕けた椅子の隣に佇む黒い塊だ。
「おい、お前ら手ェ出すな。こいつはあたしにケンカ売りやがったんだ」
「誤解だぜ、アリスちゃん」
鋭い風を斬る音共に、ハンマーが振り下ろされる。握りの位置を変えることで短い距離にも対応していて、それはケンカで身に着く技術ではない。
「あの野朗、アリスをやったらぶっ殺してやる」
と機人タキガワが唸ると、シャルロットがたしなめた。
「多分、アギラさんはそういうことしないと思うけどねぇ」
「お嬢様、確かにアレの金貨がきっかけになったかもしれませんが、あいつはいい人なんかじゃありませんよ」
「それはあなたも一緒でしょ。ていうか、ジェラシー?」
「うっ、いや、その」
人生をやり直すのは、結局こんな形になった。金貨で姉妹を取り戻し、タキガワを雇った。一時は死のうとしていたエリザベートを思い直させて、タキガワと共に始まったリンガー商会は、今や悲願に向けてあと一歩の所にまで進んでいる。
「そうか、一対一ならこうしたらいいんだな」
「何を言ってんだいっ」
ハンマーを華麗に操るアリスとはいえ、十分以上振り回すのは辛い。
少しずつ、触手を伸ばしまくって戦うのは悪い方法ではない。だが、同郷のバケモノたち相手では、不利になる。重戦士ヒロシとの戦いでそれは分かっていた。相手を疲れさせ、隙を見つけて攻撃する。そういう人間的な戦いと、本能のままに触手を繰り出して血を吸う戦い方、時々に切り替える必要がある。
アリスの間合いに入り、まともにハンマーの一撃を受けたアギラは、殺気の緩んだ一瞬で、形を変えてアリスにからみついた。
「うわっ、気持ちわるっ、放せ、あー、やめ、やめろって」
「俺の勝ち」
耳元で囁いてから、拘束を解除して離れると、アリスは息を荒くしてハンカチでアギラの絡みついた所を拭いていた。
「お、お前、風呂に入らずに森とか走り回ったり沼に入ったりしてないだろうな」
アリスが叫ぶが、最近は毎日井戸水で体を洗っている。
「どんな生活を想像してるんだよ」
「汚いのは嫌いなんだよっ」
返り血は平気で、沼や森が苦手なのは納得いかないものがあったが、「あー気持ち悪い」と言いながら「風呂いってくるわ」とハンマーを放り出してアリスはいってしまった。
「悪い人じゃないのよ、気を悪くしないでね」
シャルロットが半笑いで言うがアギラは触手を振って応えただけだ。彼女と話すだけで機人が睨みつけてくる。勘弁してくれよ。
「おうバケモノ、アリス姐さんと互角たあやるじゃねえか」
ヤクザたちも、睨むのを止めて、バロイ砦攻略戦の話をせがんでくる。仲良くしておくに越したことはない。ということで、多少脚色の入った狂戦士ユウの物語を披露することになった。
「へえ、じゃあ手回しはすんでるってことね」
ゾレル・コカクは今現在虜囚として王宮の西の塔に軟禁されている。ハジュラ王のゾルトール三世、その若き日の過ちこそがゾレル。コカクである。
ゾレル・コカク、平民と同じくミドルネームを持たない。それは、コカク家が侯爵から男爵にまで落とされた上に課せられたペナルティだった。
イシュルテ・コカクとゾルトールの不倫によって生まれたのがゾレルだ。ゾルトールの第一王妃ミルレイファとハーラル一家の策略により、イシュルテは毒婦としての証拠を捏造され、さらには邪神の信徒とされた。
コカク家当主のギリアム・カハクは、妻を売り渡すかのようにその捏造に加わり、イシュルテの火あぶりにはみずから火を入れた。イシュルテの実家であるリンガー家もこれを機に没落の一途をたどる。
ゾルトール王はゾレルに罪はないとして、ギリアム・コカクとの不和もあるために、ゾレルをレミンディアに人質として留学させた。そこでゾレルとアーサーは出会ったのだ。
アーサーは第一王子ながら、母の身分が低いために疎まれ、いつまでも女言葉の抜けない女漁りの暗愚として育てられていた。三つのころには侍女の股を舐めていた、などという噂も、暗殺の危機を避けるために乳母の流したものである。ゾレルとアーサーは厄介者同士ということで育てられた。
アーサーのたった一人の友である。
「はい、救出の前に、我々はイシュルテ様の無実を知る大神官グラハムを探し出す必要があのます。そして、シアリスの言いなりであるレオン王子の暗殺」
「探し出すですって?」
エリザベートと向かい合うアーサーは、そこで言葉を止めた。
「ホドリ監獄に大神官グラハムはおられます。看守に金を渡して出そうとしたのですが、グラハムは首を縦にふらないそうですわ」
「ゾレルの説得はアタシがやるけどさ。それは関係ないんじゃないの?」
「いいえ、グラハムは、あなたの知る人物ですよ。流浪の占星術師レドは、グラハムです」
レミンディア宮廷に一時期入り込んだペテン師。アーサーの辺境治水事業の半ばで国を去った人物だ。
「ちょっと、なんでレドが大神官なのよ。あいつはヤクザのオッサンよ、確かに色々通じてたみたいだけどさ」
「ふふ、ご存知無いのは仕方ないでしょう。占星術師レドは、元はシアリスの大神官でした。司祭を凌ぐほどの信仰心としてシアリス内部でも高い地位にいましたが、失踪して名を変えたのですよ。彼は、シアリスの追っ手から逃げられぬと悟って、ホドリ監獄へ逃げたのです」
「あのクソ親父、アタシが匿ってやったってのに。なるほどね、彼を引きずり出してイシュルテ小母さんの無実を証明して、それからゾレルを王位につかせるために説得。さらに、第二王子それ以下の王位継承者を暗殺」
そこまで言ってから、ふーっと息を吐き出した。
「面白いじゃない。とんでもない大穴狙いよね、それ。アギラならホドリ監獄には入れるし出れる。だけど、グラハムを出すのは無理でしょ。どうせ、買収した看守とやらも今頃墓の中なんじゃないの」
「さすが王子。同じくシアリスのクソ神に悩まされているだけありますわ。あのクソッタレの聖職者たちは、圧倒的な財力と情報力でどこの国にも食い込んでいますわ。近く噂されている新大陸の改宗のためでしょうね。各国の財を吐き出させて、海を渡ってまた同じことをやるつもりみたいですわ。このハジュラも、中立を謡いながらクソ神のいいなり、それで悪徳の都を名乗るなどおこがましいとは思いませんか」
一息に言うと、エリザベートの顔に笑みが刻まれた。先ほどまでの静かな怒りは見事に消えている。
「あの頑固で頭の回るクソ親父のレドを説得すんのもアタシの役目なんでしょ。貸しがあるしね、潜入さえできたらなんとかなるわ」
「ええ、一つだけ方法があります。古代遺跡から、地下の大河を渡り、ホドリ監獄へ抜けるたった一つの道が」
それは、太古の昔に栄えた今は名も残っていない王国、その遺跡の地下より通じる隠し通路。ハジュラの創設者である盗掘王が断念した死の回廊。
「大冒険ね、またアタシの自叙伝が長くなるわ」
行くしかあるまい。
ゾレルを救い、生き返るのだ。