事の始まりは、とある缶詰だった。
「あ~腹減った」
昼食時、ぼやきながら食堂にフラリと姿を現したのは、黒髪黒目着ている服も真っ黒な青年だった。年は20歳程度で、皮肉げにつり上がっている目が特徴的であった。その首からは銀のペンダントがぶら下がっており、剣に絡みつく一本足のドラゴンがデザインされていた。大陸魔術の最高峰、牙の塔で学んだ証である。この世界ではそんなものは何の証明にもならないのだが、オーフェンは身につけていないと落ち着かなかった。
「さ~て飯だ飯だ」
青年、オーフェンは食堂へやってくると待ちきれないといった様子でいそいそと食事の用意をする。午前の訓練が長引き更にその後始末に追われて昼休みの時間がかなり減ってしまい、のんびり食べる時間がないのだった。
「あ~素晴らしいな。時間がないとはいえきちんと食事をとることができるなんて。トトカンタにいた頃とはえらい違いだぜ。クリーオウの訳のわからん料理を食う心配もないし」
楽しそうに一人ごちながら席に着く。と、そこでオーフェンはあるものに目が止まった。
「ん?」
テーブルの中央になにやら丸い物体が置いてある。手のひらサイズで、平べったいフォルムをしている。金属で出来ているようだ。しかも側面にはシンプルにある果物が描かれている。オーフェンはそれを見て、息を呑んだ。
「これは・・・・・・桃缶!!」
テーブルの中央にぽつねんと置いてあったものは缶詰であった。表面には桃のイラストが描かれている。その桃の缶詰が未開封の状態で置いてあったのだった。
「なぜここに」
思わず手にとって様々な角度から眺めまわす。間違いなく桃缶であった。掌にすっぽりと収まるサイズ、触れるとひやりと冷たく硬い金属的な手触り、振ると中身が微かに揺れることが指先に伝わってくる。それを確認すると、オーフェンはさっと辺りを見回した。食堂には昼休みも終了間近なため人も少なく、桃缶をじろじろ見ているオーフェンを見ている者もいなかった。
「一体だれが」
周囲を見ても持ち主らしき人物はいない。オーフェンは桃缶を一旦置き直し腕を組んだ。じっと桃缶を見つめる。そのまま数秒眺めていると不意に笑みが浮かぶ。
「ふふふふふふ」
こらえきれずに笑みが漏れ、その顔には余裕の表情が作られる。
「ふふふふふふ。俺を昔の俺と思うなよ。たかだが桃缶一つなんぞ、今さらどうというほどのことでもないぜ」
トトカンタでの生活を思い出す。あの頃は常に貧しく、爆安缶詰市の桃缶だけが頼りだった。爆安日の数日前からは夢にまで見るほどだ。しかし今はそうではない。安定した職に就き、忌々しい無能や変態や福ダヌキに振り回されることもない。有事の際の出動を除けばごくごく平穏な日々を送っている。まさに
「まさにニュー俺だ。あの時の俺とは違う。グッバイ過去の俺。俺は生まれ変わったんだ!」
どんどんヒートアップするオーフェンに周囲の人々が目を向けるが、オーフェンだと気付くと黙って目をそむけた。時々見せる彼の奇行と、度々見せる彼の魔術の脅威は機動六課の誰もが知っていた。触らぬ神にたたりなし、という言葉を全員が思い浮かべた。そんなことには気づかずにオーフェンは桃缶に向かってしゃべり続けている。
「したがって、今の俺にとってお前はただの缶詰でしかない!ただの選択肢の一つだ!ここでお前を食わずとも、俺には別の選択肢がある。お前だけを見続ける時代は終わったのだ!」
物言わぬ缶詰をびしと指差して、オーフェンは決別の言葉を告げる。定職に就き、十分な収入を得ているオーフェンにとって、貧困などは既に遠き過去の遺物であった。オーフェンは再び桃缶を手に取り見つめる。そして軽く息をつくと、
「ふっ、あばよ」
最後通牒とともに桃缶を元通りに置いておこうと手を離した。
「あ、あれ?」
離れたはずの手が、未だに桃缶をがっしりと掴んでいる。自分の意志とは裏腹に離さない己の手を信じられない物でも見るような目で見ながら、何度も離そうと力を込める。ただ手を開くという単純な行為が、なぜかできないでいた。
「ちょっ、くうぅぅぅぅ」
接着剤でも付いたかのようにピッタリと離れないその手を振りまわしてやっとこさ缶詰から手を離す。オーフェンは自分の手を見て、それからもう一度缶詰を眺める。その顔にはありありと疑問の色が浮かんでいる。その顔には先程の余裕はなく、汗がうっすらと滲んでいる。
「ば、馬鹿な。どういうことだ」
数秒前のことが信じられずに自問する。何故自分は手を離せなかったのか。簡単なはずだった。過去の自分ならともかく、今現在の自分ならば。
(ニュー俺にとっては造作もないはずだ。だろ?)
まるで仇でも見るかのように缶詰を見つめ続ける。自分の世界に入り込んでいるオーフェンは気付いていなかったが、昼休みはもうほとんど終わっており、食堂にはもうオーフェン一人しかいなかった。がらんとした食堂の一角で、一人ぶつぶつと呟く彼ははたから見ればかなり危ない感じだった。
「おかしい。何故だ。俺はまだ・・・・・・」
「おい。オーフェン!」
「うおわぁ」
いきなり後ろから呼びかけられ、オーフェンは飛び上がった。反射的に桃缶を懐に隠し、背後に向き直る。そこには見慣れた赤毛の少女が立っていた。いつもの勝気な目を細め、オーフェンをじろじろと見ている。ヴィータはひとしきりオーフェンを眺めると、腰に手を当てて告げた。
「こんなとこでなにやってんだ?もう昼休み終わりだぞ」
「へ?あ、ああ。そうだな」
なんとか平静を装いつつ返事をする。咄嗟に懐に隠した桃缶の位置を直しながら、壁に掛けてある時計を見る。言われたとおりもう昼休みは残っていなかった。ヴィータはそんなオーフェンに疑わしげな視線を向けていたが、やがて何かに気付いたようにオーフェンを指差す。
「ん?なんか持ってんのか?」
探るようなヴィータの視線を身をよじって逸らし、こっそり桃缶を体の陰に隠す。そんなオーフェンにヴィータは更に不審そうな眼を向けるが、オーフェンは彼女の肩を掴み強引に後ろに向けた。
「別に何もないぞ!さ、とっとと行くぞ行くぞ。遅れちまうぞ」
「お、おう」
ぐいぐいとヴィータを食堂から追い出してから、忘れ物をしたと言って食堂へ戻り厨房の冷蔵庫の陰にこっそりと桃缶を隠したのだった。
オーフェンの様子がおかしい。最初に気付いたのはフェイトだった。なのはの教導によりフォワードの4人がガジェットとの戦闘シミュレーションを行っている間、フェイト、ヴィータ、オーフェンの3人はフォワードの動きを離れた場所にてモニター越しに見ていた。なのははというと、上空で全体を見渡しながらなにやらモニターを操作している。そんな折、フェイトは隣に座りこんで見学していたオーフェンの様子が違うことに気が付いた。
≪ね、ヴィータ。オーフェンさんちょっと変じゃない?≫
念話でヴィータへと語りかける。もちろんオーフェンには聞こえないようにヴィータのみに向けて。ヴィータはモニターを見ながら、フェイトへちらりと目を向けた。
≪ああ。なんか変だな≫
≪何か知ってる?≫
≪いいや。なんか食堂にいた時から変だったぞ≫
≪え?≫
食堂でのことを思い出しながら、ヴィータはオーフェンを横目で見る。モニターを見てはいるのだが、別のことに意識を向けているような、ずっと何かを考え込んでいるように見える。
≪さっき食堂で会ったんだけど、その時何か隠してるみたいだった≫
≪隠してる?≫
首をかしげながらフェイトは訊ねた。それにヴィータは腕を組んで小さく眉をひそませる。
≪よく見えなかったんだけど、丸っこいなんか持ってたような≫
≪丸っこい?≫
≪う~ん。一瞬しか見えなかったからよくわかんねー≫
≪何持ってたんだろ≫
≪さあな。後で聞けばいいだろ。今は訓練中だ。後にしようぜ≫
≪うん。そうだね≫
疑問を残しつつも念話での会話を切り上げる。しかしつい気になりフェイトはこっそりとオーフェンを見た。小さく口が動いているところを見ると、何か一人ごとでも言っているようだ。本人でも気付いていないのか、ブツブツとこぼしている。
(なんだろう?)
この時、フェイトは後に語り継がれるであろうあの惨劇が既に始まっているとは思ってもみなかった。
(なんでだ)
納得がいかずに自問を繰り返す。食堂を出てからもオーフェンはあの缶詰のことが気にかかっていた。
(う~ん。まだ未練があるってのか?)
あの貧乏生活の自分から完全に脱却してはいないということなのだろうか。
(ま、とにかくもう一度あれを・・・・・・)
桃缶の隠し場所を思い出しながら、オーフェンは思考をカットした。知らずに口に出していたようで、フェイトがチラチラとこちらを見ているのに気付いたからだ。今はなのはの教導中である。その最中に他のことを考えていたなど彼女に知られればまたなにか厄介なことをさせられるかもしれない。
そして日が赤く染まり始め、なのはの教導が終了した後オーフェンはまっすぐに食堂へと向かった。スバル達が汗を流すためにシャワールームへと向かっていたり、なのは達が食事の前にオフィスで事務仕事を片付けに行ったのを尻目に早足で。
(果たして俺は生まれ変われることが出来たのか出来なかったのか!)
たかが桃缶一つのことにまるで自分のこれからの命運を懸けているかのように真剣な表情をしながら、オーフェンは隠し場所に辿り着いた。
(俺はもうあんな生活には戻らない!まっとうに生きるんだ!過去とのケリを着ける)
心に決意を刻み、握りこんだ拳にさらに力を込める。目を閉じ、そしてゆっくりと開ける。その瞳には未来への希望の光が宿っていた。そしてその先には、
「あれ?」
なにもなかった。
完全出落ちです。
衝動的にやってしまいました。
続きは一週間以内に。
投稿しといてなんですが、見切り発車です。
ティアナめ 余計なことしやがって