グルグルと視界が回り、脚が大地から引き離される上昇感が全身に負荷をかける。するとその後に一瞬の浮遊感が身体を覆い、そして一気に襲い掛かる落下という重力の反撃。
「ゲヘァッ!?」
ゴシャッ!!!
受け身をとり損ね、頭から真っ逆さまに落着をした。
……何故、何時もこんな落下の仕方をするのだろうか? なんて、今の現状には関係のない疑問だったか。
しかし、何とも酷い。
酷い結果である。
「――ング、っくはぁ!」
不本意ながらも自分の体が作った床の瓦礫から這い出すと、視線の先には『ニヤリ』と口元を緩めているドルバルが居る。
これは、非常に不味い。
「見えても、対処できない」
ドルバルの拳は、『良く見る』ことで確かに見える。
……見えるのだが、目の前から突っ込んでくる自動車とでも言うのか? 見えているからどうにか成る――といった、そんなレベルではないようだ。一般人的感覚で説明するなら、20~30km程度の速度だったら何とか成るのだろうが、体感的に説明するなら至近距離からアクセル一踏み時速200km……といった具合だ。
「どうした、聖域の聖闘士? よもやこの程度のことで、匙を投げるのではあるまい?」
「ハハ……当たり前でしょう。始まったばかりだぞ」
一瞬、ドルバルの言葉に考えてしまった俺であるが、匙を投げるといった選択肢は存在しない。
それは最後の最後、本当にどうしようも無くなった時に選ぶものだからだ。
「――よいしょっと……っつぅ」
声を出して起き上がる。
ダメージは……結構酷い。聖衣が無事な所を見ると、ドルバルはまだ本気ではないということだろうが、殴られた場所はズキズキと痛む。
「貴様には――貴様には少しばかり期待をしている」
「は? 期待?」
「そうだ。余の期待を裏切るなよ?」
――何を言っているのだろうか? 正直意味が解らない。
しかし、ソレとは別にしても、今のこの状況をどうにかする方法を考える必要がありそうだ。どうやって? ……どうにかしてだよ。
「訳の分からないことを言われても、俺がヤルことには変わりはない」
構えを取り、表情を強く保ってドルバルを睨む。小宇宙を高め、必殺の一撃に備えて準備をすすめる。
「そうだろうな。貴様のすることは変わらない。オマエは、今此処で余を打倒し、そのうえでヒルダを救い出す以外に道はないのだからな」
「へぇ……よく解ってるじゃないか?」
「一応とはいえ、聖域はアスガルドとの共存を考えている。余がアスガルドの長として貴様をヒルダ殺しの犯人だと宣言すれば、聖域は貴様の首を差し出さぬ訳にはいくまい」
「……あぁ、そうだろうな」
当然、其の可能性はゼロではないだろう。
正面から遣り合えばアスガルドの敗北は確実だろうが、少なくとも白銀聖闘士の一人の生命と引き換えに、教皇が事を構えるとは思えない。
「いっその事、聖域など見限ってアスガルドの神オーディンに忠誠を誓ってはどうだ? ロキ達を打ち倒した貴様だ。その実力は買うぞ?」
「悪いな、俺は泥船には乗らない主義なんだ」
「ならば死ぬぞ」
「――――ッ!?」
一瞬にして膨れ上がったドルバルの怒気に反応して、俺は身体を動かしていた。
「ディバイン・ストライク!!」
駆けるようにして突き出された手刀、ディバイン・ストライク。光の筋と成った拳撃はドルバルの身体へと吸い込まれ――
「微温いぞ! 聖闘士の小僧!!」
ドルバルはいともアッサリと拳を振り払った。
「クッ!?」
「神闘士を打ち倒したと言っても! その程度か!!」
「ガァッ!!」
間合いを詰めてきたドルバルに殴り飛ばされ、俺は地面の上を滑空するように転がっていく。無理矢理に身体を捻って立ち上がるが
「ハァっ!!」
「ンガァッ!?」
直後に膝蹴りを顔面へと叩きこまれる。
何とか踏ん張って拳を放つも、
「甘いわ!!」
ドルバルに腕を取られ、吊るしあげられてしまったのだった。
「グッ! は、離せ!」
「聖闘士と言えど、所詮はこの程度かぁ? コレでは、余の期待に答えるには程遠いぞ? ――ヌンッ!!」
言いながら、掌を俺の腹部へと押し当ててくる。
ドルバルの纏う攻撃的な小宇宙が、俺の身体を内側と外側から激しく暴れまわった。
「――――ッぐぁああああああああああああ!!!」
気づけば、俺は再び空を舞っていた。
全身に痺れるような違和感をと、締め付けられるような激痛を感じながら。
ドガァアアンッ!!!
地面を大きく粉砕するほどの衝撃で、体ごと落着する。
聖衣は今の一撃で所々が破損してしまい、既に罅だらけの状態へと成ってしまっている。本気にもなっていない、そんな攻撃を数回受けただけで、既に俺の聖衣はその役割を果たせなくなりつつ在る。
「ゲホッ! ゲホッ! ――クッ!」
「思いの外に元気そうだな? もう少し力を込めるべきだったか?」
「グッ……クソ! ドルバル!」
「フハハハハハ!! そうら!!」
ドルバルが手をかざすと、そこから小宇宙が荒々しい奔流となって襲い掛かってくる。相変わらず見えていても避けることの出来ない俺は、
「がぁああああ!!!」
其の一撃をまともに喰らい、岩肌へと強かに叩きつけられるのだった。
崩れそうに成る体を何とか支え、此方に向かって迫ってくるドルバルから視線を逸らさずに睨みつける。
薄ら笑いを浮かべているドルバルが果たして何を思っているのか解らないが、しかしこのまま死んだふりをしていれば良いという訳ではないようだ。
先ず間違いなく、そんなことをすれば俺の首を落としにやってくるだろうから。
「ハァ、ハァ、ハァ――くそっ、なんて強さだ。圧倒的……過ぎる」
「力の差が身に沁みたか? どうだ、今ならまだ考えを改める時間をくれてやっても構わぬぞ」
「生憎と、俺はこんなのでもアテナの聖闘士なんでな」
「今更何がアテナか」
ドルバルの言葉に僅かな疑問を感じるが、ソレを検討している暇はない。
ふらつく脚に力を込めて、相手が間合いに入ると同時に、俺は跳躍をしてドルバルへと襲いかかった。
「うぉおおお!!」
「遅い、遅いすぎるぞ!」
飛びかかるようにして拳を振り上げる。
自分でも解るくらいに身体が疲弊しており、普段の半分以下の力しか出ていない。ドルバルは簡単にそれを避けてしまい、逆に俺の方は脚がもたついてふらつく始末だ。
「そうら、もう一度吹き飛べ――ヌッ!?」
「ハァアアアアアア!」
ドルバルが俺に向かって拳を放とうとした瞬間、上空から掛け声とともに蹴りを放つ人影が降ってくる。俺はそれに視線を向けながら、
(やっと来たか……)
と思ったのだが、しかし、この登場の仕方は完全に作戦の失敗ではないか? とも思えてしまう。
ドルバルは空から降ってきた人影――ハーゲンの一撃を受け止めると、ハーゲンは其処こから宙返りをするようにして間合いを広げた。
「ふむ、ハーゲンか? 今更、何をしに来たというのだ?」
「ドルバル教主! コレ以上の無法な振る舞いは!」
「無法の振る舞いだと? 馬鹿めが、今やアスガルド余の手中に有るのだ。アスガルドの支配者たる、余に逆らう事こそが無法そのものよ」
「そんな勝手な理屈で!」
「愚か者が!」
「止めろ! ハーゲン!」
飛び出したハーゲンに、ドルバルは容赦の無い拳撃を見舞う。
「ぉ、うぉおおおおおおお!?」
ハーゲンはそれに対応できず、酷い形相になりながら吹き飛ばされていった。
ガゴォン!
生身のままで、岩壁にめり込むほどぶっ飛ばされてバウンドするハーゲン。無茶をする――とは思うも、済まないがハーゲンを気にかけている余裕はない。
「余の行いこそが、真にアスガルドの平和のために成るということが何故解らぬか!」
ハーゲンを睨みつけながら、吠えるように言うドルバル。俺は笑うように揺れる膝に力を込めて、ユックリと立ち上がった。
「ほぅ……、まだ立ち上がるか? 流石に聖衣を身に付けているだけのことは有る。多少は頑丈なようだな」
「ドルバル……ッ! 」
「貴様も、ほんの幾分だけ命が永らえたに過ぎぬ。――そうであろう、ジークフリートよ」
ドルバルが視線を横へとずらすと、其処にはジークフリートが立っている。ハーゲンがこの場へと来たのだ。当然一緒に行動をしていたジークフリートも到着しているだろう。
だが……どうして其処で止まっているんだ、お前は!
コレでは、俺やハーゲンが文字通りに身を削っている意味が無いだろうが!?
お前の役目は、今のうちにヒルダを救出することだぞ!
「クライオス、ハーゲン……!」
俺やハーゲンの状態に歯噛みをするジークフリートだが、俺は奴の行動にこそ歯噛みをしたい気分だった。
しかし、ジークフリートはそんな俺の内心など知らずに、強い視線をドルバルへと向けるのであった。
「ドルバルよ、何がアスガルドのためか! アスガルドの為を言うのであれば、ヒルダ様を支えることでもそれは出来るはず! ソレをせずに、自らの野心のために行動する貴方は……最早教主ではない!」
「ふん。優れたものが上に立とうというだけのことだ。それの何が悪いというのか?」
「そこに愛が無ければ、そんな平和にどれ程の価値があるというのだ!」
「下らぬことを申すな、ジークフリート!」
「ドルバル! 覚悟!」
構えをとって小宇宙を高め始めるジークフリート。そして、ソレに対して受けの構えを取るドルバルの両者。
「ジークフリートッ! お前、それじゃ!?」
ルングとの戦いからか、小宇宙を高いレベルで扱っているジークフリート。だがそれじゃ、その程度の小宇宙ではドルバルには通用しない。
「ドラゴン・ブレーヴェストブリザード!」
小宇宙を十分に高めたジークフリートは、その両腕から凍気の渦をドルバルへと叩きつける。
「ふん! その程度の凍気では、余の薄皮一枚凍りつかせることすら――ぬ、ハーゲン!?」
不意にドルバルは岩壁の方へと視線を向ける。其処には先程、ドルバルに依って弾き飛ばされたハーゲンが、重症を負いながらも小宇宙を高めているのだった。
「グレート・アーデント・プレッシャー!」
技を放つハーゲンによって創りだされたのは、ジークフリートとは異なる炎である。
全く……こいつらは――ヒルダの救出をしろッ!
最初の計画では、俺が暴れている隙にヒルダの救出だろう? 何だって、こんな……まさか、俺を助けるためとか、そんな事が理由じゃないだろうな?
ゾク――ッ!
もしかして……なんて考えた瞬間、奇妙な感覚が背筋を駆け抜けた。そして、良く解らない気持ちが胸の奥に灯っていく。
何だというのだ? コレは?
ジークフリードとハーゲンが、必死になってドルバルを攻撃する姿を見た俺は、内心で
――あーっ! クソ! 何だかもぅ、コイツ等ってば本当に!!
と、叫び声を上げていた。
「馬鹿共め! 貴様らが何人集まろうと、余に傷ひとつ付けることすら出来ぬと」
「なら、3人ならどうだ」
「き、貴様!」
ジークフリードとハーゲンに追随する形で、俺自身も小宇宙を高める。……もう、こうするしか無い。
と、言うより、このチャンスを逃すわけには行かない。
「ドルバル! ぉおおおおおおお、打ち穿け! ディバイン・ストライク!!」
限界まで高めた小宇宙に乗せて、ディバイン・ストライクでドルバルの身体を打ち抜いていく。最初の一撃とは違い、今回は確かな手応えを俺の腕は感じていた。
ジークフリードの凍気と、ハーゲンの炎を纏った『白銀の槍』が、次々とドルバルの身体へと吸い込まれていく。
「うぉ、おぉおおおおおおおおおおお!!!!」
突き抜けていく衝撃、腕に残る痺れ、ドルバルは俺達の攻撃に耐えかねたのか、空高く吹き飛ばされていった。
ドルバルは叫び声を上げながら、回転するように落下する。
ゴシャッ!!!
床板を大きく陥没させて落下したドルバルに、俺は視線を向けながら、肩で大きく息を繰り返していた。
「かは、はぁはぁはぁ……」
思っていたよりも、ずっと俺の身体は疲弊していたようである。膝に手をつき、俯くようにしている俺とは違い、
「勝った……のか?」
「本当に、俺達が。ドルバルを?」
ジークフリードとハーゲンは、なんだかんだで余裕そうだ。……俺、体力ないのかな?
聖域に戻った後で、本気で体を鍛えようかと考えたその時、
「――ッ!?」
突如膨れ上がった小宇宙に身震いをする。
「油断……す、するなッ!?」
掠れる声を張り上げて、ジーフリードとハーゲンを叱責するも、
「愚か者どもが! あの程度の拳で、余を打ち倒せるなどと本気で思っていたのか? 片腹痛いわ!!」
「なっ!?」
「ドルバル!?」
神戦衣に多数の破損は見られるものの、ピンピンとしたドルバルが勢い良く立ち上がった。手応えは十分だったのだが。コレでもまだ、ドルバルを倒すには力不足だったか。
「一度でダメなら、何度でも――」
「愚か者がッ!」
「うぉ、うあぁあああああ!!」
「なッ!? ぐあああああ!」
さすがにドルバルトて、先程と同じことをむざむざヤラせたりはしない。ハーゲンとジークフリードが動き出す前に攻撃を見舞うと、二人は岩壁にめり込みピクリとも動かなくなってしまう。
「残るは貴様だけだぞ、本当に貴様だけだぞ小僧」
死刑宣告のような台詞を口にしてくるドルバル。
いや、まさしくそのつもりで言ったのであろう。奴の纏う小宇宙が、それを雄弁に物語っている。
「ディバイン――」
「遅いぞ」
兎にも角にも先手を! と、拳を放とうとした俺であるが、気づけば一瞬で正面へと移動してきたドルバルに首を捕まれ、そのまま宙吊り状態へと持って行かれてしまう。
「あ、がはぁ!?」
ギリギリと締め付けられる握力に呼吸がままならなくなり、僅かに漏れる悲鳴だけが俺の返事のように木霊する。
「ク……ッがあ!」
「お前は良くやった。だが、余を敵に回すには、些か力不足であったな?」
ニヤリと笑みを浮かべるドルバル。
敵に回すというよりも、ソッチが勝手に俺を敵に認定したのがそもそもの始まりなのだが――って、こんな状況で余計なことを考えさせるな!!
なんとか、この腕を解かないと……!
ドルバルの腕を掴み、何とかソレを引き離そうと試みる。
ベアー激のネック・ハンギング・ツリーを力任せに引き剥がした星矢の姿が脳裏に映った。
だが、ソレが良くなかった。
星矢が外したのは、青銅聖闘士の首絞めだ。対して俺の首を絞めているのはドルバル教主。比べる相手が悪すぎる。
血の回らない脳みそが、次第に考えることを放棄し始め
「このまま、貴様の首の骨をへし折ってくれるわ。如何に頑丈とはいえ、首の骨を折られてまで生きていることなど出来はすまい」
ドルバルが何かを口にしたのとほぼ同時に、俺の意識は真っ黒く塗り潰されてしまうのであった。
※
クライオスの両手から力が抜け、全身がダラリというように弛緩したのを、ドルバルはその腕で感じていた。
「窒息したか? ……うん?」
思いの外に呆気無い。
初めからこうしておくべきだったか? と、ドルバル思った時だ。ダラリと力をなくしていたクライオスの身体に変化が起き始める。
「こやつ!? まだこれだけの小宇宙をっ!」
そう、それは小宇宙だ。
吹き出すように、爆発する火山のように、クライオスの身体から尋常ではない小宇宙が溢れだしたのだ。
ドルバルはその小宇宙に表情を曇らせるも、クライオスの首を絞めている手に更に力を込めていく。
「このまま、捻り潰してくれるっ!」
ベキョリ……!
クライオスの喉元から、気色の悪い音が響く。何かが潰れた音だ。
ドルバルはその音に口元を吊り上げるも、クライオスの小宇宙は萎えるどころか、更に激しく増大していった。
「バ、馬鹿な!? コレは一体!?」
燃えるように熱くなっていく、クライオスの身体。それに直に触れているドルバルは、その異様さに狼狽える。
クライオスはそんな状態の侭、虚ろな表情をドルバルへと向けていた。そして
「(スカーレット……ニードルッ)!」
「ングぅッ!!」
慄きを口にしていたドルバルの一瞬の隙を突き、クライオスの指先から真紅の閃光が放たれる。閃光はドルバルの体幹部分に数発ほど突き刺さると、その場所に小さな針穴のような傷跡を作った。
「なんだ、この小さな穴は? ――――グゥ!? ぐぉ、な、なんだ! なんなのだ、この痛みは!?」
突如、自身の身体を襲う激痛に、ドルバルは脂汗を浮かべて悶だす。捉えていたクライオスを離すと、自身の身体を掻きむしるように身体を押さえ込んだ。体の奥の奥から猛威を振るうその攻撃、クライオスの放った『蠍の毒』が、ドルバルを苦しめているのだ。
「――(スカーレットニードルは、針の穴ほどの小さな傷跡しか残さないが、この一撃は相手の中枢神経を破壊し、筆舌に尽くしがたい激痛を与える)」
虚ろな表情を浮かべたまま、クライオスはドルバルに向かって歩を進めていく。間合いを詰めようというのだろうか? しかし、その動きは余りにも無防備で構えも何も無い。自然体の状態なのだ。
だが、だからこそ異様でしか無い。
「お、おのれ。よもやこの程度のことで、余に勝てるとは思うてはおるまいな!? 喰らえ!!」
吠えるように拳を放つドルバル。しかし、今のクライオスはその攻撃に動じるようなことは無かった。高まっている小宇宙はそのままに、『左腕』に込められた力を開放する。
「――(ライトニングプラズマ)!」
「ぬぉ、ぬぐぉおおおおお!?」
一瞬の溜めの後、右拳から放たれる超光速の拳の数々。光の線としか認識することの出来ない拳が、ドルバルの放つ拳を圧倒していく。
「馬鹿な、何故、急にこのような――!」
ライトニングプラズマに依って弾かれたドルバルは体制を整えると同時に腰から剣を抜き放った。ウルの持っていた剣と同種のものなのだろうか? ソレよりもズット上等そうでは有るが。
「まぐれ……か? 満身創痍になっていながら、余の攻撃を上回るなど!」
蜻蛉のように剣を構えたドルバルは、一気に駈け出してクライオスへと襲いかかる。それに対して、クライオスもドルバルに向かって駆け出していった。
「やらせはせぬぞ! 小僧ッ!」
「(エクスカリバー)!」
互いが交差するその時、またも増大したクライオスの小宇宙は右手へと集まっていき、その手刀を聖剣へと作り変える。
カイィーーン!!
耳を劈くような金属音がすると、それと同時に大地に深く長い亀裂が走って行く。
クルクルと宙を舞う、ドルバルの剣の欠片。
斬り落とされた剣の欠片が音を立てて地面へと落下すると、ドルバルの表情からは完全に余裕の色が消え去ってしまっていた。
「な、何故だ! ……こんな、馬鹿なことが許されるものか!? 余は、余はオーディンの地上代行者成るぞ! 貴様如き白銀聖闘士に!」
「(クリスタルウォール)!」
振り向きざまに拳を放つドルバルだが、クライオスの動きはソレを読みきっている。小宇宙で形創られた半透明の膜、黄金の羊が持つ、絶対防御の壁である。
ドルバルの拳はその壁に吸い込まれていくと、そのまま鏡に反射されるようにドルバル自身を衝撃が襲いかかる。
「ぐぅおぁああああああ!!」
弾かれるように地面を転がるドルバル。
コツン、コツン、コツン――と、ユックリとした歩調でクライオスはドルバルへと近づいていく。ドルバルは、ユックリと近づいてくるクライオスに恐怖を感じた。
「白銀聖闘士のはずだ、奴は。なのに、何故!?」
慌てるように周囲へと視線を向けると、ドルバルはその視線を意識の無いヒルダへと向けた。
「ヒ、ヒルダ? ……く、ぬぅんッ!」
ドルバルは腕を振るうと、クライオスに対して衝撃波を放った。
クライオスはそれを腕を交差するようにして防ぐが、ドルバルはその隙にヒルダの元へと駆け出して行った。
「こうなれば、ヒルダを使ってでも――」
ヒルダに向かって手を伸ばすドルバル。だが、その動きが既の所でピタリと止まる。動きが鈍くなっていき、結局は後少しというところでつんのめる様な格好で動かなくなった。
「な、に……脚が、動かぬ!? ……こ、これは!」
縫い付けられたように脚が前に出なくなったドルバルは、自身の足元に目を向けると、其処で驚愕の表情を浮かべる。自身の脚の半分以上を覆う、氷の塊。それがドルバルの脚と、床を縫い付けるように縛り付けていたのだ。
「……(フリージングコフィン)」
クライオスは小さく呟くと、ヒルダを庇うようにドルバルの前に移動する。そして虚ろな表情のままに、ジッとドルバルを睨んでいた。
「グヌッ!? ク、クゥ――!」
ドルバルは歯ぎしりをして脂汗を流す。そしてクライオスと、その後ろにいるヒルダを視界に捉えながら、大きく拳を振り上げるのだった。
「こ……小僧ッ!!」
「(グレートホーン)!!」
「グホゥ!? グハァアアアア!!」
殆ど身動きをしない状態から、最速の一撃を見舞う黄金の野牛の一撃。振りかぶってクライオスを襲おうとしたドルバルは、再び弾き飛ばされていく。
床を抉り、転げるように飛んで行くドルバル。
クライオスはドルバルに視線を向けながら、更に小宇宙を増大させていく。
「ゴホッ! ゲホ! ガハッ!! ふざ、巫山戯るな! ……余は、長年このアスガルドのために、己を殺して生きてきたのだ! それが、こんな小僧に!? 余の野望が、目的が、こんな白銀聖闘士の小僧に!?」
ドルバルは小宇宙を高め、クライオスをギロリと睨んだ。
そんなドルバルの表情とは裏腹に、クライオスはその表情に変化らしい変化が見られない。
「おぉおおおお!! オーディーンシールド!!!」
両腕を広げたドルバルの身体から、紫色に輝く光が溢れていく。
ヒルダの意識を奪った、ドルバルの奥の手である。
だがクライオスはドルバルの放ったオーディンシールドの光に、ユックリと手を動かして自身の眼の前で両の掌を向け合うようにする。極限にまで高められた小宇宙がその小さな空間に集められ、そこに小さな世界を作り出していった。
それは小さな、光り輝く世界の煌き、そしてそれ等が集まり内包されたモノ。クライオスは両手の内に包み込まれた世界――宇宙を、力の限りに開放していく。
「(転法輪印、三千世界の彼方を見るが良い……天魔降伏ッ)! (オーム)!!」
込められた小宇宙を解き放ち、クライオスを中心に、周囲一帯を覆い尽くすような眩い光が放たれる。
その光はオーディンシールドの閃光を呑み込み、衝撃波と成ってドルバルの肉体を激しく揺さぶり破壊していくのであった。
※
(何が有った……?)
眼を覚ました俺が、最初に思ったことがその言葉だった。目の前には何かしらの方法で吹き飛ばしたかのような、大きな破壊痕が痛々しいまでに広がり、その先には神闘衣を粉々に砕かれて息も絶え絶えな状態のドルバルが転がっている。
訳が解らずに周囲へと視線をやるが、どうやら俺の疑問に答えてくれそうな味方は居ないらしい。ジークフリードもハーゲンも、揃いも揃って岩壁にめり込んだままで意識を失っているからな。
「(ドルバル)ッ――!?」
声を出そうとした瞬間、激しい痛みが俺の喉を襲う。するとソレを切っ掛けにして激しい痛みが自己主張をし始めた。
何度か声を出そうとするも、ソレに合わせて痛む喉。どうやら意識を失っている間に、俺の喉はドルバルによって潰されてしまったようだ。
(……一応、喉頭部の減痛点を押しておくか)
応急処置としては十分であろう、痛みを減らすための経穴を押しておく。心央点などの経穴もそうだが、この辺りは聖闘士にとってはある意味常識的な応急処置法の一つである。
声が出せないのは辛いが、聖域の修行にてテレパスを扱えるように成ったのが幸いだ。今の状況で然程困るということはないだろう。もっとも、その内にちゃんと治療をして、声を出せるようにしなければならないが。
その場合は、カノン島の火山だろうか?
でなければ、杯座(クラテリス)の聖衣で注いだ水か? ……しかし、今の時代に杯座って居ただろうか?
……イカン。まだ何も終わってはいないというのに、こんなノホホンとした気分になっては。だが――
(本当に、何があったんだ?)
何度見ても解らない。
意識を失う直前までの記憶では、俺は既に止めを刺される寸前だったように思える。眼を覚ました直前の状況から見るに……俺がやったのだろうか? この惨状は。
(火事場のクソ力的な何か、不思議な力でも働いたのだろうか?)
首を傾げて、どういう事かを考えてみる。
しかし、何度考えても俺の状態と、この状況が結びつかない。
強いて言うのであれば、シャカの天魔降伏でも炸裂したような状況である。もっとも幾らなんでもアホな発想すぎるので、ソレはないと断言するが。
(……と、考えこんでる場合じゃないな)
悩みは尽きないが、しかし今は優先順位を守って行動するとしよう。
俺の後ろに跪いているヒルダを、直ぐにでも此方側へと呼び戻さなければならない。
「(ヒルダ)……」
喉が痛むのを一瞬忘れ、ヒルダの名前を呼ぶ。
振り向いた先には、やはり虚ろな表情のままのヒルダが居る。
ドルバルによって五感を奪われ寒さを感じないとはいえ、体の機能が失われた訳ではない。僅かに動く胸元から、辛うじてだが呼吸をしているのが解る。
しかし、それは酷くか細く、弱々しいものでしか無い。
自身の怪我によって血まみれの手を伸ばし、ヒルダの肩へと置いた。
触れてからも何の反応もないヒルダ。反応のないヒルダに、少しばかり表情を曇らせてしまうが、初めからこれだけで目が覚めるとは思っていない。
死にかけた相手を目覚めさせる方法、意識を失っている相手を呼び起こす方法。それは――小宇宙を高め、相手の心に呼びかけるしか無いのだ。
(戻って来い、ヒルダ)
小宇宙を燃やし、自身の身体から手を通してヒルダを包み込むようにしていく。攻撃的な意思を排除し、ヒルダのことを思うようにしながら呼びかけるのだ。
(ヒルダ――……)
心の奥から声を発し、ヒルダの名前を呼んだ瞬間、俺の意識はヒルダの内面世界へと入り込んでいった。