プシュー
治療室の扉が開いて、大怪我をしたアルフを治療していた医療スタッフのチーフが、涙を流しながら扉を見続けていたフェイトに笑顔を見せた。
「先生! アルフは大丈夫なんですよね!?」
その笑顔を見て、廊下に設置されていた椅子に座ってずっと声を殺して泣いていたフェイトは医療スタッフのチーフに飛びかかるように駆け寄ってそう訊ねた。
笑顔を見せたと言う事は、イコール手術が成功したという事なのだとわかっているのだが、それでも、きちんとした言葉で確認したかったのだ。
「ええ。
暫く――そうね、治療魔法の結界内で3日は絶対安静が必要だけど、それを過ぎたら今までどおりに動けるようになるはずよ。
それに、数ミリの傷跡すら残らないし後遺症も無いでしょうね。」
自信満々に両腕を腰に当てて、威張るようにしてそう告げた。
医療スタッフも患者の関係者がこの様な行動をとったりする事には慣れていたので、フェイトを安心させる為に偉そうな態度をとったのだ。
「そうですか…… よかった……」
事実、自分が手術をしたのだから完璧に治って当然なのだと言う態度を見たフェイトは安心して腰が抜けてしまった。
「そう、治療は成功したのね。 ……3日? なら、万全を期すためにもリハビリと戦闘訓練を…… ええ、ええ…… それじゃあ、お願いするわ。」
ピッ
「アルフさんは大丈夫なんですね?」
通信を切って溜息をついたリンディにエイミィが声を掛ける。
「ええ。 3日は絶対安静との事だけど、彼女の性格を考えるとあの2人組に負けたままなんて嫌だと言って絶対安静を無視して体を動かしてしまいそうだから、3日過ぎたらフェイトと一緒に思う存分リハビリと言う名の戦闘訓練をして貰う事にしたわ。」
その間――フェイトとアルフという戦力が居ない間――に何か起こった場合、ミストとクロノの2人で闇の書の守護騎士4人と謎の仮面2人の計6人を相手にしなければならないが、アースラの改修が明日の午後には終わる予定なのでリンディ自身も戦力に加える事が一応可能になる事が唯一の救いだろうか。
「武装隊を要請しないんですか?」
戦力が足りないなら他所から持ってきたらいいのではと言うエイミィの素朴な疑問に、リンディは非常に残念な顔をした。
「……闇の書の主が居る場所は特定されているから、いざとなったらアルカンシェルを撃てばいいだろうと言う事になってしまったのよ。」
そう言ってまた溜息をつく。
「……それなら、八神はやてと闇の書をいつでも――例えば宇宙空間にでも強制転移できるように準備したいと要請してはどうでしょう?」
アルカンシェルによる闇の書の消滅は最終手段であると同時に決定事項でもある。
今まで闇の書が世界を滅ぼす前にアルカンシェルを撃つ事で被害を抑えてきたのだが、それは闇の書が在ると思われる場所にアルカンシェルを撃つというやり方だった。
しかし、今回は闇の書の在り処もその主が居る位置も特定できている。
位置を掴めてさえいれば子供1人と本一冊くらいの大きさなら強制転移魔法で宇宙空間に放り出す事は十分可能ではないかとエイミィは計算したのだ。
「……なるほど。」
闇の書に対して、時空管理局はアルカンシェルによって被害を最小限に抑えてきた。
それは事実ではあるが、強制転移魔法のエキスパートを呼ぶ事でその被害を今までの歴史で一番と呼べるくらいに減らす事が出来ると言うのならばその方が良い。
「八神はやてのいる位置にアルカンシェルを撃ったらなのはさんのご家族やお友達も犠牲になってしまうものね……」
そうなったらミストは管理局を辞めてしまうかもしれ――
「艦長?」
また溜息をついたリンディの心配をするエイミィに「大丈夫、レティに強制転移魔法の使える人材を派遣してもらえないか聞いてみるわ」と告げて、先ほどよりもさらに疲れた様子で自分の部屋へと戻った。
「闇の書を消滅させる為なら仕方ない――なんて……
仕方ないなんて言われて、納得するなんて出来ない事なんて……
私は、私こそが、誰よりもわかっていると思っていたはずなのに……」
窓の外に星は見えない。
だから彼女は瞼を落とした。
「エイミィに言われるまで忘れていたなんて、情けないわね?」
瞼の裏に浮かぶ夫が、そう自虐した自分に笑顔を向けてくれた様な気がした。
『アルフのリハビリが終わるまで……』
怪我をしたアルフをフェイトと一緒に時空管理局の本局まで送り届けてそのまま改修したアースラの最終調整の手伝いに入ったエイミィからの報告が届いた。
(アルフが怪我をした時に取り乱したフェイトの精神状態を考えるとそうするべきだと母さん――艦長も考えたのだろうな。)
クロノは現地戦力の低下している期間をどう乗り越えるか考えながらも、上司であるリンディと同じ結論を出した。
「……わかった。
敵の数が予定よりも多かった以上、こちらの戦力アップは必要だからな。」
例え一時的に戦力ダウンする事になっても、あの6人を抑えなければならないのだ。 ……闇の書を消滅させる、その時の為に。
「そうだね。」
ミストもそれに同意した。
自分がリーゼ姉妹を抑えたとしても、クロノが抑えられるのはシグナムかヴィータの前衛組の片方とシャマルかザフィーラの後衛組の片方どちらかの組み合わせくらいだろう。
義母さんはアルカンシェルを発射しなければならいので戦力として数えるのは微妙だ。
そうするとフェイトとアルフにはヴォルケンリッターの前衛1人と後衛1人を抑えてもらわないといけないのだが、今のままでは不安が残る。
だから、あの2人が強くなる――小手先の技が1つ2つ増えるくらいだろうが――事はかなり重要だろうと考えているのだ。
『アースラは明日にはそっちに行けるから、何か個人的に買ってきて欲しい物があったら今の内に言って頂戴。 あまり高いのは無理だけど、立て替えておくよ。』
「それじゃあ、いつもの雑誌を買ってきてくれ。」
『デバイスの部品の?』
「ああ。」
『わかった。 ミストさんは?』
雑誌名ではなく“いつもの雑誌”でわかるなんて、エイミィ頑張っているんだなぁなどと思った彼女は、アースラがこっちに――八神はやての監視に戻ってくる時に頼んでおこうと前から考えていた物を頼む事にした。
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「ザフィーラ、シグナムの様子は?」
「まだ起きないらしい。」
「そっか……」
八神家の一室でザフィーラに看病をして貰っているヴィータは、「私の方がお前よりも体が大きいから」と、そんな理由であの無数の魔力弾から庇ってくれたシグナムが未だに目覚めない事を聞いては落ち込む日々を過ごしていた。
「ヴィータ、お前の怪我もまだまだ完治には程遠い。
シグナムの事を気にするなとは言わないが――いや、シグナムの事を想うのなら今はしっかり休んで怪我を癒せ。」
家の外に魔力が漏れない様に気をつけながら治癒魔法を使うザフィーラの言葉に従って、ヴィータは再び目を閉じた。
「……わかってる。」
そんな事はわかっているのだ。
仮面の2人組が実は――というかやっぱり敵で、入院していて動く事の出来ないはやてに害を成そうとした時に、今動けるザフィーラとシャマルだけでは勝ち目はないし逃げる事も出来はしないと言う事を。
「……くそう。」
自分の無力が、こんなにも悲しいと思えた事は今まで無かった。
氷水につけたタオルをギュッと絞り、ベッドの上で動かないシグナムの額の上に置いた。
「……シャマル?」
「ああ、やっと気がついたのね。」
額の感触がきっかけになったのか、久しぶりにその声を聞けてほっとした。
あの夜、謎の仮面2人組に助けられたザフィーラによって破壊された結界内で無数の魔力弾によってボコボコにされているシグナムとヴィータを短距離転移魔法で助け出したシャマルは幾つかの次元世界を経由してから八神の家に戻り……
「あ、治癒魔法は使わないで。
一応幾つかの世界を経由してから戻って来たけど、管理局のやつらがまだ近くにいたら気づかれてしまうかもしれないの。」
普段のシグナムならば、いや、ヴォルケンリッターの誰もが、家の外に魔力を洩らさない様に治癒魔法を使う事くらいの事は容易にできる。
彼らは1人でも戦える存在なのだ。 自分の怪我くらい自分で治せないといけない。
しかし、思わず目を背けたり覆ったりしたくなるような数の魔力弾の雨の中、ヴィータをしっかりと抱えて耐え続けていたシグナムは肉体的にも精神的にも、精密に魔法を扱えるとは思えないシャマルはシグナムの手を握り締めて魔法の構成を霧散させた。
「……ここは、家なのか?」
「ええ。」
別の次元世界へ逃げた自分たちが、この世界にこっそり戻ってくるとは思わないだろうと考えての――この国で言う『灯台下暗し』を狙っての事である。
「……ヴィータは?」
「隣の部屋でザフィーラが診ているわ。」
「……そうか。」
自分と同じ様に魔力弾の雨を耐え続けたヴィータも救出されている事を知って安心する。
彼女の上に覆いかぶさるようにして庇っていたとはいえ――いや、だからこそ、何か支障がでて救出できていないと言う事もあり得ると考えたのだ。
「それよりも聞かせて頂戴。 一体何があったの?」
ヴィータからも聞いてはいるが、彼女も未だ安静が必要な状態であり、そんなに詳しくは聞けていないのが現状であった。
「何があったのか、か……」
突然の巨大な魔力の発生、結界によって隔離され無数の魔力弾で大怪我をしたシグナムとヴィータ、2人を助ける為に結界を破壊しようとした時に入った赤毛の使い魔狼、自分たちを監視していたとしか思えないタイミングでザフィーラを助けた謎の仮面2人組……
どう考えてもシャマルやザフィーラも知る必要がある。
が――
「どこか、ここから離れた場所で……」
あの黒尽くめの少年執務官はともかく、あの無数の魔力弾を放つ事の出来る人物が自分たちをそう簡単に逃がしてしまうだろうかと疑問に思う。
管理局にこの家がばれてしまっている可能性は高くは無いが低くも無いだろう。
「……確かに、少なくとも仮面の2人に監視されているかもしれない場所では、ね。」
「ああ。」
話し合いの場を持ったところで自分たちの置かれている状況を全て正確に理解する事はできないだろうが、だからこそ、自分たちの想像できる範囲内だけでも、自分たちにできる限りの対策案を立てておかなければならず……
対策である以上、それを知られては元も子もないのだ。
ピピピッ!
突如、電子音のアラームが鳴り、シグナムは顔を顰めた。
シャマルは慌てて机の上に置いていた自分の携帯電話を操作して音を止めた。
「なんだ?」
「ああ、はやてちゃんの所に行く時間なのよ。」
シャマルはそう返事をしながら、携帯電話と同じ様に机の上に用意しておいたつばの広い帽子を被り、大きなサングラスをかけた。
「それは?」
「変装よ?
今の季節でも日焼けを気にする人は結構いるから、こんな格好でも怪しまれないの。」
つばの広い帽子と大きなサングラスで顔を半分以上隠せる――何より、つばが広いと上空から見られても顔や体格を隠せるという利点があると語る。
「行き先が病院だから、さらにマスクをつけてもそんなに怪しまれないの。」
「そ、そうか……」
確かに上から見たらおかしな所は無いだろうが、真正面から見たら怪しいことこの上ないとしか言いようが無いなと思ったのだが、自分たちの看病とはやての付き添いという仕事をさせてしまっている手前、本人が自慢気に話している事を否定する事はできない。
「って! シャマル、お前まさか1人で此処と病院を――」
行き来しているのか?
「仕方ないじゃない……」
シグナムの言いたい事はわかる。
シグナムとヴィータを襲い、結界を破壊しようとしたザフィーラにまで攻撃を仕掛けてきた管理局の人間が未だこの近辺にいるかもしれないというのに、ヴォルケンリッターの中で一番戦闘向きではない自分が1人で行動する事がどれだけ危険な事なのか。
「はやてちゃん、私が行くようになってから入院したばかりの頃よりも笑顔が増えたって、看護士さんが言っていたのよ?
私が行かなくなったら…… いかなくなった、ら……」
はやてを心配させたくないから、1人ぼっちにしたくないから……
だから、自分だけが他の世界に魔力を蒐集しに行かないではやてに付いていてあげようと話し合って決めたのではないか。
「……ああ、そうだったな。 そう、決めたのだった。」
自分が寝ている間、一番大変だったのはシャマルだったのだと改めて実感した。
「私、行ってくるから…… 後はザフィーラに、ね?」
「ああ。 はやての事、お願いする。」
「言われなくても。」
おそらく、傍から見て怪しく思われてしまう姿である事をシャマルは気づいている。
気づいていても、気づかない、気づいていない、それどころか自分で自分にこの格好で外に出るのはおかしくないと言い聞かせて、気分を無理やり高揚させて、はやての下へ向かうのは、自分たちへの義務感とはやてへの愛情ゆえ、だろう。
ばたん
ドアが大きな音を立てて閉まり、同時にシグナムも瞳を閉じる。
今は体を治す事が最優先だ。
シャマルの為に、なによりも大事なはやての為にも。
「まだ、時間がかかりそうだね。」
2匹の猫が八神家の玄関から出て行くシャマルの後をこっそり尾行する。
「こっそり調べたミストの情報を鵜呑みにしすぎたわね。」
ジュエルシードの事件の時、ミストは時空管理局の人間に怪我1つさせていない。
フェイトとアルフに対しては攻撃をしたようだが、それもダメージを与える為と言うよりは牽制や捕縛の為の囮の為だったと思う。
傀儡兵に対して使われた魔力弾の威力は大したものだったが、傀儡兵は傀儡兵、それで人的被害はでていない。
嘱託魔導師になる為の試験の時でさえ、試験官に1ミリの怪我すらさせなかった。
「彼女が魔力弾全てを当てに行くとは思わなかったよねぇ……」
「……ええ。 あの数で牽制して、実際は捕縛を狙っているんだと思ったのよね。」
あんなに攻撃的な性格だとは思わなかったと2匹は笑った。
「あれは、シグナムたちが“守護騎士システム”で人間じゃないって知っていたからかな?」
「そうかもしれないわ。 傀儡兵を壊す事に抵抗は無かったみたいだし。」
ミストはシグナムやヴィータと何度も訓練をしており、あれくらいなら大丈夫だと思ってのことだったのであるのだが……
それと、今のヴォルケンリッターが大規模な治癒魔法を使う事が出来ないと言う事をすっかり忘れていたので治療期間が長くなってしまっているわけだけれど。
そんな事を知らない2匹は、ミストという女性は恐ろしい存在だと結論付けた。
「あの2人が動けるようになるのに2週間は必要だろうけど、それだとあの子の体は手遅れになってしまうだろうし……」
「動ける2人に高町なのは――それとフェイトやクロノを蒐集させてみる?」
フェイトはともかく、愛弟子であるクロノを蒐集させるのには抵抗を覚えるが、計画遂行のためにはそれも仕方ないかもしれない。
「ミストを蒐集させる事が出来れば一番いいんだろうけど……」
「確かに、あの魔力量は魅力的だけどねぇ……」
今一番厄介なのはミストなので、彼女さえどうにかできればと思ってしまう。
「ああ、でも駄目だわ。」
「うん?」
「ミストの魔法を蒐集されたら、計画が失敗した時に、ね?」
計画が失敗した場合、蒐集された666ページ分の魔力であの地獄の様な数の魔力弾を発射されてしまう。 そうなったら、アルカンシェル搭載艦すら落とせてしまいそうだ。
「ああ……」
その光景を思い浮かべた2匹は体を震わせた。
「駄目だ、駄目。 それだけは阻止しないと……」
「そうね。 それだけは絶対に阻止しないといけないわ。」
計画は成功させるつもりだが、それでも史上最強最悪の闇の書が現れてしまうリスクを背負うのは絶対に避けなければならないと2匹は頷き合った。
「私、そんなに怖がられる様な事したかな?」
「……少なくとも、あの2人の言う“計画”にとって障害になるとは思われたようだな。」
2匹の猫がシャマルの護衛をしながら呑気に喋っているのを設置しておいた機械から聞いていたミストは少し泣きそうな顔でクロノに訊ねたが、クロノはあの惨劇を間近で見て少しやりすぎではないだろうかと思っていたので無難な答えを返した。
「むぅ……」
ミストはその返事が自分の聞きたかったものではなかったので不満だったが、これ以上追及してもいい結果は得られないだろうと判断し、頬を膨らませる事で耐えた。
「それよりも、本当に明後日は1人で留守番するつもりなのか?」
明後日、リンディとクロノとエイミィの3人はイギリスのグレアム提督に2匹の使い魔に闇の書を監視させているのはどういう意図によるものなのかと問い正しに行く事になっているのだが、元々の予定ではミストも一緒に行く事になっていたのだ。
「うん。 私はそのグレアムなんとかさんと面識がないしね。」
シグナムとヴィータが動けないのならここで盗聴をする必要はあまりないだろうとは思うが、焦ったシャマルとザフィーラがなのはちゃんを襲わないとは言い切れない。
それに、管理局で英雄と呼ばれていたグレアム提督を相手にして嘘をつき続ける事ができると言いきる事も出来ないと判断したのだ。
「そうか……」
「というか、所詮私は嘱託魔導師なんだよ?
お偉いさんとの話し合いの場所に連れて行こうなんてしないでよ。」
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