プレシア・テスタロッサが厳しく立ち入りを禁止していた部屋があると知り、この子に案内させてしまったのは失敗だった。
ベッドで眠り続ける幼い子供を見ながら、プレシアが何の目的でジュエルシードを集めて暴走させようとしていたのかを想像できなかった事を――よりによってフェイトがそれを見てしまった事をリンディは反省する。
プシュ
ドアが開いた音がしたので振り向いてみると、そこにはフェイトに似ている女性――ミストが両手に夜食を持って入って来ていた。
「どうですか?」
今の状況でその言葉、それはフェイトに何か変化がなかったかと言う意味が込められている事は誰にでもわかるが――
「何も変わりません。 ずっと眠っています。」
良い返事が出来ない事が悲しい。
「……そうですか。」
少女の家――時の庭園で案内させたあの部屋で、少女のオリジナルであるアリシア・テスタロッサが眠っているのをアースラのクルーが見つけたのまでは良かったのだが――
「この子を部屋に入れてしまったのは失敗でした。」
プレシアと傀儡兵との戦いで自分もミストもクロノさえも魔力の使い過ぎでダウンしてしまい、部下とフェイトに時の庭園の捜査を任せてしまったのは自分のミスだ。
子供に見せられない様な――例えば教育に悪い物があるかもしれないと考えついていれば部下たちにそれとなく注意を促す事もできたはずなのに。
「……どんなトラップが仕掛けられているのかわからなかったんです。
この建造物の内部を良く知る者に案内をさせた方が安全だと考えるのは当然で、か――あなたのした事は間違ってはいなかったと思います。」
そう言って慰めてくれる彼女の気持ちはありがたい――けれど
「それでも……
それならせめて、アルフさんに頼むべきだったと――」
「それは……」
アリシアを見たフェイトは気づいてしまった。
『母さんが、ジュエルシードを暴走させてまで行きたかったアルハザードで、何がしたかったのか……』
フェイトは一緒に居たクルーが止めるのを無視してアースラに急いで戻ってきて、目的を達成出来ずに意気消沈していたプレシアを収容している部屋へと突撃した。
「まさか、プレシアがあそこまで言うなんて……」
少し思い出しただけでも、胸の奥から吐き気がする。
己の欲望が叶わなかったのはお前のせいだと、お前など造らねば良かったと、そんな罵詈雑言を彼女は幼い子供に吐いたのだ。 一方的に。 徹底的に。
「……物事を1つの面からだけで見るのはどうかと思いますよ。」
「……わかっています。」
プレシアを収容した部屋は常に監視していた。
「あの女がこの子の心を踏み躙った時の記録は、この子の裁判の時に有利に働くでしょう。」
あの記録は、何も知らない、判断能力の無い子供を無理やり管理外世界に行かせ、危険なロストロギアを集めさせようとしたという、これ以上ない証拠だと言える。
「でも、それでも、こんなのって……」
今まで黙ってフェイトの手を握っていたアルフが、涙を流しながら言葉を零す。
「あれが彼女の本心だとしたら、あの人の心は壊れているという事になる。
……罪が無かった事になる事は無いだろうけど、極刑と言う事はないでしょう。」
だからと言って、あの言葉を受け入れる気はまったくないけれど。
「たぶん、この子にとってもあの人を失っていたよりはましでしょう。」
自分を完全に否定したとは言え、母として慕っていた事実は消えない。
いつか――プレシアが病で死ぬまでに和解する日がくるかもしれない。
「アルハザードに行かれていたら――生きているのか死んでいるのかもわからない様な事になっていたら――」
母とわかり会える日が来ると信じても良いし、母への憎しみを生きる糧にするも良い。
「生きていくには何かしらのエネルギーが必要なのだから。」
自分を捨てて行方不明になった母を見つける為に、執務官になる為にがむしゃらになって勉強し続けた日々は無駄ではなかったはずだ。
事実は残酷だったけれど、それでもエリオやキャロを――家族を手に入れる事ができた。
「でも……」
「アルフ、今はその手を離さずに、声をかけ続けていて。
あなたとこの子の心が繋がっているのなら、きっと目覚めてくれるはずだから。」
泣きそうな顔を隠す赤毛を撫でる。
「私には……こんな事しかできないんだね。」
「それがこの子にとって一番必要な事なんだ。
それすらできない私たちよりも、あなたの方が何倍もこの子に必要なんだよ。」
「……そうね。」
ミストの言葉をリンディが肯定する。
「手を握るだけなら、声をかけるだけなら私たちでもできる。
でも、温もりや思いを届ける事が出来るのは、あなたにしかできない事だわ。」
この子にこんなにいい使い魔がいて良かったとリンディは思う。
「そうなのかな?
私は…… 私が、此処に居る事は意味があるのかな?」
「ええ。」
「きっと、ね。」
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「ジュエルシードって言うんだってね?」
封印はしたものの、念の為にアースラ内部ではなく時の庭園の一番丈夫な実験場に安置しておいたジュエルシードを回収する時が来た。
フェイトはともかくプレシアの監視は必要なのでリンディはアースラから動けないので、クロノとミスト、それと数名のアースラクルーによってそれがなされる事になった。
「ああ。 君には悪いと思っているが、管理局を――いや、僕たちを信用してほしい。」
真剣な目と口調でクロノはミストに頼む。
「……今でも、何処か、誰にも知られない場所に隠しちゃいたいと思っているけど――」
アースラと共闘した以上、『ジュエルシードを持った魔導師が第97管理外世界にいるという情報』が裏社会に流れるのを止める事はできないだろう。
「――君にそこまで言われちゃったら仕方ないか。」
バルディッシュが無いので手元に持っておく事ができず、何処かに隠したとしても、誰かに発見される可能性が0では無い以上そこから動く事ができなくなり――『自分がそこにいると言う事=ジュエルシードがその付近にあると言う事』と狙いをつける悪党が――それも母さんやスカリエッティレベルの強さを持った悪党が来る事になる可能性が消せない以上、選択肢なんてないも同然だった。
「わかってもらえて嬉しいよ。」
アースラでフェイトやアルフに優しく接し、母や自分、他のクルーたちとも友好的な関係を築こうとしている彼女の様子から、誠意を持ってお願いしたらきっと良い返事をくれるはずだと思っていたとはいえ、実際その言葉を貰えた事でクロノの気持ちは楽になった。
「私がもっと上手に、誰にも見つからずにコレを回収できていれば良かったんだけどね。」
現に執務官だった私が、あれから10年も経っているというに、あの『ミスト』が誰なのか推――それも、間違っている可能性が高いとわかっている前提の上でしか推測する事しかできないときている。 『ミスト』には頭が下がる思いだ。
「……その場合は君1人でプレシアとフェイトと傀儡兵を相手にしなければならなかったと思うのだが?」
フェイトとアルフがミストの存在はもちろんジュエルシードの1個すら見つけられなかった場合――それでもプレシアの性格を考えるとジュエルシードを諦めるとは思えない。
「……かもしれないね。」
フェイトとアルフに見切りをつけて、傀儡兵による物量作戦でジュエルシードを探されたりしたら、海鳴市にどれだけの被害が出る事になるか想像もつかない。
「そっか、その場合でも、結局この艦は街で暴れる傀儡兵をどうにかする為にやって来て、傀儡兵を暴れさせた罪で捕まえたプレシアからジュエルシードの事を聞いて、街を捜索する事になっていたのかもしれないのか。」
ジュエルシードを全て集め終えて気が緩んでいる所に義母さんや義兄さんを見つけたら動揺しない自信は無い。
2人はそれを見逃すほど甘くないから、私を疑う事になっていた可能性は十分ある。
「そうなっていたら、魔力を隠せるあなたはともかく、高町なのはさんの魔力には気づくでしょうから、彼女がジュエルシードと何か関係は無いか調べる事になり――結局いつかはあなたに辿り着いていたかもしれませんね。」
……そういうルートもあったか。
確かに、野犬に襲われたなのはちゃんを助けた時点で、彼女が義兄さんたちとの接点になっていた可能性は非常に高い。
「それじゃあ結局、私たちは出会う事になっていたのかもしれないね。」
「そうですね。」
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リンディ・ハラオウンは悩んでいた。
ジュエルシードの封印回収処理が無事に済んだ事を報告しに来て、その眉間の皺に気づいて何を悩んでいるのか聞いてきた彼女の息子も悩んでいた。
「例えば、ですけど。」
「例えば?」
クロノが1つの仮説を思いついたらしい。
「『青い石を集める為だけにこの世界に呼ばれた』というのがそのままの意味だった場合ですけど――」
「そのままの意味だった場合、ジュエルシードには21個がバラバラになった時に1ヶ所に集まる為に適した人材を召喚する機能があるのかもしれない?」
「……ええ。」
悩んだ末に考え着いた仮説が、すでに母も思いついていたのだと知って感心すると同時に自分はまだまだ母に届かないのかと少し落ち込む。
「それは私も考えたのよ。 でもね――」
それだとあまりに非人道的すぎはしないだろうか?
「私は彼女に名前を尋ねたのよ?」
「……ええ。
強制的に召喚されたのだとしたら、あまりに酷すぎる。」
名前を聞かれて『気が付いたらミストでした。』と彼女は言ったのだ。
「ジュエルシードの危険性を考えると、そういう機能があってもおかしくは無い――むしろあるべきだとも思うけれど……」
ジュエルシードに秘められた魔力を計測してみたら1個で世界を滅ぼす事が十分可能と言う冗談にしたいほどの馬鹿げたものだった。
あんな危険物を管理する為ならばそう言った機能はあるべきだろう。
しかし医務室で調べた彼女の体は、ロストロギアに偶に存在する自己防衛プログラム体でもなければ、使い魔の様な存在でもなかった。
「彼女は間違いなく生きている人間なのよ。」
もしも、何処かの世界で平和に暮らしていた彼女を強制的に呼びだした上に名前を――いや、ジュエルシードを集めるのに不必要な記憶全てを消して『ジュエルシードを集める存在=ミスト』としての役割を押しつけたのだとしたら……
決して許されるものではない。
「管理世界の人間だったら、まだ探しようがあるかもしれません。
今からでも彼女の遺伝子情報を本局に送りま――何か?」
彼女の生まれ故郷や家族がどの世界なのか、彼女のDNAなどを調べればある程度特定する事も可能かもしれないと考えたのだが、母の顔がそれを拒否していた。
「……それは私も考えたわ。」
「? 何か問題が?」
息子の質問に言葉ではなく行動で――空間モニターに調べた事を映す事で答える。
「虹色の魔力についての――!! これは!?」
映しだされたデータに、彼は驚愕する。
「頑張ってはいるものの、今の管理局は犯罪者に対して常に後手に回ってしまうのが現状。
下手に遺伝子情報を調べて、それがハッカー等の手に渡ってしまったら――なんて考えただけでゾッとするわ。」
聖王教会と接触する必要があるだろうが、交渉相手は慎重に選ばねばならないだろう。
「なんて事だ…… 場合によっては聖王教会と管理局で――って事になりかねない。」
ベルカの騎士たちと戦って勝てないとは言わないが、宗教というものは力づくで何とかしようとしたら最後、血を血で洗う時代が何百、何千年も続くものだ。
「だからと言って、彼女をこの世界に置いて行くわけにもいかないわ。
今回の事件の重要人物である事はもちろんだけど、家族――もちろん、彼女の世界が第97管理外世界だって可能性はあるけれど、あれほどの魔導師を住む所も家族もいない世界で1人きりにするなんて事は――ね。」
時空管理局の提督としても、リンディ・ハラオウン個人としてもできない。
彼女がデバイスを持っていた事からも(もちろん、そのデバイスもジュエルシードが用意した可能性もあるが)、彼女が管理内世界の人間である可能性は高いのだし。
「そもそも、ジュエルシードによって記憶などが失われているのなら今回の事件の一番の被害者であるとも言えます。
管理局で保護する理由はそれだけで十分です。」
管理局へ輸送中に起こった事故によってジュエルシードがばら撒かれ、それによって1人の女性の一生が狂ってしまったのだとしたら、管理局には彼女の生活等を保障する義務もあるのではないだろうか?
「……聖王の事はおいおい詰めていくにしても、今現在、私たちが彼女を保護する理由はそういう事にしておくわ。」
リンディは思う。
眠り続けるフェイトとフェイトの手を握って離さないアルフに優しく接した彼女を。
「ええ、ベストではないかもしれませんが……」
クロノは思う。
あの時、どう考えても不幸としか思えない状況で、笑ってジュエルシードを預けてくれた彼女の心情はどんな物だったのだろうかと。
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母さんの目的は私たちが考えていた通りアリシアを生き返ら――眠り続けているアリシアを起こす事だったけれど、その方法が想像していたのと違いすぎた。
スカリエッティがヴィヴィオの体にレリックを埋め込んだ様に、母さんもまたアリシアの体にジュエルシードを埋め込むのだろうと思っていたら、まさか次元震を起こして虚数空間を発生させて、アルハザードへ行こうとしていたとは……
【『ミスト』がいないこの世界で、『ミストの代わり』にジュエルシードを集める為に――そう思っていたのに……】
『ジュエルシードで人は生き返らない』
【そんな当たり前の事に今さら気づくなんてね?】
考えてみたら当然だ。
体内に埋め込むのなら回収するのは1個で良い。
だと言うのに、母さんの命令はジュエルシードを全て集める事だった。
【ジュエルシードを21個も体内に埋め込んだら、制御するどころか……】
母さんはアリシアを愛していた。 溺愛していた。
クローンを造ってしまうほどに。 娘とクローンの違いに気づいて狂うほどに。
【いや、そんな事は想像できていた。】
暴走したジュエルシードは――犬や猫の願いを叶えはしたが、それはおそらく正しく叶えられてはいなかったと考えていた。
飼い犬が飼い主を襲ったり子猫が小屋の様に大きくなったりを願うとは思えないからだ。
【それでも、願えば叶うのではないかと思った。】
助けを求めれば助けが来て
【あの時、なのはちゃんは……】
家族を望めば家族ができて
【管理外世界の住人であるはやてにベルカの騎士が……】
娘の復活を望めば生き返る
1個では難しいかもしれないが、21個を正しく扱えば――
【母さんの願いはそれだけ……】
だけど
【死んだ人間が生き返るのなら、私がヴィヴィオとこんなふうになるわけが無かったんだ。】
そんなことを忘れて推理をしたから、間違ってしまった。
【バルディッシュ、私は全部思い出した。
私たちがこの世界に来た本当の理由は、ジュエルシードを集める為なんかじゃなくて、私が、『こんなのは嫌だ』と願ってしまったからだったんだ。】
死んだ者は生き返らないが、死ななかった世界に行く事はできる。
【つまり、そう言う事だったんだよ。】
はやてが持っていたジュエルシードは、私の願いを叶えたんだ。
【『こんな』のが嫌ならば、こんな風にならないようにしたらいいって】
今、幼いフェイトは眠っているけれど、彼女は私と違って親を失わないで済んだ。
それはもしかしたら、わたしが心の何処で『母さんに捨てられた』事が嫌だと思っていたからではないだろうか?
【だから、この時代からやり直す事になったんだと思う。】
ヴィヴィオを失った事だけを――それだけをどうにかしたいと思っていたのなら、ヴィヴィオと出会った頃くらいに戻っても良かったはずだ。
時間を遡り、平行世界を移動するのにどの様な法則があるのかわからないけれど、この時代に送るよりもあの時代に送る方が必要なエネルギーも少なくて済むはずだろうし。
【バルディッシュ……】
回収されたボロボロのインテリジェントデバイスに、想いは届かない。
【私や未来に関するデータはもちろん、あなた自身も含めて全て消したんだってね?】
入れておいた魔法も全て消えていた。
はやてから教わったいくつかの魔法は、未来で彼女が造った物かもしれないからだろう。
【あなたが居なくなって、この世界で本当に1人ぼっちになっちゃったよ。】
拭いても、拭いても、頬が乾かない。
「ぅ…… う…… ううう……」
壊れたバルディッシュに向かい合うようにして、椅子に座ったまま泣き疲れて眠ってしまったミストの体が突然動き、その両手がバルディッシュを優しく撫でた。
その顔は無表情であったが、当然ながらそれを見る者は誰も居ない。
「バルディッシュ、今までありがとう。
……これからはあなたの分も私が――私が、ママの心も体も、守るからね。」
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