なのはは、強い。
私のせいで左腕を無くしちゃったのに、その事を笑って受け入れているだけではなくて、なのはを家に送る車を運転していた鮫島に怪我がなくてよかったとまで言ってくれた。
でも、なのはは本当にそれでいいの?
辛くないの?
片腕が無いんだよ?
私が家に誘ったりしなければ、そんな事にはならなかったんだよ?
なんで泣かないの?
なんで責めてくれないの?
「なんで……」
濡れている枕の感触が気持ち悪かった。
なのはちゃんはすごい。
左腕がないとちょっと不便って、たったそれだけしか言わなかっただけじゃなくて、泣いて謝るアリサちゃんに「何も悪くないよ」って優しい笑顔と声をかけてあげた。
でも、本当にそれで終わらせちゃってもいいの?
碧屋を継ぐって言っていたでしょう?
右手だけでケーキを作るの?
本当は何もかも諦めちゃったから、なんて事はないよね?
なんで笑っていられるの?
なんで優しいままでいられるの?
「なんで?」
布団を頭まで被って考え続ける。
「どう思う?」
家長である士郎が切り出す。
「私たちが忙しかったせいで、1人でいる時間が長かったからかしら?
『大人びた』というか、『達観したような』というか――情けない話だけど、小学校に上がる前から子供らしくない子供だったと思うわ。」
両手で持った小さなカップの中を覗き込んでいる桃子の言葉に恭也も同意した。
「母さんの言うとおり、確かにあいつは子供らしくないところがあったと思う。
なんというか――そう、あの事故の前に、こうやって食卓を囲んでいる時とかでも、親の前では『かわいい子供』、俺たち兄妹の前では『甘えたがりの妹』という『役』を演じていているのかもしれないと思った事がある。
そんなはずはないと思って、認めたくなくて、見て見ぬふりをしてきたけれど……」
「そうだね。
思い出してみたら、父さんや母さんに抱っこしてもらった事もあまりないだろうし、私たち兄妹と一緒に遊んだりする時でも――ほら、天と地ほどの体力差があるでしょ? だから、鬼ごっことかプロレスの技を掛け合うとかの体が直接触れ合うような――スキンシップっていうの? そういうのがある遊びをあまりした事がないんだよね。
確か、そういうのが足りないと子供の成長に悪影響を与えてしまうってテレビでやっていたと思う。 見たいドラマがあったからすぐ変えちゃってよく覚えてないけど……」
高町家プチ家族会議である。
議題はもちろん末っ子のなのはについてだ。
「片腕を失ってしまったというのに、見舞いに行った俺たちにあんな笑顔を見せる事ができるのが辛いんだ。 俺と違ってそういう覚悟をしていたわけでもないはずなのに……
家族に心配をかけたくないって気持ちはわからないでもないけれど、なのははまだたったの……ぅぅ。」
あの日、泣きそうな顔のなのはを泣かせてやる事ができなかったと思ってしまった士郎は、これまで父親として何もできていなかったのではないかと嘆いていた。
「俺は、なのはが辛い現実を受け入れる事ができていないだけなのかもしれないと思った。けど違うんだよな。 なのはは左腕が無いという現実を、どうしようもできない確かな事実としてしっかりと受け入れる事ができてしまっている。」
恭也はあの歳でそんな事ができてしまうなのはを不憫に思っている。
「子は親の背中を見て――とか、門前の小僧習わぬ――とかさ、そういう事もあるのかもしれないけれど……」
泣いている士郎の顔をハンカチで拭いてやりながら、桃子は言葉を続ける。
「情けない話だけど、なのはが士郎さん――それにあなた達2人の背中を、そんな覚悟を持てるくらいに見る事ができていた――そもそも見る時間があったとさえ思えないのよ。
同じ家族の一員なのに、なのはと私達との接点は家に居るこの数時間や、店のお手伝いをしてくれる時くらいしかないんだもの。
仮に、なのはが私たちの知らない間に家族の誰かの影響を強く受けていたとしても、そのそれは日常生活からの影響であって、命を――『命を失う覚悟』が、できてしまうよう、な、そんな、非日常な影響を受けるなん、て事が、あるとは……ぅぅ」
震える桃子を士郎が優しく抱きとめる。
「情けないけど、母さんの言うとおりだ。
俺たちがなのはにそこまでの影響を与えているとは思えない。」
「確かに、なのはは前と変わったと感じているのに、その前の事がよくわからないから今と比べる事もままならないなんてな……」
恭也は、なのはに対して兄として何もできていなかった事を自重する。
「そうだね。」
「ん?」
兄と似た考えを美由希は持っていた。
「あの時、私もなのはが泣きそうな顔をしているって思った。 けど……」
「けど、なんだ?」
「あ……」
恭也は美由希の言葉の続きを促すが、桃子には言いたい事がわかってしまった。
「母さん?」
「?」
わからないのは男だけ。
「そうね、そうだったね……」
「女2人だけでわかっていないで、教えてくれないか?」
「士郎さん……」
本当にわかっていない、思い出してもいない2人に、美由希が答える
父の胸にしがみついている母にソレを言わせるのは酷だと思ったからだ。
「私――ううん、私たちはね? 赤ちゃんだったころはともかく、ここ数年なのはが泣いている顔を
「ぁ!」
「ぁ あああ……」
見た事が、ないんだよ。」
家族会議は全員無言で涙を流すことで終わってしまった。
────────────────────
「あの子、あんなところで何をしているんだろう?」
6個目のジュエルシードの回収はこれまでと比べると別の意味で難易度が高いみたい。
「昨日までに回収したみたいにジュエルシードがただ暴走しているだけなら、とりもちみたいな『バインドシールド』で体当たりを受け止めて、動けなくなったらすぐに『封印魔法・改』で封印っていう方法でできたんだけど……」
草木も眠る丑三つ時に、階段も梯子もないのに屋根の上に立っている男の子の右手からジュエルシードの反応を感じる事ができる。
「なんで俺こんな所にいるんだよ?」
あれ?
私、この子をどこかで見た事がある。
どこだっけ?
「俺、もしかして夢遊病ってやつなのかな?
野犬のせいで外に出てサッカーができないストレスが溜っていたからか?」
そうだ! お父さんのサッカーチームに所属している子だ!!
でも、野犬のせいで子供は外に出さないように言われているはずなのに、どうやってジュエルシードを手に入れたのかな? 庭にでも落ちていたのかな?
「階段も梯子もないのに、どうやってこんな所に登ったんだ?
もしかして、俺ってロッククライミングの才能があるのか?
というか、そもそもここって俺の家の屋根じゃないし……」
バリアジャケットに認識障害機能があるから、普段から周囲に注意を払うような生活をしている魔法使いくらいにしかみつからないだろうってあの人も言っていたし……
「夢だよ。」
「誰だ!?」
「君は夢を見ているんだよ。」
よし!
目の前にいるのに見えていない!
「『一般人気絶魔法』」
「あ!」
そんな声を出して、がくりと気絶した男の子の体を魔法で浮かべてふと気付く。
「しまった。
私、この子のお家知らないや。」
仕方ないから近くの交番に置いてきた。
────────────────────
ゆさゆさと体をゆらされて目が覚める。
「ぅ ん?」
「おはよう。」
「おはよ――お母さん?」
どうしたの?
ぎゅ
突然抱きしめられた。
「んぐ?」
「なのはは、急にいなくなったりしないわよね?」
「ふぐぐ!?」
胸が、お父さんと違って平らじゃない豊かなお胸が、私の口と鼻をいい感じで塞ぐんです! 塞いでいるんですけど!!
「ふ、ぐぐ!」
く、苦しい……
「『小学生、交番にテレポート?』」
お母さんの胸から救出してくれたお父さんが新聞を渡してくれた。
なんでも、野犬対策のために厳重に戸締りされた家から小学生の男の子がいなくなっていて、慌てた両親が警察に連絡してみたら男の子の家から数km離れた交番で発見されたらしい。
しかも男の子は裸足だったにも関わらず少ししか汚れていなくて――
「これを読んでお母さんは慌てちゃったの?」
「そうだよ。」
「だって、心配になっちゃったんだもの。」
私が新聞を読んでいる間に看護士さんに「こんな時間に騒ぎを起こされたら困ります。」と怒られたお母さんが反省の色なくそう言いきった。
「ありがとう、お母さん。」
「なのは?」
「お母さんは私の事心配してくれたんだね……」
「なのは!」
べちん
私の名前を叫んで抱き付こうとしたお母さんの頭に丸めた新聞紙で軽く叩く。
「気持ちはとっても嬉しいんだけど、こんな朝早い時間に病院でさわいじゃだめでしょ!」
「だって……」
「お父さんも!」
「お、俺もか?」
「まだ野犬が居るかもしれなくて、外出するのは危険なんだから、お母さんの手を握って家から出さないくらいの気持ちで頑張ってよ。」
「ええ!?」
こんなに唐突に病室に来られたら、ジュエルシードの回収に支障が出るかもしれないじゃないの!
「まったく……」
「ごめんね。」
「すまん。」
「それに、お店はどうしたの?
町中が外出を控えているって言っても、営業はしているんでしょう?」
私が目覚めてからもう1週間も経ったというのに、町は未だに人気が無いらしい。
まあ、あのワンちゃんによってすでに死者が出ていた事や、走っている車を襲って子供(私)の片腕が失われたという事、そしてそれ以降被害は出ていないものの未だに『凶暴な野犬』が射殺どころか発見すらできていない事が原因なのだけど。
とにかく、人間というのは外に出ようが内に引き篭もっていようがお腹が減っちゃう。 でも、だからといって世の主婦さんが買い物に出たいと思えるような状況ではない。
だから今、海鳴市ではピザなどのデリバリーはもちろん、野菜の配達などで食糧を得ようとする人がたくさんいるらしい。 配送アルバイトの人がたくさん辞めて需要に対して供給が足りないらしいけど……
「お父さんとお兄ちゃんが2人でケーキの配達をしているって、この前言っていたじゃない? それも、わざわざ警察に木刀所持の許可まで取って。
看護士さんたちも噂していたよ?
自分の家に帰るのさえ怖い今の世の中、おいしいお菓子が食べる事ができて嬉しいって。」
看護士さんたちの世間話からいろんな事が耳に入ってくるし、私の家は自営業なのでそういう事に関しての情報収集は欠かさないようにしている。
「えーと…… 確か、今日は……」
「お昼から作り始めても大丈夫だったと思うけど……」
「だったと思う?」
「えーと……」
「……」
「しっかりしてよ? このまま新しい被害が出なければ、早くてさ来週には学校も再開するかもしれないってニュースでもやっていたんだから。
そうなったらまた前みたいに通常営業に戻さないといけないんだよ?」
「あ、あはははは。」
もう……
「ちょっと美由希に電話して聞いてくるよ。」
「お願いしますね。」
お父さんは電話をかけるために部屋から出て行った。
私としては、そんな事を電話で確認したりしないで帰ってくれてもいいんだけど。
「それじゃあ、その間にリンゴでも剥きましょうか?」
「朝ごはんの前に?」
「……そういえば、まだそんな時間だったわね。」
「その様子じゃあ、みんな朝ごはんまだなんじゃないの?」
「……ま、あの子たちはもういい歳なんだし、朝ごはんくらい自分で何とかするでしょう。」
言われてみたら、確かにそれもそうだ。
それに、事件のせいで学校が休校でずっと家に居るんだから朝食を食べられなくてお腹が鳴っても恥ずかしい思いをすることはないものね。
「じゃあ、今日は久しぶりに一緒の朝ご飯だね?」
「!! そうね。 一緒にご飯を食べるのは久しぶりね。」
「うん。
できればお母さんが作ったご飯が食べたかったけど……」
早く退院したいなぁ。
でも、絶対に『野犬』の事件が解決することはありえないから、警察の人たちやお役所の人たちが「もう野犬は町に居ない」と安全宣言を出してくれるまでは、入院から通院に変わる事は難しいだろうから、仕方ないと言えば仕方ないんだろうけど……
実際、通院の必要な患者さんたちは時間を決めて集団行動したり、無理を言って入院したりしている人もいるらしいし。
「それじゃあ、お医者さんにお弁当を作ってきてもいいか聞いてみましょう。」
「え?」
「ほら、なのはは内臓が悪いってわけじゃないでしょ? だから、たぶんお願いしたら許可がでると思うのよ。」
お弁当か……
大部屋だったら病院食を食べている他の患者さんに申し訳ないけど、幸いここは個室だから他の患者さんに羨ましがられる事もないだろうし……
「お母さん、楽しみにしているね!」
「ええ! すごくおいしいのを作るからね!」
ぎゅ
今度は優しく抱きしめてくれた。
なんでだろう?
お父さんもお母さんも、以前はこんなに抱きしめてくれなかったと思うんだけど?
私が左腕を無くしちゃったからかな?
だから、私に優しいのかな?
だったら、私はあのワンちゃんに感謝しよう。 無くなった左腕に感謝しよう。
あの人から魔法を、お父さんとお母さんからは愛情を得る事ができたから。
それにしても、お弁当を作ってねってお願いをしただけなのに、こんなに涙を流しちゃうくらい喜ぶなんて……
お母さんってば、本当に料理が好きなんだね?
────────────────────
夜
今日も病室を飛び出してジュエルシードを探す。
「『ジュエルシードサーチ』で反応が無いって事は、今日は1つも発動していないという事なんだよね? じゃあ、難しいし範囲が狭いけど『封印魔法サーチ』を使ってみよう。」
精神を集中して、魔法の構成を丁寧に練る。
それにしても、魔法ってこんな名前ばかりなのかな? 『バインドシールド』も『ジュエルシードサーチ』も名前と効果がそのままだ。
変で難しい名前だと覚えにくかったり下を噛んだりしてしまうかもしれないので、そういう意味では良かったのかもしれないけど、それでももう少し凝った名前でもいいんじゃないかなと思う。 そう、なんというかロマンが無い。
「1つ発見!」
あの人の様に一度に30冊以上の本を検索したり読んだりはできないけれど、練習を始めて10日ほどで2つ~4つの事を同時に考える事ができるようになったのは凄いと思う。
「効果範囲が狭いと言っても、この反応のジュエルシードを回収できたら7つめだから、後4つであの人に頼まれた最低目標の12。
海には4~8個くらい落ちている可能性があるとあの人は言っていたし、そもそもこのまま入院が続くと海に落ちているのを回収するのは難しいかもしれないけど…… でも、地上に落ちている分を全部回収するのは可能かも……」
これまでのような高層ビルくらいの高さからの広範囲捜索という手法で発見する事はもうないだろう。
これからは今までよりも低い場所で狭い範囲を少しずつ捜索していかなければならない。
深夜という事と『野犬』への恐怖から誰もいない町は、電柱や電線を照らす街灯もあまりないので低空飛行には向いていないが、それを考慮してもこの広いようで狭い町を探索し尽くすのに2ヶ月もかからないだろう。
「さあ! 今日も頑張るの!」
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