おかしい……
私がこの時代に来てから――つまり、ジュエルシードと思われる光が街に降り注いでから数日が経っているというのに『ミスト』が現れない。
「昨日、あっちの山の方から感じたジュエルシードの魔力が街のあちこちに移動しているけど、あれがこの公園に来て次元震を起こすのかな?」
《そう考えるのが妥当だと思いますが……》
食糧を買い貯めて、ビルの屋上に結界を張り、そこから公園を監視するという生活にもそろそろ飽きてきた。
「考えられるのは3つ」
1、ジュエルシードを悪用しない私が集めるつもりだから『ミスト』が出ない。
2、ジュエルシードに『ミスト』を発生させる機能がない平行世界。
3、そもそもジュエルシードが『ミスト』を作り出すのではなく、この世界に落ちたジュエルシードを悪用される事を危惧した第三者が『ミスト』である。
1と2の場合、街に被害が出る前にあのジュエルシードを回収する必要があるが、特に2の場合、自分の持っている未来の知識が全く役に立たない可能性がある。
特に厄介なのは3の場合である。
この場合『ミスト』は管理局またはスクライア一族から情報を得る事ができると考えられる。 そうでなければジュエルシードの危険性を知り得ないはずだ。
そしてさらに、『ミスト』のその情報収集能力がアンダーグラウンドな方法であった場合、管理局とスクライア一族から――どちらも様々な遺跡からロストロギアを回収するので、その情報のセキュリティレベルは全次元世界屈指である。 そんな場所から――ジュエルシードの情報を入手できるという事は、『ミスト』がそれだけの実力を持っているという事でもある。
最悪の場合、『ミスト』は自分がここで公園を見張っている事に気づき、それゆえにあのジュエルシードを回収していないのかもしれない。
《マスター、その場合『ミスト』にジュエルシードを悪用しようとしていると思われている可能性もあります。》
「そうだね……」
その場合、『ミスト』は『プレシア・テスタロッサがジュエルシードをアリシアに埋め込もうとしている』という情報すら、手に入れている可能性ある。
「最悪、『ミスト』と戦闘する可能性もあるって事か……」
かつて、アースラに保護されている時に見た『ミスト』の砲撃を思い出す。
「ヴィヴィオと融合しているから、『聖王の鎧』が発動できれば或いは……」
それでも、できる事なら敵対したくは無い。
《あの時の桃色の砲撃は全部で10、それがたった1人に向けられたらと考えた場合、例え『聖王の鎧』でも防ぎきれるとは限りません。》
「そうだね……」
仮に防ぐ事ができたとしても、アースラに観測されているとわかっている状態での砲撃だったのだ。
奥の手や切り札が他にあると考えた場合――というか、絶対あるだろうから、やはり『聖王の鎧』が発動出来ても厳しいと考えるべきだろ――!!
「あれは!」
────────────────────
学校の先生が危険な野犬が人を襲い殺したらしいので、できるなら車で、それができないならばできるだけ集団での登下校をするようにと言われたけれど……
「ぁ……」
アリサちゃんに誘われて、アリサちゃんのワンちゃんたちと遊んで……
「ぁぁ……」
お家に帰る時間になって、車で送ってもらう事になって……
「ぃゃ……」
まさか、走っている車を野犬に襲われるなんて……
「いや!」
「グルルルルルルル」
「こないで!」
「グルルルル《サンダースマッシャー》ギャン!」
え?
「あの時は、被害者は0だったっていうのに!」
《やはり、平行世界である可能性が高いですね。》
黄色い……鎌?
「グァァァアアアア!」
「うるさいっ!」
《ハーケンスラッシュ》
もしかして、この人は死神さん?
「ジュエルシード、封印!」
それじゃあ、私、もう駄目なん……
「ほら、意識はある? 怖いのはやっつけたから、もう大丈夫だよ。」
死神さんの鎌を持っていない手から、優しい光が私に……
「もう、大丈夫だから!?」
ジュエルシードの魔力を持った大きな犬が、走っている車を襲っているのを見つけた私は、『ミスト』の事とかをすっかり忘れて飛び出していた。
猛スピードで現場に着いて、サンダースマッシャーを犬に当てる。
犬に襲われていた車のドアや天井はすごく歪み、小さな手がその歪んだ隙間から外に出ていた。
「ヴィヴィオ……」
こんな小さな子を襲った犬に対して、怒りが止まらない!
「あの時は、被害者は0だったっていうのに!」
次元震が起こらず、『ミスト』が現われなかったら――
《やはり、平行世界である可能性が高いですね。》
こんな悲劇が起こるというのか!
「グァァァアアアア!」
サンダースマッシャーで吹っ飛んだ犬が標的を車から私に変えて襲ってくる。
「うるさいっ!」
こんな子供を襲う様な奴の声なんて聞きたくもない。
だけど、おそらくこの犬は現地の動物に暴走したジュエルシードが取りついているだけ。
命を奪うわけにはいかない。
《ハーケンスラッシュ》
非殺傷設定でもう一度ぶっ飛ばす。
すると、犬からジュエルシードが飛び出した。 ……チャンスだ!
「ジュエルシード、封印!」
封印してすぐに車から子供と運転手を助け出す。
うん、大人の方が怪我はあまり酷くない。 この世界の病院でも充分だろう。
「ほら、意識はある? 怖いのはやっつけたから、もう大丈夫だよ。」
この子の左手は――かなり酷い。
病院で診てもらう前に、怪しまれない程度の治癒はしておいたほうがいいだろう。
「もう、大丈夫だから!?」
この子、高町さんだ!
「ぁ、ありがとうございます。」
「え? あ、どういたしまして?」
《マスター、動揺するのはわかりますが、そろそろ人が来ます。》
「あ、そうだね。」
戸籍も何もない状態で目立ちたくない。
「た――じゃない、お嬢さん?」
「は、はい。」
「警察の人とかに色々聞かれても、私の事、顔はもちろん、姿も見ていないって事にしてくれないかな?」
「ぇ?」
車がボコボコになっている以上、この子と運転手が野犬に襲われた事と私に――『第三者』に助けられた事は隠しようが無い。
管理局のバックアップが存在しない以上、高町さんの記憶を弄る時間も無い状況ではこうやって誠実(?)に頼む事くらいしかできない。
「わ、わかりました。」
「ありがとう。 左手、できるだけ早くお医者様に診てもらうんだよ?」
遠くから警察の物か病院の物かわからないが、とにかくサイレンが聞こえてきている。
バリアジャケットを弄って黒い仮面を構成し、装着。
「ばいばい。」
私は空を飛んでその場を離れた。
なんだかよくわからないけど、この人は死神ではないらしい。
だって、私の左手を治してくれているから。
「ぁ、ありがとうございます。」
助けてもらった上に怪我を治してもらっている事に改めて気づいたので、お礼を言う。
「え? あ、どういたしまして?」
《マスター、動揺するのはわかりますが、そろそろ人が来ます。》
「あ、そうだね。」
か、鎌が喋った!?
「た――じゃない、お嬢さん?」
「は、はい。」
「た」ってなんだろう?
この人の国の言葉で「お嬢さん」は「TA」の音から始まるのかな?
「警察の人とかに色々聞かれても、私の事、顔はもちろん、姿も見ていないって事にしてくれないかな?」
「ぇ?」
なんで…… あ!
「わ、わかりました。」
正義の味方は正体を隠さないといけないんだ!
「ありがとう。 左手、できるだけ早くお医者様に診てもらうんだよ?」
遠くから救急車のサイレンが近付いてくる。
もう、お別れなんだ。 もう、会えないのかな?
「ばいばい。」
そう言って、お姉さんは空に消えた。
……やっぱり死神さんだったのかな?
────────────────────
「ここが平行世界だとすると、母さんやリンディ義母さんたちはどうなっているんだろ?」
そもそも、はやては高町さんとどこで知り合――っ!
「しまった!
《マスター?》
はやては病院通いの一人暮らしで、高町さんは普通の小学生。
「はやてと高町さんの接点は、病院だったのかもしれない!」
怪我をしたなのはさんが運ばれる病院がはやての通院しているのと同じ病院で、そこで2人は出会って親友になったのかも……
《それはどうでしょうか?》
「バルディッシュ?」
《私が知る限り、高町なのはの左手に傷跡はありません。》
年末年始の温泉旅行の時、バルディッシュも連れて行った。
流石にお風呂場には持って行かなかったけれど、部屋では浴衣とかいう薄くて袖がすぐにめくれるような服を着ていた。
バルディッシュはおそらく、はやてが「温泉に来たらコレをやらなきゃあかん」と言って、『たっく』とかいう緑色の机の上で小さな玉を小さな板で打ち合うスポーツをしていた時にその左腕を見たのだろう。
「……私も高町さんと一緒に温泉に入ったけれど、左腕に傷跡は無かった。」
という事は、はやてと高町さんが親友になっていない世界という事だろうか?
「私の世界との違いがそれだけならいいんだけど……」
しかし、『ミストの不在』と『高町さんの大怪我』という2つの違いが――いや、『ジュエルシードが暴走している』というのをいれると3つか?
それどころか、私やバルディッシュの気付かないところでもっと違いがあるのかもしれないし、もっと大きな――時空管理局の規模がとても小さくてこの世界にアースラが来られる余裕が全く無いなどの違いがあったりした場合――考えたくもない。
《ぁ》
「え?」
《もしかしたら……》
「なに?」
《いえ、まさかそんな事が……》
「バルディッシュ、今はどんな小さな可能性でも想定しておく必要があるの。 どんなことでも良いから、気づいた事は教えて頂戴。」
予想していれば、準備ができる。
予想以上の何かが起きたとしても、過剰に準備していれば何とかなる事もある。
でも、予想すらしていない何かが起きた場合のダメージは軽減すらできないのだ。
《わかりました。》
「うん。」
《確か、ジュエルシードは願いを叶える力を持っているとか》
「そう言う話もあったね。」
でも、それなら母さんはアリシアの蘇生をお願いするだけだろうから、『ミスト』がジュエルシードの回収を邪魔する必要がないんじゃないかな?
《そして、高町なのはは元々かなりの魔力を持っています。》
「うん。」
あの魔力は管理局にスカウトしたいくらいだ。
《高町なのはが病院に行き、八神はやてと出会った後でジュエルシードを入手したとしたらどうでしょうか?》
「え?」
はやてと出会った後にジュエルシードを?
《はい。
例えば、入手したジュエルシードに『左手の怪我を治してほしい』と願ったとしたら?》
高町さんの左手に傷跡は無くなる。
《例えば、これ以上犠牲者を出したくないと考えて、『あの犬を倒せる力が欲しい』――それどころか、『ジュエルシードと言う危険な物を封印できる力が欲しい』と願ったら?》
……ま、まさか?
《高町なのはが、ジュエルシードによって『ミスト』になったという可能性があるのでは?》
……
…………
………………え!?
《そう考えると、リンディ・ハラオウンやクロノ・ハラオウンが彼女を名前ではなく苗字で『高町さん』と呼んでいる事もわかる気がします。》
「そ、そんな事が……」
というか、それだと……
私が『ミスト』の誕生を妨害したという事に!?
それだけじゃなくて――私がこの世界を『ミスト』の居ない世界に……
いや、この世界を『平行世界』にしたのは私って事!?
……あり得ないと言えない事が恐ろしい。
《マスター、まだあります。》
「え?」
まだ何かあるというの?
《『ミスト』となった高町なのはが親友となった八神はやての為に『一人暮らしの八神はやてに家族を』――いえ、この場合、高町なのはが願ったのではなく、八神はやてがジュエルシードを何らかの方法で入手し願った結果、八神シグナム、八神シャマル、八神ヴィータ、八神ザフィーラの4人が彼女の家族になった……と言う事もあり得ます。》
……
…………
………………えええーーー!?
────────────────────
誰かが、私の名前を呼んでいる……
「なのは!」
お父さん?
「なのは! 良かった、気がついたのね!」
お母さんも?
「なのは、心配したんだぞ?」
お兄ちゃんもいるの? じゃあ
「良かった。 本当に良かったよぅ……」
やっぱりお姉ちゃんもいた。
「ぉ、おはようございましゅ……」
まだ少し眠い……
でも、なんで?
私の部屋に皆が来るなん――あれ? 私の部屋じゃない?
「あれ? ここは…… あ、病院?」
そう言えば、死神のお姉さんが居なくなってから救急車に運ばれたんだっけ。
「夢じゃ、なかったんだ……」
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