ジェイル・スカリエッティが起こした大規模なテロ事件が終わって一ヶ月くらい経った頃、第97管理外世界にやって来たXV級艦船クラウディアの会議室でそれは行われた。
「それじゃあ高町さん、このケースにジュエルシードを入れてください。」
「はい、わかりました。」
リンディ・ハラオウンの言葉に従って、片手で持てる程度の大きさのケースを開けるとそこには弾力性のあるクッションの素材があり、それには21個の窪みがあった。
なのはは家から持ってきたガラスの瓶からジュエルシードを取り出して、その窪みの1つ1つに嵌めこんでいく。
「・・・19、20、最後の1つ。」
ジュエルシードを全て納めたケースはクロノ・ハラオウンによって閉じられ、リンディ・ハラオウンとヴェロッサ・アコース、シャッハ・ヌエラによって厳重に封印された。
「10年もかかったけれど、これでやっとジュエルシードの件は終わりね。」
「……本局に持って行くまでに事故が起きなければね。」
10年かけた『ロストロギア横流し事件』をなんとか終わらせる事ができて安堵するリンディに、クロノが釘を刺す。
「『遠足は家に帰るまでが遠足』って事やね?」
「……そう言う事だ。」
はやての例えを微妙な顔で肯定するクロノだが、彼も彼の母親と同じ様に明るい顔をしている。
次元震を起こせるロストロギア、ジュエルシードの在り処を知っている事を隠し、さらには殆どの上司たちに内緒で事を進めていた事はかなりのストレスであり、肩の荷が下りてほっとしているのだ。
「聖王教会でも今回の事件でセキュリティを見直す事が正式に決まりましたし、色々と大変でしたけど、それなりの収穫もあったと思います。」
敵のしっぽを掴む為に苦労したのは聖王教会も同じだったらしい。
「ほんと、サボっているふりをしながら調査をするのは大変だったよ。」
「どうだか。」
ヴェロッサの発言にシャッハが軽いツッコミを入れる。
いつもならもう少し説教をしたいところだが、初対面の人間――それも、クロノとリンディからその砲撃の破壊力を聞かされていた高町なのはがいるので自重したのだ。
「それじゃ、私はこのまま休暇に入りますね。」
はやては初めてまとまった有給休暇を取る事に成功していた。
無限書庫に勤める同僚たちに申し訳ないと思わないわけでもないが、同僚が夏休み等の長期休暇を取るたびに羨ましく思ってきたのだからと思う事で罪悪感を軽くしていた。
「ええ。 この10年間、本当にお疲れ様でした。」
「僕としては早く復帰してほしいけれど。 まぁ、ゆっくりしてくるといい。」
リンディはこれまで無理をさせて申し訳ないと思い、クロノはリンディと同じように思いつつもはやての検索能力が暫く当てにできなくなる事を残念がる。
「無限書庫がそんなにキツイなら、いっそ聖王教会に来てもいいんですよ?」
「……どっちも地獄だと思うけっ!」
シャッハもはやての検索能力に目を付けており、スカウトの邪魔をしようとするヴェロッサの足を思い切り踏んだ。
「はやてちゃんって、頼りにされているんだね?」
なのははみんなからすごく頼りにされている人と親友である事が誇らしく思えたが
「なのはちゃん…… これは頼りにされているとちゃう。」
「え?」
「道連れが欲しいだけや。」
その一言で、この10年間はやてがどれだけ苦労したのかを垣間見た気がした。
「ほな行こうか。」
「う、うん。」
「この休みは碧屋の――いや、海鳴中のケーキを全種類制覇してやるで!」
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ゆりかご内部に爆発音が響く。
「はやて! あの扉の向こうだ!」
「ヴィータ、思いっきり――いや、ちょっと手加減してやって!」
そう言って、はやてはヴィータに魔力を送る。
ヴィータが扉を破壊して、はやてと一緒に部屋に入ると、後姿で分かり難いがヴィヴィオを膝枕しているフェイトがいた。
「フェイト?」
「フェイトちゃん?」
扉を破壊する際に出た轟音にも、2人の呼び声にも応えないフェイトの姿に、はやてはヴィヴィオに埋め込まれていたレリックの暴走を――
「ヴィヴィオちゃんは、自分で?」
ヴィヴィオが何らかの方法でフェイトを守ったのだと理解した。
「……そうか。」
フェイトの前に移動したヴィータは、ヴィヴィオの胸に空いた穴と、ヴィヴィオの顔を優しく撫でながら声を出さずに涙を流しているフェイトの顔を見て、それだけ言った。
それだけしか言えなかった。
ズズ……
破壊した扉が徐々に修復されていく。
「私はフェイトちゃんとヴィヴィオを運ぶから、ヴィータは扉の前でバインドされていた戦闘機人を運んでくれへんか?」
ヴィータがはやての提案にコクリと頷いて、修復途中の扉をもう一度破壊した後で部屋から出――ようとしたその時、フェイトが動いた。
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海鳴 高町家 なのはの部屋
なのはが入れた熱い紅茶と美味しいケーキを前にしているというのに、はやてはフォークにもスプーンにも手を伸ばせないでいた。
「私、不思議に思ってた事があったんよ。」
「なぁに?」
はやてが、何かを話したがっている事をなのはは感じていた。
思い返せば、あのクラウディアに居た人たちの様子もおかしかった。
事件が解決した事を喜んでいたが、はやてに対して何処か遠慮をしている様な……
「ジュエルシードを集めるだけなら検索魔法や読書魔法なんていらんのに、なんで師匠は教えてくれたんやろうって。」
「マルチタスクの練習に最適だからじゃないの?
私は検索魔法と読書魔法のお陰でマルチタスクが上手になれたよ?」
師匠の家には様々な本があり、その内容も専門的な物が多くてよく理解できなかったけれど、この2つの魔法を使う事でマルチタスクの技術がかなり上達した。
「後は……ヴォルケンリッターとその主が管理外世界で暮らすよりも、本局で暮らした方が安全だからじゃないの?」
夜天の書は過去の事とはいえ命を奪いすぎている。
『最近の被害』でも20年以上前の事だが、被害者の遺族がまだ大勢いるだろう。
はやては何も悪くないと理解できたとしても、被害者の遺族に情報が漏れた時に安全なのは管理外世界よりも管理世界、管理世界よりも時空管理局本局だと師匠は言った。
そして、本局で働く為に便利な魔法として検索魔法と読書魔法をはやてにも教えたのだ。
なのはもはやてもその説明に納得したはずだった。
「うん。 あの時はそれで納得したんやけど、な?」
「……そっか。
今回の事件は『検索魔法と読書魔法があったから解決できた』んだね?」
はやての言葉と様子から、答えを導き出す。
「そうなんよ。」
はやての声から力が無くなる。
「はやてちゃん?」
「私が、もっとしっかりしていたら、フェイトちゃんもヴィヴィオも、あんなにならんで済んだかもしれん。」
なのはが気にする姿を見たくないから言っていないが、フェイトとヴィヴィオだけではなくアリシア(おそらくフェイト)も助ける事が出来たかもしれない。
「はやてちゃんは……私に聞いてほしいんだね?」
なのはの言葉に、無言で頷く。
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部屋から出ようとしていたヴィータの足を止めたのは、フェイトの声だった。
「・・・のは・や・」
フェイトの体がわずかに動き、震える唇から声が漏れているのだ。
「ぇ?」
「フェイトちゃん?」
最初、その声はとても小さくて聞き取りにくかったが
「こん・のは、・・だ。」
「おい?」
「フェイトちゃん……」
「こんなのはいやだああああああああああああ!!」
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師匠は私となのはちゃんに戦い方を教えてくれた。
「でも、その戦い方は……」
一応、殴り合ったり魔法を撃ち合ったりするような修行もしたけれど、そんなのは全体の3割くらいだった。
「そうだね、漫画やアニメみたいな戦い方じゃなかったね。
10年前、大きなロボットが大暴れした海の上で、私は2回魔法を使ったけど……」
それは、ジュエルシードを集める時に攻撃魔法はそんなに必要ではなかったという事。
そもそも、1度目の時になのはは攻撃魔法と呼べそうなモノは『一般人気絶魔法』くらいしか教わっていない。
「夜天の書の時も、私もなのはちゃんも結局攻撃魔法は使わなかった。」
「うん。」
管理局の協力を得られなかった時はジュエルシードの力を使った砲撃魔法で『バグ』を破壊するようにと言われたが、それもつまり、攻撃魔法はその1回でいいという事だ。
「私たちは、『戦いを避ける戦い方』と『戦いを早く終わらせる戦い方』を習ったんだ。」
師匠は言わなかったけれど、戦わずに勝つのが理想だという事だったのだろうか?
「私が、シグナムたちにはもちろん、フェイトちゃんや他の局員たちにもっと魔法を教えておけば……」
せめて、シャマルとフェイトに師匠直伝の封印魔法を教えておけば……
「誰も――さすがにテロリストは含められないけど……
誰も、傷ついたり泣いたり失くしたりしないで済んだのかもしれんって思うんよ。」
師匠は、夢みたいなそれが出来るだけの事を教えてくれていた。
「今さら気づいても遅いんやけど……
ううん、遅いからこそ、悔しい……」
「はやてちゃん……」
師匠は、何故かは知らないが、私たちが『繰り返す』事を恐れていた。
でも、こんなに悔しい思いをする事になるのなら、『繰り返す』ほうがましだと思える。
「師匠は私に期待していたはずや!
だから、ジュエルシードを集めたりシグナムたちを助けたりするのに必要無い、いろんな事を教えてくれたんやと思う!
でも、私は! 私は……」
助けられなかった。
「はやてちゃん、それ以上は駄目だよ。」
「え?」
「右手。」
何時の間にか拳を強く握っていた右手は、もう少しで血が出そうになっていた。
「駄目だよ。 はやてちゃんが怪我をして喜ぶ人は1人もいないんだから。」
「ぅ…… ぅぅ……」
なのはははやての横に移動して、その右手を優しく握って回復魔法をかける。
「師匠はきっと、ソレが怖いんだと思う。」
「ぇ?」
「『やり直したい』って、思ったでしょう?」
「……うん。」
ぎゅっ
優しくはやてを抱きしめる。
「それは、とっても怖い事だよ。」
「どうして?」
はやてはその優しい背中に手をまわす。
「悲しいことやつらい事を無かった事にしたいっていうのはわかるけどね?」
はやての背中をさすりながら
「考えてみて?
ジュエルシードを何回拾うの?
シグナムさんたちを何回騙すの?
夜天の書と何回お別れをするの?」
なのはの言葉は続く。
「重い病気になったら? 軽い病気でも?
誰かが死ぬたびに? 怪我をする度に?
重症だったら? 軽傷でも?」
背中にまわされた手が、爪を立てても
「はやてちゃんは、何度繰り返すつもりなの?
何度繰り返せば満足できるの?」
どちらともなく、体が離れる。
「ひっく……」
「師匠はきっと、何度も『繰り返した』んだよ。
それが、自分の意思でなのか、ジュエルシードが勝手にそうしたのかはわからないけど。」
まっすぐに、互いを見る。
「何度も何度も繰り返して、何度も何度も同じ人と『初めて会って』、『最後の別れ』をしてきたんだと思う。」
「でも…… でもぉ……」
はやては、なのはに再び抱きつこうとするが、なのははしっかりと彼女の腕を掴んで
「はやてちゃん、師匠が友人の言葉だっていって何度も言っていたでしょう?
『世界はいつだって、こんなはずじゃないことばっかりだ』って。」
「でも! 私は!」
「はやてちゃんも、わかっているんでしょう?」
掴んでいた腕を離して、再びはやてを抱きしめる。
はやての泣き声は、なのはの部屋から洩れる事はなかった。
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その時、蒼い光が視界を奪った。
まるで、フェイトの叫びに応えるように……
はやてには、その光が自分のバリアジャケットの内ポケットから出ている事がわかった。
蒼い光がおさまった時、そこには血の跡しかなかった。
嘆き叫んだフェイトとヴィヴィオの遺体は、この世界から消えたのだ。
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「ほら、顔こっち向けて」
「うん。」
なのはは店から持ってきた温かいお手拭きではやての顔を拭いてあげる。
「温くなった紅茶も入れ直してきたし、ケーキを食べよう。」
「うん。」
暫くの間、カチャカチャという食器の音だけが響いていたが、突然なのはがフォークを置いて、はやての顔をじっと見つめた。
「な、何? 顔に何かついてる?」
「はやてちゃんはさ……」
「うん?」
「私と会わない方が良かった?」
「え?」
はやての手から、フォークが皿の上にカチャンと落ちた。
「私がもっと魔力が多くて、魔法の素質ももっとすごくて、3日で、魔法だけじゃなくて、師匠が知っている未来の事も全部教えてもらえていて――」
「な、なのはちゃん?」
「それで全部、ジュエルシードの事もフェイトさんとプレシアさんの事も、夜天の書もどうにかできちゃって、はやてちゃんとシグナムさんたちがちゃんと家族に成れて――」
「ちょ、ちょっと?」
「空港爆破事件っていうのも犠牲者0に抑えて、そのテロリストのジェイルなんとかさんやその部下の人たちもバインドでササっと捕まえちゃって、ヴィヴィオちゃんって子もそもそも誘拐なんかされなくって……」
「……」
早口でまくしたてるなのはに――なのはの言いたい事に、はやては目を大きく開く。
「そんな奇跡が起きていたら、私たちは親友どころか友達にもなれなかっただろうね。」
なのはが、フェイトの事もはやての事も、何もかも全て知っていたら
師匠によって敷かれたレールの上を、なのはがしっかりと歩けていたら、きっと誰も泣かないし誰も悲しまなかっただろうけれど。
「酷い言い方かもしれないけど、間違えないと得られないモノも、きっとあるんだよ。」
甘いはずのケーキが、塩っぽく感じた。
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