庭の物陰から魔法で家の中を盗聴するのは何度目になるだろうか?
昨日、八神家に設置しておいた魔力感知装置からあの子の放出魔力量が減った事を知った時には、闇の書になんらかの変化があったのかと焦ったのだが、肝心の闇の書には何の変化もなく、あの子も足が悪化したなどの変化はないようだった。
【装置の故障じゃないの?】
【違うわね。 ほら、私たちの魔力にちゃんと反応している。】
装置を見せるとロッテも納得した。
【一応記録を取ってお父様に報告しましょう。】
【そうだね。
……それに、確かにあの子の体から感じる魔力の大きさが小さくなっているし。】
人間の女性はあれくらいの年頃から肉体的にも精神的にも不安定になる事もあるらしいとはいえ、この変化は正直想定外だ。
【ええ、少し心配だわ。】
常日頃から放出されている魔力量がこんなに減ってしまったという事は、あの子から闇の書へと流れている魔力の量も減っているのだろうか?
もしそうなら『私たちの計画』は予定よりも遅れる事になるが、言い方を変えればそれは準備期間が増えたという事でもある。 それはそれでいいのだ。
問題は、それとは逆に今まで通り魔力を喰われている場合だ。
もしそうだったら、闇の書が起動する前にあの子は死んでしまうかもしれない。
【『計画』の為にも、暫く様子を見た方がいいかもしれないわね。】
そうして私たち2人の観察は始まる事になった。
「そうや、今日は図書館に行こう。」
私しかいない家の中で不自然ではない程度に大きな声で、自分自身に言い聞かせるようにそう宣言する。 2日前から私を監視している猫さんたちに聞かせる為だ。
何故そんな事がわかるのかというと、猫さん2人の魔力を感じる事ができるから――という事だけではなく、あの時「絶対に悪用厳禁だからね?」という忠告と一緒に教えてもらった『近距離念話盗聴魔法』のおかげである。
【面倒な事になったね。】
ロッテと呼ばれている猫さんが本当に面倒くさそうにそう言った。
監視対象に動き回られると面倒だという事はわからないでもないが、監視されている身としてはその言い分にイラッとしてしまう。
【愚痴を言っても仕方ないわ。 あの子にはあの子の生活があるのよ。】
その通りやアリアさん、あんた今良い事言うた。
読書は私のライフワークなんやし――何よりそんな事はあんたらもとっくの昔に知っとる事なんやから、そんなに面倒くさがらんでもええやんか。
【それはわかっているんだけどね。
一日中家に居てくれればお父様への報告が楽だったのに……】
報告が楽て……
あんたら私に変化が無いか調べに来てるんやないの? 家で家事したり近くのスーパーで買い物したりしてるだけの私を監視するだけで何がわかるん?
というか、一日中家に居たらただの『引き篭もり』やん?
それともなに? ロッテさんはグレアムおじさんに「はやては引き篭もりになってた」って報告したいって事なの? 変化の調査ってそれでええの?
【そんな事よりも――図書館までの尾行は任せるわ。
私は図書館に先回りしていつもの様に普通の大学生の姿になって待機しておくから。】
【はいはい。】
へぇ…… 私が図書館に居る時はアリアさんが大学生の姿で監視してたんか。 一体どんな姿なんやろ? 猫から見た『普通の大学生』って、ちょっと気になるな。
「戸締り良し! ほな、行ってきます。」
玄関の鍵を閉め、門を出ようとしたところで郵便受けの中に何か――ピザ屋さんのチラシが入っているのを見つけ、取り出す。
「またこのピザ屋さんか。 図書館のゴミ箱にでも捨てよ。」
私はそのチラシを折り畳んでポケットに入れた。
「この本ですか?」
「え? あ、ちゃうよ。 その隣の――」
「これ?」
「そう! ありがとう。」
「どういたしまして。」
あの子の手が届かない所にあった本を親切な女の子が取ってくれた。
「あ、何か探しているなら手伝うで? 私、この図書館については結構良く知っとるから。」
「いいの?」
「まかせとき!」
どういう流れなのかよくわからないが、どうやらあの2人は意気投合したみたいだ。
【気づいた?】
図書館の入り口で待機しているロッテが聞いてきた。
【ええ。 ……あの女の子、すごい魔力を持っているわ。】
【もしかして、闇の書の事がどこかにばれた?】
【その可能性は否定できないけど――それなら私たちがこうやってあの子を守っている事にも気づいているんじゃないかしら?】
そもそも闇の書の事がばれたとしてもあんな女の子1人だけで接触するだろうか?
こうやって私たちが魔力を隠すのでなく抑えるという手段をとっているのは、万が一第三者にあの子と闇の書の事がばれた時、同時に私たちの存在にも気づかせる事で、自分たちより先に闇の書の存在に気づいているにも関わらず手を出さない者がいるのは何故かと警戒させる意味もあって――よほどの馬鹿でもない限り、こちらの監視を無視してあの子に直接接触してくるような事はないはずだ。
……あの女の子が実は老練な魔法使いが姿を変えているとかいう事でもない限り。
【とにかく、あの女の子の情報が欲しいね。】
【図書館の利用カードがあるならそこから住所氏名はわかるわよ。】
【……それもそうだね。】
今2人は同じ机で昔の地図を広げている。
あの女の子は学校の勉強で気になる部分があったのでそれを調べにきたとか言っていて、その様子に嘘は無いように見えるが……
【今夜はあの女の子の事を調べなきゃいけないから……】
【徹夜ね。】
はぁ……
「くふっ」
「もうっ! 笑っちゃだめだよ。」
あの子が吹き出して、それを女の子が小声で注意した。
まったく…… 何も知らないお子様は気楽でいいわよね。
結局アリアとロッテの2人が、ゴミ箱に捨てられたチラシ――の中に『折り畳まれる事で魔法陣が完成し、その魔法陣が崩れた時に1度だけ信号を発信する』という仕掛けがなされていた小さなメモ用紙の存在に気づく事はなかった。
────────────────────
最近なのはの様子が変わった。
お店から戻ったら家じゅうがピカピカになっていたとかお夕飯が準備されていたとか、そういう事だけではなくて――
「お母さん、明日友達を呼んでもいいかな?」
「もちろんいいわよ? お菓子を3人分用意しておくわ。」
「あ、2人分でいいよ。」
「あら、そうなの?」
「うん。 来るのははやてちゃんだから。」
はやてちゃん?
「新しいお友達?」
「え? あ、そうか。
うん。 この前図書館に行った時にお友達になったの。」
これだ。 こうやって時々、私たちが知らない事を知っていて当然という感じで話に出してきて、そう言えば知らないんだっけというように説明をする。
「図書館? この前昔の地図を探してくるって言っていた?」
「うん。」
「そうなの。」
1週間前に知り合った子を家に呼ぶなんて、こんな事今まで無かったのに……
「わかったわ。 それじゃあ家に2人分の」
「あ、明日はまず碧屋の方に来て貰おうかなって」
「そうなの?」
「うん。 迷惑ならやめるけど」
ああ、変に気を使うところは変わらないのね。
「なのはがお店の方に誘うって事は、お店に迷惑をかけるような子じゃないってことでしょう? それなら何人でもよんでいいわ。」
「ありがとう!」
がばっ
「なのはったら……」
最近こういったスキンシップが増えている。
嬉しい事は嬉しいんだけど、この年頃の子がこんな抱きつき癖を持ってしまってもいいのかどうか…… どこかにしまってある育児本を探してみようかしら。
「八神はやてです。 よろしう。」
翌日、なのはが連れてきた子は車椅子に乗っていた。
「なのはの母の桃子です。 よろしくね、はやてちゃん。」
ちょっと驚いたが同時に合点がいった。
なのは1人だけじゃ車椅子の子を家に入れるのはちょっと大変ですものね。
「なのはの父の士郎です。 図書館ではなのはの本探しを手伝ってくれたそうで」
「あ、私も高い場所にある本を取ってもらったからお互い様ですよって。」
「それでも、ありがとう。」
「なんか照れるわ。」
顔を真っ赤にしちゃって――かわいい子ね。
「はやてちゃん、私たちはあっちの席ね。」
「うん。 ほな、今日はごちそうになります。」
「ええ。」
彼女は、彼女にとっては娘の新しい友達でしかなかい少女が、実は彼女の娘にとってはもう1年以上一緒に過ごした親友であるという事には当然気づけなかった。
────────────────────
草木も眠る丑三つ時――かどうかはわからないが、高町なのははベッドから飛び起きた。
次元の歪みと憶えのある魔力が空から落ちてくるのを感じたのだ。
【なのはちゃん!】
親友から念話が届く。
【はやてちゃんも起きたんだね。】
【え?】
【え?】
【あ、いや、その……】
はやてはなのはの様に寝ているところを起こされたのではなく、図書館で借りた本を徹夜で読んでいたのだ。
【はやてちゃん、また徹夜したの?】
【……ごめんなさい。】
なのはがはやての徹夜を責めるのは親友の健康状態を心配しているという面もあるのだが、それとは別の理由もあった。
前に一度、新聞の配達員は自営業の人たちでも起きないだろうという朝(?)の早い時間にはやての――徹夜明けのハイテンションな念話で起こされた事があるのだ。
【目に隈のある一人暮らしの女の子なんて――ご近所に心配されたらどうするの?】
病院の石田先生に連絡されても困るが、勘違いされて児童養護施設などに連絡されたりしても面倒な事になるだろう。 ……可能性としてはとても低いが。
【そ、そんな事よりも! 今はさっきの違和感の事のほうが大事やろ?】
【はやてちゃん……】
今度遊びに行った時、この話の続きをしようと心に決めた。
【世界に穴が開いたようなこの感じ、きっと輸送船の事故があったんだよ。】
今日がこの海鳴市にジュエルシードが落ちてくる日だったのだ。
【今が深夜で良かった。】
ジュエルシードは輸送船に乗せる時に万が一の為に簡易封印されているのだが、事故のショック、または長い放置時間のせいでその封印が解けて暴走したのではないかと考えられる、と師匠は言っていた。
【今すぐ回収するんやね?】
【うん。】
前回は病院で目が覚めた時にはすでに5個のジュエルシードが暴走していた。 それはつまり、その5個をすぐに回収する事ができれば死傷者が出る事はないという事だ。
【早速ジュエルシードの回収に行くよ。】
回収は早ければ早いほどいい。
【あんな、念話しているから気づいとるだろうけど、今猫さんたちいないんよ。】
はやては魔力を感知できないと思っているのと第三者へのアピールの為に、リーゼアリアもリーゼロッテもその魔力を完全に隠したりはしていないのだ。
前回もこの時期にいなかったからジュエルシードの回収に参加しなかったのだろう。
【あ、それじゃあ!】
【ジュエルシードを手に入れたらすぐに『次元震モドキ』でアースラっていう管理局の船を呼べるで。】
『次元震モドキ』という名前を聞いた時、はやては師匠のネーミングセンスの無さに呆れたりもしたが、「なら、代わりに名前を付けていいよ?」と返されて、かっこつけすぎた名前しか思いつかない自分に絶望したのも今となってはいい思い出だ。
【次元震が起こればプレシアさんって人もジュエル―ドがこの世界にあるって確信するやろから――ジュエルシードを探しに来たあの子をアースラが保護してくれるやろ。】
【そうだね……】
フェイト・テスタロッサが保護されるまでに地上に落ちている15個を全部回収しないとこちらの存在を管理局に知られてしまうかもしれないリスクを負う事になるが、はやての死亡フラグである彼女を放置しておく方がよりリスクが高いのは明白なので、できるだけ早い段階でアースラを呼び寄せる事にした方がいいだろうと師匠と一緒に話し合って決めていたのだった。
【それじゃあ、私はこの封印が今にも解けそうな2個を回収するから、はやてちゃんはそっち側の1個を回収してくれる?】
【わかった。 回収終わったらすぐに合流しよ。】
【うん。】
「ジュエルシード、封印!!」
「なのはちゃん!」
なのはが2個目のジュエルシードを封印したのとはやてが合流したのはほぼ同時だった。
「それ2個目?」
「うん。」
なのはは先に封印したジュエルシードをポケットから取り出してはやてに見せた。
「それじゃ予定通り私が回収してきたこれはまだ封印してないから、これを使おうか。」
「うん。」
────────────────────
「艦長!」
次元空間航行艦船アースラ内で執務官補佐兼管制官として働いているエイミィ・リミエッタ他数名は第97管理外世界で小規模な次元震が数秒間だけ発生したのを計測、艦長であるリンディ・ハラオウン提督に報告した。
「小規模とはいえ、次元震がこれだけの時間、自然発生するなんて事が今まであったかしら?」
「私は知りません。」
「でしょうね。 私も知らないわ。」
それはつまり
「何者かが人為的に発生させた可能性が高いわね。」
その言葉に、その場に居る誰もが次元震を操る強大な存在が居る可能性を――その存在と戦闘する可能性を考えた。
「すぐに本局に報告。
同時にアースラは第97管理外世界に向かいます。 ……ただし、次元震に巻き込まれないように何時でも離脱できる状態を維持したままでね。」
「了解!」
アースラは第97管理外世界――地球に向かう。
「これは――次元震?」
研究室の計器の動きでプレシア・テスタロッサは第97管理外世界にジュエルシードが落ちた事を確信した。
「これだけの反応を管理局が見逃す事はないだろうけど……」
ジュエルシードが自分の目的に必要な力を持っている事が証明されたのだ。
管理局が回収するのを指をくわえて見ている事なんてできないし、する気も無い。
「問題は人形と犬ころがどれだけ動けるか、か。」
昔の私なら局員の10や20を蹴散らす事なんて容易かったが、病に蝕まわれた今の肉体では――良くて執務官クラスと相打ちできるかどうか。
運よくジュエルシードを手に入れたとしても体が動かなければ何もできない、宝の持ち腐れというやつになってしまう。
そうならない為にも今動かせる駒を活用したいが管理局も馬鹿ではないはず。
次元震を起こせるようなモノを相手にしようと言うのに、人形でもどうにかできるような雑魚しか送って来ない――なんて考えでは危険だろう。
「警備システムの何割かをジュエルシードの確保に割いたとしても、管理局の恐怖心を煽いでしまっては意味が無い。 それで本局から応援が来られたらこちらの動きが制限されてしまう事になり、こちらの守りが薄くなってしまう事を考えるとマイナスでしかない。」
「リニスを消したのは間違いだったか。」
アレがいれば管理局を相手にしている時でも私の所にジュエルシードを転送するくらいの事はできたはずだ。
「少し危険だけど、時の庭園そのものをもう少しだけ第97管理外世界に近付けてみましょう。 いざとなったら人形を囮にして逃げればいいだけだし。」
アースラのリンディと時の庭園のプレシア、両者とも計測した次元震が実際には起こっていない事に気づかないまま、第97管理外世界――地球を目指した。
100207/投稿
100321/誤字修正