・Scene 34-6・
今更の事だが、未だにコイツの事だけは理解できない。
その日、そのプリントに記された文章を読んだときに、聖地学院生徒会長リチア・ポ・チーナが、まず最初に感じた事がそれだ。
『生徒会主催・新入生歓迎舞踏計画立案書』
『発起人・アマギリ・ナナダン 連名・ダグマイア・メスト』
理解できないと言うか、理解させる気が無いんだろうなきっとと、恐らくは同様の思いに至っているであろう会議室の面々の顔を見渡した後で、リチアは深く、大きな溜め息を隠す事無く吐いた。
眉根を寄せる室内の面々の中で、アマギリとダグマイアの二人だけが済ました顔をしていた。
解らない、やっぱり解らないと言う中で、一つだけ解る事があるなとそう思った事も、恐らく室内に居る全員共通の思いだろう。
―――ああ、また面倒ごとだ。
昨年以前から生徒会に所属するものの共通認識であるが、アマギリ、及びダグマイアの両名が何かアクションを起こした場合、それはもう避けようも無いトラブルへの誘いとなることが確定している。
しかもそのトラブルは、”気づかないものには気付かれない”類のトラブルに確実に分類されるから性質が悪い。
両者がこれまでにそれぞれ企画立案してきた幾つかのイベント―――例えばくだらない肝試しだったり、劇団を呼んでみたり、学院内設備の改築を提案したり、つまりそれらの物は全て、只受け取るだけの側の人間からすれば、代わり映えの無い日々に於けるちょっとしたスパイス、程度のもの以上にはなりえない。
だが、この生徒会役員会議に出席できるような―――手足が四本以上あるような者達にとって見れば、それは恐ろしい災厄の種と言える。
一つイベントが起こるたび、生徒たちの見えないところで幾つもの目や耳がうろつき、ぶつかり、対立にまで発展して、率直に言ってエラい騒ぎである。
決して表ざたにならない部分で行われているそれらが、いつ表側にまで暴発してしまうのか、それが想像出来てしまう立場に居る人間にとっては胃が痛い日々だ。
―――それがまた、再び。
それだけなら、最早彼等にとっても、”やれやれ、新学期始まって、まだ新生徒会役員も任命していないと言うのに、いきなりか”と溜め息混じりに苦笑いの一つでも出来るだけの余裕―――諦めとも言う―――も出来たのだけれど、今回はまた爆弾が仕掛けられていた。
『生徒会主催・新入生歓迎舞踏計画立案書』
これは良い。どうせ準備をするのは使用人たちだし、基本的に彼等が提出する企画案は全て完璧である。
こまごまな雑事を押し付けられてもさして苦にはならないから、後は何時ものように背中の心配だけしていれば良いのだから。
問題は、である。
『発起人・アマギリ・ナナダン 連名・ダグマイア・メスト』
―――え? 二人同時?
何かの悪い冗談だろうか。
ひょっとしてアレか、異世界人が言うところの、四月馬鹿。
っていうか、名前が二つに増えるとパワーも倍になるんじゃね?
逆に考えるんだ、名前は既に二つある。ゆえに既に話は済んでいる。トラブルは起きないと。
悲喜交々。
しかしでかい声を出すのは皆躊躇われるのか、ひそひそと小さな声で傍の者達と囁きあっている。
如何にも生徒会役員として集った者の態度としては問題があったが、上座に座るリチアはそれを止める気にはならなかった。
ただ、額を押さえてため息を吐く。
できる事なら机に突っ伏すか、それともこのイベントの発起人様の首根っこを引っ付かんで廊下に退出の後、怒鳴りつけてやりたい気分である。
最早毎度の事だが、近くに座っているアウラの同情するような視線を感じて、リチアは涙が出そうだった。
そんなリチアの気持ちを知ってか、知らずか―――知らない訳が無い、断言しても良い―――やはりリチアに最も近い席に腰掛けていたアマギリが、何とも平坦で無機質な、聞こうと思えば気楽なものに聞こえなくも無い声で尋ねてきた。
「それで生徒会長閣下、如何でしょうか? それなりに楽しめるように首を捻ってみたのですが―――二人で」
最後に付け加えられた言葉に、室内のあちこちでうめき声が上がった。それはリチアも変わらない。
「楽しんでるのはアンタだけでしょうが」
「楽しいイベントを企画するには、まず自分が楽しむ事が大切だ、と仰りたいのでしたら、そうですね」
存分に楽しんでいます―――この、滑稽に慌てふためく様をと、視線を交わしたリチアにだけ気付かれるようにアマギリは付け加えていた。
その本気で楽しそうな態度に、リチアはやはり思う。
ああ、駄目だ。私にはコイツの事は理解できない―――と。
狡猾なだけの人間であれば、よほど理解できる。
邪知佞姦をめぐらせ、陰謀詐術に秀でているだけの人間であれば、そういうものだと納得すれば良いだけの話なのに。このアマギリと言う男の振る舞いは、それを許さない。
例えば誰かを貶めようとする時でも、回りに被害が及ばないように配慮を欠かさなかったり、仕事は優秀なくせに私生活はまるでだらしなかったり。
と言うか、先ごろ相談された”妹に避けられている”などと言う冗談としか思えない質問は何だったのだろうか。
新手の嫌がらせかと思ったのだが、今までに見た事も無いような至極真面目な顔をしていたためそういうことでもないらしい。
むしろ国際政治の舞台裏で策謀を張り巡らせる時に限って遊んでいるような顔をしているのに、そんなどうでも良いようなことばかり糞真面目な顔をすると言うのはどういうことなのだろうか。
ついでに、それをリチア自身に相談する理由も今ひとつ良く解らない。
嫌がらせか。嫌がらせに違いない。―――それを嫌がらせと感じる自身の感性もたまに解らなかったが。
ともかく、アマギリがこういう提案をするたびにリチアは忌々しそうな顔をしている事は、アマギリ自身が一番良く知っているだろうに、それをやめようともしない。
嫌われているのだろうか、つまり歪曲的な嫌がらせなのだろうかと、リチアは度々考える事もある。
いや、アマギリと相対している時は口調が何時になく辛らつになっていることは自分でも認めるところではある。
だがそれはアマギリも同様の事が言えるし―――と言うか、あの男は気を使う時は逆に相手が萎縮してしまうくらい女性に気を使う事ができると言うのに、リチアと話している時は随分とぞんざいな口の聞き様である。
やはり嫌われて―――いや、ワウアンリーよりはマシだが。あの扱いはリチアを持ってしても酷いと思う。
尤も、アレはお互いあのやり取りを楽しんでいる節もあるのだが。
―――それを言ったら、私もそうか。
遠慮せずに言葉を交わせる人間は貴重だ。
特に異性でそういう人物と出会うことが出来たのは幸運だとリチアは思っている。
アマギリがリチアに見せる態度はリチア以外に対した時は見せる事の無い態度であるから―――アマギリも、同様に感じているとリチアとしては思いたい。
嫌われていると言うのは、有り得ないだろう。
稀に繰り返す自身の懊悩の中で、また再び、リチアはそのように納得した。
それゆえに、本当にリチアはアマギリが理解できない。
別に嫌っている訳ではない筈なのに、どうしてこう、ひたすらにリチアに嫌がらせをする事をやめないのか。
まぁ、妹との仲を何とかしたいなどと言う阿呆な質問をされたときよりも幾分はマシだったが。
アレには本当に困った。考えるより先に手が出ていたのは初めての経験である。何で丸めた書類を投げつけられたのか理解していないのがまた忌々しかったのだが。
―――尤も、リチア自身も何故考えるより先に手を出していたのかを理解していないのだが。
そんな二人のやり取りを、相変わらずそこに居たアウラが微笑ましげに見守っていた事に関しては記憶から除外していた。
何しろ考えると精神衛生上良くないことになりそうだったのだ。
リチアはそこまで思い出してしまい、慌てて志向の角からそれを追い払う。
問題は現状をどう捌くべきか―――そんなものは既に決まっている。
潔く諦めるのだ。
アマギリ然りダグマイア然り、派手な行動を取る時には十全と根回しを済ませている事が殆ど。
誰かに指摘を受けて修正をさせられるような手抜かりなど、毛の一本ほども残す訳が無い。
尤も、アマギリに言わせれば、ダグマイアの場合は、別にブレインが居てそいつが企画しているから手抜かりの一つも見つからないんだと言う事らしいが、今は男の僻みに付き合う気分でもないのでリチアは割愛する事にした。
それゆえに、此処までの思考をほんの数秒で片付けた後で、リチアは対応を導き出した。
「面倒だから、建前は抜かして本音だけ言いなさい。そうしたら許可するから」
上っ面の文言を形式どおりに交わすなど、この男と相対した時は愚の骨頂。
トラブルは好きなだけ起こして良いから、とりあえずそのトラブルを回避する方法もここに居る人間にくらいは教えておけとリチアは単刀直入にそういっているのだ。
此処まで割り切れるようになるまで二年掛かった。経験と言うのは貴重である。
アマギリも、恐らくそう来ると予想していたのだろう、何の驚きも見せずにリチアの言葉に頷いた。
「まぁ、ようするにガス抜きです」
「ガス抜き?」
これはアマギリの対面に座っていたアウラの呟きだった。疑問を素直に口に出したアウラとは対照的に、リチアはその言葉だけで概ね事情は察した。
舞踏会―――つまりは着飾ってのダンスパーティーだ。
そしてこの学院の男女比率には大きな偏りがあり、このイベントの要旨に、エスコート役として原則男子生徒は全員参加と記されていた。
その辺りから”ガス抜き”の意味を推察していけばおのずと答えはでるのだが―――その答えに行き当たったがゆえに、リチアはアマギリの言葉を止めるべきだと感じた。
しかし、遅かった。アマギリは既に極上に楽しそうな顔でアウラの質問に答えようとしている。
かくなる上は何を言われても忍耐を―――無理か。
「皆さん最近、”柾木剣士”と言う名前の使用人が、学院で働き始めたのをご存知でしょうか?」
「なに?」
ああ予想通りと思うリチアの傍らで、アウラがアマギリの言葉に目を剥いた。
柾木剣士。
考えるまでも無い。簡単に言えば野生動物。もっと詳しく言えば野生の動物である。
色々と、遊び好きの教師の口車に乗せられて、気付けばリチアも正直余り思い出したくないような状況に巻き込まれた。いやもう、本当に。
ともかく、何だかんだとあって、挙句の果てに校舎の破損行為への幇助なども行ってしまい、停学に奉仕義務などと言う生徒会長にあるまじき状況に追い込まれてしまった事は未だ記憶に新しい。
リチアが一人で微妙に苦い顔をしている間にも、アマギリは目の前のアウラの態度などまるで存在しないかのような穏やかな口調で先を続けている。
「何ていうか、この学院内では珍しい、僕等と同年代の、しかも男の使用人だったりするものでして。そのせいで、少し最近学院内が騒がしくなっていると言う事実は皆様も感じていらっしゃるのではないかと思います。―――生徒会内の人にも、色々ありましたしね?」
「知らないわよ」
視線だけで返事を要求してきたアマギリの言葉を、リチアは一言で封殺する。アマギリは肩を竦めて先を進めた。
「ようするに、生徒会長及び何処かの国の女王様辺りを停学に追い込むような影響力のある使用人なんですが―――」
「知らないって言ってるでしょうが」
しれっとした顔で、言われたくない事を平然とのたまうアマギリに、リチアは頬を染めて罵る。アマギリはすまし顔だった。会議室のそこかしこで同情するような暖かい失笑が浮かんでいたのがよほどリチアの心を刺した。アウラなど顔を真っ赤にして蹲っている。
アマギリは相変わらず、最早必要ないだろうと思われる説明を続けている。
「そのカリスマ性が、最近他の一般の女性徒まで引き付け始めましてね、お陰で、これまで女子の視線を一身に集めていた人たちが―――ね、ダグマイア君?」
「さて、他者の視線など私は気に賭けた事もありませんゆえ、理解しかねますね」
悪戯っぽい顔でアマギリはダグマイアに視線を送ったが、ダグマイアも何処か楽しげな態度でそれを避けた。
「―――とまぁ、このようにダグマイア君レベルになると使用人の一人や二人に一々気にかけるような大人気ない事はしない訳だけど、喜び勇んで聖地に来たばかりの新入生とか、すっかり聖地で味を占めてしまった高学年生徒とかだと、色々と、ね」
「殿下に相談されるまで私には思いつかなかった類の問題です。流石に市井の者たちの心をよく理解してらっしゃると、あの時は感服しました」
「いやいや、このままだと”愚かな事を考えてしまう人間が出てしまうかもしれない”と言った時に直ぐに理解してくれたダグマイア君こそ流石だと思うね」
お互いを褒めあっているように見えて、何故か牽制しあっているようにしか見えないのは多分気のせいではないのだろう。
リチアはまた一つ、眉間の皺を深める事となった。
「ようするに、使用人に嫉妬し始めている男性聖機師に、少しは良い思いをさせてやろうって話ね」
これ以上アレコレと混ぜっ返されながら説明され続けるのもおっくうだったので、リチアは強引にアマギリの言葉を切り上げて内容を纏めた。
「ええ。まぁ、国に食わせてもらってる分際で贅沢なこと言ってるんじゃないって個人的には思うんですけど、ああいう暇をもてあましている連中の機嫌を損ねると、過激な方向に走りやすいですからね。―――だから、ここらで一つガス抜きでも、ね」
アマギリはリチアの言葉を否定する事もなく、それさえ言えば自分の役目は終わりとばかりに背もたれに体を預けて瞳を閉じてしまった。
ダグマイアの方に視線を滑らせると、少しだけ機嫌が悪そうだった事が、またリチアの懊悩を深めた。
男性聖機師の慰撫。
なるほど、言われて見れば確かに。
あの柾木剣士ばかりがちやほやされている現在の聖地学院においては、必要な行動と言えるかもしれない。
公然と女子と近づけると言うのも良い。使用人は参加不可能と言うのも、高ポイントだ。
男性聖機師どもならば、それで会場に入れない柾木剣士の姿を見て、勝手に優越感でも覚えて悦に浸ることだろう。
それ故に、この企画は断然有りだ。
だから結局、問題は。
何故アマギリとダグマイアが連名で提出した議題なのかと言う事で―――リチアにはそれが、解らなかった。
ダグマイアだけが企んだのであれば後で問い質すだけで充分なのだが、しかしアマギリは一度仕掛ける側に回った場合、頑なとしてその内実を語ろうとしない。
それゆえに、今回の疑問はリチアが自分で考えるしかないのだが―――解る訳が、無い。
断言で着てしまう自分に思うところも無くは無いが、無駄な事をするのもどうかと思うので、納得するしかないのだ。
繰り返すが、リチアはアマギリのことが解らないのだ。
リチアが理解できる事と言えば、アマギリはどれほど悪辣な罠を張っていたとしても、リチアを生命の危機に落とすような事だけは、絶対にするはずが無いと言う事だ。
それさえ解っているのだから、良いか。
そんな風に思い、リチアは生徒会長としてこの提案の可否を問う挙手を役員たちに求めた。
なあに、何時もどおり。
全部が終わった後で、散々に苛め抜いてやれば良い。
きっと苦笑交じりの、情けない顔を見せてくれる事だろう。
それを楽しみに、少しの苦労を味わっても、別に。
―――今は、そう考えてしまうようになってしまった自分のことこそ、リチアは一番理解できなかった。
・Scene 34:End・
※ 書くも書いたり99話ってトコでしょうか。思えば遠くへ来たものですがテキスト量的には、大体此処までで1Mかそこらみたいです。
……ラノベ四冊くらい?
開始当初の想定だと、プレ編50、本編50で全部で100話とか考えたんですが、実際は、ねぇ。もう暫く続きます。
まぁ、今回は尺の事は考えないでやるってのがコンセプトでしたし、この調子でまったりと進んでいくかと思います。