・Scene 31-5・
「遙照様?」
短髪で、小柄で、幼い顔立ち。トリアムの溶解液を送る点滴のケーブルを細い腕からはやした、あどけない寝顔をさらす少年。
スワンの宮殿内にある客間で眠るその少年の姿を見た時、アマギリの口から零れた言葉がそれだった。
―――何故か眠り続ける少年の姿が、かつて憧憬の眼差しで見上げた人に似ていた気がしたのだ。
いや、気のせいだろう。
清廉潔白にして文武に於いて劣るものなし、皇族たるに相応しき完璧なるありようを示していたあの方と、この歳相応の無防備な寝顔をさらす少年に、何処に共通要素が―――。
「―――下、アマギリ殿下っ!」
「お?」
「お? じゃないですよ、人の家にお邪魔してるんですから、こんな所でボーっとしてないで下さい」
瞬きをして辺りを見渡すと、ベッドの周りに集った女性たちが不審気な表情で自身を見ていることにアマギリは気付いた。
声がした方を振り返れば、薄暗い廊下に立っていたワウアンリーが、気まずそうな顔をしている。
「―――ああ」
なるほど、と納得してアマギリは入り口から室内に踏み入り、脇に避けた。
どうやら部屋に入ろうとした瞬間に立ち止まって、ぼうっとしていたらしい。
「ああ、じゃないですよ。どうかしたんですか、ホントに」
従者としての役割を自覚してアマギリの背後に続いていたワウアンリーが室内に踏み入る。部屋で寝ている病人よりも、アマギリの態度に不審を覚えているらしい。
と、言うよりもワウアンリーだけではなく、室内の全員の視線がアマギリに集中していた。
ラシャラ、アウラ、キャイア、メザイア、そしてユライト・メストも含めて。
何がしか自身が発言をしなければ拙い状況らしい事を、アマギリは理解した。と言っても、恐らく期待されているであろう言葉は、自身にも理解できていないから、言える言葉は当たり障りの無いものだったが。
「その子が、ウワサの暗殺犯ですか?」
室内の全員がげんなりした顔をした。予想はしていたけどと言う白けた表情も混じっているのがアマギリには微妙に悲しかった。
しかし、言葉をこれ以上重ねる気もしなかったので、アマギリは腕を組んで壁に背を預けた。
ラシャラがやれやれと首を振って口を開いた。
「うむ。高地で生まれただけあって中々俊敏な動きをしよっての。キャイアも苦戦しておった。のう、キャイア?」
「え? あ、ハイ……」
片眉を上げて傍に立っていたキャイアに話を振るラシャラであったが、キャイアは突然話を振られて戸惑ったように曖昧な言葉を返してしまう。メザイアがため息を吐いた。
「あの子、ホント腹芸に向かないよな」
「気付いてもそういうのは口に出すの止しましょうよ」
ポツリと遠くまで聞こえないように呟いたアマギリの言葉に、傍で聞いてしまったワウアンリーが頬を引き攣らせる。否定はしないあたり、ワウアンリーもそう思っているのは揺るがない事実だった。
アマギリは都合よく視線が自分からずれたのを言い事に、薄く笑みを浮かべて再び口を開いた。
「高地人、ねぇ?」
「そう、高地人じゃ。運動能力に優れるがエナへの大勢の低い、の。―――ひょっとしてこの者、お主の知り合いか何かか?」
探るような言葉を放るラシャラの態度から、先の居た堪れないやり取りは釣りだった事にアマギリは気付いた。尤も、キャイアの態度は素に違いないと確信していたが。
「僕の知り合い? そんな訳は無いだろう」
アマギリはお見事などと思いながらも、ラシャラの期待通りの言葉を返す事はなかった。ラシャラはしかし、アマギリの言葉にニヤリと笑って応じた。
「先ほど何やら、この者の顔を見て驚いておったようじゃったのでな。てっきり顔見知りだと思ったのじゃが、妾の気のせいかの?」
「それは無いって」
「ホントかのう? ”ヨウショウ”などと口走っているのが妾には聞こえたぞ。―――この者の名前ではないのか」
随分としつこく探ってくるラシャラの態度に、アマギリは彼女がこの眠り続ける少年にご執心なのだと理解した。
その理由を察する事はアマギリには容易い事だった。
確証が欲しい。”そうである”との、確証が。
―――ついでに、それを理由に横取りされる事を恐れている、だろうな。
ラシャラの立場から言えば使えるものは猫でも杓子でも、と言った気分だろうから、そういう心配をするのも当然だろう。
だが、些か焦りすぎている。アマギリは嘆息した後口を開いた。
「気のせいじゃないか? だいたい、その子が僕の知り合いだった場合、その子は異世界人になっちゃうじゃないですか」
「―――ム」
異世界人。アマギリは自身の事を異世界人と認識しているし、実際それは状況証拠から言って間違いないだろう。
ラシャラはそれを承知しているから、眠っている少年が本当に異世界人であるとの確証を欲してアマギリに確認の言葉を重ねてきた。
ラシャラの思惑からずれた事があったとすれば、アマギリは自身が異世界人であるという事実を全く隠す気が無いという事だろう。
平然としている本人より、聞いていた周りの人間の頬が引き攣っていた。
「―――ちょっと待てアマギリ。それは自分で口にして言い事柄なのか?」
「あれ、アウラ王女はご存じなかったんですか?」
「そこで今気付いたみたいに惚けるのやめましょうよ、殿下」
そう、例えその事実を知らなかった人間の前でも、必要とあればあっさりと口にしてしまえるのだ。お陰で従者は常に胃が痛い思いをしているのだが、アマギリはそのことに関しては感知していない。そんなものは給料分に含まれていると解釈していた。
アマギリは傍で腹を押さえて顔を青くしている従者は放ったまま、アマギリは言葉を続ける。
「まぁ、皆知ってる事だろうし、今更って感じだし―――ああ、そう言えば」
それこそ、わざとらしい驚き方をして、言葉を切り、視線を移す。
「教会に所属しているお二方はご存じない話でしたっけ。その割には随分とリアクションが低いように見受けられますが」
ユライトと、そしてメザイア。アマギリはその二人の大人に冷めた視線を叩きつけた。
座ったまま顔を伏せてアマギリたちの会話を聞いていたユライトが、その言葉に顔を上げる。
微笑んだ顔。何時ものように、変わる事無く。
むしろ、周りに居た人間達の表情の変化こそが、見ものだった。
アマギリの言葉の鋭さに眉を顰める女性たちの顔の中で、ラシャラは特に、面倒な事をしてくれると苦い顔をしている。
しかし、この場で二人だけの男達は、女性たちの表情の変化をまったく気にする事無く会話を続行した。
「ええ、私とメザイアは教会に籍を置いていましたので、殿下のその辺りの事情は理解しています。―――ですから勿論、殿下の現在のお立場を否定するような事はありません」
ユライトの言葉は、むしろ疑いたければ好きなだけ疑えと言わんばかりのものである。
何時ぞやの一件で主導権を奪われた事が、案外腹に据えかねていたのだろうかとアマギリは考えた。
「―――へぇ、教会に籍を置いていたから、知っていたのか」
「ええ。教会には世界中のあらゆる情報が集結しますから」
「そりゃあ良いや、じゃあ今回の襲撃事件の犯人が誰かも教えてくださいよ」
皮肉気に唇を歪ませて言い放つアマギリに、しかしユライトは笑みを崩さなかった。
「殿下のご想像通りかもしれません」
あっさりとした態度。まるで動じていない。
つまりは、その場限りの言葉など何の拘束力も持たないのだと、その辺りの解釈の仕方はアマギリと同じだった。
それゆえ、アマギリもこれ以上探りを入れてみても何の意味も無いと解っていたのだが、目の前で堂々と、それも室内の全員から不審の眼差しを向けられている中で我関せずの態度を取られていれば、言葉を留める気になれるはずも無い。
「じゃあ、目の前にいる事になってしまうんですが」
「これはこれは。まさか、ラシャラ女王が自ら引き起こしたとでも?」
「もうよい、止めよ。今は妾と話しておるのじゃろう、従兄殿」
会話が直接的な表現に発展して行きそうになっていたので、流石にラシャラが仲裁に走った。
ここには全く第三者であるアウラも居るのだ。
アマギリと付き合いも深い関係である以上、ある程度の事情を察しているだろうが、だからと言って詳しく話して聞かせてやりたい話だとはラシャラには思えなかった。
だがアマギリは話の腰を折られて不満顔である。冷めた眼差しでラシャラに言った。
「下手人の首を跳ねるチャンスなのに?」
「―――つまりお主がここに居るのはそれが目的じゃったのか。何時ぞやの一件の時もじゃが、お主存外やる事が過激よの」
「当然だろう。せっかく馬鹿な倅を始末するチャンスだったのに、気の利かない従者は下手人取り逃がした挙句聖機人壊されるわ、唯一の戦利品はキミが既に所有権主張してるわ。わざわざここに残ってやる事なんて、一つしか無いだろう」
「始末って、ちょっと」
「うわぁ、頑張って生き残った従者に相変わらず愛が無いなぁー」
やれやれとため息を吐くラシャラに、アマギリは何を今更と応じた。
何かに反応して声を荒げるキャイアや、肩を落としてしょげるワウアンリーには構いもしない。
「今度は斬ってくれじゃなくて、斬らせてくれるだけで良いんだけどねぇ」
「気持ちは解るが、本人の前でする話ではなかろうて」
「キミのためでもあるのに?」
「それで許可を出しては、妾が可能性の未来を恐れて粛清を重ねるだけの愚かな独裁者となってしまうじゃろうが」
二人の王族の話に、メザイアは困った風に笑みを浮かべたままコメントを控えていた。ユライトも言わずもかなである。アウラは何かを考え込んでいるようだったが、それゆえに口を開く事はなかった。
従者達に関しては、どのような顔をしていようとアマギリもラシャラも知った事では無いらしい。
ラシャラはマイペースに確認すべき事項を尋ねてきた。
「ところで従兄殿。口ぶりから察するに、この者は妾が貰ってしまって良いのじゃな?」
チラと未だに目覚めない少年に視線を送るラシャラに、アマギリも頷いた。
「ま、先に取られちゃった以上は、ここは素直に引くよ。ああ、ついでにキャイアさんがウチの聖機人をぶっ壊した事に関しても、キミの入学祝代わりにチャラにしてあげる」
「あ……!」
付け足された言葉にキャイアが顔を青くした。ハヴォニワ”王家”保有の聖機人を破損させてしまったと言う事実が持つ危険さに、今頃気付いたらしい。
「アマ、ギリ殿下、そのっ……」
焦った声で何かを言おうとするキャイア。
アマギリはそれに何の反応も示さない。それはラシャラも同様だった。
王が”由”と言った以上それは”由”であり、それ以上の意味は無いのだ。
感情的な部分で気に留めても何の意味も無い事を、ラシャラはよく理解していた。
「では、この者は妾の預かりとさせてもらう。アウラも依存はなかろう?」
「依存は幾らでもある。―――が、舌戦でお前達に勝てるとは思わんからな。貸しにしておくぞ」
唐突かつ強引に話を振られても、アウラは苦笑交じりに頷くに留めた。
この場に居る人間の中で、特別状況を把握し切れていない事情があったため、現状何かを主張しようにも手に余る状況だったのだ。
後手に回るのは仕方が無いが、迂闊な行動を取るよりは、後日詳しい事情を確認した方がマシだと判断している。
最後の言葉に視線を合わされたアマギリは、そのあたりの事情を了解して苦笑を浮かべた。
「何で最後だけ僕の方しか見てないかな」
「日頃の行いじゃないでしょうか……」
「そういえば、キミ明後日から正式に聖機師として登録されるから、雇用契約結びなおすんだよね。ゼロ、何個減らしたら良い?」
「いやむしろそこ増やす場面でしょ!!」
「だってホラ、キャイアさんに責任背負わせない以上、キミが聖機人壊したって事にしないと拙いし。それとも何か。キミは明後日から同期の聖機師となる人間を直前で排除しておきたい理由でもあるのか?」
「う、あ……あのぉ?」
アマギリの言葉に緊張に声を詰まらせるキャイアに、ラシャラは苦笑交じりに口を挟む。
「気にするだけ無駄じゃぞ、キャイア。―――む、皆少し黙るが良い」
突然言葉を切って真剣な声を出したラシャラに、アウラが瞬きをする。
「どうした、―――おお」
「あら」
アウラの声に、メザイアの感嘆の息が混じる。
―――そうして、少年は目覚めた。
「おお、目覚めたか」
おぼろげな視界で辺りを見渡すと、薄明かりのついた天井と、それを隠すように周囲に折り重なる人々の姿が目に映った。
「熱は引いたようね」
枕元の近くに居た女性が、額に手を添えて優しい口調で言う。
「薬草があったとは言え、随分早い回復だ」
褐色の肌の女性が、安堵の息を漏らす。
「まったく面倒な……」
「とりあえずこの恩は、後で返してもらいましょ?」
「あなたねぇ」
気の強そうな女性と小柄な少女が、”仲良く喧嘩”をしている様はまるで故郷の姉達の姿を見ているようで、少年は郷愁に胸が締め付けられそうになった。
いっそ、泣いてしまえたら。
出来る筈が無い。
男の子は強くなくてはいけませんと姉達も言っていたし、何より、迷惑をかけた人たちの前で無様をさらす事は、少年の矜持が許さなかった。
起き上がって、お礼を言わなくちゃ。きっと助けてくれたのだから。
そうして、ベッドから半身を起こそうとしたその最中、少年はドアの傍に佇む一人の男の姿を目にする事となる。
「―――爺ちゃん?」
我知らず、少年は呟いていた。
栗色の髪を背に纏めた、観察するように少年を見ているその男性は、まるで似ている部分など何処にも無い筈なのに、何故か故郷に居る優しくも厳しい祖父の姿を連想させた。
身に纏う空気が、きっと少年にそう思わせた。
男性は少年と視線が絡むと、薄く笑って肩を竦めた。
同情とも憐憫とも、しかし嘲りともつかぬ、そんな笑みだった。
その笑みを顔に貼り付けたまま、男性は声には出さずに、唇を動かして少年に言葉を届けた。
ようこそ、此処へ。異世界の聖機師殿。
―――そして、夜が明ける。
目覚めの時間。物語の、始まりの時。
・Scene 31:End・
※ 漸く出てきたけど一言しか喋ってねぇ!! ……でも原作でも概ねこんな感じだよね。
12話で叫んでてびっくりしましたよ。