・Sceane 28・
故人を偲び、しめやかに。
生前の威を讃えるように、厳粛な心持で。ただ、死後の安寧を祈りながら。
―――果たして、葬列に参加した幾人が、一体それを信じていたと言うのか。
降りしきる雨の中、シトレイユ国皇王の葬儀はしめやかに行われ、そして静かに幕を下ろした。
俯き加減の参列者たちの表情は、皆一様に暗く沈んでおり。葬祭殿へと進み行く葬列の足取りは、弱く、鈍い。
それは、一人の人間との別れを惜しんでいるのではなく、一つの時代の終わりを惜しみ、新たな時代の訪れを、恐れおののいているかのようであった。
そして、雨がやみ、霧が晴れ、雲が流れて日が差し込んだ頃。
「ではの、従兄殿。―――次に会うときはお互いに、精々笑顔でと、―――そうありたいものじゃな」
アマギリは一人の少女との別れと、一人の王との出会いを経験した。
今後の彼女の人生に幸あれなどと、今のアマギリの立場から言えば間違っても言えるはずも無く、ただ、少女とかがみ写しのように困った笑顔を浮かべる事しか、出来なかった。
別れの言葉は短く、そして淡々とした物。
いずれまた会う、その日こそは。願って、笑顔でいられますようにと―――アマギリですら、思わずにはいられない物だった。
「―――まずはお疲れ様、かな」
「そう、ですわね。やはり、こういう空気は慣れません」
「マリア様たちはまだ良いじゃないですかぁ、最後のお葬式に出席するだけだったんですからぁ。あたし何てもう胃が痛い頭が痛い心が痛い……」
「そういえば、結局ラシャラ皇女……もう女皇って言っても問題ないか。ラシャラ女皇とはたいして話してなかったけど、元気だった?」
「戴冠式は来年だから、まだ皇女だと思う。見た目は、何時もどおりだったけど―――」
「空元気、ですわねアレは。ああいう態度を取られると、かえって気を使わざるを得ませんのに」
「やっぱそんな感じだよなぁ。ま、状況が状況だし、仕方ないって事にしておいて上げないと。必要な話は出来たんだろう?」
「ええ、今後ラシャラの耳に届かない可能性のある内容について、ある程度。従者の方を連絡役にして定期的に情報を送ると、ちゃんとお母様からの伝言も抜かりなく」
「じゃあ、我が家の目的は一先ず達成って事で―――本当に皆、お疲れ様」
「「お疲れ様でした」」
ここ三日ほどで慣れ親しんだ優雅で気取った態度ではなく、気だるげで皮肉めいた声と共に頭を下げるアマギリに続いて、テーブルに集った者たちは口々に言葉を続ける。
在シトレイユ、ハヴォニワ公館。
この国における唯一の心安らげる空間に於いて、アマギリたちハヴォニワ王家一行はテーブルを囲んで午後のお茶会と洒落込んでいた。
葬儀は終了し、既に一夜明け。この公館から引き上げるのも直ぐ明日である。
先日までの沈痛な空気を象徴するかのような雨模様の天気も、今日は晴れ。アマギリたちは疲れを癒すかのように気楽な心持ちで身内だけの談笑を楽しんでいた。
「ほんとに、疲れましたよ……」
「頑張った」
ぐてんと、だらしない姿勢で背もたれに身体を投げ出すワウアンリーを、ユキネが頭を撫でながら慰める。
「殿下ぁ、やっぱりあたしにはこのお役目は向いて無いと思うんですけど……」
「残念だけど賃金は前払いで一喝振込み済みだったりするんだな。―――ま、次は此処まで重たい空気って事は無いと思うし、頑張ってよ」
率直に護衛の役目から解任してくれないかと話を振ってくるワウアンリーを、アマギリは笑顔で退ける。
「ぅぅ……。返金する気が起きない貧乏な自分が恨めしい」
「大丈夫」
素気無い主の言葉に涙目になるワウアンリーに、ユキネが励ますように言った。
「―――そのうち、慣れる」
「嬉しくないですそれ!!」
「知らない間に随分達観しましたわね、ユキネも……。気持ちは解りますが」
妙に綺麗な笑顔で諦めろと告げるユキネに、マリアが微苦笑を浮かべて応じる。
確かに、アマギリ・ナナダンの傍に居るのならば、有る程度の諦めは肝心だろうなと思っていた。
「まぁ、しばらくはおとなしく学院生活を続ける予定だから、今日みたいな事はしばらく無いって」
四方八方から酷いように言われているのにまるで堪えていないかのような気楽な声で、アマギリは言った。この男はこの男で、こういう扱いに慣れてきているのかもしれない。
ワウアンリーは眉根を寄せて尋ねる。
「―――何も無かったら、自分から何か起こすタイプじゃないですか、殿下」
「良く解ってるじゃないか、我が従者ワウアンリー。それじゃあ、さしあたって新型蒸気機関の開発スケジュールの短しゅ……」
「あたしが悪うございましたっ、サー!!」
「サー、と言うかハイネスですけどね、その方」
マリアがどうでもよさそうに突っ込みを入れると、ワウアンリーはこれ以上苛めないでくださいと言うような涙目を向けてきた。それを微笑を浮かべてあしらいながら、マリアは姿勢を正して兄に視線を向けた。
「それでお兄様。如何でしたか、シトレイユは」
「どう、ねぇ……?」
質問の意図が理解できないと言うわけではなく、自身の考えを纏めるかのようにアマギリは首を捻った。
「どう、か。―――どうもこうも、どうなんだろうな。……良く解らない」
少しの間を取った後で発せられたアマギリの言葉は、随分要領を得ない物だった。
「解らない? この三日と言う短い期間で、随分と大勢の方と言葉を交わしていたように見えましたが」
「そうですよねぇ。その度に後ろに立たされてたあたしは随分胃が痛い思いをしたんですし」
「いえ、そんな事はどうでも良いんですけど」
ぼやき声を上げるワウアンリーを一言で往なしながら、マリアは眉根を寄せてアマギリのシトレイユでの行動を反芻する。
予め決められた役割分担という事で、マリア自身は外交的行動をとらずに、ただ少女としての友情でのみ動く”無垢な王女”を演じていた。
ハヴォニワの次代は未だ国際舞台に立つ力は無く、ただの子供に過ぎない―――それ故、シトレイユの次期女皇と常に行動を共にしていたところで何の問題にもならない。
まさか悲嘆にくれる皇女とそれを慰めているだけの王女が、世を皮肉るような微笑を浮かべて今後しばらくの間の情勢の変化に対応するための協議をしているとは、誰も考えない。
それ故に、各国の人間にとって、ハヴォニワの”本命”は積極的に動いているアマギリだと思わせる事が出来る。所謂、戦略目標の分散と言う意味にもなる。
王女は放置しておいても、むしろ無知な分だけ放置しておいた方が得と思わせ、女王フローラに似た新しい王子のほうが危険人物だと印象付ける事が可能だったのだ。
そのため、アマギリの人となりを見極めようと、彼の周りには大勢の人が集っていた。
「まぁ、たいていの人はとりあえず顔を見に来たって感じだし、だいたい事前に資料を見たとおりの反応で、それ以上のものは無かったんだけどね」
「では、何がわからなかったと?」
個人的な感情の機微にはどうしようもないほど最悪に鈍感ではあるが、こういった方面に関するバランス感覚、洞察力だけは信頼できる兄が、こうも要領を得ない言動を取るのがマリアには理解できなかった。
「うん。―――まぁ、何ていうか根本的な話しなんだけどさ」
「―――はい」
生真面目な顔を浮かべて聞く姿勢をとった妹に、我ながら馬鹿馬鹿しい話しなんだけど、と前置きした後でアマギリは口を開いた。
「ババルン・メストって何がしたいんだと思う?」
「―――はい?」
マリアは思わず、目を丸くして間抜な返事をしてしまった。アマギリも、自分で言った言葉に自分で首を捻っている。
それ故に、止まってしまった兄妹の会話に反応したのは二人の従者だった。
「何って、その、簒奪とかじゃないんですか?」
「そう。二人とも―――フローラ様もだけど、皆それを前提として動いていたんじゃないの?」
言いにくそうに決定的な単語を告げるワウアンリーに、ユキネも頷いて続ける。
シトレイユ国宰相、ババルン・メストは王亡き国を奪い取るつもりだ。
それを発端として起こるであろう国際的な大紛争をどのように乗り切るか。これまでフローラを中心として話し合ってきたのではないのか。それが此処に来て、全ての前提を狂わせるような発言が出てくるとは、ユキネ達ならずとも、理解に苦しむ話である。
マリアは苦い口調で兄に尋ねる。
「つまりその、ババルン・メストは騒乱の引き金を引く事は無いと……お兄様はそうお感じになられたと言う事でしょうか」
そんな莫迦なと言う口調で問いかける妹に、アマギリは確信的な口調で応じた。
「いや、宰相閣下は必ず乱を起こす。それだけは絶対だと思う。今までの行動から考えて、それは間違いない」
「―――はぁ」
今度は先の自分の言葉を丸ごと否定するようなアマギリの言葉に、マリアは益々訳が解らなかった。
「どう言う事ですか? ババルン・メストが何かをすると言うのであれば、あの人の立場であれば目的は一つしか無いでしょう。いえ、勿論そこから更に大きく広がっていく可能性は高いですけど」
「えーっと、まずはシトレイユの玉座を頂いて、その後で世界征服とか……そんな感じですよね」
聞き伝の知識で回答を言うワウアンリーに、しかしアマギリは否定的な顔を浮かべた。
「其処なんだよね、問題は」
「……何か、問題が?」
「いやさ、あの人と話してみて解ったんだけど。あの宰相閣下、自分の立場をよく理解してるんだよね」
アマギリは疑問の視線を向けてきたユキネに答えながら、天井を見上げ腕を組んだ。そして、考えを纏めるようにゆっくりと口を開く。
「あの人がシトレイユって国を欲しいと思うなら、何もする必要は無い。黙って待ってるだけでシトレイユは彼の物―――どころか、今まさに、シトレイユはとっくにババルン・メストの国だよ」
だから、わざわざ乱を起こして国取りなどする必要が無いし、ババルンはその事を理解している。
アマギリの言葉はそういう意味だった。
それを、この三日の間に幾人もの人々との対話の間に感じ取ったのだとアマギリはそう続けた。
「取るまでも無く、国は実質的に自分の物―――ですがお兄様。その実質的にを名実共にと変えたくなると言う事は考えられないのですか?」
「いや、それは無い」
一先ず納得した後で、それでも疑問があると問いかけたマリアの言葉を、アマギリは確信的な口調で否定する。
「話してみて解ったよ。あの宰相閣下、玉座なんて形式に興味を持つタイプじゃないね。まるで正反対。自分の必要が無いものには興味が無いんだ。―――それに、玉座が欲しいなら自分の倅と皇女を婚約なり何なりさせるだけで済むだろ? 誰も反対しないよ、この国なら」
「それは……」
「確かに」
息子を皇女の婿にして、自分は摂政として玉座の更に上に立つ。これで名実共に苦もなく一切合財手に入る。
なるほど、乱を起こす必要も無い簡単な手法だった。
「でも、あの人にとっては今の宰相って言う地位と何も変わらないって事で、そんな無駄な手間を取るとも考えられないんだ。それなのに―――それなのに、何だよなぁ、ホント」
「良く解りませんわね、お兄様は結局何が仰りたいのですか?」
再び悩みだすアマギリに、遂にじれたかのようにマリアが尋ねた。
アマギリは天井から視線を落として、マリアをまっすぐに見た。そして、ぞっとするような薄い笑みを浮かべて口を開く。
「それでも確実に、”あの人は乱を起こす”んだよ。―――何のために?」
最初に言っただろと笑うアマギリに、マリアは絶句してしまった。
そうだ、確かに言った。乱は起こると。ババルン・メストは乱を起こすと。
国を取るための乱ではない。で、あるならば国を取った後に更に国を広げるためとも、違う。なぜなら、他国を攻めたいのであれば今の立場でも充分。彼の言葉には反対を述べる物はいない。そのまま実行できる。
「だけど、あの人は自分に近い人間を使って、周りに気づかれないように何かの準備をしてい。恐らくは大きな戦乱の引き金となる何かの、だ。―――それが何なのか解らない。そして何より……」
「何のために起こす乱なのかが、解らないという事ですわね」
眦を寄せて言うマリアに、アマギリは頷いた。
「戦争の主導を始めとする殆ど全ての行動を誰にも反対されない立場に居るくせに、まるでそれがバレたら周り中から反対されるかのようなこそこそとした行動を取る。考えてみると怖いんだよねぇ。大国一つを自由に動かせる人間が、それでも周り中からの反対を恐れて秘密にしなければいけない野望。どんな禁忌に触れようとしてるんだ、あの人。―――このジェミナーで、それほどに忌諱されている事って一体何さ?」
なぜかアマギリは、ワウアンリーに視線を向けてそう言った。ワウアンリーは、居づらそうな顔で、視線を逸らした。
「何が、―――何のために。そうですわね、そう考えると」
空恐ろしい物を覚える。マリアは背筋を冷気が掠めたかのように身震いした。
今ですら絶対的な権力者が、王位すら興味を示さずに挑もうとしている野望。果たして、如何なる物か。
そしてマリアは気づいた。母フローラも、兄と同様に、この不気味な気配を感じていたのだろう。
それ故に、兄を自らの代理として指名し、見極めてくるように命じたのだ。しかし、兄ですら結論を出す事は不可能だった。
ならば、どうすれば?
思考の渦に沈みそうになったマリアを引き上げたのは、兄の投げやりな一言だった。
「ま、どのみち僕らのやる事は変わらないさ」
「? 変わらない、とは」
尋ねるマリアに、アマギリは肩を竦めて苦笑する。
「言ったろ、どんな理由だとしても乱は起きるんだって。僕らは元々、騒乱が起こった後に漁夫の利を狙うって予定だったんだから、どの道やることは変わらない」
「……身も蓋も、無いですね」
「でも、その通りではある」
明け透けな言葉に、ワウアンリーは頬を引きつらせて、ユキネが同意を示した。従者たちに然も有りなんと頷くアマギリに、マリアも微苦笑を浮かべた。
「それも、そうですわね。理由が解らなくても、結果だけは決まってますもの。勝つのは、ババルンでもラシャラでもなく、私たち―――ですわよ、ね」
茶目っ気を込めてそんな言葉を口にするマリアに、アマギリも笑って頷いた。
「そう言う事。だから、結局はしばらく、何かが起こるまでは待機状態さ。準備だけはして、後は流れに任せて上手く漕ぎ出せば良い。それまでは―――」
「それまでは?」
どうするのか。それこそが自分にとっては重要だという口調で尋ねてきたワウアンリーに、アマギリは鼻で笑って応じた。
「しばらくは、学生生活。少なくとも、向こう一年は平和で居たいね」
事を起こすのならば、一気呵成に、周りの気が緩み始めたタイミングで仕掛けるだろうと結論付けて、この会話は終了した。
現状で考えられる事態の考察は、それが限界だったからだ。
理由不明、目的不明、結果すらも―――。
だが、自分たちがやることは変わらない。現状のままならば、何も変わらない。
きっと一年と少しの後。
何か大きな変化が訪れるまで―――それは変わる事など、有り得ないのだ。
・Sceane 28:End・
※ 本当に、何がしたいんですかねババルン卿は……。13話で明かされるんだよねぇ?
つー訳で、第三部完。
これで原作開始へのフラグが漸く、ホントに漸く立ちましたので、次回からは一気に時間ジャンプを繰り返しながら、
原作開始まで話を進める事になると思います。
それにしても、予想以上に掛かったと言うか。
ガッとやってパッッと終わるってのを二回ほど連続でやったので、じゃあ次はひたすらひたすらひたすらに続く感じのを
やってみようかと始めてみたらこんなです。
この調子で学院二年目のイベントとかも片端から詰め込んで行ったら、多分剣士君は後半年(リアル時間)は出てこな
いような気がします。
と、言う訳でここから原作開始までは巻きで。
さし当たって次回は、シーンスキップの中抜きの一コマになる番外編的な内容になります。