・Sceane 27-1・
一目見て解る器の大きさ。全身から発する威厳。隠しようも無いほどに、威風堂々とした佇まい。
成人男子の平均身長には達しているアマギリであっても、正面に立たれれば仰ぎ見上げる必要がある、厳つい体躯を有する男。
それが、大シトレイユを統括する宰相、ババルン・メストその人だった。
「これは、アマギリ王子。マリア王女。よくぞいらっしゃいました。申し訳ありません、本来であれば、こちらからご挨拶に伺わねばならないところを―――」
その大きい体躯を半直角に曲げて深々と頭を下げてくるババルンに、アマギリは鷹揚な態度で応じた。
「いや、構わない。事が事だからね。宰相閣下もご多忙であろう?」
「恐縮にございます殿下」
完全なる礼節を弁えた、それは極当たり前のやり取りだった。
二人共に、微笑のようなものを浮かべ、流れる空気も極自然なもの。楚々とした態度で兄たちの会話を聞いているマリアも、その背後に控えているユキネも、至極落ち着いた態度である。
唯一、アマギリの背後に控えるゆるくウェーブした髪を背に流している従者だけが、とてもとても気まずそうな顔をしていた。
つまりそれが、この、何処から見ても礼儀正しいとしか思えない空間の真実なのかもしれない。
夕刻を控えた時刻。
明日に控えたシトレイユ皇王の葬儀に関して、来賓を代表して送辞を読み上げる役目のあったアマギリはその最終的な打ち合わせのためにシトレイユ王城を訪れていた。
出向かいのものに案内され、対面する事となったのがこの葬儀の責任者である、宰相、ババルン・メストだった。
アマギリにとっては二度目となるババルンとの対話は、極自然な、当たり障りの無い挨拶から始まった。
「本当ならもう少し早めに顔を出したかったのだがね、少し本国と確認を取らねばならない事もあったから、このような中途半端な時間になってしまった。このあと、参列者を集めて晩餐会を開くのだろう? すまないね、運営に差し障らねば良いが」
「何の。そもそも昨日のうちに式の進行手順の確認を全て終えられなかった我らの責任です。頭を下げねばならぬのは、本来我らの方でありますれば、余りお気に病みませぬよう」
「そう何度も合っては困る事柄ではあるからね。多少ばたつくのも致し方ないでしょう。―――では、時間も押していますし始めてしまいますか」
嫌味にならない程度に鷹揚な態度を示すアマギリに、卑屈で無い程度には低姿勢で応じるババルン。
「はい。では殿下、マリア王女も、こちらへ―――」
「ああ、すまない。少し待ってくれ」
立ち話のままと言うのもどうか、と言う事でテーブル席を示したババルンを、アマギリは手で留めた。そのまま、背後を振り返る。
「マリア、お前は先にラシャラ皇女にご挨拶をして来なさい」
「宜しいのですか?」
アマギリの言葉に、マリアは目を丸くして尋ねる。まるで自分の望みが叶ったとでも言うような、喜色のにじんだ顔に、アマギリは勿論と頷いて、ババルンを振り返る。
「構わないでしょう、ババルン卿? 妹はラシャラ皇女が先王がお亡くなりになり悲しみに打ちひしがれているだろうと、自分が行って慰めなければと聞かなくてね」
すまなそうに、子供の我侭を聞き届けてくれないかと言うアマギリに、ババルンは微笑んで頷く。
「ありがたいお言葉です。悲嘆にくれる皇女殿下には、何よりの慰めとなりましょう。―――だれかある! マリア王女をラシャラ様の下へご案内しろ!」
使用人を呼び寄せるババルンに、マリアは天使のような清らかな微笑で礼を述べる。
「ありがとうございます、宰相閣下。ではお兄様、マリアはラシャラと共にお待ちしております」
「ああ。私も閣下との打ち合わせが済んだら顔を出そう」
室外に待機していた使用人が入室し、マリアとそれに続くユキネを連れて廊下へと消える。
それを微笑を浮かべたまま見送るババルンとアマギリ。
ただ一人、アマギリの背後に控えた従者だけが、馬車に乗せられた羊のような顔をしていた。
「さて、次代を担う者達の友情に期待しつつ、我々は現実を満たす事に腐心するとしましょうか、宰相陛下」
椅子に腰を落として、開口一番にアマギリはそう言った。
先ほどまでとは違う、どこか皮肉交じりの態度。まるで、”純真無垢”な妹との違いをあからさまにしようとしているかのようだった。
突然の態度の変わりようにも、ババルンは驚きの一つも見せず、ただ片眉を上げて、アマギリがさり気なく言葉に乗せた単語に反応した。
「―――失礼、私の聞き間違いですかな?」
穏やかな顔で確認をするババルンに、アマギリは挑戦的に哂って応じる。
「おや、何か間違った事を言ったかな、宰相”陛下”」
「お戯れを」
ババルンは、繰返されたアマギリの言葉に、苦笑らしきものを浮かべて返した。戯言に取り合うつもりは無いと、態度で示していた。
しかし、アマギリは言葉を止めなかった。肩を竦めてわざとらしく首を捻る。
「別に戯れては居ない。海のものとも山のものとも知れぬ幼い王女に、まさか政治的手腕を期待するわけにも行かないだろう? ―――となれば、ババルン卿。亡き先王陛下の覚え宜しい貴方こそを、今や名実共にシトレイユの国主として扱うのが、当然だろう?」
明け透けな言葉。あからさまな誘いとも言えた。
「―――それは、ハヴォニワを代表してのご意見と捉えて宜しいのですかな?」
困った風に眉根を寄せて問いかけるババルンの態度は、その裏に何かを秘めているようには見えない。
「私の意見で、それが即ちハヴォニワの意見だ。若い―――というより幼い皇女よりも、錬達の士であり人望厚い貴方をこそ重要視すると言うのは、当然の考えだ」
そして、応じるアマギリの直接的な言葉もまた、その裏側を想像させる事は出来ない物だった。
実だけでなく、名も取ってしまえと、ハヴォニワの王子がシトレイユの宰相に囁きかける。
二人の―――二つの勢力の対立関係を知っている人間が見れば、頭が混乱してくるような状況だろうと言えた。
「お言葉、ありがたくありますが―――」
一瞬の視線の交差を挟んだ後で、ババルンは丁寧に頭を下げながら言った。
「私は、誓ってシトレイユ皇室に対して忠誠を誓っておりますれば、先の言葉、なにとぞご勘弁願いたくあります」
平然と、斟酌の一つも無く頭を下げるババルン・メスト。アマギリは、彼の後頭部を身ながら、なるほどと頷いていた。
「……やっぱ倅の方とは、役者が違うな」
「何か?」
ポツリと漏れてしまった本音に、ババルンが反応する。アマギリは微苦笑を交えて首を横に振った。
「いや、なんでもない。しかし、なるほど。貴方ほどの名声があれば、現時点でシトレイユを取ることなど容易かったろうに、その忠誠には感服するよ」
「恐縮です」
忸怩たる態度で目を伏せるババルンに、アマギリは構わないと言って笑みを深めて言葉を続ける。
「―――ではつまり、今後のシトレイユの外交方針は、完全に先王陛下の路線を次期女王へと引き継ぐまで維持し続けると、そういう解釈でいいのだね?」
―――さて、どう出る。
これがメスト家の息子の方だったら、絶句して額に汗でも浮かべている言葉だろうが、このぎらついた瞳を隠そうともしない男は、この踏み絵にどんな態度を示してくるのか。アマギリには予想が付かなかった。
笑うか? 怒るか? それとも―――?
「無論です」
言葉そのものに圧力が篭ったような、それはそんな言葉だった。
「ラシャラ様の御即位の日まで、臣として先王陛下の残したものを守り抜き、それを堅持していく所存でございます。フローラ女王陛下にも、同様にお伝えください」
ババルン・メストは、今後の行動に於いて明らかに不利になるであろう言質を、あっさりとアマギリに引き渡してきたのだ。
なるほどと、アマギリは頷いた。
自信家で、野心家。それを隠そうともせず、時に泥を啜る事も厭わない。
最終的な勝利の形が見えているから、途中、幾らでも利を捨てるような真似が出来る。
厄介な人が居たものだと、アマギリは気づかれぬように嘆息した。
「それにしても、殿下には驚かされますな」
日が沈み―――といっても、空は相変わらずの雨模様で、ただ闇が深くなってきただけだったが、実務的なやり取りを終えた後、ババルンが言った。
「何がだい?」
アマギリは書類を捲る手を止めて、視線を上げて尋ねた。
「貴方と言う存在を初めて拝見したのが、今から一年程度前の頃でした。あの時の殿下は、まだどこか地に足が着いていないような揺らぎを抱えておりましたが、見違えましたな。今や、見事にフローラ女王の代理を全うしていらっしゃる」
完全なる賞賛の言葉に、アマギリは照れの一つも見せずに頷いた。
「そういって貰えると、若輩の身としてはありがたい限りだね。尤も僕は、外に出て居なかっただけで、教育だけは生まれた時から叩き込まれていたからね」
「それは、直轄領で?」
「そんなところだ。山奥で一人で、知識だけは詰め込まれた訳だが―――そうか、まだ王籍簿に記されて一年なんだな。ババルン卿と会うのも、ラシャラ皇女に会うのもこれが二度目か」
ラシャラが知っている事実をババルン・メストが知らないわけが無い。
つまり、ババルンの言葉は誘いである。そうと解っているから、アマギリは息を吸うように嘘をつくのを躊躇わなかった。
ばれてないと思って調子に乗っている賢しい子供―――辺りに思っていてくれればありがたいが、流石にそこまで都合よくは行かないだろう。恐らくはこちらの反応を見て事前に調べた人物考査と照らし合わせているに違いない。
「懐かしいですな、貴方の叙任式―――ラシャラ皇女とは、この後?」
「いや、止めておくよ。先に言ったとおり、私とラシャラ皇女は一度しかお会いした事は無いからね。ほとんど初対面のような人間が顔を出しては、かえって皇女も気が休まらぬだろう。その代わりと言ってはなんだが、できる限りマリアを皇女殿下の傍に居させるようにさせて貰えないだろうか。ここに居られる間だけでも、せめてもの慰めになればと思うのだが」
一度しか会った事が無い。
勿論嘘であり、そしてそうである事はババルンも解っている。
マリアをラシャラの傍に置く理由。
勿論、ラシャラを慰めるためなどと言う理由で無い事は、ババルンも解っている。
どちらの姫も、素直に沈んでいるような柔な童女ではないのだから。
だからと言って、確認して逆にボロを出すようなへまをババルンがするはずも無かった。
だからババルンは、ただ感に堪えぬと言った風に頷き、シトレイユ皇室の臣として主に対して配慮を示したアマギリに頭を下げた。
「格別のご厚情、ラシャラ様に代わり御礼申し上げます。―――では、マリア王女の寝所を王宮内に用意させるのは如何でしょうか」
「ああ、それは良いね。尤も、手を繋ぎ共に寝ると言い出すかもしれないが。その時は許してくれたまえよ」
「それも良き事ではありませんか」
まるで冗談にしかならない言葉の応酬だった。
観客の居ない喜劇。即ち、凍えるほどの寒い空気が、室内を満たしていた。
しかし、ババルンとアマギリの顔は本気そのものの笑顔を浮かべているようにしか見えない。お互いの言葉を、心底信じているとしか思えない態度である。内心に何を思っているかなど、誰が想像できよう。
唯一アマギリの背後に控えていた、ほぼ全ての事情を理解している従者だけが、顔を青くしていた。
ひとしきり微笑を浮かべあった後で、ババルンは少しだけ稚気混じりの微笑を浮かべて、本当の意味で、心からの冗談を口にした。
「それにしても殿下。真に英明であらせられる。これでは、私のほうが貴方のことを”陛下”とお呼びする日が近いかもしれませんな」
含みがあるとしか思えないババルンの言葉。あっさりと否定するのも、今のアマギリに与えられた立場からすればおかしい、肯定する事もまた、彼の真実の立場から言えばしてはいけない事だ。
しかし、返す言葉を浮かべるのは難しいだろうそれを、アマギリは笑顔で首を横に振って見せた。
「残念だが、それは無理だよ」
あっさりと述べられた否定の言葉に、ババルンが感嘆の息を漏らす。
否定した。
知れ別句した彼の行動の足跡をたどれば、ただの飼い犬で終わる事も無いであろう男が、しかしあっさりとそれを是としてみせる。
「……なるほど、倅とは役者が違う」
「何か?」
漏れてしまった本音の呟きに、アマギリが首をかしげる。ババルンは苦笑交じりに応じた。
「いえ。―――そうでしたな、ハヴォニワは確か、女系女子に継承優先権がありましたしな」
「いや、そうじゃない」
波風立てずに話を終わらせるために放ったババルンの言葉を、しかしアマギリは遮った。
ニヤリと、一番彼本来のものに近い隙の無い笑顔を浮かべて、言う。
「私はラシャラ皇女の事は、生憎と友人以上のものには考えられそうに無い。だから、私にシトレイユ皇王陛下の座に着くように求められても答える事は出来ないと―――そう言う事だよ、宰相”陛下”?」
「はっはっは、―――なるほど、面白い返し方をする。これは一本取られたと言った所だな」
全く隠しようも無いほどに本音からの賞賛と共に笑い声を上げるババルンに、アマギリも恐悦至極と笑んで応ずる。
まるで親しい友たちの会話のごとく、部屋の中を唱和する笑い声が満たした。
※ 牽制の弾幕をばら撒きあっていたら時間切れ、みたいな。