・Sceane 2-3・
「……国庫を預かる身といたしましては、反対と言わざるを得ません」
王宮内に存在する国政を司る政庁、閣議室。すなわち、国政の中枢を担う長机に集った女王を中心とする閣僚たちの中で、議題に対して真っ先に反対の声をあげたのは、豊かな顎鬚とふくよかな体格が特徴的な、財務大臣だった。
「先日の反乱軍討伐に関する戦費の拠出、ならびに接収した公爵領その他の新規直轄領の復興事業に関する特別予算の増額。これ以上、銅貨一枚たりとも無駄遣いは認められません」
「待ちたまえ。公爵領の金蔵を漁れば、追加予算くらい……」
「そんなもの、罰則金代わりに踏み倒す予定だった借用書以外存在しやせんよ。まったく、王政府から預かった国土を担保にしてまで、浪費に耽っておるのだから」
がっちりとした体格の軍務大臣の言葉に、財務大臣がやれやれとばかりに反論する。
戦争は、内戦と言えど、否、内戦だからこそ金ばかりかかって短期的には実入りが無いし、長期的な利益を望むのであれば新規の開発事業が必至だ。そして当然の事だが、新たに事業を始めるのであれば、やはり相応の資金が必要なのである。
「運輸省としても、国土横断鉄道事業の予算減額の可能性がある議案には、賛成しかねます」
線の細い幸薄そうな顔の運輸大臣が財務大臣の言葉に賛成すると、軍務大臣がそれを忌々し気な目で睨み付けた。
「そも、現在聖機師の定数は男女ともに満たしております。これ以上無理して石潰し……おっと失礼、戦線に投入不可能な置物……ではありませんでしたな。男性聖機師を増やす必要性を感じません。年間維持予算も馬鹿になりませんからな、種が必要なら同盟国からそのつど買ったほうがよほど安上がりです」
「だからと言って希少な才能をこのまま置き捨てる事は出来ないだろう! ただでさえ男性聖機師は減少の一途をたどっているのだ、新しい血が見つかったのならば積極的に囲い込むべきだ!」
「そんな事を言って、国土省に取られた軍の予算の増大を狙っているのではないのですか? 今回の討伐によって、しばらく内外も安定するでしょうからな」
「無礼であろう運輸大臣! そもそも貴様らの鉄道事業こそ、飛空艇の発達したこの時分に必要かどうか……」
」
「それに関してはすでに議会に於いて承認を……」
「補正予算の審議に寄せて見直しを図れば……!」
「それこそ今回の討伐作戦に……!」
「……!!」
「っ!?」
長大なテーブルを挟んで、運輸大臣と軍務大臣が取っ組み合いを始めんとばかりに言葉を飛ばしあっている。
二人とも筋の通ったことを言っているように見えて、ようするに言いたい事は唯一つ。
金があるなら、ウチに寄越せ。
それだけだったりする。
「静粛に!女王陛下の御前であるぞ!!」
上座に位置する女王の脇に座っていた国務統制大臣が声を荒げてつかみ合いに至ろうとしていた二人をいさめる。
「恐れ多くも国政の一翼を担わんとする大臣の一人ともあろうものがそのように感情的になってなんとするか! 諸兄らの背負う大権とは、すなわち国家に対して最大限の奉仕をするためにこそ陛下よりお預かりしているのであって、諸兄らの権勢欲を満たすためにあるのではないぞ!」
腰の曲がった白髪の、しかし強い精神を秘めた老人の一喝に、二人の大臣は着座した。
「まぁまぁ、爺やも落ち着きなさいな。誰もがハイと頷くだけしか出来ないよりは、議論が盛り上がった方がいいでしょう?」
喧騒に包まれていた閣議上で、一人優雅に紅茶をたしなんでいた上座に座るフローラが、国務統制大臣に微笑みかける。
「いや姫……もとい、陛下。元はと言えば貴女が手ずから持ち込んだ議題に関しての討論だったのですが」
国務統制大臣は、自慢の口ひげをなでつけながら、自身が手ずから育て上げた主君に忠言する。
しかし、老いた忠臣の気持ちも何のことかとばかりに、フローラは気ままな笑顔を崩すことは無かった。
その笑顔を見て、国務統制大臣は誰にも気づかれぬように肩を少し落としている。
―――何のことも無い。彼女が時分で持ち込んだ議題なのだから、彼女にとってそれは実行に移すことと同義なのだ。
フローラにとってはすでに答えの出ている案件であって、この閣議の喧騒自体も、まったく想定道理の内容でしかないのだろう。
どうしてこんなに腹の黒い女に成長してしまったのだろうか、いやいや、拝謁した当初からこの姫はそんな風に自身を振り回していたような気もする。
侍従の一角から、気づけば王家を除く国政の最高位に位置してしまっていた国務統制大臣は、そっとため息を吐いていた。
「私としては、買いだと思うのだけど」
「資料を見た限り同意せぬことも吝かではないのですが、如何せん無い袖は触れませんと申しておるのです」
小首を傾げて尋ねる主君に、その愛らしいしぐさに頬を赤らめつつも、財務大臣は頑として反論した。職務に忠実な忠臣なのであった。
「いっそのこと現行の維持予算の再配分を行って……」
「それをあの石潰しどもが納得しますかな? 清貧という言葉を何処かに置き忘れたあの阿呆どもが」
「……厄介なものですな、男性聖機師というものは。連中の取り巻きも含めて。庭の置石のほうがよほど役に立ちます」
「だから常々私は言っているではないでですか。聖機人と違って血に縛られることも無い機工人の開発予算を……」
「技術開発局長、その件についてはすでに先週の閣議で答えが出てるだろう」
誰かが言葉を紡げば次々と別の誰かが私見を述べていく。
会議が活性化しているといえば聞こえはいいが、要するに帯に短く襷に長く、堂々巡りを繰り返しているだけだった。
「なんなら、王室府から近衛へ予算を増額してもいいのだけれど」
また誰かの言葉に誰かが声を荒げそうになったとき、上座に座ったフローラが爆弾を投げ入れた。
「それは、いや、確かに……」
「す、少しお待ちを。流石にそのような事を……」
みんなお金が無いのなら、私が奢って上げてもいいわとばかりに、簡単に言ってくれる主君に、誰もが言葉に詰まる。
「……近衛長官といたしましては、反対する意見はありませんが」
長机の一角に座することを許されていた、体格の良い紳士が、主の言葉に口ぞえした。それは国軍より独立して存在する王家直轄軍、つまり近衛軍の指揮官を女王より委任されている、近衛長官を勤める男だった。
因みに、先ほどから誰かの言葉に乗るたびに散々ぼろくそな言葉を紡がれていた、男性聖機師の一人だったりする。言葉に詰まる他の大臣に対して、多少の意趣返しの気分もあったのかもしれなかった。
「ま、待ちたまえ近衛長官。いや、お待ちください陛下。これ以上の近衛に対する予算増額は、指揮系統の混乱を生む危険が……」
国軍の指揮権を持つ軍務大臣が大慌てで反論する。
先ほどまで半ばいがみ合っていたほかの大臣たちも、おおむね気分は軍務大臣と等しかった。
近衛軍とはすなわち国家ではなく王室の守護を司る。
とはいえ、王家が国軍から完全に独立した私兵を有しているというのも、国体としていくらか決まりの悪いところがあるから、近衛軍の維持予算は、国と王室からの折半することにより、近衛軍の完全な独立を防いでいるという事情がある。
王室府とは即ち王家の私的な資産―――動産、不動産にかかわらず―――の管理維持を請け負う部署である。
政府の承認が必要なく、王家が自由に使える資産の全てを預かっているといえば早いだろうか。
近衛が国軍と違い王室に仕える軍であるから、王家自身が給与を支払うのも当然と言える。
ただし、王室府予算は、全て王家に関わりがある部分でしか用いることが出来ないという法が存在する。国政によって決定された事業に関する王室府の投資は、一般的な投資家たちと変わらぬ権限の中でしか行うことが出来ない。それにより王室の国政への過剰な介入を防いでいるのだ。
ゆえに、軍に新たな男性聖機師を養う理由が無いからといって、王室が小遣いをばら撒くがごとく勝手に予算を投入することは不可能なのである。
そして近衛軍に対する予算の増額も、前述の理由から不可能だった。
「国庫にはお金が無い。近衛のお小遣いを増やすのは不可能……とは言え、迂闊に他国に渡すわけにもいかないし」
「データと一揃えで、教会に引き渡してしまってはいかがですか?」
「目の上のたんこぶをこれ以上大きくする趣味は無いわよ?」
一人の大臣の言葉に、指折り事情を整理していたフローラが切って捨てる。
全ての国家に対して公正、中立を掲げる教会であったが、ただでさえ聖機人の開発独占という強力なアドバンテージを有するそれの更なる権限強化など、国体を預かる人間としてフローラは許すわけにはいかなかった。
「では、いっそ解りやすく、見なかったことにして切りますか?」
首元をなでるような動作をしながら暗沌とした顔で混ぜ返す法務大臣に、フローラは眉をひそめた。
「それも一つの方法、ではあるわよねぇ。……あるけど」
「この少年一人の特性とも限りませんからな。仮に切って捨てて、”次”が他国で発見されたなどと判明されたら、空恐ろしいことです」
軍務大臣が苦い顔で、主君の言葉を拾い上げた。
現状、アム・キリ以外に見つかっていないからといって、他に似たような特性の持ち主が現れないとも限らない。迂闊に排除行動に出るには、危険に過ぎた。
「賓客待遇でこのまま留め置くというのはまずいのですかな?」
つまりは現状維持はどうかとの意見が上がった。
「お客様の行動を制限する権限は、国家には存在しないわよ?」
「他国に招聘された場合、止める謂れがありませんからなぁ」
「ならいっそ、諸侯軍のどれかに……」
「何か悲しくて政府自ら内戦の火種を野に放たねばならんのだ!」
「だが現に国軍にはこれ以上予算が……っ!」
「やはり氾濫抑制のためとは言え、国軍と諸侯軍の聖機人の配備数の比率を変更したのが……」
「何年前の話を蒸し返しているのだ貴様は!」
「だが現に軍事予算の逼迫によって……っ!」
「ちょっと待て、ただでさえ予算不足の我が軍を、これ以上……っ!」
「……!!」
「っ!」
「!?」
「ええい、静まれ、静まらんか小童どもが! ……ごほん、陛下。このままでは堂々巡りです。如何なさいましょう?」
再び始まった罵り合いに、政務統括大臣が声を荒げる。
フローラは肩で息をしながら怒鳴り声を上げる忠臣の姿を楽しそうに見つめた後、―――さらに楽しそうに、議場を睥睨した。
「国庫には限りがあり、近衛に王室費を流し込むには、些か理由足らずといえる故に不可能。―――さりとて、このまま放置することも、他国へ売り渡すことも、無論排除してしまう事も避けたい事態」
出来の悪い生徒に辛抱強く聞かせてみせる教師のように、フローラは現状の問題点を並べ上げた。
「ならば、ハヴォニアが取るべき行動は一つしかない。他国に対して完全な形で、アム・キリの所有権を確立すること」
「ですが、予算が……」
はっきりと言い切った主君に対して、財務大臣が気まずげに問う。
やるべき事はわかったが、結局実行不可能ではないか。
―――解決策は?
「みんな、お爺様のことを覚えているかしら?」
「―――は?」
唐突な女王の言葉に、誰かが間抜けな呟きを漏らした。
「先王陛下が……何か?」
閣僚たちの疑問を代表して、国務統制大臣が主君に質問する。老いた身に、何故だか冷や汗がとまらなかった。
「そう、先王陛下。お爺様の女癖の悪さは、爺やもよく知っているでしょう?」
退位して既に十三年前に崩御した祖父のことを、フローラはそんな風に評して見せた。
その言葉に、半ば嫌な予感しかせぬまま、国務統制大臣は頷く。
「はぁ。いや、確かに老いて尚、好色と言う様な方で御座いました事は否定できませぬが、それが何か……?」
取替えひっかえ、幾つになってもまったく衰えることの無かった女性に対する飽くなき欲求を思い出しながら、国務統制大臣は言葉を返していた。傍仕えの侍従たちは言うに及ばず、未亡人、諸侯の妻子、果てはたまたま見かけた街娘に至るまで、とにかく女に関しては節操の無い君主だった。
「でしょう? ……そんなお爺様だから、きっと聖機師にも手を出していて間違いないと思うのよ。たとえば、たまたま行幸に出かけた先で見初めたローニンとかに」
あっけらかんと祖父の所業を想像してみせるフローラに、老人は気まずげに頷いた。
「まぁ、まったく遺憾なことですが否定する要素はありませぬな。事実として、国軍に所属する誰それがお手つきになったという話はわたしにも聞き覚えがあります」
「そうでしょう。あのお爺様のやることですもの。……なら」
老人の言葉に我が意を得たりと満面の笑みで頷いた後、フローラは途中で言葉を切った。
王室府の管理する王家の資産は、全て王家に関わりがある部分でしか使用することが出来ない。
―――ならば。
「それで、つまり話をまとめると……?」
王城の中庭全てを視界に納めることが出来るバルコニーの一角、ちょっとしたティーテーブルを挟んで、二人の少年少女が向かい合っていた。
どちらともに、王城を闊歩するに相応しい瀟洒な衣装を身に纏い、しかし方や気品に満ち溢れた少女であるとは裏腹に、それと向かい合い困ったように微笑む少年は、自らの装いに未だ馴染めていない風に見えた。
向かい合って座る栗毛色の美しい長髪の少女の気の強そうな瞳に、申し訳なさそうな顔をすることしか出来ないらしい。
少女は―――この国のただ一人の王女であるマリア・ナナダン王女はその幼くも整った顔立ちに、不機嫌の感情を隠すこともせず、言葉を続けた。
「つまり貴方は、山中で乗り手を失っていたわが国の聖機人に無断で搭乗し、あまつさえ近衛軍八機を相手に大立ち回りをした挙句、お母様―――女王自らに投降を呼びかけられ、それに応じたら王城内で三日ほど賓客待遇で軟禁されていたと思ったら、その翌日―――つまり今日!! 我が国の新しい王子になっていたと?」
「なっていたって言うか、なる様に言われたって言うか……王女殿下もその場にいらっしゃいましたよね?」
「……ええ、いましたとも。あの場では思わず納得してしまいましたけど、落ち着いて冷静に考えれば流石におかしいですよね。……おかしい、ですよね?」
疑問符を浮かべるマリアに、少年はあいまいな顔で頷いた。
彼女の判断材料では、不思議に思うのも仕方ないだろうと思いながら。
・Sceane 2:End・
※ オッサンとオッサンとオッサンとオバサン(失敬)が話してるだけのSSって流石に誰得過ぎるので、
〆に次回への引きっぽく若い娘に登場してもらいました。