・Sceane 20-4・
「……ダグマイア・メストが面倒をかけたの」
「いきなり実名出して来るね」
昨晩は何を食べたか、と言う質問程度の気楽さで口を開いたラシャラに、アマギリも言葉の割には興味が無さそうに応じる。
ラシャラはぐい、と茶碗を傾けた後で頷いた。
「ウム、そうでもしないとまた話が逸れそうじゃ。妾としては中々興味深い内容ではあったが、迂闊に余所で口に出来ないような事ばかりを話しても生産性が足りまい」
「まぁ、ウチの王家の不名誉みたいな事になりかねないドロドロ具合だからね」
「王家らしいと言えばそうなのじゃがのう。街娘辺りなら好んで話しそうな内容ではあったよ。……おっと、話が逸れたの。ともかく、何時ぞやの一件ではウチの若い者が面倒をかけたの」
恐らくシトレイユの重鎮の中で尤も”若い”人間からすらも若い呼ばわりされてしまうのが、ダグマイア・メストの真価なのだろうなと、アマギリは流石に同情を覚えるラシャラの発言だった。
「面倒、ね」
苦笑しながら、ほんの一月と少し前のことを思い出す。
森の中での聖機人同士の戦闘―――は、どちらかと言えば一方的にアマギリが相手方に迷惑をかけたような気もする。
聖機人の破壊=搭乗した聖機師の死亡と言う酷い戦闘を行ったから、きっとあれだけの練度を持った聖機師達を補充するのは一苦労であろう。
聖機人だってタダではない―――が、それで苦労しているのはきっと教会の方か。恐らくそれは、新学期になれば判明する事だろうなとアマギリは考えていた。
とすると、アマギリにとって対処が面倒だったことなんて、一つしかない。
「殺されかけた事を面倒の一言で済ませられるとは、さすが、大シトレイユの皇女殿下でいらっしゃる」
この程度に茶化せてしまう自分が言えた義理でも無いよなと思いつつも、アマギリは肩を竦めて言った。
ラシャラも特に気まずい思いを浮かべもせずに頷く。
「何の何の。そう褒めるでない。―――だいたいお主、しっかりと生きておるではないか」
「それは、あくまで自助努力の成果と言うヤツだよ。賠償を棄却する理由にはならないね」
「自助、のう……」
ラシャラは自身の元に届けられた、件の事に関する映像データは確認済みである。
森を突き破り浮上してくる異形の聖機人。それが、突然内部から閃光を放ち爆発、落下していく様を。
勿論その後に起こった、奇跡と名づけるしかない現象も理解しているが、その件に探りを入れると些か具合の悪い事態を引き起こしそうだったので、それは出来ない。
故に、それを事情から除外して、会話を続ける事にした。ニヤリと笑ってアマギリに問いかける。
「エメラがダグマイア以外の人間のために労力を払うなど、初めて聞いたわ」
「―――む」
その言葉に、アマギリは顔をしかめた。
三枚の翼の顕現と言う奇跡を除いてしまえば、アマギリがあの場から生還する事が出来たのは、確かに仕掛けた相手が手を抜いたから、と言う理由に他ならなかったからだ。
そしてそれは、アマギリを助けようと思ったが故の行動ではない事も、承知している。
ダグマイア・メスト。先の見えぬ愚か者の先走りの末路を何とか回避するためにと、独断で仕込まれた隙だったのだ。
そう言う事が出来る人間は、危険である。
アマギリはその事をよく理解していた。きっと、ラシャラも同様であろう。
完全に誰かのためだけの自分になれる存在。行動に際して自分を捨てられる人間。
おまけに主を補うに充分なほどに頭も回ると来れば―――それを察せられるアマギリのような人間にとって、目障りな事この上ない。
「エメラ―――ああ、あのダグマイア・メストの忠犬ですか。確かに、ダグマイアには勿体無いですよね。ラシャラ皇女も今後の事を考えるなら、早めにあの二人は引き離した方が良いんじゃないですか?」
アマギリの膿を含んだ言葉に、ラシャラは笑って答えた。
「引き離した程度で離れてくれるのであれば、お主もエメラを忠犬呼ばわりせぬであろう? ああいった手合いは、離れても決して主を変えようとせぬのだから、引き離した方がかえって危険じゃろうよ」
面従腹背。それを地で行くことは容易に想像はつくだろうからと、ラシャラは目を細めて唇をゆがめた。
アマギリもラシャラの言葉になるほど、と深く―――わざとらしいほど深く―――頷いた後で、撫ぜる様な声音で言った。
「では、とっとと斬ってしまった方が良いのでは?」
空気が凍るような事は、あり得なかった。
聡明なラシャラは、アマギリが必ずそう言うであろう事を想像していたからだ。
アマギリのような、何よりも実利を優先するタイプの人間は、こうした言動に全く容赦が無いと知っていたからだ。
ラシャラは茶碗を傾けて喉を湿らせた後で、ゆっくりと、確認するように尋ねた。
「斬れば良いのでは、ではなくて私に斬れと言いたいのだろう、お主は」
「まさか。他国の人間を斬れなんて、とても口に出来る筈は無いでしょ?」
戯れたように言葉を避けようとするアマギリに、ラシャラは明確な回答を強要する。
「言える筈は無いが、言いたいのじゃろう、従兄殿。―――此度の一件の手打ち料代わりとして、あの者を斬り捨てよと」
半眼でねめつけるマリアに、アマギリは降参とばかりに両の手を広げた。
「お見事、良く見ました―――とでも言うべきかな」
欠片も心が篭っていない賞賛の言葉を、ラシャラは鼻で笑って返した。
「妾があの伯母上と何年付き合っていると思っておるのじゃ。劣化コピー如きのお主の言動など、いっそ読みやすいわ」
「……劣化コピーときましたか」
余りの物言いにアマギリが頬を引きつらせると、ラシャラは然りと頷いた。
「劣化じゃの。―――おぬしの言葉には人を引き付ける色気と言うものが欠けておる。それでは、敵ばかりが増えて面倒じゃろうて。あの色ボケ叔母の息子を語るのであらば、今後はその辺りも考慮に入れるべきじゃな」
「色気、と来たか。―――まぁ、そう言うのは考えたことは無いかな」
苦笑してアマギリは頷いた。確かに自覚すれば出来る問題でもあった。周りに人が集まりにくいのは、つまりその辺りが欠けているという事なのだろう。
「―――とは言え、その辺りを鍛えるのは王女殿下に任せる予定だしね」
今後の改善を期待されても困ると、あっさりと挫折の言葉を口にするアマギリに、ラシャラは眉をしかめた。
「そして、民に慕われる良き女王となったマリアの背後で、お主が実効支配を企むキングメーカー気取り、とでも言うのかの? やめやめ。そんな事をすればお主がフローラ叔母に斬り捨てられるぞ」
「ま、義理の息子よりは実の娘でしょうしね女王陛下も」
そんな事をするつもりは無いと苦笑しながら言うアマギリに、ラシャラも頷く。
「それを言うなら男よりも実の娘と言った所であろうが―――フム。そうするとお主がわざと欠点を残したままなのは、便利になり過ぎて衆目を自分に集めるのを避けるためか。迂闊な言動を取れば、おぬしの立場ではたちまち現政権への当て馬として利用されてしまうからの。―――なるほどなるほど、全く涙ぐましい自助努力じゃろうて」
後ろ盾の無い第二王位継承権保持者の王子。しかも第一王位継承者の王女よりも年上なのだ、少しのカリスマでも発揮してしまったら、妙な事を考える派閥が完成してしまうかもしれない。
それ故に、アマギリはわざと人が避けて通るような人物像を意識している節があると言う、ラシャラの言っている事は実に的を得ていた。
「話が逸れてますよ」
自分のことをこれ以上探られるのはうれしく無いと、低めの声でアマギリは言った。
今のところこれ以上藪をつつくつもりはなかったラシャラも、苦笑交じりに頷いた。
「おお、すまぬ。―――何の話じゃったかの?」
「あの犬を斬れって事です」
簡潔な―――言葉の内容にしては余りにも簡潔すぎるアマギリの言葉に、ラシャラは戸惑う事無く頷いた。
「拒否する」
「……貴女にとっても損は無いのに? 貴女から皇王陛下へ口ぞえすれば、まったく不可能って話でも無いでしょうに」
全く隙の無い能面のような顔で、アマギリは言う。
ラシャラの肝も、流石に冷えた。
先ほどまで四方山話で情けない顔をしていた男とは、まるで別人にすら見える態度。何より恐ろしいのは、どちらの面が本質だか、まるでつかめない事だ。
とは言え、彼女もアマギリの提案を受け入れるわけにはいけなかった。
なぜなら彼女はラシャラ・アース。シトレイユの皇女なのだから。
「なるほど、確かにエメラが居なくなれば、ダグマイア・メストを支えられる人間など居なくなるからな。妾の今後を思っても、煩い小蝿が黙ってくれれば御の字と言うものじゃろう」
「それが解っていて、何故拒むかな?」
アマギリの声音は平坦すぎて表情を感じさせない。朴訥な少年にしか見えぬ男からそんな冷淡な言葉が発せられているのだから、いっそそれが、独特な色気を持っていると言えるかもしれなかった。
もっとも、ラシャラはそれに呑まれてやる訳には行かないのだが。
「エメラを斬る。なるほど、それは妾の益になる行為じゃ。妾の益には、の」
そこで言葉を切って、ラシャラはゆっくりと瞳を閉じて息を吸った。
たとえ、意地を張っているだけだったとしても、曲げる事が出来ない事だったから。
目を見開き、自らの利益を最も優先している男と正面から視線を絡ませる。
「しかしそれは、シトレイユの益にはそぐわぬ」
その言葉を言ってしまえば、ラシャラの胸中によぎるのは寂寥の念ばかりだった。
そう、初めからわかっていたこと。こんな場所へ来たところで、解決不能の、既に確定した事実。
認めねば、進めぬ。今後を決める事は適わぬからと、勤めてラシャラは意地を張り通す。
「最早妾はシトレイユでは非主流派。今後あの国は―――遠からず旅立たれる父皇亡き後では、益々ババルン・メストが実権を握る事となるだろう。事は既に避けられぬ状況にまで来ておる。ならばシトレイユの国益を考えれば、あの愚か者がシトレイユを危機に晒さぬためにも、手綱を握る人物を斬るわけにも行くまい」
「その結果、貴女の身に待ち受けているものが―――?」
相変わらず平坦な声で問うアマギリに、薄く笑ってラシャラは答える。
「それを受け入れるのもまた、皇族の勤めじゃよ」
滅ぶべき時に、滅ばねばならぬ。我が身を偲んで無様に足掻いて、国体を危機に晒すわけにはいかぬ。
ラシャラの決意は見事と言う他無い。
なるほど、とその言を受けてアマギリは頷く。
その後、途端に相互を崩して苦笑しながら言った。
「それも、貴女がシトレイユの皇族で居続けようと思えばこそ、の話ですがね」
そのための、今回の来国なのでしょうと問うアマギリに、ラシャラも苦いものが混じった笑顔を作らざるを得なかった。
「まぁ、そうじゃの。皇女ラシャラ・アースとしてはこう言う他無かったが、ラシャラ個人としては、思うところは別にあるわ。―――主とて、そうじゃろう? アマギリ・ナナダンではない、名も知れぬ異世界人よ」
ニヤリと笑いながら言うラシャラに、アマギリは目を瞬かせた。
これは一本取られました。いやいや、有意義な会談だったと、最後にそれだけ話して、その場は終わった。
会話は二人の心のうちだけに納められ、その後、誰かに聞かれる事は無かった。
この会話が、今後にどう影響を及ぼすのか―――それは、事が起こるまで、解る筈も無い。
※ 今回のネタで何が一番大変だったかって、エメラさんの苗字が解らない事なんですよね。
最近転落死したロンゲのイケメンの苗字はあるのに、何故エメラさんの苗字は無いのか。
しかもOHPの区分けだと、所属がシトレイユじゃないとか。その辺どういう事なの……。