・Sceane 19―1・
一夜を過ごしたオデットの寝殿を出て稼動桟橋に乗って空港に降り立てば、王族であるアマギリを出迎えるものなど一つしかない。
それは彼の帰還を歓迎する家臣達などではなく、報道関係者の写真機が焚くフラッシュの閃光だった。
簡単な仕切りと居並ぶ警備の人間の間を歩みながら、アマギリはロイヤルスマイル―――所謂、作り笑い―――を報道関係者に向かって浮かべながら手を振ってやる。
当然、もらしたいため息も皮肉混じりの微笑も、此処で浮かべる事は無い。その辺りのTPOは弁えている男だった。
ただ、今日の夕刊辺りに写真が掲載されるのだろうかと、どうでも良いことを考えている。
聖地は基本的に原則不可侵であるから、そこで”何が”行われていたかを庶民は知る由も無いし、その一端をつかんだとして、教会の権威を傷つけるような社会的に致命的な事を考える人間は居ない。尤も、三流ゴシップ誌辺りにまでなれば、流石にわからないが。
ともかく、ハヴォニワの新王子が久しぶりに報道陣の前に姿を現したとあっては、それ相応の盛り上がりを見せるのも無理からぬ事だろう。
統治者こそが民の奴隷であるからして―――率先してパンでサーカスを演じて見せる必要もある、と流石にそこまでは割り切れないが、我慢くらいなら問題ない。
人払いのできる王家専用発着港を用いずに、通常の大型客専用の港湾をわざわざ使用したのも、そのためだ。
かくてアマギリは、出国の時と同様の態度で報道陣たちをあしらった後、要人専用機発着港へのゲートへ姿を消していった。
その姿は、王家に属する者以外の、何者にも見えなかった。
「小国、という割にはそれなりの広さだよね、ハヴォニワも」
長距離航行用の超大型艦船に分類される空中宮殿オデットから、小型の国内線用艦艇に乗り換えるために通路を進みながら、アマギリは肩をすくめた。
国際線との連結空港である此処から、ハヴォニワ王城まで更に空路で四時間ばかり掛かる計算である。
「……オデット、大きすぎるから」
「アレ、首都の上空飛ばすわけにはいかないもんねぇ。……王城の水路なら入りそうな気もするけど」
「非常時を考えてそうなってるって聞いた」
「ああ、本気で脱出艇を通す訳ね。……そういえば三番艦のオディールは近衛の駐屯地に係留してあったっけ。僕らも一直線であっちに行ければ良かったんだけど」
周りを囲う警備達の姿を気にもせず、アマギリは背後に続くユキネとどうでも良いような内容を話し合いながら進んでいた。
やはり国内外の要人のみが使う通路であるということからか、無駄に天井が高く装飾が華美で、道幅のある其処を抜けると、小型であるが優雅な装飾の施された小型飛空艇が係留されている桟橋に到着した。
「おお、まっておったぞ従兄殿!」
広々とした桟橋全体に響くように、そんな元気の良い声が木霊した。
声がした方―――係留された船の甲板の方を見上げると、手すり越しに金色の髪をした少女が手を振っているのが見えた。
「……あれって」
「―――ラシャラ・アース王女」
「……だよねぇ、やっぱ」
予想外の自体に眉をひそめるアマギリに、ユキネがあっさりと正解を口にする。いや、彼女の口調も若干戸惑っているようなので、この状況は予想していなかったのだろう。
豊かな金色の髪を背中でまとめ、七分袖の赤いドレスを軽快に着こなしている。背後に控える護衛の聖機師の姿が、聖地でも見覚えがあった同級生のシトレイユの人間だったから、その人物を見間違いようも無い。
シトレイユ皇国第一王女、ラシャラ・アースその人である。
アマギリが乗る筈だった船の甲板には、何故かシトレイユの王女の姿があった。
しかも、楽しげに手を振っているから、そんな状況を想像しろというのも無理な話である。アマギリは小さな声でユキネに問いかけた。
「どういうこと? シトレイユの王女の来訪日程と重なっているなんて聞いてないけど」
「……私たちに通達が無かっただけだとしても、同じ船に乗せるという事態は不可解」
「てことは、お忍びか」
ユキネから出てきた”私たち”という言葉に多少の気恥ずかしさを覚えながらも、アマギリは事態の確認が出来た事にだけ頷く事にした。
何故だか理由はわからないが、ラシャラ・アースが眼前に居る。
何故だか理由がわからないことが解れば、それで充分ともいえる。なにしろここは、ハヴォニワである。
「……まぁ、ここはもう聖地じゃなくてハヴォニワなんだから、何が起こっても不思議じゃないよね」
「同感。……マリア様が居ない事を感謝すべき」
「それはただ後回しってだけだから怖い事には変わらないんだけどなぁ。……とにかく、待たせるのもなんだから船に上がろうか」
忘れたかった事実―――三ヶ月ほど連絡も取らずに放置していた妹―――の事を思い出して若干欝になりかけながら、アマギリはユキネを促して船内へと続く昇降機へと向かった。
出向を控えて頭を下げに来た艦長以下船のクルーたちを蚊歩くあしらった後で、アマギリは貴賓室にてラシャラ・アースと向かい合う事となった。
「改めて、久しぶりじゃの従兄殿」
「……そうですね、一瞥以来といったところですか、従妹殿」
豊かな金色の髪を背で束ねた小柄な―――確か、マリアと同い年である―――少女の勝気な言葉に、アマギリはため息とともに応じた。
悪戯が成功して嬉しくて仕方がないといった風に笑うこの少女が、大シトレイユの唯一の皇女、ラシャラ・アースである。あの大国の姫なのだから、権謀詐術に巻き込まれる事も多かろうに、この人懐っこさは貴重だなと、アマギリはどうでもいいことに感心していた。
我が事ながら不審人物に違いない自分に、これほど堂々と話しかけることが出来るのだから。
アマギリにとって、ラシャラと対面するのはこれが二度目の事だった。
一度目は、彼自身の王子就任披露式典の時。シトレイユ皇の名代として来賓していたのが、ラシャラであった。
その時は込み入った会話をする事は無く、ただ数日にわたるマリアとの口げんかを横で眺めていただけだったので、アマギリは殆どラシャラの事を知らないといってよかった。
「ため息なぞ吐いて、なにやら覇気に欠けておるの」
「そりゃ、隣国の姫様が勝手に人の船に乗っていたら、ため息の一つも吐きたくなりますから。―――なんでまた、こんな事を」
「うむ、勿論伯母上の仕込じゃ。本人は経費削減と嘯いておったが」
「どっちのための経費を減らそうとしているのか、悩みどころですねそれは」
どうでもよさそうに―――実際どうでも良いのだが―――肩をすくめて、アマギリは手近なソファに身体を埋めた。
当然とばかりに、ラシャラはアマギリの前の席に腰掛けていた。
「―――それで、お忍びでの来訪の目的は、なんです?」
「おぅ? なんじゃ、忍びと気づいておったか」
席を外そうかと視線で問うて来るユキネに首を横に振って答えながら、アマギリは面白そうに伺うラシャラに言う。
「幾ら聖地が外部から隔絶されているといっても―――建前だけで実際はザルも良いとこですがね―――新聞くらいは定期的に届きますから。体調不良で静養のためにエスターシャの離宮へと引っ込んでる筈でしょう、ラシャラ王女」
ついでに言ってしまえば、シトレイユほどの大国の王女の外遊だというのに、配下の人間が確認できる限り二人しか居ないというのは異常である。身の回りの世話を司る侍従であろう褐色の女性と、もう一人は護衛の聖機師だけだ。
「護衛が、まだ未資格のキャイアさんだけってのも、どう考えてもおかしいですから」
「なんの。正式に認められていないだけで、キャイアは既に一流の腕を有しておるぞ」
「あの、ラシャラ様。アマギリ殿下はそういうことを仰りたいのではないと思うのですが……」
聖機師の正装を身に纏いラシャラの背後に控えていたキャイア・フランが、主の言葉に気まずげに答えた。
聖地ではアマギリの同級生であるキャイアが、ラシャラの護衛として傍に控えていた。
生真面目な彼女らしく、居住まいの悪い気まずそうな態度だったが、ラシャラは鷹揚と頷いて自分のペースを崩す事は無かった。
「だいたい従兄殿よ、お主とて王族でありながら自身の従機師一人もつけずに行動しておるとは、なんとも不自然な事ではないか」
「……痛いところ付きますね」
当然だが、ユキネはマリアの従者として認知されているから、公的な意味でアマギリ自身の配下ではない。
「お主もそろそろ適齢期なのじゃから、自身の聖機師くらい見つけてくるべきではないかの?」
「そうは言いますけど、知っての通り僕はまだ王子様を始めて一年も経っていませんからね。自分だけの部下を作るには、中々時間不足ですよ。―――ラシャラ王女だって、その辺りの苦労は身に沁みているんじゃないですか?」
問われて、ラシャラは一瞬目を瞬かせて―――そして、苦い表情を浮かべて呻いた。
「……痛いところを突くのう」
お忍びの旅に連れてこれた人間は二人のみ―――しかも、旅の脚も他国が用意したものと会っては、ラシャラの力不足が見えてくるというものである。
アマギリの毒の篭った指摘に、ラシャラはばつの悪そうな顔で視線を逸らした。
「お主、以前に会った時よりよほどフローラ伯母に似てきておるぞ」
「褒め言葉として受け取っておきましょう。―――んで、せめて外向きの事情くらいはそろそろ教えて欲しいんですけど」
会う人会う人そこら中から同じように言われる言葉に、微妙に頬を引きつらせながらも、アマギリはラシャラに先を促した。
「ハヴォニワ前国王陛下―――妾にとっても曽祖父に当たるお人でな。その方の今年で没後十五年……まぁ、正確には十四年らしいのじゃが、ともかくそういう事もあって、身内のみで内々に故人を偲ばんかと伯母上に誘われてな」
「八月の帰霊祭も近いですし、まぁ無理の無い事情って言えばそうなんですかね。……にしても、十五年前に死んだ人って、ラシャラ王女は面識はないですよね」
死にまつわる話しに殊更暗くなりすぎる事が無いように心がけながら、アマギリはやや事務的な口調でラシャラに尋ねた。その問いに、ラシャラは呆れたように答えた。
「何を他人事のように言っておるか従兄殿。―――お主の父上の話しだろう」
「は? ……え、ああ、そうか」
半眼で返されて、アマギリはその事をきれいさっぱり忘れていた事に気づいた。
アマギリ・ナナダンはハヴォニワ前国王の御落寵だったのだ。
「……そういえば、そういう設定でしたっけ」
「設定、て」
「深く突っ込むでないぞキャイア。ハヴォニワの最重要国家機密じゃからの」
何の感慨もなく本音を呟いてしまったアマギリに冷や汗交じりで反応してしまったキャイアを、ラシャラが嗜める。
実際、公然の秘密の部分ではあるが、迂闊に広めてしまえば排除される危険があるような話題だった。
「そういうのがあるんなら、事前に伝えておいてくれればいいのに」
「……三ヶ月も連絡なしだったアマギリ様が悪いんだと思う」
面倒そうに頭をかくアマギリに、ユキネがやはり半眼で突っ込む。何時ぞやの一件以来全く容赦がなくなってきた従者だった。
「―――せっかくの夏休みだってのに、なんだかゆっくりと休めそうな気がしないねぇ」
己が立場を自嘲するかのようなアマギリの言葉にあわせるように、ラシャラも口の端をゆがめて笑った。
「王族なんぞそんなものじゃよ」
生まれてから死ぬまで等しく公務であり続ける、それが彼と彼女に与えられた立場だった。その事実を最早否と言う事もせずに、アマギリも応と頷いた後で苦笑しながら尋ねた。
「死んだ後まで政治の道具としてこき使われるなんて、ホント、王族なんて因果な商売ですよね」
「そういう割には、案外と馴染んでおるのお主」
「慣れて……うん、慣れてるんだろうね、きっと昔から」
何処で慣れたかは生憎解らないけどと肩を竦めるアマギリに、ラシャラはやれやれと首を振った。
「そうやって悟ったような顔ばかりしておると、あっという間に伯母上の劣化コピーが出来上がってしまうぞ、従兄殿」
それこそ十歳と少しの年齢に見合わぬ悟ったよな物言いに、アマギリも苦笑しながら返すしかなかった。
「そっくりそのままお返ししますよ、従妹殿」
こうして、予想外の人物との再会を挟みつつ、夏休みが始まった。
※ えーっと、確か5-1辺りで台詞らしきものが確認できるし、40話ぶりくらいの出演ですか、ラシャラ様。
後、出してないのってドールくらい? あ、追加の教会の人も居ますか。
後者はどう頑張っても出しようが無いですが、前者はどうかなぁ。