・Scene 50-5・
『何年、何百年、何千年待ったのでしょうか、貴方達は。生憎と、異世界人たる私には与り知らぬ―――きっと多くの苦労と忍耐を必要とする月日だったのだと思います』
すり鉢上に席が配置された、円形の広い会議場。
『私は皆様を、そして皆様に忍耐を強いてきた方々を責めたい訳では在りません。何故なら幼い頃は我慢を知らねばならないでしょうし―――そしてそれを教えるのは大人の勤めだろうからです』
その中央に設置された議長席の真下にある演壇に立って、一人の少年が朗々と声を上げていた。
『ですが―――ですが、何時まで皆様は大人たちに教わり、導かれ、手を引かれて生き続けるつもりなのか。当たり前の事ですが、永遠に子供で居られる筈も無く、また、教師である大人たちも何れ老いて死に行く定めと在るならば、永遠に貴方たちを導いてくれる事は無い』
議場に集ったのは、一つの目的のために集ったあらゆる国家の重鎮、代表たち。
老練なる外交の名手達であったが、演壇に立つ少年を見る眼差しは皆、それぞれの若い頃を思わせるような楽しげなものが光っていた。
『そろそろ、宜しいでしょう。教師たちにもう我々は自分の足で進めるんだと、今まで導いてくださったそのご恩に報いるためにも、我々は自らの意思で決めて、進む必要があるのです』
慇懃無礼も極まってきたなと、モニター越しに議場の様子を見守る彼女ですら思うのだから、各国のお歴々も、きっとその思いは同じ事だろう。
どれもニヤニヤと、意地の悪い笑みを浮かべているのが解る。
唯一、演壇の直情に設置されている議長席に座している者達だけが、不機嫌な気分を隠そうともせず、苦虫を噛み潰したような顔をしているのが印象的だった。
まるで、悪ガキの悪戯に頭を抱えている担任教師のようですらあった。
『―――そうですね、言ってしまえば、皆様が聖地で経験なさった事を再現するみたいなものです。生徒会は生徒による自治運営組織であり、教会職―――おっと、失礼。教師及び職員はその介入を原則として禁ずる。独自性と自立心を養うために、ええ。此処にいらっしゃる皆様ならば、既にそれらは容易い事でしょう?』
身振り、手振りとオーバーアクションは、いっそ壇上で一風変わった演劇でも披露しているかのようで、講堂内に朗らかな空気が満ちる。
それに比例するように、少年の頭上から不機嫌極まってきた視線が、更にきついものに変わっていくのはご愛嬌といった所だろうか。
「……って、私たちにとっては笑い事じゃないわよね?」
ハヴォニワ王国東部天領にある、通称旧城内に存在する旧議事堂でリアルタイムで進行中の国際会議の様子を、教会職員用の控え室でモニター越しに見ていたリチアは、議場内の朗らかな空気に自分も染まりかけていた事実に気付いて、乾いた笑いを漏らした。
「です、ねぇ」
傍に控えていた従者のラピスもまた、苦笑いを浮かべて頷く。
「お爺様には療養名目で出席を控えてもらったのは正解かしら」
「教皇様ですと、何となくアマギ……いえ、凛音様のお言葉に笑って賛同してしまいそうですが」
「だからこそ、よ」
教会現教皇である祖父の、実は庶政に敏くおかしみを理解する所のある気風を思い起こせば、ラピスの言は全く持って頷ける事だった。
故に、現在勢いに任せて教会の実務を切り盛りするようになっていたリチアにとっては堪らない。
「急すぎる変革は、碌でもない軋轢を呼び起こすわ。幾ら戦時体制で無茶が効き易いからといって、おいそれと頷いて良い問題でも無いでしょう」
「でも凛音様は、それを踏まえても利があれば踏み込む事を良しとしてしまう方ですし」
「そうなのよね―――って、なんか、私が咎めてラピスがフォローするって形、ちょっとおかしいわよね?」
各々が壇上で演説―――正しく演技を交えた説得劇―――を繰り広げる彼の少年に抱く感情を思い起こして、リチアは眉根を寄せた。
ラピスの想い人は柾木剣士だった―――筈。いや、そうに違いない。多分。
モニターの向こうで偉そうな笑いを浮かべて背後に振り返っているあの男ではない―――恐らく、絶対。
イマイチ自分の事でいっぱいいっぱい過ぎて、その辺り良く解っていなかったのだけど、こんなにあの男に対して肯定的な印象持っていただろうか、この娘子。
ラピスはちょっと混乱した主に、ふわりと笑いかける。
「いえ、そういう方ですから、きっと止められるのはリチア様だけですと、私は言いたかっただけなんですけど」
あ、この子嘘ついた。
言葉の意味に頬が赤くなるのと、言葉がからかい混じりに即興で作られたものだと気付くのは同時だった。
「―――貴女、ちょっと性格変わったかしら?」
「もう数年もの間、凛音様のなさり様を近くで見ていましたから、多少は影響を受けているかもしれません。でも―――」
「でも?」
まぁ、印象に残りすぎる男であるから、大なり小なり影響を受けるのは当然だなと頷くリチアに、ラピスはさらに楽しそうに微笑んだ。
「でも、リチア様ほどではないと思いますよ?」
「やっぱり貴女、少し強かになって来てるわ……」
「リチア様はその分、愛らしくなられました」
それが心底嬉しそうな言葉だったから、リチアとしてはラピスの視線から逃れるようにモニターに視線を戻すしかない。
壇上の少年はどうやら絶好調のようで、いつの間にか腰に手を置いて背後で声を荒げている、議長席の教会利益代表である枢機卿と舌戦を繰り広げていた。
オブザーバーとして議長席の隣に身を置いている”元”シトレイユ女王ラシャラ・アースは、肘掛に体重を預けて、呆れ顔で眺めるのみと言う体たらくである。そして、会議の参加者は誰一人その舌戦を止めようとしない。
即席のブックメーカーすら登場しそうな、学級会レベルの程度の低さだった。
「こう言っちゃなんだけど、アイツを真ん中に置こうと思った段階で、もうまともな空気は諦めるのが正解よね」
『キミは、教会の存在を何だと思っているんだね!? この秩序が打ち砕かれれば、一体幾つの失われる必要の無い命が失われると!』
『飼いならされた羊の幸福を甘受すれば、たしかに生き続ける事は出来るでしょう。ですがその生に何の意味があるのです? 檻の中に飼われた家畜は飼い主の目的のためだけに生き続けなければならない。―――家畜なら、それも良いでしょう。所詮家畜です。でも、僕らは人間だ。そこに息苦しさを覚える。例え檻の外が寒風吹き荒ぶ荒野であろうとも、踏み出してこそ掴みたい幸福だってある。―――その過程で幾らの犠牲が出ようとも、それは望んで迎えられる物に過ぎない』
『望んで滅びを迎えようなどと―――それでは、終末論者の思想ではないか!』
『そうじゃないでしょ? 単純に、僕らはどうやって生きるか死ぬかを、自分で選ぶ権利がある。そうですね、先に言いましたが、物を教え導いてくれた事には感謝もしましょうし、恩義に報いる気にもなりましょう―――それ故に、我々は貴方達教会の失策を挽回するためにこうして集っているのですから。ですが、例え傲慢と言われようと、教え、抑えられつけたまま生を終えるなど御免なのですよ。―――誰もが、国家それぞれが好き勝手に利益を追い求め出す? 良いじゃないですか。その形こそが正常で、そして例え争いがあったとしてもそれは何時までも続かない。”戦う相手が居なくなれば”必然的に、どのような形になるかはそれこそ貴方達の伝えた教えの結果が示される事になるでしょう。―――そう、自分たちこそが正しいと思うのであれば、それこそ黙って結果を見守っていれば宜しかろう』
『それは―――いや、しかしだからといって……』
少年に一気に、一方的に畳み掛けられて、枢機卿は一瞬言葉を失う。その隙を逃さないように、更に少年は大げさな言葉を積み重ねていく。反論など微塵も聞く気が無い勢いで、自分のリズムで状況を満たしてゆく。
「ホント、楽しそうねアイツ」
呆れようと思っているのだが、もう口の端が釣りあがってしまうのが抑え切れなかった。
あそこまで傍若無人を極められてしまうと、本来はたき倒したい筈の、何処であっても己の姿勢を崩さないと言う何時もどおり過ぎる少年の態度が、むしろ頼もしくすら思えてくるから不思議である。
隣で、ラピスも同意するように深々と頷く。その後でラピスは、思い出したかのように人差し指を立てて付け加えた。
「何か、ご実家では余り表舞台に立った経験が無いそうで、こちら―――ええと、ジェミナーに来てからは色々と尊敬する方たちの真似が出来て面白くて仕方が無いとか。留学のつもりが丁稚奉公扱いにされていて、主筋のかなり上役の方の御付をしていたら、その手際をいつの間にか覚えていたらしいって」
「……ねぇラピス、何で貴女そんな事知ってるの?」
「以前、雑談交じりにお聞きしましたけど?」
「―――私、何も聞いてないけど」
リチアは半ば固まったまま呟いた。
彼の少年の実家―――異世界での生活など、殆ど聞いた覚えがない。
それ以前に、彼の本名すら、彼本人の口から聞いた訳ではないのである。
別口―――つまりは、結界工房へと進路を目指していた少年の従者の少女を強引に捕獲して、色々とシュリフォンでの状況を確認していた時に、たまたま聞いてしまったのだ。
後々連絡を取ったときに問い詰めると、少年は困った風に笑って頷いていた。
憚る所もまるで無いようなその態度に、リチアは気勢をそがれてしまい、その衝撃の事実を当たり前の現実として受け入れてしまったのである。
だがしかし。ああ、だがしかし。
先ごろこの旧城で再会した―――と言うか、モニターの向こうで少年と老人の舌戦を絶賛鑑賞中の友人の少女たちは、既にあらかた彼の事情を聞き及んでいるらしい。
つまり、何者で、何処から来て、どうするつもりなのか。
少年本人の口から、つぶさに。
何で何でとリチアが混乱していると、少女たちは決まって、”放っておいたら自分から語り出した”と口をそろえるのみだった。
自分の口から、である。尋ねられたから答えたのではないらしい。
その事実を知った時のリチアの心情は、想像するに余りあるものであろう。
―――因みに実際は、酒を飲ませて口を軽くさせた、と言うのが単純にして明快な現実なのだが、誰もそれをリチアに教えてくれる人は居ない。
尤も、教えたとしてリチアが少年と酒盛りをするなどと言う光景は想像の中にすら存在しなかろうが。
「……私、ひょっとして蔑ろにされてる?」
ポツリと呟く、その言葉の真実味に空恐ろしい気分になった。
そういえば、と言うほど考えるまでも無く、ヤツはリチア自身から連絡を入れないと、全く連絡をしてこない男だった。シュリフォンで別れてから幾度か譲許報告を交し合っていたが、その最初の一報を入れるのは何時だってリチアの役目だったのである。
ラピスでも―――と言う言い方には些か語弊が生まれそうだが、ラピスのように特別親しいと言う訳でもない少女にまで、話せることは雑談交じりに話しているのに―――翻って。
「いえ、凛音様はアレで、リチア様の事を大切にしている―――つもり……だと、思います。多分、本人にしかわからない論理で。きっと」
暗い方向に思考が飛び始めた主に、ラピスが微苦笑を浮かべながら口を挟んだ。
「どう……言う事?」
リチアは後一押しすれば、泣き出してしまうんじゃないかと思う暗い顔になっていた。
何で私がフォローしなければいけないんだろう。いや、立場上仕方ないのかもしれないけど。
モニターの向こうで、いつの間にか枢機卿をやり込めた少年に恨み節を思い浮かべつつも、主を慰めるように言葉を続ける。
「凛音様は、何ていうか―――その、大切な人ほど、遠くへ遠くへと自分から離して、折角高嶺から掴み取ったのに、わざわざ更に高い嶺に置きに行くような人ですし。私みたいに特に、と言う人間には、別に話した後でどう印象が変わられても構わないので気軽に何でも話してしまえるんでしょうけど、リチア様の様に、情を御交わしになった方に対するとなると、途端に」
臆病になる。
ヘタレの格好付けと、誰もが口を尖らせるその言葉を、ラピスは正しく理解していた。
ついでに、それに比するくらい自身の主が臆病である事も。
何時ぞやの夕刻の邂逅―――って、アレもラピス達、周りの人間の仕切りだった―――の時のようにたまには自分から踏み込む勢いを示して欲しいものだと、思わないでもない。
少年が軟派な性格で、アッチへコッチへと誘われれば拒まない軽薄な部類に属しているのは事実だが、それでも一度懐に入れた人間には―――大切だと見定めた人間には無償の愛を注ぐような人間であるのは間違いない。
早い話が、好きな子から頼まれれば”断る”と言う選択肢が辞書にすら書かれていないような。
だからラピスとしては、主も是非に日頃からの不満は、本人にそのままぶつけて欲しいと思うのである。
「この後、確かお二人での御時間があるのですから、その時に、色々と―――その、普段出来ないような甘え方とかをなされてみたら、凛音様もお喜びになると思いますけど」
おもに、愚痴と言うか惚気と言うか、とにかくそういう事を毎度毎度聞かされる立場になる自分を労わりたいから。
「そ、そうかしら?」
「そうですとも」
溜め息は喉の向こうに押し止めて、微苦笑混じりに言うと、リチアは頬を赤らめて照れ笑いを浮かべた。
「あらリチアさん、何時の間にそんな乙女な顔を出来る様になったの?」
聞き覚えのある、懐かしい声が聞こえてきたのは、そんな時だった。
※ 気のせいか凄い久しぶりの登場な気が……。
でも何ていうか、微妙に漂う置いてけぼり感がこの人の持ち味な気がするんですよね。