・Scene 50-3・
「マリアちゃんとちゅうしたんですって?」
ハヴォニワ東部、天領にある旧王城内の仮設政庁、女王執務室に案内された凛音は、書類の山から顔を上げすらしない女性から、開口一番そんな事を言われた。
「何処で見てたんだよ!」
作り笑顔も優雅な態度も全部投げ飛ばして、凛音は檜を切り出して設えた一枚板の執務机にバン、と両手をたたきつけて身を乗り出した。
「ああもう、決済前の書類が落ちちゃったじゃない。―――やっぱり、収納が少なすぎて使いづらいわねぇこの部屋」
がなりたてる凛音の言葉を聞いていないかのような呑気な態度で、この国の王である女性は、漸くゆっくりと顔を上げた。
因みにこの執務室、と言うか旧王城は全般的に和洋折衷で落ち着きのない内装をしている。
三代前の当時この城を居城としていたハヴォニワ王が、異世界かぶれだったために、異世界―――つまり地球は日本の様式を中途半端に好んで取り入れたためだ。
見た目優先の内装に走りすぎたため、国家中枢としての機能を果たすには些か問題がありすぎる。
先代の御世に遷都する事となったのはその辺りにも事情があった。
「でもあなたも成長したわね。遂にお酒の力に頼らずにちゅう出来るようになったなんて」
手元に置かれた小型の立体投影機―――そこに映されたリアルタイムの空港内の映像を隠そうともせずに、フローラはコロコロと笑う。
「知るか! つーか本当に貴賓用の空港を盗撮、盗聴するの止めようよ! 後で何故か僕がマリアに怒られるんだから!」
「あら、平気よ。私もちゃんと怒られてるから」
「そりゃ貴女は慣れてるから平気でしょうよ……」
テンションを無理に上げるのも疲れたと言う風に、凛音は机に手を置いたままがっくりと肩を落とした。
「相変わらずマリアちゃんには弱いのねぇ」
「何とでも言ってください、何とでも」
ぐったりとした態度で身体を起こしながら、凛音は肩を竦めた。その酷く投げやりな態度に、フローラは見た目だけは愛らしい態度で小首を傾げながら、天井を見上げた。
「じゃあ言うけど、マリアちゃんの唇は美味しかった? レモンの味でもした?」
「スイマセン、もう勘弁してください、ホント……」
部屋の片隅に置いてあったティーセットの傍まで寄りながら、凛音は白旗を揚げた。
慣れた手つきで緑茶の準備を始める凛音の背中を見ながら、フローラは微苦笑を浮かべた。
「やあねぇ、この子ったら照れちゃって。今更ちゅうくらい、貴方にしてみればスキンシップみたいなものでしょう? ア・ナ・タにしてみれば」
「昼間っから艶っぽい声出されても、生憎お答えできませんからね。―――大体、”この子”何ていう割りに、一方的に親子の縁を切ったのは貴女でしょうに」
「あら、つれないヒトだこと。元々このタイミングで切り捨てるって言う提案は貴方が始めに言い出した事じゃない」
きっと振り返ったら、フローラはエロい目を向けてるんだろうなと思い、凛音は絶対振り返らないように決心した。背中越しに肩を竦めながら、茶葉が蒸れるのを待つ。
「まぁそりゃ、僕の提案ですけど」
「でしょう? 聞く側の気持ちも考えずに、”全然気にしてませーん”みたいな顔しておいて、いざ現実となった途端にゴネ始めるなんて、男らしさの欠片も無いわ。挙句それで、マリアちゃんに泣き落とししてみたり、アウラちゃんといちゃついてみたり」
「ちょっと待った、マリアの事は関係ないでしょうが。―――いや、うん。二人して毎度毎度、飽きずに雰囲気に流されているような自覚は無きにしも非ずですが」
片方に酒が入っていたり雨が降ってアンニュイな空気だったり片方に酒が入っていたり。
そういう意味でも、割り合い気分で流されている空気は感じていた。後悔していない―――されていないのが、唯一の救いかもしれない。
「そして遂に、二人とも素面で。まぁ、感動の再会ってスパイスはあったけれど」
フローラの口調は井戸端で円陣を組む姦しい街女の態度そのものの楽しさに満ちていた。
「切欠があれば盛り上がれるんですから、別に、悪い事でもないでしょう」
楽しげな割に、微妙に口調に棘が混じっているように感じられるのは気のせいか、それとも、自分に後ろめたい気分があるからだろうか。凛音は反論にもならない―――むしろ、自分から火に油を注ぐような言葉を返していた。
「その場その場の空気だけで、傍目も気にせずに盛り上がる男と女。男女づきあいで一番駄目なパターンじゃない」
「―――真にご尤も」
友達無くすわよと言う母だった人の言葉に、凛音はぐうの音も出なかった。
「貴方もマリアちゃんも、思い込んだら一途と言うか、こうと決めたら曲げられない変な生真面目さ―――いいえ、硬さ、かしらね。噛み合い過ぎると歯止めが利かなくなるし、もう一歩二歩踏み込んだら、きっと泥沼でしょうね。良かったわねぇ、マリアちゃんがまだ”コドモ”で」
「実の娘を引き合いに出して、何を言ってるんですか」
「ドロドロでグチャグチャな貴方の素敵な未来図の話?」
流石に癒そうな顔を浮かべる凛音に、フローラはあっさりと切り替えしてきた。
「そういう爛れ続けられる生活って、ホント、憧れますがね……」
力無い仕草で急須から茶碗に緑茶を注ぎながら、凛音は言った。
「それ、本音でしょ?」
「ご想像にお任せしますよ―――っていうか、そろそろ止めませんか? 昼日中にこんな場所でする話じゃないですよ」
暗に、昼ではない時間に別の場所で語らおうと言っているようにも聞こえるが、凛音に他意はない。
防戦一方だったので、いい加減切り上げたかっただけである。援軍も、残念ながら誰も居ないし。
親しい少女たちは皆、サロンに案内されて、空港で凛音とちょっとしたロマンスみたいなものを演じた少女の歓待を受けている筈だった。
フローラも、渋い緑茶を差し出す凛音の言葉に、納得するように頷いた。無論、緑茶はサイドテーブルにそのままスライドさせていたが。
「そうね、あんまりバカップルみたいなじゃれ合いを続けていると、マリアちゃんに怒られちゃうし」
「止めませんかって言いましたよね、僕!? っていうか、自分でバカップル言わないで下さいよ!」
テーブルに置いた茶碗から飛沫が飛び散るほどのオーバーリアクションで執務机を叩く凛音に、フローラはニコリと微笑むのみだ。
「息子の頼みなら聞いて上げられたけど、通りすがりの異世界人さんの頼みを聞かなきゃいけない覚えは無いものねぇ」
「で、このタイミングでそこに戻るんですか……」
散々人を弄繰り回しておいて、マイペースなことこの上ない。
それにしても、碌に再会の挨拶もしていないのにあっさりと何時ものリズムを作り出せる手腕は、如何にもフローラらしいなと、凛音は今更ながらに思った。
多少関係性が変わろうと、本質的な部分で何も変わるはずが無いのだと、態度で示されている感じがする。
そしてそれは、そうあって欲しいと思う凛音の希望を抜きにしても、厳然とした事実なのだった。
「ま、それでこそ、ですかね」
「何がかしら?」
ポツリと漏れてしまった声に、フローラが瞬きする。
「いえ、特に何も。頼もしい限りで助かります、と言う話でしょうか」
「―――ひょっとして、怒ってる?」
「まさか。むしろ感動してますね」
凛音は笑って首を横に振った。
両者無意識の間に交わされてしまった、この先数十万年以上に渡るであろう長い付き合いの、今はほんの末端に過ぎないのだから、劇的な変化など起こる筈が無い―――なんて、言える筈もなく。
「つまりは、楽しみましょうよと言う事です」
「―――?」
いつか伝える必要が在るのか、それとも案外、もう理解しているのか。どちらにせよ、敏い女性である事は間違いなかったから、こうして心底からの不思議そうな顔が見れる機会があるのは在り難いなと凛音は思った。
「何時だったか言ってたでしょう? ”楽しみ”だって。丁度今がその時じゃないかと僕は思うんです。全ての手札が表となって手元に集まって、そして、何を切っても構わない。今後、何度在るか解らないくらい貴重な、僕たちが主役で居られる本当に貴重な機会が巡ってきたんですから。――― 一緒に、楽しみませんか?」
おどけた仕草で差し出された凛音の手を、フローラは目を丸くして見つめていた。
そしてそれから少しして、コロコロと華のような笑みを見せた。
「僕たち、ね―――私で、良いのかしら?」
疑問と言うよりはいっそ、挑戦的な視線だった。凛音はシニカルな笑みを作って、肩を竦めることで応じる。
「愚問ですね。”貴女が呼んで僕が答えた”。―――そうである以上僕のパートナーは貴女以外には存在しません」
自信たっぷりに応えた言葉は、しかしフローラの口を尖らせるものだったらしい。
「マリアちゃんたちは?」
「昔聞いた事があるんですけど、結婚は義務で、恋愛は自由らしいですよ」
「―――どちらがどちら、なのか聞いた方が良いのかしら」
「ご想像にお任せしますとお答えしましょう」
鼻を鳴らすフローラに、凛音はまだ気軽に答えた。
「そういう言葉、あの子達の前でも言えれば一人前なのにねぇ……」
「―――いや、流石にそんな恐ろしい真似は出来ません」
溜め息混じりの言葉を、そこだけはきっぱりと否定する。
「このヘタレ」
「長い目で見てくれると嬉しいですね」
「長い目で見てる間に、そこら中の若い子を掴まえては人をやきもきさせるのよね、きっと」
「……怒ってます?」
旗色悪くなりそうな気配を感じて、凛音は問いかける。フローラは若々しい態度で顔を背けて口を尖らせた。
「べ、つ、に? そうやって自分だけ解った風に盛り上がって強気になる癖、直したほうが良いとか思ってないわよ?」
弾みをつけるように差し出されたままだった凛音の手のひらの上に自身の手を重ねながら、フローラは言った。
「そんな変な癖をつけてるつもりは無いのですが」
「無意識だからこそ、癖って言うんでしょ? ―――やっぱり、そうやって不貞腐れてる顔してる方が、可愛げがあって良いわよ」
憮然と返事をする凛音に、フローラは年季の入った笑みで応じる。
凛音は、フローラの手を引いて椅子から立たせてやりながら、降参ですと首を横に振った。フローラは満足そうに頷く。
「じゃあ、遊びましょう。美しく、豪華な花火を沢山打ち上げて。行く手を塞ぐ全てを更地に返してしまうような、そんな勢いで野を駆け回って。―――出来るかしら?」
「貴女が望むなら、やってみせましょう。―――その意思に答えることこそが、我が存在の本質とも言えますから」
自信を持って、誇り高く―――しかし、姫君には通じたそれは、女王には届かないらしい。
「無駄に装飾を重ねた言葉は、嫌いよ」
そんなものは聞き飽きていると、フローラは重ねた手のひらから二の腕に手を滑らせるようにして身を寄せながら、楽しそうに微笑んだ。
挑戦されている。
理解するまでもなく、そう理解した。
直接的な言葉を欲しがるのは、娘の少女と何も変わらないよなと、要らない思考を一瞬だけ抱きそうになって、それを慌てて振り払う。
至近で向けられていた透明な瞳が怖かったからでは、多分無い。
そうですね、と凛音は一つ前置きをして口を開いた。
永劫を共にする筈のパートナーに対する、―――まぁ、今後の待遇を考えての、接待の一種かもしれないなと、くだらない事を思いながら。
「―――好きな女の子の希望は、全力で叶えますよ、僕は」
その後の経緯―――つまりは、少女たちを歓待するための晩餐に、二人して欠席した事実からして、フローラはご満悦だったらしい。
特に、”女の子”のくだりが何よりもそうであったとは、気付いても誰も指摘するものは居なかったが。
※ まぁ、つまりはそう言う事で。
このSSの冒頭の展開って、儀式的な意味合いが含まれていたのでした。