・Scene 50-1・
胃が痛い。
だから、このまま回れ右をしてシュリフォンに戻ったら駄目だろうかと言ってみたら、以前従者だった年上の女性に思い切り睨まれた。
政府機能が崩壊した王都王宮に代わり、女王以下政府機能を移管した、東部天領内に存在する仮の王宮。まだハヴォニワが今ほどの勢力を有していなかった頃は王城として使われており、現在は旧城などと称されるその場所に、凛音たちの乗るスワンはたどり着いた。
ハヴォニワ領内に入った途端に八方周囲をハヴォニワの空中戦艦が取り巻き護衛―――と言うか、半ば鹵獲されるような状態で先導を受けながら。
否応を言う隙すら与えられず、気付けば大型艦艇も停泊可能な大軍港へとスワンは着艦することになってしまった。
着艇と同時に瞬く間に空港スタッフにより外部接続ハッチが開口し稼動桟橋が上げられ、後はそこに乗り込むばかりであるのだが―――凛音は、ハッチの前で足踏みをする事となった。
それは単純な理由で―――ようするに、ハッチへと続く通路の窓の向こう、下方に見える人影に問題があった。
従者の一つも連れずに、一人で稼動桟橋の着艇場所に佇む一人の少女の姿。
見なかったことに―――出来る、筈も無い。
暫く振りの、見たかった顔なのだから。
しかし見たかったのと同時に、見られたくなかった顔でもある。
あまりにも女々しい想像が幾つも浮かんでしまい、足が竦むような感覚を覚えてしまう。
踏み出し、降りて、それから。
その先を考えるのが怖く、凛音は一つ大きな息を吐いた後に、背後に振り返った。
「……此処は一つレディーファーストって事で、ラシャラちゃん達から先に」
「たわけが。お主が主賓じゃろうが」
一撃で切り捨てられた。
「と言うか、その稼動桟橋、別に一人乗りじゃ無いし」
逃げ口上を考える凛音を、ラシャラに続きキャイアまでが半眼で口を尖らせる。
「いやでも、ホラ。僕、”この国に来るの生まれて初めて”だし、付き合い長いキミたちが先の方が」
「来るの初めてなら、何も怖がる必要ないと思う」
無理やり捻り出した言い訳は、ユキネに一瞬で否定された。凛音は非難の目を向けてくるユキネから視線を逸らして漏らす。
「―――人見知りする男なんだよ、僕は」
「微妙に本音じゃろ、それ」
「ああ、確かに。何かにつけて人との距離を測ってるものな、お前」
ラシャラの呆れ声に、アウラが大いに頷いた。
「ヘタレーノ・カッコツケさんは、いざって時に醜態を晒すタイプだもんね」
「……姉さん、何かキツくないでしょうか」
「私、”初対面”の人には人見知りするタイプだから」
自分の使った言葉で切り返されれば、押し返す言葉が見つかる筈も無く、凛音は厭な汗を垂らしながら明後日の方向を眺める事しか出来なかった。
自然、少女たちの視線が無い方へ無い方へと顔を向けていけば、大きくハッチを開いた外の景色へと目が向く。
外を見れば、港に一人で佇む少女の姿が。
「あ……」
吐息のような声が漏れた。
それなりの距離があったはずなのに一瞬、埠頭で待つ少女と視線が絡んだのだ。
静かな面、揺れる事無い瞳の色は、果たして何を思っているのか。凛音の胸中に複雑なうねりを呼び起こした。
今すぐ傍へと。今すぐ見えない場所へと。背反する二つの思いが、彼をその場に束縛した。
端から見ればそれは、常では見られぬであろう酷く気弱な物に写ったらしい。
曖昧な表情で少女たちは顔を見合わせて、しかし言葉が見つからずに押し黙ってしまった。
情理において、兄と妹、そのどちらの気持ちも理解できていたが故だ。
だから、労わりの気持ちから押し黙ってしまった少女たちの姿を見て、キャイアは一つ息を吐いた。
それなりに迷惑をかけているのは事実だし。
元々、それほど好いても好かれても居ない自分こそが、無理やりに場を進めてしまう役目としては相応しいだろうと、決心する。
一歩踏み出して、呆れた口調と聞こえるような声で、言う。
「っていうか、良いからさっさと行きなさいよアンタ。遠くから陰に隠れて見てるなんて、みっとも―――……?」
ない、と続けようとして、何時の間にか周りの視線が自身に集中している事にキャイアは気付いた。
皆、曖昧な笑顔をしている。有体に言って、不気味な空気だった。
「―――なんですか?」
「いや、何と言うか……」
「ウム。その自覚の無さこそがお主の魅力かもしれんからの」
「……褒めてません、よね? ソレ」
頬を引き攣らせた主の言葉に、キャイアは眦を寄せたる。
「―――柱の影の主」
「へ?」
「姉さん、それ言っちゃ駄目だって!」
ボソリと呟いたユキネの言葉を、凛音は経緯を忘れて慌てて嗜めた。
「柱の、影って……。ん~?」
キャイアは目を丸くして、ユキネの言った言葉を考える。何しろユキネがソレを口にした瞬間に、アウラもラシャラも一様に視線を横に逸らしたのだから、考えないわけにもいかない。
柱の影。自分。凛音の情けない態度。自分。遠くから陰に隠れるだけの凛音。―――自分。
「―――っ!!!」
咄嗟に辺りを見渡してしまったのは、キャイア自身、正確にその意味を理解できたからだろう。
「二人の仲が何時まで経ってもかみ合わないのは、ひょっとして同属嫌悪と言うヤツを抱いているからなのかのう?」
「じゃあ、凛君と同じでヘタリーナ・カッコツケだね」
「いや、格好付けてるのは凛音だけだと思いますが」
「好き勝手な事言うなそこ!」
ボソボソと言いたい放題の主たちに、キャイアは怒鳴る。その後で、オーバーアクションで凛音に向き直った。
「アンタも! ヘラヘラ笑ってないでとっとと降りなさい!」
「ちょ、八つ当たりかよ!?」
「煩い!―――いいから、行け!」
そのまま首根っこを引っつかむという、普段ならば絶対にやら無いような真似をして、凛音を稼動桟橋の中に放り込む。ギロリと視線を向けられたスワンの担当乗員が、苦笑しながら稼動桟橋を起動させた。
稼動桟橋は亜法機関を稼動させて、ゆっくりと浮上し、尻餅をついた凛音を中に乗せたまま、ハッチの向こうへと飛び去っていった。
少女たちは怒り肩のキャイアの背後からその様子を伺っていたが、やがて、ラシャラがポツリとつぶやいた。
「アレ一機しかないというに、妾たちはどうするのじゃ」
「―――あ」
聖機人を搬入可能な巨大な接続ハッチの前に取り残された事実に気付き、キャイアはしまったと目を丸くした。
ギ、ギ、ギと錆びたカラクリのような動きで背後を振り返ると、主たちは一様に苦笑していた。代表して、アウラが口を開く。
「少し間を置いた方が、丁度良いだろう」
「確かに、の。―――下世話な真似をするのもなんじゃから、場所を移すかの」
チラと、軍港に着艇した稼動桟橋を見送りながら、キャイアは肩を竦めた。
「ヘタレ兄妹だからね」
「……何気に、やつ等に冠する発言には欠片も容赦がありませんよね、ユキネ先輩」
「お姉ちゃんですから」
冷や汗を流すアウラに、ユキネは答えにもなっていない言葉をすまし顔で返す。
各々踵を返して接続ハッチを後にしようとする主たちの背中を追いながら、キャイアは後ろ髪を惹かれるような気分で、振り返ってしまった。
「―――……あ」
折悪しく、と言うべきか。
視界に納めた光景の美しさが、一人取り残された自身とのコントラストを示しているようで、胸の中に悲しいほどの空白を覚えた。
同属嫌悪。
冗談の中に含まれていた言葉だったが、今はソレが重みを持っているように思える。
ただ違う事があるとすれば、稀に訪れる切っ掛けの度に、彼だけは踏み出すことに成功している事だ。
機会を逃さず、その度に、親しい者達との関係を更に深めていく。
―――翻って、自分は。
「人は人、じゃぞキャイア」
「―――ラシャラ、様」
いつの間にか傍で同様に港の様子を眺めていたラシャラが柔らかい声で言った。
「ヘタレではあろうが、要領は良いからの、アヤツは。―――ソレが良い事か悪い事かは別として」
「複数の女性の間を練り歩く要領の良さなど、百害あって一利無しだと思うが」
「何時か刺されるよね、きっと」
声がした方を見れば、アウラもユキネも、困った風に笑いながら傍に戻ってきていた。一様に、港で繰り広げられている光景を眺めてしまっている。
「と言うか、お三方とも立ち回られている立場ですよね?」
他人事のように話される言葉は、キャイアに常から思っている疑問を沸きたてるものだった。
ラシャラも含めて、この女性たちは皆、甘木凛音とそれぞれそれなりの関係を築いている。
―――”それなり”の。
親しいのは解るのだが、親しさの具合が見えないところが、今ひとつキャイアには理解しかねる部分だった。
具体的に言えば、リアルタイムであんな光景を見せられているというのに、何故嫉妬の一つもせずに見守っていられるのでしょうかと言うことである。
キャイアが彼女等のような立場におかれていれば、とてもではないが耐えられないだろうから。
「まぁ、我等の如き立場のものにとっては、恋愛も結婚も課せられた義務に付随するものでしかないからな」
「―――むしろ、一人の男性を一途に思っているキャイアさんのほうが、立場的に珍しいと思う」
「妾は抜きにしても、おぬし等皆、聖機師じゃしの」
ユキネの言葉に、ラシャラは然りと頷いた。
女性聖機師はその職責に基づき、婚姻、出産は厳然と管理されている。
愛する男性とだけ閨を共にしたい、等と願っても叶うことなど稀―――と言うか、ほぼありえない。
「それこそ、ワウみたいな幸運でも無い限りは、な」
何時だか腹が立つくらい幸せ層な顔をしていたワウアンリーの顔を思い出して、アウラが苦笑を浮かべる。
「いや、ワウの場合はああいう立場になった後から出来た感情とも言えるが」
「うん。初めは凛君の片思いだったからね」
「薄々解っていましたが、それを平然と言えるのはユキネ先輩だけでしょうね……」
得意げなユキネの言葉に、アウラは苦笑いを浮かべる。ラシャラもやれやれと首を横に振っていた。
驚き目を剥いたキャイアは、どうやら少数派だったらしい。
「凛音って、―――あの、ワウの事が、その……好き、なんですか?」
躊躇いがちな口調は、当然ハッチの向こうの景色を見ながらのものだった。
いや、うん。男性聖機師と言うイキモノが女性に夢を見させるために存在しているのだという事実は、先ほどのアウラたちの言葉から改めて理解しているが。
「好き、と言うか……多分、ワウだけは明確に”自分のもの”だって確信できているんだと思う」
口元に手を当てながら、ユキネがそんな風に言った。
「確かに、ワウにだけは扱いがぞんざいですし―――まぁ、惚気話でそんな風に聞かされたような」
「うん。ワウだけは凛君が”自分から選んだ”人だから。でも、対照的にリチア様とかだと―――」
「報われん話じゃの、リチアにとっては」
「基本的に、押されると退いちゃう駄目な子だからね、ヘタレーノは」
「そのくせ格好つけている辺りに、男の見苦しさというヤツが見えるな」
散々な評価は、むしろ日頃から非友好的なキャイアの方がフォローをしたい気分になるほどだった。
「だが、ソレがヤツにとってのこの世界、男性聖機師と言う立場での生き方なのじゃろうて。―――誰か一人のために生きられる立場ではないと、本質的な部分であやつは理解しておるよ。それこそ、自分のためにすら生きられないのだとすら、解っておるのじゃろうな」
賢し過ぎる男だからと、ラシャラは言った。幾つかの事情の積み重ねによって、遂に決められた生き方から足抜けしてしまった彼女にとって、一人で自由にやれる力があるというのに、あえて他者に望まれる誰かとして生きようとしている少年のありようは、色々と考えさせられることがあるのだろう。
「故に、誰からであろうが向けられた好意には応じる―――が、応じるだけで、求めることは限りなく少ない。……あんなものを眺めながら言っても説得力は無いが」
港の光景を見ながら、ラシャラは肩を竦めた。
「あれは、マリア様の努力の成果だから」
「―――決して、凛音が努力しているわけでは無い辺りが、色々とアレですね。……つまり、リチアには努力が足りていないと言うことでしょうか」
「奥手とヘタレの組み合わせじゃからな、リチアと凛音殿じゃと。―――落ち着いたらまた、何か機会でも作ってやるべきかもしれんの、友人としては」
「良いね、楽しそうだ」
そんな風に笑い合いながら、ラシャラたちは今度こそ、外部ハッチを後にしようと踵を返す。
キャイアとしても何時までも此処に居たい気分ではなかったから、その後に続くことに否応無かった。
だから、振り返ったのは未練だろう。
「―――望まれた生き方を、それに答えて」
自らも望んで生きる。
押し付けられた立場であろうと、楽しめてしまえたのならば幸運なことだろう。
そう、幸運。凛音は幸運が重なって今もそれなりの幸福―――すくなくとも、端から見る限りは、そういう場所に居る。
翻って、キャイアは。
「私じゃ、無いか」
苦い笑みが、口元に象られたことにキャイアは気付いた。
他者から望まれた生き方、それに答え続けて―――そして今は、投げ出してしまった人。
投げ出さないで居てくれたら、この想いにも答えてくれたのだろうかと、キャイアは女々しくも思わずに居られない。
何時までもそれは、変わらないだろう。
望んで、そして応じてくれた、キャイアの望んだ結末の一つの形がそこにあるのだから。
そしてそれは、キャイアのものではない。
キャイア自身は、不幸が積み重なって―――厭さか、努力が足りなかったのか。
ほんの少し、文字にすれば数文字に満たない程度の違いが、現実には大きな違いとなって、凛音とキャイアの置かれた場所の明暗を分けている。
同属―――かつては同属であったが故の、嫌悪。
そういえば、似ていると言われたっけ。
彼と。
―――彼とも。
「やっぱ嫌いだわ、アンタのこと」
言葉は、その意に反して爽やかな響きを含んでいた。
大人びた微苦笑を浮かべて、振り返るのをやめて、キャイアは主達の後に続いた。
※ キャイアさんの物語は多分これでお終い、だと思います。
まぁ、原作ではともかく、このSSでは割とサブの人なんで、一足早くって感じに。
……原作でも大概、とか言ってはいけない。