・Scene 48-2・
思い出せない状況に似ている気がした。
思い出せない意地悪な誰かが、如何にもやりそうなえげつない手段。
出会い頭の一撃を喰らった段階で、既にそう感じていたけれど、しかし命令に逆らう権利を、剣士は有していなかったから―――今もこうして、煩わしいばかりの攻勢に晒されていた。
後から後から沸いて出てくる有象無象。台所で時た思い出せない誰かに駆逐される、黒い何かを思い出してしまいそうなほどの、厄介な―――尤も、黒いのはこちらで、向こうは色取り取りカラフルな装甲の集団だったが。
とかく、煩わしいほど次から次へと間断無く―――否、嫌なタイミングで間と間を挟みながら、飽きる事無く攻撃を加えては、逃げて、それからまた攻撃を仕掛けてくるのだ。
しかもその攻撃全てが、あからさまに剣士達を倒す気が感じられないものだったから、ドールなどは真っ先に苛立ちを覚えていた。やる気の八割が既に削がれている、と言う雰囲気である。
今回は共に作戦を遂行する事になったユライト―――ネイザイは、妹のやる気の無さに戦場だというのも忘れ、何時もの調子で苦言を呈するようになっていた。
ネイザイ自身も、随分苛立っている証拠だった。
それにクスリと笑いながらも、剣士もまた、何処か居心地の悪い気持ちを覚えていた。
「頑張らなきゃ、いけないのに……」
呟きは茫洋として、まるで自分のものとは感じられない。
確かな決心の筈のそれが、どうしても空虚なものとしか思えない。
そのせいなのだろうか。思うように、体が動いてくれない。何時にもまして、技の切れが悪い。
鍛え上げた―――鍛え上げた? 鍛え上げた、筈だ。断じて初めから持って生まれたものではない、鍛え上げなければ、技は身に付かないのだから。
鍛え上げた技、身体の使い方を、忘れてしまったかのような不思議な感覚。
肉体の反射に、意思が追いつかない。
―――自分の体じゃ、無いみたいだ。
冗談みたいな、そんな事を本気で思う。
何か決定的な間違いを犯しているのではないかと、そういう気分にすらなってしまうのだから、相当な重症といえるだろう。
何も間違っていない。間違っている筈が無いのに。
命令は絶対で、従うことは当然で、ならばその通りの行動を取っている今に、何の疑問を抱く必要があるのか。
『どうかしたかしら、剣士』
ふと気付くと通信モニター越しに、ネイザイが怪訝そうな顔で覗き込んで居た。
銃撃による支援機としての役割が多い事は確かだろうが、今は彼女も存分に敵の攻撃を浴びている筈だろうに。
随分と余裕だと思いつつ、それとも、そんな中でも声を賭けずには居られないほど、今の自分は心配をかけてしまうような状態に見えるのかとも思えてしまい 随分と余裕だと感じつつ、それとも、そんな中でも声を賭けずには居られないほど、今の自分は心配をかけて居るのだろうかと申し訳なさも覚えてしまう。
隣に開いていたもう一つのモニターから、ドールもやはり横目でこちらの様子を伺っている事が解る。
無表情なように見えて、瞳の奥は何時だって他者を労われる気持ちに溢れた少女だったから、無言とは言えその意思は雄弁だった。
それはいけない。
頑張ると決めて、守らなくちゃいけないと誓った―――何時? 誰に? もう思い出せない―――人たちに、逆に心配をかけてしまうようなことは。
「ううん。流石にこれだけ来ると、ちょっと大変だなって」
だから、笑顔を浮かべて、否定する。
透過装甲、外の景色との狭間に反射した自分の顔を、まるで人形のように無機質で、不気味なものだと感じながら。
『本人が出てこなくても、厄介な事この上ないって事でしょうね』
『戦術論考、七学期連続”優”評価は伊達じゃないって事でしょ?』
感情的に眉をしかめるネイザイに比べて、ドールの言葉は何処か面白そうな響きを含んでいた。
「やっぱり、この状況ってアマギリ様の仕業? ……アウラ様の国なんだよね?」
人気のまったく存在しないシュリフォン王都の街路で、シュリフォンの聖機人の妨害に苦慮しながら、剣士は首を捻った。
『そもそも教会施設を発破をかける様な輩は、あの男しか居ないわよ』
『アウラとアマギリは―――ついでにリチアも含めて、昔から仲が良かったもの』
渋面そのままに声を荒げるネイザイの横で、ドールは懐かしそうな響きを保って剣士の言葉に応じた。
『仲良しついでに、何時の間にかシュリフォン軍を指揮できるような関係にまで昇華したのかしらね。―――リチアはどうするのかしら、あの女の敵』
『くだらない事言ってるんじゃないわよ、ドール!』
「ネイザイ、流されてるよ……?」
やる気の無いドールを嗜めるネイザイ。剣士が間に一人で苦笑を浮かべる形は、最早定番の様式美とすら言えた。
どれだけ不調であっても、余裕がある証拠、と言えるかもしれないが―――いい加減煩わし過ぎる。
くだらない内容で言い争っている二人の姉も、それに関しては同様だろう。
『―――稼動限界まで粘りきるつもりかしら。王宮に立て篭もって、撤退まで粘るつもり……?』
『都市部を艦隊包囲が完成しつつあるわよ。―――此処でなぶり殺しにするつもりなんじゃないの』
『如何にもやりそうね、あのアマギリ・ナナダンなら……っ』
未だ遠い王城―――その前に堂々と配置された高射砲の群れとバリケードを睨み、ネイザイは姿の見えない誰かを罵った。
剣士達三人の目指す場所はそこだ。
そこへと進み、そこにある全てを破壊する。
―――そう言えば、あそこには何が有るんだろうか。
今更ながらにどうでもいい疑問を浮かべつつも、今は悩んでいるような状況でもないだろうと気持ちを切り替える。
「負けるつもりは無いけど……でも、時間切れは確かにやばいのかな」
剣士としても、ネイザイの心配には同意だった。この調子で幾ら攻められようと、容易にしのぎきる事は可能だったが、聖機人の稼動限界の壁だけはどう頑張っても超えられない。生理機能を犯す亜法振動波を完全に防ぐ手立ては無いのだから。
『無理やり突っ切りましょうか』
以外にも、真っ先に対策染みた提言を行ったのはドールだった。
何気ない風を装った、無表情。しかしその瞳の奥で何か別の意味合いを秘めた輝きがある事だけは剣士には解っていた。
『一気に踏み込んで、また爆薬でも仕掛けられたら……』
『教会では防げたじゃない。―――あの程度の仕掛けなら、幾らでも、何度だって防げるでしょ』
慎重論を唱えるネイザイの言葉を、ドールは一蹴してみせる。暗に、自分の考えを押し通そうとしているのが透けて見えた。
―――元々、あらゆる命令に対して消極的な態度を示しているドールにしては意外な態度だ。
『剣士もそう思わない?』
「そうって……無理やり突っ込むって事?」
『そ。いい加減蝿に集られるのも飽きてきたわ』
冗談めかした言葉の割りに、目の奥の意思は真摯なものだった。どうしても、と無言の圧力が伝わってくる。
剣士個人の好みからすれば、ネイザイの意見に賛成だった。無理やり突破した所で、確実に罠を仕掛けるくらいの抜け目無さを有している筈だから、安全策で行くべきだ。
むしろ一回確りと立ち止まって、完全に目の前の敵を排除する事に集中した方が早いかもしれないとさえ思う。
だが……。
『こんな状況、もう早く終わらせましょう』
その言葉が、何故か懇願に聞こえてしまって、剣士には逆らえなかった。
「うん。……解ったよドール。進もう」
『剣士?』
「ネイザイ、ドールの言うとおり時間切れの前に一気に突破した方が早いと俺も思う。だから―――行こう」
妹のような姉の言葉こそ、今の剣士の何処か纏まらない志向の渦の中で、唯一道標となるべきものに思えてならなかった。
『―――解ったわ』
「ありがとう、ネイザイ」
お礼を言われるような事ではないと苦笑するネイザイに、剣士も笑みを作りながら首を横に振る。
ネイザイが剣士の頼みを良く聞いてくれる事を知っていたからこその、些か強引な願いであると理解していたからだ。
「じゃあ、俺が先頭で突っ込むから、援護、宜しくね」
『―――ええ』
剣士の言葉に、ネイザイが躊躇いがちに頷いた。装備の関係が無ければ、自身が先頭を行きたかったのだろう。心配性な長姉の態度を、嬉しく思う。
「ドールも、良い?」
『思うとおりにやりなさい、剣士。貴方は、自分の思うとおりに』
「―――……うん」
面倒くさそうな声が返ってくると思ったが、不思議なほどに心に残る声が帰って来た。
首を捻るべきなのだろうか―――そう思いながらも、体は意思に反して、敵の攻撃の間を抜け目無く見つけ、既に突進の行動を示していた。
左右から迫り来る連撃を、剣で押し返し腕で受け流す。
長剣を振りぬく動作そのままを勢いに変えて、石畳の街路に思い切り足を踏み込ませ、全力走破を試みる。
三叉路の広がる先に見える、バリケードで守られた王城へと、一直線に。
踏み込み、駆け出し、突破して―――次の瞬間。
「―――っ!!?」
轟。
背中越しに、爆音が鳴り響く。
敵も味方も関係なく、全て等しく破壊し尽さんとばかりに、炎が炸裂し、三叉路を両断する。
振り向き、その意味を確認するよりも先に、断続的に次々と―――爆風で前に弾き飛ばされる剣士の背後で。
凄まじい衝撃、錐揉みするような衝撃波の渦の中で、必死で聖機人の挙動を制御する。
「味方、ごと―――?」
間違いなく、爆炎にシュリフォンの聖機人達も巻き込まれていた筈だ。あの距離だ、どう考えても、避けられるとは思えない。まさか味方の戦力を巻き込んで罠を発動させるとは考えていなかったから、それゆえに一瞬の判断の遅れで、剣士は爆発の直撃を浴びかけた。
衝撃に逆らわずに、更に前へと跳んだ事が、結果的に剣士を救ったとも言える。
―――しかし。
「―――っ、このぉ!?」
体勢を立て直して、最早王城まで一跳びの位置に降り立とうとしたその瞬間、またぞろ、有象無象と敵聖機人が―――今度は、集団一塊で突撃をかけてくる。
それそのものが質量弾のような勢いで、剣士の聖機人に体当たりを仕掛け、覆せない推力差を利用して、一気に王城から、都市郊外に向けて押し出してゆく。
「ドール、ネイザイ―――!?」
いかに強力な剣士の聖機人とて、数の暴力を適切に統率されて挑まれれば、対処に苦慮するのも当然。
慌てて管制モニターをチェックしようとも、最早ソレは敵の狙いそのままの情報しか映し出していない。
―――完全に、ネイザイ、ドールとは引き離された。
それぞれ三方に、等しく分断されてしまったのだ。
「くっ、そ!」
押し込んできた内の一機を、懐から膝で蹴り上げる。少しだけ軽減された重圧の中で身を捻り、更にもう一機の腕を捻り上げて投げ飛ばす。そのまま強引に身を滑らせ、鉄の弾丸とかした聖機人の集団の中から離脱を果たす。
さりとて、当然のことながら敵の攻撃は止む筈は無い。
むしろそれまで以上に苛烈に、最早敵味方の区別もなく、何処からともなく四方八方から砲弾までが降り注ぎ、遠くに離れた王城に備えられた高射砲の照準すら、こちらに向けられている事がわかった。
敵聖機人は決死隊も画やと言う有様で、四方八方から、今度は呑気に志向している暇も無いほどの勢いで剣士を圧してくる。
完全に相手の思惑に嵌められた、と言うことだろうか。
敵の攻撃は此処が勝負どころとも言うべき苛烈さで、剣士の技量を持ってしても、防戦に回らざるを得ないほどのものだ。
たいしたダメージは無いが、空から降り注ぐ砲弾の雨は見ていて心地よいものでもなかったから、剣士の精神は追い詰められて当然といえた。
―――何よりも、二人の大切な姉の事が心配だったから。
防ぐ。切り返す。進み、圧し戻され、防ぎ防ぎ防ぎ―――。
幾度となくそんな状況を繰り返しながら、次第積もり積もっていく焦りのなかで、更なる焦燥が剣士の胸に宿る。
「―――ドールっ!!」
遠く、街路の向こうにドールの聖機人の姿が見えた。
尻尾を持った、一目で手練だと解る赤い聖機人が、ドールの黒い聖機人に猛攻を加えている。
手刀の一撃を掻い潜り腕を切り落とし、返す刀で頭を刎ねる。遂に向かえた稼動限界による劣化によって膝から下がひしゃげて崩れ、それでも、しかし赤い聖機人はドールに倒れることを許さず、コアに蹴りを叩き込み、機体を浮かす。
「止めろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっ!!!」
知らず、叫んでいたし、体も動いていた。
大きくバックステップを踏んだ赤い聖機人が、刺突の体勢を取ってバーストモードに移行したのが見えてしまえば、最早剣士に我が身を省みる猶予などなかった。
機体を操作し、遥か遠すぎる距離を生めるために、―――限界を超えるために。
リミッター解除。亜法結界炉最大出力。
脳生理どころか、最早機体、コアの内部すら超振動が揺らすほどの、凄まじい亜法振動波が響き渡る。
狙ったものではなかったが、その振動波に晒されて、周囲の敵機の動きが鈍った事は、剣士にとって幸運だったといえる。
ドールの元へ、一直線。
猛烈にわきあがってくる吐き気と、歪む視界に晒されながら。
―――頑張らなくちゃと、そう決意したとおりに。
守る、ために。
誰を?
―――皆を。
皆って―――誰?
脳を揺らす亜法波の影響だろうか、常識外れの速度で、ありえない距離を走破するその刹那の中で、剣士の脳裏に幾つもの疑問が沸いては消える。
見慣れた黒い聖機人が、見覚えのある赤い―――赤い聖機人は、キャイアの。
キャイア・フランは、メザイアの妹。
メザイアって―――ドールだ。
キャイアがドールを。
何故?
何故?
何故俺は、キャイアを止めるのはだってドールを救うためにそのためにはキャイアを―――。
「守る、んだ」
誰を?
お前は誰を、誰から守るんだ?
「守るんだぁぁぁあぁぁあああああああっっ!!」
叫びはむなしく響き渡り、最早、叫んでいる自分すら理解できぬ混乱の極みの中で、それでも剣士は止まらなかった。リミッターを解除した亜法結界炉が放つ膨大な亜法波が、彼の思考の生理を阻む。
行動は止められず、命令の遵守は求められ、誓いの反故は許されず―――それ故に。
長剣を振り被る。
振り下ろすべき相手を見つけられぬまま。振り下ろすその意味を理解できぬまま。
―――止まれなかった。
『剣士ぃぃぃぃぃ―――っ!!』
突然横合いから進路を阻むように突っ込んできた緑色の聖機人の姿を確認しても。
「うあぁあああぁあぁぁあああぁぁぁぁっっ!!!」
―――止まれなかったのだ。
迎え撃つ構えの緑色の聖機人と、更にそれを守るように立ち塞がる敵聖機人達が、壁のように。
それを突き破り、弾き飛ばし、踏み潰し、前へ、前へ、何処へ進んでいるのかすら、最早忘れてしまったけれど―――。
守りたかったから。
それ故に、一片の躊躇いもなく。
緑色の聖機人。見覚えのあるその姿を、混濁する視界と思考の中でもはっきりと理解していたのに、剣士は、道端の石ころを払うかのように、刃のような腕を横凪に。
一撃でコアを斬破せんがため。
その中に居る誰かが、誰かを―――。
守らなくちゃと、誓った筈なのに。
「あ、あぁあ!? うあぁぁああぁぁぁああぁぁっ!!」
最早入力された命令だけでは到底処理しきれないロジックエラーの坩堝の中で、それでも、剣士は止まれなかった。
轟。
聖機人の金属の外殻を打ち砕く音が、響き渡った。
※ 誰が敵で味方やら、と言う感じで。
まぁ、剣士君の視点はそこそこに、次回からは別の人の視点で。