・Scene 41-2・
「ハイッ。アマギリ様こそ、気を付けて下さいね」
その一言を最後に、剣士は手元のパネルを操作して管制室との通信を終えた。
狭い、居住性を全く考慮されていない快速艇の操縦席のクッションの全く効いていない背もたれに体を預けて、一つ息を吐く。
アマギリと話す時、剣士は何時も胸のうちの何処かで少しの緊張感を抱いていた。
苦手でもなく、ましてや嫌っている訳でもないのだが、どうしてもアマギリの、ジェミナーで出会った人々とは明らかに違う、自身に近い人種的特長を備えた姿を見ていると、故郷の親戚達の姿を思い起こさせる。
剣士の知る範囲において親戚―――宇宙の果てに住まう親戚達は皆、彼にとっては絶対的上位者とも言える祖父ですら自身を下において相対するような人々ばかりだった。
ようするに、目上の人間を相手にするような気分になるのだ。
そしてそんな上の立場に居る人間が、今は剣士の身を一心に案じていた事も尚更緊張感を助長させる。
これから剣士達は、砲弾の雨を掻い潜り悪漢に占領された聖地へと潜入しなければならない。
危険な作戦だとアマギリは言った。
それは嘘だなと剣士は正しく理解していた。
アマギリの目が、危険は殆どないと語っていた事に気付いたからだ。
状況もそれを肯定していた。アマギリが、彼が大切だと思っている人間達をこの作戦に参加させていたからだ。
自分の大切な人間にはひたすら苦労をかけないように注力するのが、アマギリ・ナナダンと言う人間の本質だと剣士は理解していたから、本当に危険すぎる作戦ならば彼が大切な女性達を作戦に参加させる訳がない。
万全とは言えないまでも、次善程度には安全性を考慮した作戦になっている筈なのだ。それでもアマギリは女性達が心配で―――ラシャラ曰くの、”過保護”と言うヤツだろう―――剣士を保険として一緒に向かわせる事にしたのだ。
だから、危険があるとすれば、むしろアマギリの方なのだろうと、剣士は正しく理解していた。
大切な女性達を”安全のために”遠ざけねばならないほどに、危険な事をするつもりなのだ、彼は。
状況を整理すればそれが何であるか、幾つかの答えが導き出されるが、そのどれもが正解のようであり、間違っているようでもあった。
剣士は、無理にその正解を追い求める気も無い。
剣士はただ男として、見込まれて頼まれた役目を果たす事だけを考えるべきだと、正しく理解している。
アマギリにも危険はあるだろうけど、それは乗り越えられない危険ではない筈だから。
危機を乗り越え再会となったとき、女性達に傷の一つでもつけてしまっていたら―――想像するに恐ろしい。
そんな笑みも浮かんできそうな想像と共に―――言い知れぬ不安を覚えているのも、事実。
剣士達には危険はそれほど無い筈なのだ。
それなのにアマギリは、この期に及んでも躊躇いを覚えるほどの不安を感じていたことに、剣士は気付いていた。
その意味が理解できない。剣士が把握できる以内の状況設定では、真面目にやれば乗り越えられない筈も無い試練に思えていたから。
「……それでも、頑張るしかないんだ」
湧き上がる不安を押し消すように、剣士は小さく呟いた。
やると決めた。守りたい大切な人たち皆を、守るんだと既に心に決めていたから。
頑張る。可能な限り。
男子が一度決意した事ならば、最後まで貫き通しなさい。
故郷の姉達の教えを改めて胸に刻みながら、もう一度大きく息を吐く。
初志貫徹。―――故にまず、剣士がやらねばならない事は。
「アマギリ様ってさ、結構、心配性だよね」
とりあえずと言う気分で、はははと笑いながら隣に座る少女に話しかけてみた。
反応が無かった。
笑いが空笑いになりそうだった。心のどこかでそれも当然だなと思える程度には、剣士も常識を弁えていたが。
剣士の座る窮屈な操縦席の隣に設置された更にこじんまりとした補助席に座っているのは、俯き伏せる少女である。
キャイア・フラン。
剣士にとってはこちらに来てから親しくなった、姉のような存在でもある。
剣士が守りたいと思う大切な人の一人で―――しかしキャイアは今、日頃の快活さは成りを潜めて落ち込み沈んでいた。
どうにかしたいと思う一心で、剣士は彼女を自身の傍に引きずり込んだ。
アマギリは難色を示していたようだが、剣士には譲れない部分だった。
剣士”は”キャイアも守りたいのだ。だから、最終的にアマギリが折れてくれた事は剣士にとって僥倖だった。周りの人間に言わせれば剣士は人が良過ぎると言われる所だろうが、アマギリにとっても自身の大切な人たちの安全が脅かされかねない事態だったのだからと理解していたから、剣士は譲ってくれたアマギリに素直に感謝している。
感謝しているからこそ―――早急に、この状況は改善すべきだと剣士は思っている。
落ち込んでいるキャイアなんて見たくないと言う単純な思いからもあったし、このままの状況で先の予想の付かない作戦を始めるのは不安だったからだ。
しかし困った事に、剣士自身は未だ経験したことの無い分野が原因で落ち込んでいるキャイアを、一体どうやって元気付ければ良いのか、彼には皆目見当が付かない。
何しろ複雑な問題で、きっと時間が解決してくれるのを待つしかないと言うのが正しい理解の仕方なのだろうが―――剣士は諦めるつもりは無かった。
方法を考えよう。キャイアを元気付けるために。
決意して思いつくのは、例えば言葉巧みに思考を誘導して―――そんな、アマギリでもあるまいし剣士には無理だ。
では、張り倒して無理やり叩き起こして―――女の子を相手に、何を考えているのか。
考えれば考えるほどに、出来る事が無いように思えてきて、剣士も沈みたくなってくる。
何も無い。きっと何も出来なくて―――自分で何とかしなければいけない問題なんだろうって、剣士も気付いている。
でも、何かしたいのだと剣士は思った。
きっとキャイアにとっても迷惑と思われるかもしれなかったが、剣士は彼女に何かしてあげたくて―――そして、気付いた。
「さっきのキャイアと同じだ」
「―――え?」
思わず思考から洩れてしまった剣士の言葉は、俯き己の内に篭るキャイアにも届いてしまったらしい。
自信の名前があったことに反応したのだろう、キャイアが、胡乱な視線を剣士に向けていた。
「あ、……っと―――その」
心を何処かに置き忘れてきたような、そんな暗い瞳が、剣士にはたまらなく嫌な物だったから、今さっき気付いたばかりの現実すら、剣士は放棄してキャイアに言葉をかけていた。
気を引いて、引き戻さないと。瞬間的に考えられた事がそれだけだったのだ。
―――ああ、よく考えればこれも、さっきの状況と同じなんだ。
そう思いつつも止められない。相手の気持ちよりも”相手を思う自分の気持ち”を優先してしまうのは―――良いのか、悪いのか。
それは受けての気持ち次第、なのだろう。
一方的に思いを押し付けて、その結末は相手任せなのだから、きっと度し難い真似をしているに違いないと剣士は正しく理解した。
でも、止めない。
そうしたいから、そうするべきだと思っていたから、剣士は口を開いた。
「えっと、キャイアも、ダグマイア様も―――後、俺もアマギリ様も、皆似てるんだなぁって」
「―――はぁ?」
浮かび上がった感情は、不愉快、不機嫌、理解不能。概ねそのようなものだった。
元々思考が混沌としていて、ともすれば今の状況どころか、自分が何故この場所に居るのかすら忘れかけていたせいでもある。
キャイアは、言葉の後に漸く見えてきた周囲の景色に多少の混乱を覚えながら、間抜けな返事を剣士に返していた。
随分と近い位置に座っていた―――と言うか、自身がかなり貧相な椅子に座らされていた事にキャイアはこの時初めて気付いた―――剣士は、困ったように笑みを浮かべながらキャイアの様子を伺っていた。
気まずい、と言うか怒られるかもしれない、とでも思っているかのようであったから、キャイアは状況も弁えずに条件反射とも言うべき日常の延長の態度を取っていた。
「アンタ今、何ていったの?」
強気な口調で、問いかける。剣士とキャイアの、日常的な力関係そのままを示すものである。
問われた剣士は一瞬言葉に詰まった後で、もじもじと言いづらそうにしながらも、言った。
「だから、その……キャイアとダグマイア様って似てるかなぁって」
「はぁ?」
言われた言葉、そして返した言葉も、先ほどの焼き直しだった。
先の時は更に余計な一言二言が付け足されていたような気がするが、何となくキャイアは精神衛生上を考えれば追求しないほうが良いんじゃないかと思えた。これ以上最悪な気分にはなりたくなかったのだ。
それよりも、だ。
「―――私と、ダグマイアが似ている?」
たまに理解できない所がある剣士の思考だったが、今回はそれに輪をかけて理解できない内容をのたまってくれた。
と、言うよりも今のキャイアを見てダグマイアの名前を平然と出せる辺り、やはり空気が読めないのではないのかコイツはと思えてしまう。
大体言葉の内容すら受け入れがたい。
自分勝手な気持ちを押し付けて結果として大切だと思っていた人を傷つけてしまったキャイア。
自身の本心を押し隠し、ずっと澱のように負の感情を沈殿させざるを得なかったダグマイア。
何も気付いていなかった少女と、気付いていたからこそ許せなかった少年。
似てなどいない。相対するものだ。
ひょっとして、日頃趣味―――水晶採取―――を妨害されている恨みを晴らすために、遠まわしに厭味でも言われたのだろうか。
陰性の思考でそんな風に思ってしまう自分が嫌になりそうだった。剣士にそんな器用な真似が出来る筈が無いと知っているだろうに。
「私とダグマイアが似ているわけないでしょう?」
考えるのも億劫だという態度で、キャイアは吐き捨てるように答えていた。機嫌が悪い、話しかけるなと言う気分を全身で示していたつもりなのだが、剣士はそれでも言葉を返すことを止めてくれなかった。
「そんなこと無いって、似てるよ」
「―――似てない」
「似てるって」
「似てない」
「似てる」
「似てないって言ってるでしょう!!」
どれだけ怒気を込めた言葉でも、珍しくひくことの無かった剣士に、気付けばキャイアは握りこぶしをキャノピーとなっている強化硝子に叩きつけながら叫んでいた。かなりの力を込めて拳を叩きつけたのに、アマギリ謹製の超々硬化テクタイト製のキャノピーには皹一つ入らなかった事実が、また忌々しかった。
上手く行かない時は何も上手く行かない。物に当り散らしたところで、それすら失敗するのだと嘲笑われている気分だ。
「でも―――似てると思ったんだ、俺。キャイアもダグマイア様も、俺もアマギリ様も、皆」
しかし剣士は、キャイアがどれだけ激情に駆られているかも理解しているだろうに、それでも言葉を重ねた。
不器用なりに誠意を見せようとしている―――そういう事なのだろうか。
それは今のキャイアにはまるで望まぬ気遣いで―――そう思ってしまったから、キャイアは気づく事があった。
望まれぬ気遣い―――その果てが。
キャイアはダグマイアの気持ちに気付けなかった。
それはキャイアが気付こうとしなかったのと同等に、ダグマイアがキャイアに気付かせないようにしていたという事実が原因でもあるのだ。
キャイアが気付こうとしなかったのは自分の想いを優先するため。
ダグマイアが気付かせようとしなかったのもまた、自身の思いを優先するため。
どちらも、自分の想いばかりを優先して、相手の気持ちなどまるで考慮していない。
考慮しているのであれば、”ずっと嫌いだった”なんて言葉をはっきりと言い切れる訳も無いと、それでもまだダグマイアの事を庇いたいと思ってしまうキャイアですら、理解できる。
そういう意味で捉えれば似ているだろう、実際。
剣士の今の余計な気遣いも、いけ好かないアマギリ・ナナダンが時に意外なほどに思えるほどの気遣いを見せる事も、全部が全部、相手の気持ちを考えずに自分の気持ちばかりを優先する行為だ。
しかし一方的な気遣いも、受け止める側の気分次第で良し悪しは別れるだろう。
キャイアは、剣士の気遣いに―――受け止めたくなかった現実を受け止めようと思わせてくれた事を、感謝を思えた。
でもダグマイアは、キャイアの想いを受け入れる事を拒んだ。拒絶した―――違う、否定したのだ。
受け止めて、拒んでくれたのならば救いも合っただろう。でもダグマイアは、その想いそのものの存在すら、否定してしまった。
向き合う事すら否定されてしまえば、心の置き場など何処にも無くなってしまうと言うのに。
「どうして、上手く行かないのかしらね」
「頑張っても上手く行かない時って、あるよ」
でも、頑張る事を止められないんだ。
想いが届かない事はきっと何処かで理解していたけれど。
「好きだったのは……本当なのに」
「うん。キャイアはダグマイア様のこと、好きだったと思うよ」
自嘲気味に零れる言葉。静かに頷く剣士の言葉が、キャイアの疲弊した心には嬉しかった。
「あいつ昔から一人で考え込んでる事が多かったから、私だけでも味方で居たいなぁって」
「うん。その気持ちはきっと伝わってたと思う」
だからこそ、受け入れがたい事もあるけれど。
ダグマイアが男で、キャイアは女だったから。
「プライド高いヤツでさ。ずっと隠れて、必死で努力してたんだ。でもそれも全部出来て当たり前だとか言われてるのを見て、私だけは、努力を知っているんだって、知ってあげられてるんだって……」
「うん。ダグマイア様は、キャイアの気持ちちゃんと解ってたよ」
だからこそ耐えられなかったのだけど。
努力を無様なものと思っていたから、知られたくなかったのだ。
「全部、余計な事だったって事かしら……」
「―――……」
返答は無かった。
明確な答えが既にキャイアの中に用意されていたからだろう。
はっきりと言い切って欲しいと言う思いがあったのは事実だが、この優しい少年にそんな重荷を背負わせられるほど、キャイアは落ちぶれていなかった。
「ごめん」
「良いよ」
小さく呟く言葉に、確りとした返答があった。
「俺はキャイアが良いやつだって、ちゃんと他人の気持ちを考えてくれるやつだって知ってるから」
それは何の慰めにもならに言葉で、言われたほうも、言った側も、きっとそれは解っていた。
解っていたからこそ―――その気遣いがキャイアには泣きたくなりそうなほどに嬉しかった。
きっとキャイアの気持ちはダグマイアには重荷で、余計な気遣いだっただろうけど―――それでも、その気持ちはダグマイアの事を想う事から出たものだと、そう思えたから。
だからキャイアは言えた。
「―――ありがとう」
その一言を。少しだけの救いを覚えたことに感謝を込めて。
それに剣士が頷いてくれた事が嬉しくて―――ダグマイアは頷いてくれなかったんだなと理解できて。
寂寥感は抜けず、それでも、前は向けそうだった。
※ からっと一気に日本晴れ、みたいな展開も考えたんですけど、そんなに軽い問題でもないかと、
ギリギリ雲間から日が差してきたくらいに。
下げ止まったんだから、後は上がるだけ―――の、筈。