・Scene 40-6・
下階層に機関部を置いた、管制室を兼ねている装甲列車の先頭車両。
壁面に沿って配置された管制官達の席から一段高い所に位置している、指揮官席。
そこに座る男。何の因果か、通信妨害の只中に置かれたハヴォニワに於いて一時的に実権を握る形になり―――そしてこうして、国外へ出征すら開始してしまったアマギリは、難しい顔で壁面全域を覆う巨大モニターを睨んでいた。
無論、その原因は職責の重さ故の苦悩ではない。
アマギリの顔を苦悩に歪めている原因は、ただモニターの向こうに映る笑顔の少年の姿故であった。
額に手をやり苦々しげな顔を隠そうともしないアマギリとは対照的に、モニターの向こうに映る少年の表情は健全なそれだ。普段の快活さそのままに、今はそこに少しの生真面目さをアクセントに加えていた。
柾木剣士。
樹雷の皇子―――だと、少なくともアマギリはそう理解している少年。
恐らくは現樹雷皇阿主沙か、もしくは皇太子遙照と皇女阿重霞との間に出来た息子であろう。
それに相応しい威風を備え、いかにも柾木の人間らしい奔放さも存分にある。
よほど精神が陰性に拠っていない限り、その少年を嫌悪する事は難しいだろう。そもそも樹雷の血に連なる人間は、柾木家の人間のありように憧憬を覚えている節があった。
思い込みが激しく、自身の思考から自縄自縛に陥りやすい性質のある天木の眷属ともなれば、尚更だ。
それに加え、アマギリは個人として樹雷皇室を尊崇していたから、その血に連なる剣士の行動を制限しようなどと大それた事は思えない。
今こうして行われている自身の行動に協力を求める時も、あくまで剣士の自主判断に任せた要請に過ぎないものだったし、断られた場合は素直に諦めるつもりだった。
そして今、剣士がそうと望んだ以上、アマギリは彼の行動を咎める事は出来なかった。
「―――何度も繰り返すようで悪いけど、本当に平気?」
モニターに映る剣士に向かって、アマギリは改めてそう問いかける。質問と言うよりは、懇願に近く、当然求めている言葉は”平気ではない”と言う一言のみだった。
しかし剣士は、少しだけ困ったように微笑んだ後で、キリリと表情を真剣なものにして答えるのだった。
『大丈夫です。俺、頑張りますから―――任せてください!』
「……大丈夫、か」
チラリと剣士の横に視線を滑らせながら―――そこで俯き沈む少女に視線を送りながら、アマギリは難しい顔を崩す事無く呟く。
『はい、大丈夫ですよ。だからアマギリ様はこう、え~っと、そう、宝船にでも乗った気分でどっしり構えていてください』
「それを言うなら、大船じゃろうが……」
アマギリの横に貴賓用の椅子を運び込んで座っていたラシャラが、苦笑交じりに呟いた。
その背後に、まるで護衛の聖機師のように後ろ手を組んで立っていたダグマイアが、つまらなそうに鼻を鳴らす。
忌々しいな。
アマギリは率直な気分でそう思っていた。
安穏と構えていられる二人―――特に片方は、元より此処に呼ぶ気も無かったのだから、一人苦悩するアマギリからすれば、その態度は忌々しいの一言で括れてしまう。八つ当たりに近いと解っていても、そう思うのを止められない。
そして一度そういう気分になると、際限なく周りの何もかもが煩わしいものに思えてきていけない。
剣士が映るモニターとは別のモニターに映し出された外の様子、聖地の端に屹立する巨大要塞バベルの威容も、装甲列車の振動音も、内線を通して連結する車両とやり取りしているオペレーターたちの忙しない声も、何もかも、自身を呪う呪詛の響きのように思えてくる。
―――上手く行かない時と言うのは、こういうものかもしれないな。
漠然と、そんな風に思う。
初手から躓き、望まぬ一手を打たされるがままこんな場所まで来てしまって―――調子が乗らない時と言うのは、何もかもが上手く行かない。
発達した―――持て余した―――直観力による”嫌な予感”は依然として抜けない。
故に、最悪の事態が起きる可能性は非常に高いのだが、しかしアマギリには、何を持って最悪の事態と呼ぶのかが判断がつかないのだ。
たかが限定領域内でしか動く事もままならない二足歩行の機動兵器が起動しかかっている程度を、それほど不安に思っているのかと、自身の内面に疑問を持たずには居られない。
剣士が、つまり未熟な見習いであるアマギリと違い完成した樹雷の闘士である剣士が参加してくれると言う時点で、人質、アマギリが―――アマギリが大切だと思う人が大切だと思う人たちの救出はほぼ確実に成功する事は約束されたようなものだ。
人質が救出できるのなら、後はカビの生えた鉄屑など幾らでも対処のし様がある。
―――それなのに何故、不安が消えないのか。
やはり、剣士の座る快速艇の操縦席の隣の補助席に腰掛ける少女が原因なのだろうか。
キャイア・フラン。
ラシャラの近侍たる聖機師であるが、アマギリ自身はイマイチ評価しかねる不安定さを覚えていた。
能力的には王族の近侍に命じられるに見合うだけの力量は持っている事は否定しようが無いのだが―――性格的に合わない。
直情的なのは良い。アマギリ自身とて直感で動く事が殆どだからだ。
だが、はっきりと言ってしまえば”趣味”が理解できない。行動原理の核とも言うべき判断基準が、まるで狙ったようにアマギリの趣味ではないものばかりだったから、どうしても彼にはキャイアの事を素直に評価する事が出来なかった。
尤も、アマギリも自分の趣味が悪い事は理解していたので、キャイアの趣味を糾弾するつもりなど無いが。
故にアマギリがキャイアと気付きたい関係は一言、”無関係”である。
関わらず、お互いの精神安定を考慮して可能な限り距離を置いて過したいと考えているのだが―――何の運命の悪戯か、彼と彼女が関わる誰も彼もが、彼と彼女の双方に関わりがあったものだから笑いの一つも沸いてこない。
そしてアマギリがキャイアの趣味が悪いと思っているのと同様に、キャイアもアマギリの趣味が悪いと考えていたから後は悪循環である。
些細な事から大きなことまで、あらゆることで互いの思惑に反発を覚えて、―――それでもこれまでは、何とか折り合いをつけてやってきたのだが、此処に来てこういう場面が訪れる。
神聖にして侵すべからず―――等とそこまで言うつもりは無いが、アマギリにとっては崇め奉るに過分無い存在の傍に、行動原理にまるで信用が置けない少女、それも最悪なコンディションのそれを置かねばならない状況が、訪れた。
アマギリの気分としては、目上の人間を自分の面倒に巻き込んでしまった上、自分の不始末―――望まぬとは言え状況を配置したのはアマギリであるから、そう言って問題ないだろう―――を押し付けてしまったような申し訳ない気分で一杯である。
できる事なら代わりたいのだが―――生憎と、そう言う訳にも行かない。
剣士自身が行く事を既に望んでいる事も元より、アマギリにも、やるべき事があるからだ。
『大丈夫ですよ』
眦を寄せるアマギリに、モニターの向こうで剣士が言った。強くは無い、しかし力のある言葉だった。
外していた視線を戻し、再び異世界人同士、向かい合う。
『俺、頑張りますから、大丈夫です』
繰り返し、アマギリを安心させるように言葉を重ねる剣士。
やると言った、平気といっているのだから、それを疑うなど恐れ多い事だ。それはアマギリが誰よりも良く理解している。
だからこそ。
「心配なんか、していないさ」
”頑張らなければ大丈夫じゃない”、そんな状況は。
「そっちの事はよろしく頼むよ」
不安以外の、何ものでもないのだ。
『ハイッ。アマギリ様こそ、気を付けて下さいね』
力ない笑顔の裏に隠された気持ちに気付いていたのだろう、剣士は殊更アマギリの言葉に力強く頷いてから、内線を切った。
モニターがブラックアウトし、そして何事も無かったかのように両隣のモニターと同様に外の風景を映し出す。
木々の向こうに見えていた古代の円塔を思わせるバベルの姿が、今や目に見えて近づいている。
当然、バベルの側でもこの装甲列車の存在は既に感知しているだろう。塔のあちこちから、覗き窓を思わせる四角い穴が開き、その奥から砲門がせり出してくるのが見えた。こちらと同様に戦闘準備中、と言う訳だ。
「ひき返してぇなぁ……」
「……このタイミングで、お主がそれを言うか」
思考が漏れ出してしまった呟きを聞きとがめたラシャラが、呆れたように応じた。
「それほどキャイアの事が信用ならぬか?」
「あの死んだ魚のような様を見せられれば、信用しようと言うのが無理だと思うが」
アマギリが返答するよりも先に、ダグマイアが口を挟んでいた。
誰のせいでそうなったのかと突っ込み待ちでもしているのかとアマギリは考えたので、何も言わなかった。
「誰のせいでそうなったと思っておる」
案の定、ラシャラが反応していた。アマギリは、どうせダグマイアは調子に乗るだけだから止めたほうが良いのにと内心思ったが、面倒だったので口を挟まない。
「では何か? 私は常にキャイアの望む通りに取り繕った生き方をしていろと? どれほどの屈辱であろうと仮面を被り続けろと?」
「そうは言わぬし、それは返ってキャイアを傷つけるじゃろう。単純に時と場合を弁えろと言うておるのじゃ」
「言う機会を与えられたから言ったまでだ。そもそも貴様等の都合など私が知った事ではない。私は私の目的があって此処にいるに過ぎないのだからな」
ただ、何となくラシャラの存在により放棄したプランの一つを実行したくなった。口にも顔にも出す事は無いが。
「キャイアさんの事は心配して無いさ。心配なんかするはずが無いだろう? 剣士殿が自ら面倒を見るって言ったんだから、キャイアさんは平気さ」
いらつくばかりの思考を振り払うように、ラシャラ達の不毛な良い争いを全く聞かなかったことにして、アマギリは一方的に言い切った。
そう、キャイアは平気だ。アマギリにとっては疑いようも無い事実だ。
樹雷の闘士が自ら手を上げて面倒を見ると宣言したのだから、例えどんな砲火の下であってもキャイアの絶対の安全は保障されるだろう。
「―――だけど、キャイアさんの安全の分だけ、本来他に振り分けられる筈だったリソースが減ってしまったのなら、どうする。……いや、そうじゃない。他を減らして一人に注力するなんてやり方、あの方が選べる筈が無い。なら、本来以上の負担を背負わせてしまったこの状況は……」
嫌な予感は何処まで言っても消えはしない。
考えれば考えるほどに、どうしようもない不安が訪れる。
恐れを抱けぬ眼前の敵とは対照的に、不安の種は内側に芽生え根を張っていく。
「―――殿下」
オペレーターの一人が、端末から振り返りアマギリに向かって声を掛けてきた。
隣の席で繰り広げられていたラシャラとダグマイアの実りの無いやり取りもいつの間にか止んで、気付けば、管制室に居る誰も彼もが指揮官席に座るアマギリの事を見ていた。
瞬きをして視線を上げると、正面モニターの隅に表示された戦域図が、装甲列車が交戦可能エリアに入った事を報せていた。
撃てば届く。恐らくは、どちらからも。
半ばインチキ混じりの技術力の差ゆえ、恐らくはこちらの攻撃が先に届くから―――その利点を失わぬためにも、行動に躊躇いを持つことは許されない。
撃ってしまえば引き返しようも―――なんて、撃たなくても引き返せるわけも無いだろう。
アマギリに”剣士の行動”を妨げる事は出来ないのだから。
助けたい人たちを助けに行くと言った彼を、止める権利をアマギリは持ち合わせていない。
それ故に、最早アマギリが内心どれほどの不安を抱いていようと、始めるしかないのだ。
「全砲門開け。照準はバベル―――聖地構造物にはなるべく落とさないように注意しろよ。特に港湾施設には絶対に中てるな。それから、距離が届いたらすぐに打ち込めるようにアンカーの用意しておけ。墳進弾はその後だ。―――カタパルトはまだ開けるな、鴨撃ちにされるぞ」
「了解。全砲列車両砲門展開。照準はバベルで固定。アンカー射出機、エネルギー充填開始します」
「―――いよいよか」
「父上……」
復唱するオペレーターの言葉の脇で、シトレイユの二人の緊張にみちた声が聞こえる。
「楽しそうで良いね、キミ等」
思わず洩れてしまった要らない感想に、案の定ラシャラが嫌そうな顔を浮かべた。
「―――どんな皮肉じゃ、それは」
「本音からの言葉だよ」
「尚更皮肉ではないか」
肩を竦めるアマギリに、ダグマイアが鼻を鳴らして言葉を返す。
案外立場を抜きにすれば、ラシャラとダグマイアは”合う”のではないかと、アマギリは言葉に出さずに思った。
―――尤もキャイアの存在がそれを不可能にするのだろうが。
「照準固定完了しました。いけます」
他所の家の事情など興味半分で気にするのは詮無い事だと、厭味混じりの思考を脳の片隅に追いやり、アマギリはオペレーターの言葉に頷き、立ち上がった。
片手を腰に、もう片手をモニターの向こうのバベルを握りつぶさんが如く広げ、示し、そして強い口調で言い放つ。
「砲撃開始! 趣味の悪い円柱など崖下に蹴倒してやれ!!」
復唱の言葉と共に連結した砲列車両から振動が伝わってくる。
複数の砲火の奇跡が、映像の向こうのバベルへと向かって伸びていく。
「初弾、弾着確認! 照準良好!」
「全車両照準補整情報連結。統制射撃準備準備よろし!」
「敵砲門、稼動を確認―――発砲してきました!!」
戦いのための幾つもの言葉が、管制室に重なり響く。
焦りと興奮、怯えと歓喜と―――即ち、鬱屈した空気を払い戦場の空気が室内を満たしていく。
それに少しの心地よさと、消せぬ不安に怯えを抱きながら、アマギリは立ち尽くしたままモニターの向こう、花火のように閃光を瞬かせるバベルを睨む。
―――此処に、第一次聖地攻略作戦の火蓋が切って落とされた。
・Scene 40:End・
※ 漸く戦闘に突入。
―――当初は39の説明回が終わったらすぐにドンパチが出来ると思ってたんですが、いやはや、伸びる伸びる。
そろそろ派手に動いてくれる……かなー。