・Scene 38-5・
「聖機神ガイア……ね」
「やっぱりご存知でしたか?」
「ただの学生に何を期待しているのよ」
日も沈み、長い一日も漸く終わろうとしていた、そろそろ日付も変わろうかと言うその間際。
暗雲に沈み星明り一つ無い無明の闇が広がる空を背景とした、三面の壁全てを窓で囲まれたサロンの一角。
アマギリとリチアは二人きりで言葉を交わしていた。
他の者達の姿は既に無い。時間も遅い、朝から色々合って疲れも溜まっているだろうと、既に各々寝入っている頃合だ。
アマギリとて、本当は―――と言うより、アマギリこそ神経をすり減らした後なのだから休むべきだと言うのに、こうして睡眠時間を削り女性と戯れる事を優先していると言うのだから、中々に度し難い。
ベッドの上では死ねないだろうなと、リチアは何とはなしに―――夕刻に自身がそうされていたように、髪を撫で付けてやりながらそう思っていた。
そんな気だるげな空気の中での会話の内容は、リチアが眠っている間に意見交換された、聖地侵略事件に関する話題。
そんな物騒な内容であっても、女が男の頭を膝の上に乗せていると言うような状況であれば、まるで枕を並べて睦言を交わしているかのような空気が出来上がるのだからおかしなものである。
「聖地は結界工房と並び先史文明の遺産が今尚生き続けている曰くつきの場所だ―――と言う話なら、一応知っていたけど、私程度で知らされているのはその程度に過ぎないわよ」
「ワウもあれで、自分の管轄以外の事は今日始めて知った、みたいな事言ってましたからね、ホント、秘密主義が徹底してますよね」
「その徹底した秘密主義―――リスク管理体制が、逆に穴となった、と言うことかしら」
瞳を閉じたまま、心地良さそうに女の膝に顔をうずめながらも、アマギリは面倒くさい世事の解釈を止めようとしなかった。
目の下には隈。瞼を開ければ多少充血している事だろう。
リチアは、こんな時くらい休めば良いのにと思う反面、アマギリが疲弊しているその理由の大半に心当たりがあったから、割といい気味なんじゃないかとも思っていた。
粗食を食わせて、鍛えていけば良いんですよ。突き放すくらいが丁度良いんです。
色々不思議な縁もあって親しく会話をするようになったハヴォニワの王女もそんな風に言っていた。
甘やかすのは、良くない。背中を蹴飛ばすくらいが妥当な扱い方だと。リチアとしてもそうなのかな、と思うところはあったが、どうしてもこういう状況になれば甘やかしたい気分も沸く。
”作らない態度”と言うものを、滅多に見せない男だったから。
―――尤も、この甘えた態度こそ、それを見越して作っているのかもしれないが。
「どうなんでしょうね。元々後回しにしていた問題で―――まぁ、ついでに丁度主人公が来たって事で演出家がシナリオを早めたって事かもしれませんが……どうしました?」
撫でていた髪を絡めて引っ張るようにしてしまっていたのが気になったらしい、アマギリが片目だけを開けてリチアを見上げていた。
ぽん、と軽くはたくようにしてその目線を掌で隠しながら、リチアは一つ息を吐いた。
それなりに真面目な会話―――それも、現在進行形で動いている―――だったのだ。
「何でもないわよ。それよりも、演出家って誰の事よ。お爺様?」
襲撃を受けた教皇庁から逃れ、どうやら教会が保有する何処かの秘密施設へと批難したらしい現教皇である祖父を名指してみたが、アマギリは首を横に振った。
その後で、思い出したかのようにリチアに尋ねる。
「一応聞いておきますけど、教会の人間で延命措置を受けている人って居ませんよね?」
「延命―――健康管理とかではなく、科学的な意味を指して言っているの?」
「ええ。アストラルに関与する物でも外科治療でもナノマシン処置でも良いんですけど、老化抑制を行って長生きしてる方って教会中枢に居ますか?」
例えば、先史文明時代から生き残っている人とか。
核心的な内容を例に出されれば、リチアも言っている事が理解出来た。
「居ない筈よ。少なくとも私が知る人たちの中には。お爺様も枢機卿会議に出席なさっている方たちも、皆、普通に歳をお召しになっている方ばかりだったわ」
教皇の孫娘と言う立場に居れば、そう言った人々との付き合いもそれなりの年月を重ねる。
皆、会う度に年輪を重ねていた事をリチアは思い出しながら言った。
「そうですか、良かった」
「良かった?」
「これで権力者だけ不老、みたいな状況だったら今度こそ教会に見切りつけないといけない状況でしたから」
アマギリの身も蓋も無い意見に、リチアも苦笑せざるを得なかった。
「アンタの立場じゃ、そうでしょうね。―――今やそれこそ、局地的な国王代理みたいな物なんですもの」
ジェミナーの国家が教会の教えを全うせざるを得ない状況を感受していた理由は、教会からそれなりの利益が得られていたからである。多少の息苦しさも、与えられる利益に比べれば何する物、と言うことだ。
しかし、教会が為政者の、いや人間の夢とも言うべき技術を教会内部でのみ独占していたなどとあっては、それも崩されるだろう。
従ってお零れを貰うより、奪い取り独占する方が利益になる。
そう判断する者も出て来る筈だ。
特にこの男の場合、教皇の孫娘であるリチアに膝枕をされるような間柄にまでなっておきながら、公然と教会への不信感を口にして憚らない。
恐らくは、本人がジェミナーの人間にとってはオーバーテクノロジーの世界の生まれであるから、”この程度”の技術を保有して偉ぶっている―――つもりは教会には無いのだが―――教会の態度が面白くないと言うのもあるのだろう。
普段でも隙あらば、教会の神秘のヴェールをひっぺかしてやろうと企んでいた事もあったので、限定的とは言えそれが出来る地位を手に入れてしまった今のアマギリなら、リチアが”イエス”と答えていたらあっさりと実行していた可能性はある。
少なくとも、ハヴォニワ国内の教会施設を強引に抑える程度の事はやっていただろう。
「……と言うか、やってないわよね?」
「何をですか?」
「何でもないわよ。―――それより、その延命措置と言うのがどうしたの?」
流石のアマギリでもそこまで乱暴な真似は出来まいと、リチアは自分の考えに苦笑を浮かべた後で、先の話に引き戻した。
「まぁ、良いですけど。ようは、さっきの説明しましたけど、このガイア退治の計画ってそれこそ先史文明時代にレールを引き始めた話なんですよね。んで、ここまで遠大な計画になると、順次引継ぎして次から次へと人の手に渡していくなんてしたら、絶対途中で計画がねじれ曲がって別の方向に行っちゃうと思うんですよ。―――だから、多分居ると思うんですよ。先史文明末期から生き残って、延々と計画を進め続けていた人が」
「先史文明時代から―――それは、流石に無理があるんじゃない? 教会は先史文明の遺産の管理に関しては、それなりに上手くやってきている筈だし、その流れに沿っていると思えば……」
「それこそ、ですよ」
「え?」
何百年、否、それ以上のはるか昔から生きて、一つの目的のために世界の動きを俯瞰してきた人間が居るなど信じがたいと、リチアはまだ納得がいく説明を用意してみたが、アマギリは首を横に振った。
「教会の先史文明の遺産の管理って上手すぎるんですよね。我欲が見えず、世界の万民に対して益となるものしか配給を行っていない。さっきの延命措置の話もそうですけど、普通こういう超技術の管理を任されちゃったら、何処かの誰か一人くらいは、変な事考え出す物なんですよ」
「そう言われると……なんか、人の本質的な欲深さを指摘されてるみたいで、認めがたいけど」
曖昧に頷くリチアに、アマギリは微笑した。
「むしろ、そのほうが人間味があって僕は好きですけどね。でもこの―――現代ジェミナーを形作った人は、どうもその、人の奢りが世を滅ぼしたってのがトラウマになってるっぽいですから、随分と機械的に割り切ったやり方を選んだみたいですね。―――推測で申し訳ないですけど、多分、教会上位者の方は全員催眠暗示か何かの、精神抑制措置でも受けているんじゃないですか?」
「暗、示……っ!?」
物騒な言葉が出てきた事に目を剥くリチアに、アマギリはあくまで何て事のない口調で続ける。
「睡眠学習の延長線上くらいのレベルだとは思いますけどね。ある程度文明が発達していて、特殊な立場についている人間に情報漏えいの危険性なども考えて暗示を施すのは―――まぁ、珍しくないですし」
よく考えたら僕にも掛かってますしと、本当にそれが当たり前のように言われてしまえば、リチアには言葉も無い。
発達した文明は人の精神などと言う領域すら容易く侵すことが可能なのだと思うと、空恐ろしいものを覚える。
「私は嫌ね、そういうのは」
「そういって貰えると、光栄ですって事なんでしょうけど―――リチアさんの場合は立場上、諦めるしか無いんじゃないですか?」
少女ゆえの潔白さでどのような形でも心に踏み入られると言う事に嫌悪感を覚えるリチアに対し、アマギリは困った風に笑うしかなかった。
決してリチアに賛同はしない。無論、その気持ちを否定する事も無かったが。
必要であれば受け入れると言う、正に文化の違いと言えるかもしれない。
「ま、大人になれば解るかも―――くらいに今は考えておきましょうよ」
「アンタの方が年下でしょうに、何を偉そうに」
目元を押さえられていた手に優しく指を絡めながら言うアマギリに、リチアは憮然とそう言った。頬は赤かった。アマギリには見えなかったが。
「それで?」
「はい?」
「―――演出家がどうのって話でしょ?」
少しの時間をおいた後で、絡めあった指と手をゆすりながら、リチアは言った。
「ああ、そうでしたっけ。―――こういう状況で、余り色気も無い話ですよね」
「アンタに恋詩を語られる事なんて初めから期待してないわよ」
「それは僕も遠慮したいですけど―――そうですね、話を戻しますか。まぁようするに、どれだけ優秀なシステムでも人手を伝っていけばいずれ腐る。それを防ぐために暗示なんての持ち出しても、欲に目がくらんで嫌がる人も出てくるでしょう。でも、この世界では全てが上手く行っている。人間技じゃあない。人間技じゃないなら―――話は早い」
人間じゃ、無ければ良い。
「人造人間、だったかしら。聖機神の聖機師として作られた……」
「ええ、先史文明末期にもなると、聖機神は全て人造人間特有の亜法波を認識せねば起動もしないようになってたらしいですが―――ようは、それが剣士殿が呼び出された理由ですね。剣士殿を僕等の良く知っている方の聖機神……鉄屑に乗せて、それで完全に復活する前にガイアを破壊させようって魂胆なんでしょうけど―――話がそれました。ようするに、何処かに潜んでいるんじゃないかと思うんですよね、人造人間。文明の停滞と、ガイアの破壊の使命を帯びてるヤツが」
目的のために生み出された人造人間は、目的のためにのみ活動する。
破壊を使命に生み出された、ガイアと、ガイアの聖機師である人造人間に代表されるように。
「でも、人造人間って生物学的には人間とそう変わらないのでしょう? 多少耐久力はあるのかもしれないけど、それで先史文明時代からこれまで生き残れるものなのかしら」
途中で壊れる気がするのだけれどと、リチアは思った。
「方法は幾つか思いつきますけどね。例えば―――と言うか、多分これが正解で間違いないと思いますが、アストラルを保存する器を別に用意して、それを伝承していくとか。その器の持ち主に記憶を授ける―――と言うよりも、それこそ正しく精神を操るって感じで」
「アンタは好きじゃないかもしれないけど、そういう話ばっかり聞かされると、教会がオーバーテクノロジーを管理抑制しているのが正しく思えてくるわ」
アマギリの推測に、リチアはげんなりとした口調で言った。
そしてその後、思い出したようにアマギリに尋ねる。
「―――それで、その貴方の推測が正しい場合の、今の人造人間の器の持ち主は誰になるの?」
「そうですねぇ」
リチアの問いかけに、アマギリはゆっくりと身を起こしながら応じる。
指は絡めたまま。
「―――ちょっと?」
胸元に彼女を引き寄せるようにしながら。
「教会の使命をコントロールし、封印されたガイアを監視し、その復活を企む者を内偵し、そして、異世界からの救援の到着を確認する」
引き寄せ、引き込み、押し倒す。
「あ、ちょ―――、ねぇ、アマギリ? まだ真面目な話の途中―――こういうのは、もうちょっと、後」
そのまま、ソファの背もたれと、そこに座るアマギリ自身との間に押し込むように、リチアの姿を隠す。
そう、隠した。
そして、自身は立ち上がり、窓の向こうへ油断無く視線を送る。
「―――例えば、今回の事件の首謀者の弟で、教会に所属する聖地学院の教師だったりもする―――ついでに、剣士殿の学院への入学を推薦した、ねぇ、貴方みたいな人とは違うんですか? ユライト先生」
暗闇に沈む窓の向こう。
そこに立つ、ユライト・メストの姿を睨み―――アマギリは、言った。
・Scene 38:End・
※ アレでソレな件に関してはあくまで『ご想像にお任せします』である。