――【 新暦76年/地球暦4月 】――「しらない、てんじゅう。なのです」ふたを開けたあゆは、首をかしげた。休暇を丸々使って付き合ってくれているエスタが「ここの【えびてんじゅう】、おもしろいのですよ」と言うので注文を任せたのだが、重箱の中には敷き詰められたご飯しか見出せなかったからだ。ミッドチルダと第97管理外世界の、交流は古い。おおやけになってはいないがおそらくは紀元前、下手をすれば人類の黎明期からであろう。ナカジマ家の例もあるし、仙境に行って帰ってきた少年の記録も文政年間にある。近年とみに交流が活発化してきていて、いずれにせよこんな飯場のメニューにまで海老天重があること自体は別に驚くほどのことではないが。「ゆりかごはっくつげんば めいぶつ、ゆりかごふう えびてんじゅう。ですぅ」なるほど。箸先で掘り返してみると、中ほどに海老天が埋められていた。**「てっちゅう。なのですか?」エスタと2人掛りでようやく海老天重をたいらげたあゆを飯場の外で待ち構えていたのは、この【聖王のゆりかご発掘現場】の責任者だ。と言っても、現場監督ではない。聖王教会から派遣されている騎士で、カリムの部下である。「はい。正確にはオレィハルカス製の円柱らしいのですが、作業員の間でそう呼ばれているので便宜上【鉄柱】と」指し示されるままに見上げた先、切り崩された崖の壁面に。「なるほどですぅ」金属製の円柱が半ば埋もれて、並んでいた。レリーフのような、浮き彫り状である。「こんなかんじの【せかいいさん】を、みたことがあるのです」ヨルダンのペトラ遺跡だろう。「発掘」現場とは言われているが、真上から下に向けて掘り下げているわけではない。あまり深いと、足場の確保や土砂の始末が莫迦にならないので、横ないし斜め上からアプローチすることがある。渓谷の多い【聖王のゆりかご発掘現場】は地形の佑けもあってほぼ真横から、切り出すように工事が進められていた。このまま削りだしていけば、ゆりかごの上甲板を露呈できるはずだったのだ。その行く手を阻んだのが、件の鉄柱と云うわけである。直径2メートル。掘り出されたのは上下に20メートルほどだが、あとどれほど埋もれているかは現状では不明だ。ちょうど、あゆたちが遅めの昼ごはんを食べている時に発掘されたらしい。現場に近づくその間にも、4本目が見つかっていた。「間隔からすると、3千本ほどが【ゆりかご】を取り囲んでいる計算になります」「【おれぃはるかす】 げんぶつは、はじめて。なのです」文献などで、知ってはいたようだ。これら魔法金属と云われるものは、金属工学的には合理的とはいえない組み合わせの合金に過ぎない。とりわけ貴金属や希少元素が多いわけではないその合金の秘密は、魔法による鋳造と鍛造にあるという。「【アナライズ】ですぅ」オレィハルコスは、チタンやジルコニウムを中心に、金や錫、黄鉄鉱にビスマスなどを含有する、冶金学者が聞けば「なんじゃあそりゃあ!」と卓袱台をひっくり返したくなるようなトンデモ合金だ。その特性は、魔力の伝導率のよさと、発現形質の選びやすさにある。太古には魔法攻撃を跳ね返す盾や、空を飛べる鎧などが作られていたと伝承にあった。それら魔法金属が廃れたのは当然、デバイスという概念が生まれたからだ。臨機応変に魔法効果を及ぼせるデバイスと違って、魔法金属製のアイテムは複数異種の能力を発揮しづらい。ふむ。と鉄柱に触れたあゆは、魔力素を通じてその流れを視た。「どうですか?」朱金の表紙を閉じて、エスタが降りてくる。手持ちの術式では、この鉄柱を探れなかったようだ。「この【てっちゅう】は、いわば【まりょくの ぽんぷ】なのです。 かこんだ うちがわの まりょくそを、はいしゅつして いるのでしょう」ここになのはが居れば、さぞや稠密な収束砲撃をして見せたことだろう。使い道があるか?と計算しかかって、しかしあゆは思いとどまった。持ち運べるはずもないし、拠点防御用にしても味方の魔力回復を阻害するだけだ。小分けにした時点で能力を失うだろうし、鋳造しなおすだけのコストに見合いそうもない。「おそらく【聖王のゆりかご】の復活を恐れた勢力が、封印するために打ち込んだのでしょう。発揮していたであろう結界効果は失われていて、現在では単なる障害物に過ぎませんが」本来であれば、月から降り注いだ魔力を吸い上げて結界を維持していたのであろう。結界効果そのものは破られていて、今は水底の噴水同然だが。「しかし、困りました」オリハルコンとも、ヒヒイロカネとも呼ばれるこの魔法金属は、魔力を供給されている限り、信じられないような性能を発揮する。もしこの鉄柱が物理的な防壁としても造られていたなら、この溺れるような魔力素の底で傷つけることは容易ではない。なのはの砲撃であろうと、フェイトの斬撃であろうと。「撤去自体は難しくありませんが……」幸いなことに鉄柱は単なる魔力ポンプであって強度はそれほどではないようだし、魔力を遮断する方法はいくらでもある。魔力を供給されてない状態の魔法金属は、色々な面で並みの合金以下だ。「工期は押してますし、費用も捻出できるかどうか……。 せめて、こちら側の法面にあるだろう6本だけでもなんとかなってくれれば、現場の工夫で発掘を進められるのですが……」向けられているだろう視線を、あゆは確認したりはしない。「稀少技能保有者とかスタンドアロンで優秀な魔導師は、結局便利アイテム扱い」だと言う姉の言葉を思い出して、こっそり嘆息を捨つるのみ。発掘の進捗を見学しに来ただけの一介の騎士見習いに現場責任者がわざわざ――しかも丁重に――声をかけてきた時点で、そんなことだろうと思っていたのだ。この現場にだって、あゆ程度の魔導師は居るだろう。教会なり管理局なりに要請すれば、派遣だって不可能じゃない。しかし、郊外とはいえクラナガン近辺で殺傷設定の破壊魔法を行使するには許可が要るし、派遣にも時間がかかる。本局付きの魔導師であるあゆなら短時間で許可が下りるかもしれないと予想した現場責任者は、せめてと自身で執り行なった手続きの、異例な早さと承認者の顔ぶれに驚かされるのだが。**「【あまのうずめ】は、どんなきぶん だったのでしょうか?」あゆの独り言に、【碧海の図説書】からエスタが顔を上げる。これから使うのは、初めて見る術式だ。元は管制人格とはいえ、把握するのに多少の時間が要った。「【あまのうずめ】って、だれですか?」矩形に土砂を抉り出された発掘現場は、まるでステージだ。川原の上に渡された足場が臨時の観客席で、南側対岸の崖の上はさながら2階席。びっしりと工事人夫で鈴なりになっていて、これが興行なら大入り袋が出たことだろう。「おおむかし、うたとおどりで かみさまをひっぱりだした おどりこ。なのです」「あゆちゃんも、うたいますか? 【ゆりかご】のほうから、でてきてくれるかもしれないですよ?」ひっきりなしに掛けられる歓声には、下品なものも野卑たものも多い。あゆの騎士服は結構露出が多いし、胸部装甲もそれなりだ。娯楽の少ないこの環境では当然だろうと、あゆは気にしないが。かといって、わざわざ煽情する意味もない。それで本当に【ゆりかご】が出てくるというならあゆはストリップでも何でもやっただろうが、太古の日本と違ってここは「性は生にして正ゆえに聖」なる地ではないのだ。猿田彦だって、道を譲ってくれたりはしまい。「【えす2ゆう】をふりながら うたったりしたら、かえって【ゆりかご】が ねつきそう。なのです」せっかくクラナガンにも、ネギがあると設定しておいたのに。「じゅんび、オーケイですよ」【碧海の図説書】から顔を上げたエスタが、あゆの頭上へと翔び上がった。「では、はじめましょう。なのです」今回、あゆとエスタは融合しない。術式の構築と運用を分担できるなら、2人にとってはユニゾンしないほうが可用性が高いのだ。「みぎて に【ずせつしょ】……」ふよふよと浮き上がった【碧海の図説書】を、あゆが右手で掴み取る。「ひだりて から【だげきしょ】……」ツーハンドモードで魔力構成された【劈開の打撃書】が、あゆの左手の上に。「トランスフォームロード、ですよ」胸元の袷から飛び出したしおりで連結するように、「がったい」【碧海の図説書】と【劈開の打撃書】を縦に、積み重ねた。 ≪ Kettensage form ≫トランスフォームカートリッジは、デバイスに変形機能を持たせるべく偏向擬似質量創出術式に特化した特殊カートリッジである。もっとも、デバイスを変形させるつもりなら設計段階から織り込むものだし、そもそもデバイスを変形させようとする術者が少ない。結局これ1枚きりの、試作品であった。放り上げられた魔導書が、高度と比例するように巨大化する。「りんてんっ!」その葉間にずらりと、牙めいた魔力刃が生えた。即座に、歯の浮くような高周波音を響かせて、周回しだす。「ばっさい!」エスタが延ばした魔力鎖が魔導書を絡めとった時には、それが何と言われる物を模したか、気付かぬ者は居なかっただろう。ソー、チェーンソーだ。「ケッテンゼーゲ、クロイツェン!ですぅ」横薙ぎに振り払われたチェーンソーが、鉄柱のはるか横、岩肌を捉えた。狙いを外したわけではない。切り倒さねばならない6本のうち、一番端に立つ鉄柱がその向こうにあるのだ。「いちげきでクリアー、ですよぉ!」地層の奥で鉄柱に喰い込んだ刃たちが、エスタの気合に呼応して速度を増す。「みえた。なのです」鉄柱は、魔力素を汲み上げるポンプだ。あゆはその流れを読み、その勢いをそのままチェーンソーの回転に乗せる。もちろん収束砲撃など使えないあゆは、その魔力素をそのまま利用したりできない。しかし、ポンプの横に、それ以上の能力のポンプを並べてみせることは出来た。高速回転するベルトコンベアと化したチェーンソーに、吸い込むはずだった魔力素を奪われて、オレィハルコスは強度を失う。慣性を奪われたベーゴマが勢いをなくすように結合力を損なって、たちまち断ち切られた。犬の断末魔にも似たスタッカートが連なること、6音。「あゆっ、このバカ」勢いのままに発掘現場を飛び出したチェーンソーは、そのままなら東側対岸の崖まで切り崩す予定だった。紅の鉄騎が愛杖、グラーフアイゼンに弾き返されなければ。「無駄に自然破壊、すんじゃねぇ」おそらく休憩時間を利用して様子を見に来てくれたのだろう。あるいは、いずこかからの帰投中だったか。見やれば、姉と慕うヴォルケンリッターは、ギガントフォルムはおろか騎士服すら展開していない。武装隊の、アンダースーツ姿だ。あまりの格の違いにも、あゆは嘆息ひとつ漏らさない。ヴィータ達が凄いのは、判りきったことである。それよりも、ゆりかご風海老天重に新しい要素が加わるようなら、また見学に来ようと脳裏でのスケジュール調整が忙しかった。 おわりボツネタ救済のIF話。あゆの裏技「番外」篇。その第4弾です。やはりIF扱い、ネタ扱いで出してみたのはヴィータのツェアシュテールングスフォルムに相当する「ケッテンゼーゲ・フォルム」です。「超電磁ヨーヨー」にあやかって「ツーハンドモード」があるなら、当然2個合体のこの技もあるべきと夢想したのですが、偏向擬似質量創出がそのまま使えるため(と言うか、そもそもデバイス変形の説明のために導入したオリジナル解釈でしたし)、これと言ったSFネタも仕込めず、特に使い道もなくて、かなり奥の方のお蔵入りネタでした。ところが、「パンがないなら、肉を飾ればいいじゃない」「その発想は無かった」「だからお前は(設定)バカなのだ」と、脳内の妄想腐敗に罵倒された結果、理想的なカタキ役として「魔法金属」などという黒歴史指定レベルのボツネタを復活させることに(苦笑)前回の「魔法薬」同様、現在のミッドチルダでは廃れきった技術としてありました。