――【 新暦69年/地球暦10月 】――海鳴市にその店舗を構えるペットショップ「キンイロ」は、知る人ぞ知る昆虫マニアの聖域である。あゆは、ルーテシアにプレゼントするための昆虫類――クモやサソリといった鋏角亜門なども含むが――の大半を、この店で購入していた。「いらっしゃい、あゆちゃん」「こんにちは、なのです。てんちょうさん」虫カゴや鳥カゴに水槽、はてはタッパーウェアなどに入れられた様々な動物たちが居並ぶラックの奥から、菫色の頭髪をツインテールにした女性が現れる。「なにか、おもしろいこんちゅう、はいっていますか?」「ごめんなさいね。 この季節だと、あまり新規入荷はないのよ」言われてみて、なるほどと思うあゆであった。冬場に活動する昆虫は少なそうだから、無理に輸入したりするとリスクが大きいのかもしれない。持ち運びの利便性から卵や蛹での輸入はあるのだが、孵化なり羽化なりさせてから店頭に出すのがこの店の方針であった。「それでは、どうぶつさんたちをみせてもらっても、いいですか?」「もちろん。大歓迎ですよ」それでは。と一礼したあゆが、気の赴くままに店内を巡りだす。最初はルーテシアに昆虫を買ってあげるために来店していたあゆだが、今ではこうして動物たちを眺めることが気にいっていた。冷蔵庫の中のタブリエ音泉ペンギンに挨拶し、ウェルシュコーギーにシイタケをあげさせてもらい、タヌキリスに噛まれてみる。最後に訪れるのは熱帯魚コーナーだ。大きなレッドテールキャットや可愛いらしいオトシンクルス、羽ぼうきみたいなブラックゴーストも捨てがたいが、あゆのお気に入りはトランスルーセントグラスキャットであった。この柳の葉っぱのような体型のナマズの仲間は、頭以外の全身が透けて見えるのである。それが10匹20匹と群をなしてさざめいていると、なかなかに壮観なのだ。水面にはサカサナマズやハチェット、水底にはコリドラスやプレコがいて、それらもあゆの目を愉しませてくれる。はやてにもまだ打ち明けてないが、いずれは飼ってみたいと思っていた。店長に言わせれば、近年では水槽や浄化槽などの器具も低価格化高品質化が進んで、熱帯魚の飼育もそれほど手がかからないそうだ。それでもあゆの現状では望むべくもあるまい。「そういえば、ウェタはどうなりました?」エサの赤虫をくれた店長が、ふと思い出したげに。「しりあいに、つてがありまして……」脚立を登ったあゆは、慎重に水槽の蓋をずらして熱帯魚たちへのエサやりを愉しむ。油断するとハチェットやサカサナマズが飛び出すので、気が抜けない。「てに、はいりそうなのです」まあ。と驚いたのは店長である。絶滅が心配される割に現地ではペット代わりに飼育もされているらしいその巨大カマドウマは、扱いが微妙すぎてわざわざ輸入する業者がいないのだ。「なんでも、じんこうはんしょくに せいこうしたかたが おられるそうで、けんきゅうしきんのたしに、いくらかうってもかまわない とのことでした」なんだか、身につまされるあゆである。その話を聞いたとき、来年のお年玉まで前借りして、手に入れられるだけ手配してもらっていた。対ニュージーランドドルは円高傾向にあるので、輸入は吉だ。気候や生態から、ニュージーランドが秋になる3月頃に送ってもらう手筈になっている。何匹やってくるのか知らないが、ルーテシアは歓んでくれるだろう。「その伝手、私に紹介してくれませんか?」「いいですよ」と応えておいて、最初から紹介してればよかったことに気付くあゆであった。****――【 新暦69年/地球暦11月 】――「お、あゆの姐御」歓迎のつもりか、ぽんぽんと花火。「あねごはよしなさい。なのです」ええ?いいじゃんかよ~。と抗議するのは、アギトと名付けられた烈火の剣精だ。なにやらミニサイズの白い竜に跨っていた。「かっこいいですぅ♪」と、これは珍しく起きていたエスタである。「きゅくるぅ」ゼストを後見人に持ったアギトは、ゼスト隊の一員として振舞っているそうだ。寝食は主に、名付け親であるルーテシアと共にしているようだが。「おっと」勢いをなくした花火を見て、アギトが術式を広げている。あゆのレアスキルの範囲内に入ったのだ。このファイヤワークスの魔法のように、強固な指向性を持たない非戦闘用の術式は影響を受けやすい。部屋一杯に咲き乱れる花火の中を縫うように、小さな白い竜を駆ってアギトが飛び回る。「すっごいですぅ♪」エスタの言うとおり、確かに見事なものだ。炎熱の魔力変換資質を持つというこの融合騎を、いつかシグナムに引き合わせてみたいと考えるあゆであった。「そうだ姐御、新入りを紹介するぜ」「しんいり?」アギトはあゆの疑問に答えることなく、「はいよぉ!フリード」とたずなを絞って詰め所の奥の部屋へと飛んでいってしまう。「いいな、いいなですぅ。 エスタも、のりたいですよ」そうして連れて来たのは、ルーテシアと同じ年頃の女の子だった。「ほら、姐御に挨拶しな」「キャロ・ル・ルシエです。 アギトさんがのっているのはフリードリヒ。わたしの、しえきりゅうです」桃色の髪の毛を揺らして、頭を下げている。「きゅくるう!」と、白いチビ竜もそれに倣う。「これは ごていねいに。 やがみあゆ、なのです」「……」あゆが礼を返していると、奥からルーテシア。見かけだけならあゆも5、6歳ほどであるから、3人揃うとまるで保育園である。あゆの白衣が、実にままごとチックであった。『それで?』こんなところに来る子供がワケありでないわけないと、あゆが念話で。『ん~とな』要領を得ないアギトの話を整理すると、メガーヌが第6管理世界から連れて来たらしい。なんでも召喚術の才能というのは遺伝による発現が主で、どの世界でもたいてい少数民族が隠れ里で細々と血脈を繋いでいるのだそうだ。そうした隠れ里同士の交流は意外と活発で、メガーヌの出身村とキャロのそれもその例に洩れなかったらしい。族長の意向でル・ルシエの里を表敬訪問したメガーヌに紹介されたのが、キャロだったのだとか。『ルシエの里って、斜陽の一族なのよねぇ』と、突然念話に割り込んできたのはメガーヌ本人である。事務仕事に一区切りつけ、出てきたらしい。『たまたま強い竜に見初められてしまったキャロちゃんを持て余してて、私に相談してきたってわけ。いざというとき対処できないからって』たしかにメガーヌは一流の召喚術師だから、うってつけであろう。荒事にも慣れてるし、修羅場だって何度も乗り越えている。なにより同じ年頃の娘を持つ母親であった。『もし私が行ってなかったら、そのまま追放されかねなかったのよ』と、内心の憤懣を完璧に隠しとおしたメガーヌが、キャロとルーテシアを一緒に抱きしめて笑顔。みならわねば。と内心で反省などしつつ、あゆがちらりと観察した限りでは、キャロに鬱屈したところは見当たらない。今も、力一杯に抱きしめられて苦しいだろうに、嬉しそうだ。生まれ故郷を追い出されてこれならば、メガーヌの元に引き取られた方が幸せであるのだろうと結論付けてみる。自分の例もあることだし、血の繋がりなど家族にとってさほど重要でもあるまいと。それはそれとして。「……」ずっとあゆを見つめつづけていたのは、ルーテシアであった。出逢った頃にはあゆの半分ほどであったルーテシアが、今はほぼ同じ背丈である。子供の成長は早いと、戸籍上まだ9歳であるあゆは嘆息した。さて、それはそれとして。「……」ルーテシアである。「るぅ。 いいたいことがあるなら、きちんと くちにするのです。 さっしてあげるほど、わたしはやさしくなど ないのです」嘘ばっかり。とはメガーヌ。「……ウェタは?」よしよし、よくいえました。とルーテシアの頭を撫でている。「なんとか、てに はいりそうなのです。 それまで がまん、できますね?」「……ん。ありがとう」「おれいは、ちゃんと てにはいってからでいいのです」待機状態のS2Uに命じて、あゆが翠屋のロゴ入り紙箱を取り出した。「おやつにしましょう。 きゃろちゃんも、いっしょに しゅーくりーむを たべませんか?」「きゅくぅ?」「フリード」チビ竜をたしなめているらしいキャロの口調に、フリードがなにを言ったか判ったあゆである。「ふりーど。 あなたのぶんも、ありますよ」「きゅくるう♪」**「口裏を合わせるとの約定であったゆえ、口外はしないが。 理由は聞かせてもらえるのだろうな?」差し出されたケースを手元に引き寄せ、ゼストの視線は鋭い。「はい、なのです」ソファに上で居住まいをただし、あゆは真っ向から視線を受ける。この執務室の壁は意外と厚そうだ。となりではフリードに乗せてもらっているエスタが歓声を上げているはずだが、その気配すら感じ取れなかった。「きょくいんの おひとりおひとりはともかく、 わたしは、じくうかんりきょくそのものは しんじていないのです」そう言われるとゼストとて返答のしようがない。ここ数ヶ月で査察、検挙した違法ラボ、違法プラントの多くに、何らかの形で管理局が関わっていたのだ。「わたしのけんきゅうが、いほうけんきゅうしゃに よこながしされて、けっか、はんざいにつかわれるかもしれません」実際、スカリエッティが手にしていた。他の違法研究者のもとに渡ってないという保証はないだろう。「けんきゅうをすすめるために、しけんうんようは ひつようなのです。 けれども、かんりきょくへのぎわくが はれないうちは、しらしめるわけにはいかないのです」だが、それは口実に過ぎない。いまゼストに引き渡したケースの中には、第8世代試作品の中でも特に出来のいいものが人数分入っている。いざという時のために、渡しておきたかったのだ。あゆは、スカリエッティの準備が終わりつつあることを知っていた。 ――【 新暦69年4月 】――セインが眉根を寄せているところを見ると、娘から見ても気持ち悪いものなのだろう。スカリエッティの、「ひゃ~はっはっはっは!」という笑いかたは。『管理局を潰すか、それはいい』くつくつと笑い方を変えて、スカリエッティが腹を抱えている。『まさか君がそんなことを言い出すとはね。 いやはや、これだからこそ人間は、生命は面白い。まだまだ研究の余地だらけだよ』ひゃ~はっはっは。と、またひとしきり大笑いしたスカリエッティが、仮面を付け替えるようにぴたりと静止した。『だが、彼我戦力差はきっちり把握しないといけないな』言われてみてようやく、自分が何を口走ったか理解したあゆである。管理局を潰すなどと不可能事を言い立てたことはもちろんだが、なにより、その管理局にどれだけ大切な人々が居るというのか。冷静なつもりだったのだが、相当混乱していたらしい。そうと気付いた途端に破裂するような発熱を覚えて、あゆは頬に手をあてた。『ああ、誰にでも間違いはある。そんなに恥じずともいいよ』はずかしい?と、内心で繰り返したあゆは、これが「不明を恥じる」ことかと推測する。自分にそんな感情があるとは、思ってもなかったのだ。それにしても、スカリエッティに諭されるとは。恥ずかしさに朱を重ねるあゆである。『いやいや、またまた珍しいものを見せてもらったよ。 君のことは多少理解していたつもりだけど、氷山の一角だったようだ』再び大笑いしたスカリエッティは、しかし一転『生命の可能性は素晴らしい。まだまだ知らないことだらけだ。もっともっと研究したいなぁ』と笑いすぎで流れたらしい涙を拭いた。『いや、すまない』と意外にも本気ですまなさそうに謝ったスカリエッティが、『だが、管理局を潰したいという意見そのものには賛同だよ』と、その胸襟を開くかのように両手を広げてみせる。『いずれ僕も管理局には一矢報いてやるつもりだった。その準備にあと5年と見込んでいたんだけどね』ところが。と指先で弾き上げているのは、人工リンカーコア。『管理局は違法研究から手を引き始めている。 ここに来てリクエストに対する反応が悪くなったし、チンク達も何かと理由をつけて帰してくれない、違法研究者が検挙される例が増えているのも、だからだろう』これのお陰でね。と再び弾いた人工リンカーコアを中空で掴み取り、差し出してみせる。「……」あゆは口を挟まない。『今の戦力じゃ、一矢報いるなんて真似、とても無理だからね。 尻尾を巻いて逃げ出そうと思っていたんだけど、……そうかい、時間を稼いでくれる、か』値踏みするように人工リンカーコアを見やっていたスカリエッティが、おもむろにそれを口に含んだ。そのままころころと、口中で転がしだす。『【立つ鳥跡を濁さず】なんて言うらしいし、世のために禍根を断っておくのもいいかもしれない』それはスカリエッティの警告だっただろう。出身世界を知っているぞ。出身地域も判っているぞ。裏切ればどうなるか、解かっているな。との。いつ知ったかは判らないが、人工リンカーコアの研究者が誰であるかも承知の上で、今日の話だったに違いない。役者が、違いすぎるのだ。『流石に管理局ごと滅ぼすのは難しいが、私を生み出し、さんざん利用してきたくせにあっさりと棄てようとする最高評議会の連中に、生命の終着点をプレゼントするくらいはやってやろうじゃないか』****――【 新暦69年/地球暦12月 】――あゆが翠屋に来る機会は、多い。ミッドチルダへ出向く時の手土産にすることが少なくないからだ。「ありさおねぇちゃん?」一瞬判らなかったのは、アリサが髪を短くしていたからだろう。「あら、…… 相変わらずチビっこいわね」オープンテラスでお茶していたらしいはやての同級生の、歯に衣着せぬ物言いがあゆはけっこう好きである。アリサが「小っちゃいわねぇ」と言うと、それがなんだか素敵なことのように聞こえるから不思議だ。悪意がまったく無いからであろう。「ごぶさた、なのです。 【うぇた】のけんでは、おせわになりました」ん?としかめた眉を、すぐに開いて「ああ、あのカマドウマのことね」とアリサ。はやて越しか携帯電話ばかりだったので、こうして面と向かってお礼をいえる機会がなかったのだ。「気にしなくてもいいわよ。 たまたまニュージーランドの別荘の近くに変人が居たってだけで、私は何もしてないから」実際には、輸出入に関わる手続きなども全て手配してくれていた。そっけないが、情に篤い人なのだろうとあゆは思う。「それでも、たすかりましたから」ウェタを渡した時のルーテシアの笑顔を想像すると、今から頬がほころんでしまうあゆである。「ありがとう、なのです」はいはい。と軽く受け流したアリサが、はす向かいの椅子を指差した。「感謝してんならお茶に付き合いなさい。相手が居なくてヒマしてたのよ」「なのはおねぇちゃんは、いらっしゃらないのですか? それに、このきせつに、おーぷんてらすで ですか?」質問を重ねんじゃないわよ。と、あゆの腕を捕まえて、強引に椅子にかけさせる。「なのははバイト中だから、話し相手にさせるわけに行かないでしょ」親指で指差す先は、翠屋の店内。エプロンしたなのはが忙しそうに接客していた。「そんで私はヨーロッパ暮らしも多いから、オープンテラスのほうが性に合うの」そういうことなら。と携帯電話を取り出したあゆが時間を確認。「おつきあいさせて いただくのです」余裕ありと判断して椅子に座りなおす。「やあ、いらっしゃい」タイミングを見計らって顔を出したのは士郎である。気配を察していたのだろう。逆にあゆはその気配を読めなくて、無駄に心臓を跳ねさせていたが。「私にお代わりを、この子にも同じ物をお願いできますか?」「コーヒーをかい? あゆちゃんには早くないかな?」あら?と、あゆに寄越される視線。「もう4年生ですよ。大人の味を知ってもいい年頃です」うちのなのはは、まだ飲めないみたいなんだが。と苦笑した士郎は、しかしなにか思い出したらしく「階段を登りたくなる年頃か」と納得顔。「試してみるかい?」「はい、なのです」コーヒーを飲んだことがないわけではないが、八神家では大抵ミルクと砂糖たっぷりだ。これがもとであゆはコーヒーの味を覚えてしまうのだが、まあ余談である。****クラスの、クリスマス会の準備中であった。「さんたさんは、いますよ」ゑ?と目を丸くしたのはアリシアである。まさか、あゆが4年生にもなってサンタを信じているとは思ってもなかったのだ。「会ったこと、あるの?」このあゆが信じているのだから、それなりに確証あってのことだと思ってしまっても仕方あるまい。もしくは、サタンとでも間違えているか。「いいえ、なのです。 わたしは わるいこですから、きてくれるはずが ありません」アリシアが聞き出したところによると、あゆがサンタを信じている要因ははやてにあるようだった。なんでもはやては、「サンタはんは居てはるけど、忙しいので、プレゼントを貰えるあてのある子ぉのトコには来ぃへんし、順番待ちや」と説明したらしい。魔導師やロストロギアがあるのだから、それぐらい居てもおかしくないだろうとあゆは納得したのだとか。「それで、今年のプレゼントはなにをたのんだの?」「とくにほしいものもないので、きょねんから なにもおねがいしていません」えー!あゆちゃん変!と、声を上げたアリシアが、なにやら指を折って数え始める。欲しい物がありすぎて困っているらしい。「あれ?去年からってことは、おととしは何かたのんだの?」アリシアの疑問に「もう、そのきはないのですが」と前置きして、あゆは色紙を切っていた手を止めた。ついでの練習代わりにハサミを消してみせる。手先は器用なほうなので、クリスマス会の余興に手品でもしようと考えているのだ。「がっこうを、たいがくさせてほしいと」「えー!」あゆがサンタを信じているらしいというくだりから、聞き耳を立てていたクラスメイト一同である。たちまちあゆの周囲に押し寄せてきて、口々に「なぜ?」だの「どうして?」とか「学校きらいだったの?」ときて「やめないで」などと言い立ててくる。なんだか女子の比率が妙に高いようだ。『これは、なにごとなのですか?』『前に言ったことなかった? あゆちゃん、めんどうみがいいから、けっこう人気なんだって』『それは、だんしのはなしでは?』『そんなこと言ったおぼえ、ないけど?』実際アリシアは、あゆにチョコを渡したがっている女子を何人か知っていた。上級生に絡まれていたところを助けられた子や、プリントをバラ撒いてしまって困ってたところを手伝ってもらった子。勉強を教えてもらったとか、体育でコツを教えてもらった、励ましながら一緒に余計に走ってくれた、などは枚挙に暇がない。中でもピーマンが食べられなくて困っていた子の時のことなど、印象が強すぎて忘れようのないアリシアである。母親の作ってくれたお弁当の、取り除きようがないほど細かく刻まれたピーマンが混ぜ込まれたピラフを前に、その子は泣きそうだったのだ。お昼休みも、残り少なかった。通りがかったあゆは、実に自然にその手ごとスプーンを操って、そのピラフを口にしたのだ。「とっても、おいしいのです。 おりょうりのじょうずな おかあさんで、よかったですね」とても幸せそうににっこりと微笑まれて、その子は思わずピラフを口にしてしまっていた。「だって、本当にものすごくおいしそうに食べるんだもの」とは、その子の弁である。今ではピーマンは、むしろ好物なのだとか。マルチタスクにも限界はあるから、あゆは割り切って、学校に居る間は学校のことを考えるようにしている。とはいえ、あゆにとって、授業や行事などに大した労力が要るはずもない。自然、その有り余った処理能力の矛先はクラスメイトに向けられていたのだ。学校が楽しいに越したことはないから、トラブルの種や雰囲気を悪くするような要素を事前に摘んでいるのである。あゆにしてみれば巣穴の周りを整備しているようなもので他意はないから、それらのことがこの事態に結びついてると解からない。本人は、ついでに洞察力や判断力が磨ければ儲けもの、ぐらいにしか考えてなかった。「八神さんのお姉さんって、中等部だよね?」中には行動力のある子もいて、「あたし、絶対かなえないでってジカダンパンしてくる」などと言い出す始末。おねがいだから それだけはやめてくれと、泣きつきそうになったあゆである。ぱんぱん。と手を叩いて、皆の注意を惹いたのはアリシアだ。「はいはい、みんなおちついて。 あゆちゃんの事情は知ってるでしょう?それに、おととしの話だって言ってたじゃない」ね、あゆちゃん。と微笑みかけられたあゆが、頷いてみせた。本当は去年のクリスマスにも同じお願いをしようと思っていたが、他ならぬ目の前の親友に、退屈な学校生活も悪くないと思わされてしまったのだ。「そのとおり、なのです」安心したらしいクラスメイトたちが、三々五々と元の作業に戻り始める。後ろ髪を引かれまくっているのが何人か居るようだが。ちなみに、アリシアが言うところのあゆの事情は、そもそもアリシアの創作――口から出任せと言ったほうが正しい――であった。時空管理局に勤めていることを明かすわけには行かないあゆの本当の事情を知っているのは、クラスではアリシアだけだ。そこで表向きには、八神家が下宿を営んでいるとしたのである。ヴォルケンリッターの説明にもなるし、フェイトが下宿していたからという理由でアリシアとの仲も理由付けできるし、あゆが忙しいのも家の手伝いが大変だからと言い訳ができた。『学校やめたりなんかしたら、いまの調子でみんな家まで押しかけてくるんじゃない?』アリシアの脅迫めいた想像に、はふ。と、あゆは溜息をつく。研究時間を確保するために学校を辞めたい気持ちは、今でもないではない。だが、これではとても無理と、あらためて観念したのだ。『じんせいは、いつだって、こんなはずじゃないことばっかりなのです』