――【 新暦69年/地球暦5月 】――「ぶかつを、きめた。なのですか?」「そうや」夕食はなるべく全員で摂る。それは八神家暗黙の了解であった。その時に、1日の出来事などを報告しあうのだ。ちなみにここ最近のザフィーラのホットトピックスは、隣家との垣根の間に住み着いた猫が産んだ仔猫の成長度合である。さて、あゆがまず驚いたのは、この春に進学したはやてたちが部活動などに時間を割くとは思っていなかったからだ。これまでどおり模擬戦や、ヴォルケンリッターを師とした魔法講義、戦術研究などに時間を費やすだろうと踏んでいた。「そんで、どんな部活はいったんだ?」非番らしく、今日1日家でゴロゴロしていたらしいヴィータである。シグナムとヴィータは、任務の関係で夕食時に居ないことも多い。「うちはラクロスにしてん」その、あまりメジャーとは言い切れない球技の存在をあゆが知っていたのは、つい最近までそれを題材としたアニメが放映されていたからである。【超時空棒網球ラクロス】であったか。なぜか銀河の中心に室内競技場ごと飛ばされたラクロス部員たちが、宇宙人たちを啓蒙し銀河中にラクロスの素晴らしさを布教してゆく。壮大かつバカバカしい物語である。地上波テレビ放映なのに宇宙人たちのセリフが字幕表示――しかもタイ文字――なのが微妙にあゆの琴線にふれたらしく、記憶に新しかった。「そんで、なのはちゃんがテニスで、フェイトちゃんがスカッシュや」次にあゆが驚いたのが、3人が別々の部活を選んだことである。すずかやアリサともども同じ部活を選択するかと思っていたが、そういうベタベタした友情ではないらしい。あまり深く考えずにアリシアに誘われるまま手芸クラブに入ってしまったあゆは、ちょっと反省である。「なのはちゃんはジョゴルフにも興味あったらしゅうて、ちょぅ悩んどったけどな」ジョゴルフというのは、一昔前にアメリカで行われていたジョギングとゴルフを足したような競技だ。スコアとタイムの両方を競う。ゴルフ部があるだけでも珍しいだろうに、ジョゴルフ部のある学校など日本全国探しても私立聖祥大付属中学校ただ1校だろう。「へんながっこう。なのです」「せやな」****この時期の恒例行事といえば、高町家主催の温泉旅行である。なのはと知り合って以来、八神家も毎年参加させてもらっているが、今年はあゆの姿がなかった。理由はエスタだ。置いていくわけにはいかないし、隠して連れて行くのも無理がある。人工リンカーコアを使ってフレームを展開する手もあるが、起きている間しか維持できない。未だに1日18時間は眠るエスタでは、すぐボロが出てしまうだろう。理由はもうひとつある。今年から参加することになったエリオだ。あゆたちは例の芝居の種明かしを、エリオにしていない。テスタロッサ家には馴染んできているようだが、まだその時期でないとあゆは判断しているし、それはフェイトたちも――渋々ながら――認めている。ここであの芝居が仕組まれたものだと知れば、エリオはまた心を閉ざしてしまうだろう。おそらくは前よりも酷く。エリオが、自分のことを慈しんでくれる存在を信じられるようになるまで、そのために打った芝居に込められた思いを素直に受け入れられるようになるまで、あゆはその前に姿を現さないだろう。では、皆が温泉旅行を楽しんでいる間に、あゆがどこに居たかと云うと、「おかぁさん。おやすみなさい、なのです」「おやすみなさい、ですぅ」「はい、おやすみなさい」本局の居住区にある、リンディの部屋であった。畳敷きの寝室で、一緒に布団の中である。あゆは、この機会にぜひ確かめたいことがあったのだ。あふ。と、あくびを洩らしたのはあゆである。その目尻に涙が浮かぶが、あくびのせいではない。リンディの傍でも、熟睡できそうだったからだ。「……おかぁさん」「なぁに?」「ごめんなさい、なのです。 よんでみただけ、なのです」あらあら、と微笑む気配まで嬉しい。あゆはまぶたを閉じた。初めて心の底から「おかぁさん」と呼べたことの喜びをかみしめるように。****首都航空隊に凄腕の射撃魔導師が居ると教えてくれたのは、ヴァイスであった。誰でも使えるようにパスファインダーの最適化を進める彼は、多くの射撃魔導師に声をかけて回ったらしい。もっとも、先日に立て篭もり犯を見事撃退したそうで、噂を聞きつけた射撃魔導師から声をかけられることも増えたのだとか。なんでも、パスファインダーをさらに先導するプリセイドパスファインダーや、ある程度の判断機能を持たせたインテリジェントパスファインダーといった亜種派生形が次々生まれているらしい。障害物を通り抜けておいて探索情報をパスファインダーに送るクリティカルパスファインダーや、要所要所で待機して誘導弾をバケツリレーしてしまうフックアップパスファインダーなどは、むしろサーチャーに逆戻りしている感もあるが。中にはそれらをサーチャーと組み合わせて射撃管制指揮に特化する魔導師も出始めており、ゆくゆくは指揮官が直々に行ってC4ISR化するなどという計画も持ち上がっているのだとか。ちなみにヴァイスが作り出したのは、無誘導弾を反射することで無理矢理誘導してしまうリフレクションパスファインダーで、トータルでの魔力消費をさらに抑えることに成功していた。トップヤードとか言う、ビリヤードを立体化したような競技の熟練者だというヴァイスらしい改良といえるだろう。それらはいずれ熟してから回収するとして、今現在のあゆの興味は、その凄腕射撃魔導師が使うという拳銃型のデバイスだ。蒐集させてもらおうとアポを取った上で隊舎を訪れたのだが、なにやら事件が発生していたらしく、接客ブースで少し待たされていた。まあ、時おり金平糖などをかじりつつ、端末でデータの整理ぐらいはできるから構わないのだが。格納領域から一粒だけ取り出した金平糖を人差し指の腹で受け止め、そのまま口に放り込む。何味に当るか判らないところも楽しみのうちだ。この2週間もかけて作られる砂糖菓子を、あゆは気に入ったらしい。市内の老舗を探したりネット通販に手を染めたりして、はやてを苦笑させていた。「すーぱーで うっているのは、ただの あめだまです」と暴言極まれりである。「きみが、ヤガミ・アユ君かな?」端末から顔を上げると、痛々しくも包帯だらけの青年が立っていた。左手を三角巾で吊り、顔など右目と口元以外見えないありさまだ。「首都航空隊。ティーダ・ランスター一等空尉です」「ほんきょく、しょくたく。やがみあゆ、なのです」びしっとした敬礼に、あゆは目礼を返す。敬礼はあまり好きではないらしい。「ちょっと、つらいんでね。失礼するよ」応接セットの向い側に腰を下ろし、ふうと大息をついている。治療魔法の使い手は、意外と少ない。かなりの器用さを要求されるからだ。ここ2週間ほどは特にガジェットなどの出没が増えているそうだから、なかなか手が回らないのだろう。「よろしければ、ちりょう いたしましょうか?」「たのめるかい?」見かけ5,6歳にしか見えない少女が治療魔法を使えるとは思っていなかったのだろう。ティーダが眉を上げる。もっともケガに障ったらしく、すぐに顔をしかめたが。人体について多少の理解がありシャマルの弟子でもあるあゆは、治癒魔法も一通り使える。しかしながら、「えすた、でばんなのです」「……はい、ですぅ」ソファに置かれたリュックから、目尻をこすりこすりエスタが出てくる。実は魔導師ランクシングルA+のエスタは、マイスターたるあゆより治癒魔法に長けるのだ。「しんさつするです」ふよふよと飛んでいったエスタが、ティーダの額に手を当てた。融合騎というものを初めて見たらしいティーダが、目を白黒させている。「は~い、しんこきゅうですよ。いきとめて~、ヘルスメーターですぅ」いつの間に正式名称になったやら。和製英語だというのに。 ≪ health meter ≫あゆの手元の【碧海の図説書】が応える。将来的には切り離す予定だが、エスタはまだ【碧海の図説書】の管制人格で、その一部である。はい、いいですよ~。と帰ってきたエスタが、【碧海の図説書】の表紙をめくった。「カートリッジロードですよ」スリット上のポケットから取り出すのは、自分の背丈に匹敵する大きさのしおり。何が愉しいのか、満面の笑顔で「えい♪」と手動で葉間に差し込んでいる。「フィジカルヒールですぅ」 ≪ Physical Heal ≫外傷に対する治癒魔法は、大別して2種類ある。対象の回復力を促進するものと、対象の欠損した部分や足りない能力を魔法で補うものだ。一般的に治癒魔法とは前者を指し、今エスタが使ったのもそれである。後者は対象が回復するまで術式を維持しなければならないので、魔導師が使うことはまずない。魔法集中治療室(Magi Intensive Care Unit)といった重篤患者用の設備として、魔導炉などとセットで大病院などに導入されている程度だ。「は~い。きぶんはどうですか?」再びティーダの目の前まで飛んでいって、エスタ。「ええ……、おかげで痛みがずいぶん退きました。 ありがとう」「どういたしまして、ですよ」リュックに戻るエスタを目で追っていたティーダが、あゆに視線を移す。「きみにもお礼を言わなくては。 ありがとう。おかげで命拾いしました」疑問符を浮かべるあゆに、「パスファインダーですよ」とティーダ。「今日、逃亡した違法魔導師を追跡したんですけど、これが殺傷設定を振り回す相手で。 相討ち同然になった最後の攻撃、パスファインダーによる自動追尾でなかったら防御が足りなかったですし、撃墜もできなかったでしょう」もっとも。と肩をすくめて「墜落した時に受身を取り損なってこのザマです」と笑っている。「つかいこなせたのなら、それは てぃーださんのじつりょく。なのです」「まあ、そういうことにさせて貰いましょうか。 ともかく、僕が感謝していることに違いはない」そう言ってテーブルの上に置いたのは、拳銃型のデバイス。「好きにしてください」「ありがとう、なのです。 えすた、でばんな……」あゆが見下ろす先、リュックの中からすうすうと、可愛らしい寝息が漏れていた。****あゆの手元には、第8世代の試作品が並んでいる。目標品と比べてもなんら見劣りするところのない出来栄えだ。しかも、第7世代と違って大量生産しやすい構造になっている。だが、これを時空管理局に手渡さないようあゆは、あらゆる口実を設けて引き延ばしにかかっていた。物語は、2週間ほど遡る。――【 新暦69年/地球暦4月 】――エスタがしっかりと寝入っているのを確認し、あゆは壁を2回叩いた。「は~い、セインさん登場~♪」魔力素を見ることができるあゆは、潜伏しているセインの居場所を大体見抜くことができた。その周囲から、魔力素が逃げ出すからだ。当初、これがAMFかと思っていたあゆだが、ガジェットたちの発動するAMFを直に見る機会があって考えを改めた。AMFはあくまでも魔力結合を阻害する魔法であって、たとえ発生中であってもその範囲内から魔力素が逃げるなどという現象は起こらない。そこであゆは、IS発動中の戦闘機人は魔力素を反発させる力場を発生させている。と仮説を立てている。AMF下で発動できるISが、魔法でないことは明確だ。戦闘機人の動力源がレリックである以上、ISも反魔力素がその源となっているのだろうが、この世界で反魔法を使おうとしても、即座に対消滅が起きてしまって発動すら困難な筈である。だが、答えは最初から見えていた。IS発動中のセインの周囲からは、魔力素が逃げていくのだ。いや、はっきりと撥ね飛ばされていると断言できる。周囲の魔力素を撥ね退けることでレリックは、反魔法をこの世界で実現しているのだ。「ドクターからの通信だよ」ウエイトレスがトレィでも持つようにセインが掌を差し上げると、その上に空間モニターが開く。『やあ、ひさしぶり』「ごぶさた、なのです。どくたー。 ごきげんはいかか、なのですか」モニターに映るスカリエッティに、変わりはないようだ。『うんうん、上機嫌半分、不機嫌半分。 総じてご機嫌斜めってところかな』あゆには、とてもそうは見えないのだが。「きょうは、どんなごようじなのですか?」『うん、それなんだけどね。 僕の9番目の娘が目を覚ましたから、性能テストをしようと思っててね』まさか。と、顔に出ていただろうか?『ああ、いやいや。 君にお相手願おうってワケじゃないよ』なにやら心の琴線に触れたらしい。くつくつと笑っている。『ISを使わなかったとはいえ、トーレとはいい勝負だったそうじゃないか。 性能テストのお相手として、不足はないんだけどね』冗談ではない。暗殺者にとって、正面切って戦うなど愚の骨頂だ。出会い頭に戦闘開始など、手足を縛られて荒波に放り込まれるも同然である。相手が尋常ならざる戦闘機人ならなおのこと。もし対処しなければならないなら、あゆは罠でも騙し討ちでも何でも使うだろう。『残念なことに、今回の相手は決まってるんだ』スカリエッティの言葉を受けて、セインが左の掌も差し上げた。開かれる空間モニターに、映し出される顔。「くいんとさん?」『そう、ノーヴェの遺伝子提供者であり、その戦闘スタイルの実質上の創始者さ。 おっと、止してくれってのはナシだよ。君には貸しがあったはずだ。それを今、取り立てるとしよう』やはり、リボルバーナックルとローラーブーツのデータ程度では恩を売れなかったか。とはいえ、クイントは大事な同僚で、ギンガやスバルのお母さんなのだ。むざむざと失うわけにはいかない。「しょうじょゆうかいなら まだしも、かんりきょくしょくいんを おそったとなると、ついきゅうのてが そうとうきびしくなるとおもいますが……」そこまで言ってあゆは、それがスカリエッティが不機嫌だと言ったことに関係するのではないかと思い至る。「どくたー、なにがあったのですか?」『……』モニターの向こうのスカリエッティは、それが本当の感情なのだろう。言葉どおりの不機嫌そうな顔になった。「こんな、あとさきかんがえない やりかたは、どくたーらしくないのです。 なにか、こまったことになっていらっしゃるのでは?」別に、スカリエッティが困ろうが苦しもうがどうでもいい。だが、その結果知り合いが傷つけられるとなれば話は別だ。『……』「……」空間を越えて、視線が交錯する。いざとなればスカリエッティと完全に敵対することになるから、あゆは真剣だ。対するスカリエッティはというと、ふっ、と眉から力を抜いた。『やれやれ、君が見えてるのは本当に魔力素だけなんだろうね?』不本意そうながらもスカリエッティが語ってくれたところによると、スポンサーに見限られそうになっているのだそうだ。こんな違法研究者がスポンサーから切られると云うことは、すなわち殺されると云うことに他ならない。いかにスカリエッティといえども、のんびりと構えてはいられないだろう。「しかし、せんとうきじんは すばらしいさくひんなのです。 すぽんさーとやらも、そうかんたんに きってすてるとは おもえないのですが?」それは、けしてお世辞ではない。レリックのような危険物を、しかも戦闘用として安定して稼動させているだけで尊敬に値する。地球で云えば、原子力空母や原潜と同質の危険性を持つ存在なのだから。それに、スカリエッティのバックについているのは最高評議会だろうとアタリを付けておきながら「スポンサーとやら」などと、とぼけてもみせる。『理由はね、こいつさ』誰か自分を褒めてくれ。と、あゆは内心で悲鳴を上げた。スカリエッティの手の中にある人工リンカーコアを見ても、平静を崩さなかったのだから。「それは……」だが、動揺せずには居られなかったのだろう。どっちつかずの言葉を口にしてしまった。『ああ、人工リンカーコアという代物さ』幸いなことに、スカリエッティはそのことに気付かなかったようだ。『もうほぼ完成しているそうで、あとは大量生産を待つばかり、のようだね』残念なことに、映像越しでは魔力素を読むことができない。そうでなければ人工リンカーコアの魔力素を読んで、いつ作った代物か、いつごろスカリエッティの手に渡ったか、推測できたのだが。『確かにこんなものが簡単に大量生産できるんなら、芸術品みたいな僕の作品は要らなくなるよ』……あゆは、懸命に考えていた。どうすればスカリエッティと敵対することなく、この場を治めることができるか、クイントを危険にさらさずに済むか。『……というわけでね、殺されないうちに姿をくらまそうと思っているんだよ。 でも、その前に娘たちを取り戻したいから、新戦力の実力を確認しておこうというわけさ』人工リンカーコアの研究者が自分であることをばらす? まさか。そんなことを知られれば、他ならぬスカリエッティに殺されかねない。人工リンカーコアごと葬り去られてしまうだろう。クイントに予め知らせる? どう説明するのだ。スカリエッティとは友達付き合いしているとでも?今この場で、セインを人質に? 難しい。封鎖領域を張れば逃がさないことはできるが、無力化できる保証はない。そうして完全にスカリエッティを敵に回すことになれば、ただでは済むまい。クアットロたちの脱獄を幇助する? こちらも難しい。セインが居る以上不可能ではないが、言い逃れ様のない罪を犯すことになるだろう。自分はともかく、はやてやリンディに迷惑はかけたくない。いや、まてよ。と、あゆは思い立つ。以前、クロノたちが摘発していたように、管理局はスカリエッティを使うだけでなく、さまざまな形で違法研究を行っているようだ。いや、違法であることを問題にするあゆではない。だが、自分たちで作ったルールを、自分たちには適用しないことが妙に癇に障るのだ。恣意で違法を容認するなら、逆に合法でも排斥されかねない。いざという時、今のスカリエッティのように切られないとは言い切れなかった。そんな組織に、はやてを入れていいのだろうか?【闇の書】という弱点を持つ、はやてを。「……どくたー」『なにかな?』あゆは、まっすぐにスカリエッティを見つめた。今の自分はあれと同じ眼をしているだろうと思う。「ていあんが、あるのです」その懐から取り出したのは、完成したばかりの第8世代の試作品。いまさら自分ひとりを殺したところで、その開発は止まらない。第7世代までの研究データでも、誰かが完成させられるだろう。だが逆に、止められるのはあゆだけだ。「かいぜんの よちありと ほうこくして、かいはつをとめるのです」口から出任せ。という訳でもない。プレシアから次元航行エネルギー駆動炉や偏向擬似質量創出についてレクチャーを受けたあゆは、人工リンカーコアの大量生産理論に手を加えようと思っていたのだ。駆動炉や魔導炉は一種の工業製品であるから、参考になる点は多い。場合によっては、人工リンカーコアの組成そのものを手直しする必要もあるだろう。「そうおうの、じかんをかせげるはず。 ですから、……」敵には回せない。むしろ、敵は共通だ。利害だって一致させられる。なら、手を組めるはずだ。「かんりきょくを、つぶすのです」