――【 新暦69年/地球暦2月 】――ごすっ!と聞こえた音が、重い。「いっ!……」後頭部を襲った衝撃に、男が頭を抱えた。「……った~」かなり痛いらしい。机に突っ伏している。「……」服装からして航空武装隊の隊員だろう。ようやく痛みが退いてきた後頭部を撫でながら、椅子ごと振り返った先には。「……子供?」水色の白衣を纏った女の子がいた。その手に持ったブ厚い本が己を襲った凶器であると気付いて声を荒げようとした途端、他ならぬその凶器を鼻先に突きつけられた。「いまあなたは、【でばいす】を ほうりなげましたね」ずい、と押し出される角っこに押されて、男がたじろぐ。「いくら かんきゅうひんとはいえ、じぶんのいのちを あずけることになるあいてに、なんて しうちですか」いや、しかし。と口にしかけた反論は、振りかぶられた凶器の前に封殺された。言論弾圧イクない。「あゆ。お前は、こんなところで何をしている」「しぐなむねぇさま」事情を説明しようとしたあゆを手振りでとどめ、「言わんでいい、だいたい見当がつく」と烈火の将は額を押さえる。「済まん。妹が迷惑をかけた。 お前も謝れ」あゆの頭に手をかけて強引に頭を下げさせたシグナムが、自らも深く頭を下げた。「いや、シグナムさん。頭を上げて下さい」却って慌てた男が「確かに俺も悪かったんで」と恐縮することしきり。この男に限らず、部隊の垣根を越えてシグナムに助けられた者は多い。その烈火の将にこうまでされて、子供に叩かれた程度のことで騒ぎ立てる隊員はこの隊舎には居まい。「のちほど改めて詫びに来る」と、あゆの襟首掴んで引っ立てていくシグナムの、「だいたい、デバイスの扱い方を注意するのに、デバイスで叩くのは矛盾しているだろうが」「このこは じょうぶにつくってあるのです。ひとの ずがいこつなどには まけません」「そういう問題ではない、話しをすりかえようとするな」「こころがまえのもんだい、なのです」「それが判っていて、なぜデバイスで叩くのだ」「せいぎのてっつい なのです」「やりすぎだと言っておるのだ」などと遣り取りしながら立ち去っていく姿は、後々までの語り草になったそうだ。航空武装隊は、各世界に派遣され駐屯する航空魔導師の部隊である。シグナムの所属する第1039部隊はミッドチルダに駐屯しており、常駐する首都航空隊などと協力してクラナガンの治安を維持するのが主な任務であった。今日あゆがその隊舎を訪れたのは、例によってデバイス蒐集のためである。「ありがとう、なのです」「すまんな、ヴァイス」「いえ、お役に立てたんならいいっスよ。 姐さんには世話になってますしね」狙撃銃型のデバイスを使う者が居ると聞いていたあゆは、クラナガンの郊外にあるこの隊舎を訪れる機会を窺っていたのだ。「おもしろいデバイスですぅ」あゆの頭の上に寝そべるエスタが、開かれているページを覗き込んでいた。蒐集したばかりの、ストームレイダーの内部構造図である。「わたしにとっては なじみのふかいこうぞう、なのです」あゆが言うほど、火薬式のライフルなどと内部構造が似ているわけではない。そもそも物理法則に縛られない魔力弾にとって、長い銃身など飾りも同然なのだ。単に、遠くを狙うというただ1点の目的に特化した結果、外見が似通っただけである。それでも、目的のために形状を追求したその姿はあゆにとって受け入れやすかったのだろう。射撃魔法なぞほとんど使わないくせに、拳銃型デバイスに人工リンカーコアを仕込んでみたら使い勝手はどうだろうか、などと考えていたのだから。「そうなのです」と、あゆ。射撃魔法で何を思いついたのか、S2Uを取り出している。「このじゅつしき、ばいすさんなら つかいこなせるかもしれないのです」展開されたのは掌大の魔法陣。魔法のデータなどを簡易に手渡すために使われる術式だ。「オレに、かい?」「はい、なのです」指先で魔法陣に触れ、ヴァイスが空間モニターを立ち上げた。「ずいぶんと洗練された射撃魔法みたいだが……」さすがに狙撃手でエースと呼ばれるだけのことはある。術式の目録に付随した概略で、そこまで見て取るか。「そのあたりは、くろのせんせぇのじゅつしき、なのです」「……クロノって、もしかしてあのクロノ・ハラオウン執務官かい?」はい。と、あゆが頷くと、「へぇ~」と興味を引かれたよう。ただし、ニアSクラスが使う術式である。切れ味の良すぎる日本刀のような物で、ヴァイスでは振り回されてしまうだろう。「おや?ここから記述式が異なるな」「そこからは、わたしがくみかえた じゅつしきなのです」魔力量の少ないあゆは、射撃魔法や砲撃魔法をほとんど使わない。すぐに弾切れになって後が続かなくなるからだ。では、あゆがそれらの魔法を切り捨てているかというと、そうではなかった。暗殺者として、目的のためにあらゆる物を使い倒すよう教育されたあゆにとって、魔法は道具である。たとえ滅多に使わない道具でも、いや、滅多に使わない道具だからこそ、念入りな手入れが必要なのだ。「少ない魔力で使いこなせるように機能を絞ったり、割り振りやすいようにカスタマイズしてあるのか」「はい。なのです」あゆには、多少ならざるロスでもその大出力でねじ伏せてしまえるなのはのような大魔力もないし、その場その場で微調整して目的に合わせてしまうクロノのような業前もない。ナタ一本で全てを切り開くような力押しはできないし、筆一本で壁画から米粒への写経までこなすような器用さもない。ということだ。ならばデザインナイフから斬馬刀まで、ロットリングから木軸筆まで揃えるしかない。「これは……?」最後に表示された魔法を、一瞬ヴァイスは理解できなかっただろう。それもそのはず、射撃魔法ではなくて探索魔法なのだから。「【ぱすふぁいんだー】なのです」かつて、クロノとの模擬戦で使われた魔法。魔力量と処理能力に不安のあるあゆが、誘導弾を的確に命中させるために、その先導役として作った術式であった。サーチャーを元に作り上げられたスフィアは、目標を高速で自動追尾し、命中すれば盛大に魔力フレアをあげる。同時に発動させた誘導弾を、スフィアとその魔力フレアに反応するよう設定しておくことで、命中率の底上げ、術者の処理能力軽減を図ったのだ。ただし、その時のままではない。「たい【えー えむ えふ】として、さいくできるようにしてあります」対AMF用パスファインダーは、その結合を解かれようとした途端に魔力フレアとなる。結果クラスター化された魔力素がAMFに殺到して、その魔力減成機能の飽和を狙う。AAランクには多重弾殻を形成してAMFを突破する射撃魔法も存在するが、魔力量と処理能力に不足があってあゆは使えない。カートリッジを使った上で足を止めて集中すれば使えないこともないが、戦闘機人相手にそんな悠長な真似はできないと、低ランクでも使える対策を模索した成果のひとつであった。「オレでも、ガジェット相手に誘導弾を当てられるってことか」「はい。 おおもとは【さーちゃー】ですから、しょうがいぶつを まわりこませることもできます。 それに、とちゅうで げいげきされたばあいは 【まりょくふれあ】をあげませんから、ゆうどうだんを むだにせずにすみます」「こんな魔法、いつの間に作ったのだ」空間モニターを横取りして、シグナム。「【ぱすふぁいんだー】そのものは、くろのせんせぇに ゆうどうだんをあててみたくて、いぜんに。 【えー えむ えふ】たいさくは、えすたのおかげで、つい せんじつなのです」「えっへん、ですぅ」あゆの魔法構成を知り尽くしているエスタは、あゆの代わりに魔法術式を開発することができる。クロノ直伝の術式などは時間があったからあゆ自身がやってきたが、【碧海の図説書】完成後に手に入れた術式のカスタマイズなどはエスタの手によるものである。「これを配布すれば、AMF対策になるか」一足飛びにそう考えてしまうのは、大抵の術式を使いこなせてしまう高ランク魔導師だからであろう。「いえ、姐さん。 確かにオレでも使える術式っスけれど、このままじゃあ使いにくいっスよ」「わたしように、【ちゅーにんぐ】されてますから」そうか。と、シグナム。低ランク魔導師の苦労は解かってもらえてないようだ。「そういうことなら、これの最適化。オレにやらせてもらないっスか」「頼めるか?」任せて下さいっス。と待機状態のストームレイダーを親指で弾き、空中で掴み取ってみせる。その仕種に反応したあゆを、シグナムが視線で牽制した。****――【 新暦69年/地球暦3月 】――「おかぁさんは、いろいろとおおげさなのです」「すごいですぅ♪」あゆの驚いた顔を見られただけで、リンディは満足であった。本局のリンディの執務室である。いつもどおり、お小遣いを貰いにきたあゆだったのだが。「迷惑だったかしら」正直、よく判らない。よく判らないが、自分のために用意してくれたことが、「……うれしい、なのです」泣きそうな顔でそう言われて、少し苦笑のリンディである。応接セットを飛び越えて、エスタが執務室を横断。「それで、この おにんぎょうさん、なんなんですか?」知らずに、すごいと言っていたのか。「お雛様と言うのよ。女の子の健やかな成長を祈って飾るの」3段飾りだから小さなものだが、執務室に設えられていたのは雛飾りであった。きれいですぅ。と、ひな壇上空を周回しだしたエスタに眼を眇めていたリンディが、あゆに向き直る。「菱餅や雛あられ、金平糖もあるのよ。 そんなところに立ってないで、こちらにいらっしゃい」「はい、なのです」指し示されたソファへと座って、お内裏様を見上げる。雛人形が意味するものを、あゆとて知らないわけではない。向かい側にはリンディ。とても嬉しそうだ。何を返せるわけでもないのに、なぜこの人は自分のために色々としてくれるのだろうか?これが母親というものなのだろうか? ―― 何を求められるでもなく、全てを求められるのかな? ――今になって、かつてフェイトの言っていた意味を理解できたような気がする。すべてを無防備に晒して、ただその腕の中で守られていていいような気がしてしまう。それが幸せなのだろうと、想像できてしまった。いそいそと白酒を用意するリンディから視線を落として、あゆは金平糖をひとつ、口に含んだ。優しい甘さが頬を絞って、涙がこぼれそうになる。「……おかぁさん」なあに?と見てみぬ振りして、リンディが白酒に投入しているのは砂糖だ。いつもどおり、山盛り2杯。「ありがとう、なのです」ん…。と言葉少なに答えたリンディが、白酒を差し出す。その様子を、微笑ましげに四人官女が見ていたのであった。……4人?そこで何をしている融合騎。****――【 新暦69年/地球暦4月 】――「チョコポット。おいしいですぅ」口の周りをチョコだらけにしてエスタが頬張っているのは、自身の顔ほどもあるチョコレートの塊である。「たしかに。 ももこさんの【ざっはとるて】に、まさるともおとりません」こちらは、一口で咀嚼中のあゆだ。向かい合わせのベンチには、ギンガとスバル。なぜか、ぼろぼろと涙を流しながらチョコポットを頬張っていた。出逢ったばかりの頃の約束が、ほぼ3年越しに果たされたのには理由がある。肝心のその店舗が、クラナガン先端技術医療センター内にあるからだ。ここに連れて来れば、そのことを詮索され、ひいては戦闘機人であることも知られてしまうと危惧したスバルは、交わした約束を守るに守れずにいたのだとか。やりようなどいくらでもあろうに、不器用なことである。いや、それが子供、ということなのだろう。年に2回、ギンガとスバルの2人は、ここで定期検診をうけるそうだ。今回、2人の定期検診に付き添ってくれとクイントから言われたのは去年の10月のことで、そのときの検診後、チョコポットを食べながらスバルが言い出したらしい。「ギン姉、あゆちゃんには話していいかな」と。あの誘拐未遂事件以後のことだそうだ。スバルが、ギンガのことをギン姉と呼ぶようになったのは。「チョコポットのお店に連れていってあげるって約束も、守らないとね」返すギンガの応えは、それだけだったとか。そうして今日、2人の検診に付き添い、戦闘機人であることを打ち明けられたのであった。そのことをとうに知っていたあゆは、2人の担当がマリエル・アテンザだったことのほうに驚いたが。第四技術部主任であり、特遮二課の管掌責任者でもあるこの年齢不詳の童顔女性は、あゆの知る限りその容姿に変化がない。後年、あゆと2人して「本局技術部の女は歳をとらない」と言わしめることになるのだが、まあ余談である。「ええと、そろそろ なきやんでくれると うれしいのですが」「だってぇ~」そう言いつつ、チョコポットを口に運ぶ手を止めないスバルである。「……」口を開かない分、ギンガの方がマシか。2人の告白を聞き終えたあゆは、一言、こう言った。「はなしてくれて、うれしいのです」嘘ではない。必要に応じて自分の出自などいくらでも話すあゆだが、それは自身が壊れていたからこそ出来たことだと自覚している。たとえば、はやてにずっと隠していて、いま告白せねばならないとしたら、あゆとて躊躇っただろう。そんなことを今更はやてに知られて、もし嫌われたらと悩むだろう。隠していたことをなじられたらと思うと、怖くて堪らないだろう。だから、2人が自ら告白してくれたことが嬉しかった。勇気が要っただろうと、褒め慰めたあゆは、お返しにと、自らの出自を語ってみせる。似たような境遇の者が居て、なんとかやっていけてることを知れば、2人の慰めになるだろうと踏んだようだ。他人に打ち明けられるほどに2人が乗り越えた後なら、傷の舐めあいにはなるまい。まあそこが、まだまだあゆの人生経験の足らなさであろうが。何人も人を殺したことがあるなどとは言わないが、それでもギンガとスバルの想像以上だったらしい。いつでも2人一緒だった自分たちなどよりはるかに不幸だったと逆に同情される始末で、お陰で目の前では、号泣しながらチョコポットを頬張りつづける姉妹という実にシュールな光景が繰り広げられていた。あゆにしては陽気にチョコポットの味などを賞賛して見せたのだが、効き目はない。「ふこうじまんをするつもりでは、なかったのですが」マリエルもクイントも救援要請に応えてくれないし、エスタはチョコポットとガチで格闘中だ。タイミングを見誤ったかと、後悔するあゆであった。