――【 新暦68年/地球暦9月 】――はやて1人居ないだけで、こうもベッドが広いものだろうか。「もうすこし、そちらによっても、いいですか?」「なんだよ、寂しいのか?」もぞりと、身動ぎする気配。「はい、なのです」あゆにとって、夜闇は光の世界だ。支配の及ぼしづらい他者の体内の魔力だけが見えないから、人の形に闇が見える。明るい世界なのに、誰もが影に見える。だからあゆは、夜が少し、嫌いになった。だから最近、夜にとる睡眠の時間が増えつつるのだろう。「しかたねぇな、ほら来やがれ」持ち上げられた掛け布団の下に、あゆが跳び込んだ。「ありがとう、なのです」ここまで近づけば、たとえレアスキルの力が邪魔してもその表情が読み取れる。ヴィータは、少し迷惑そうだ。「暑苦しいんだ、あんまりくっつくなよ」「いじわる、いわないでほしいのです」すすき梅雨の頃合である。湿気がまとわりつくような夜であった。「まあ、お前ぇは体温低いみたいだから、それほどでもねぇけどよ。 だからってしがみつくな、うっとうしい」「びぃーたおねぇちゃんは、つれないのです。 おねぇちゃんがいなくて、さびしく、ないのですか?」そう言われると否定できないヴィータである。そっと、あゆを引き寄せてくれた。「いまごろ、おねぇちゃんも おやすみでしょうか?」「どうだかな。 なのはたちと、お話しでもしてんじゃねぇか?」私立聖祥付属小学校6年生は、修学旅行なのだ。今年は北海道だそうで、涼しい所だと聞いたヴィータは羨ましくてしょうがない。「しかし、お前ぇは本局に泊り込んでくるもんだと思ってたぜ」言われてみると、なるほどと思うあゆである。「かんがえも つきませんでした」本局は不夜城であるし、自分も睡眠はそれほど必要でない。はやてやリンディが怒るから、こうして帰ってきているだけだった。しかし……、ただ睡眠のためだけに、こうしてベッドに入っているわけではないと、思えるようになってきたのだ。あの、熱を出して、はやてに添い寝してもらった時から。はやての傍なら、熟睡することだってあるようになった。一度など、6時間も寝てしまったので、寝過ぎでか頭が痛くなったりした。夢だって見たことがある。はやてと一緒に、お昼寝する夢だが。「……あふ」押し寄せてくる睡魔に、あゆはあくびを洩らす。どうやら、ヴィータの傍でも熟睡できるようだ。「びぃーたおねぇちゃん、おやすみなさ…い……」見るのは、ヴィータと一緒にお昼寝する夢だろうか?「おうよ、おやすみ」とんとんとその肩を叩いてやって、ヴィータもまたまぶたを下ろした。プログラム体であるヴォルケンリッターも、本来はあまり睡眠を必要としない。迅速な魔力回復を促すために、活動を休止するだけなのだ。だがヴィータも、はやての傍で眠るときは、それだけではないと思えた。なにもしない、なにもできない時間なのに、大切な人の傍だとなぜか愛おしい。だからヴィータは、今宵のあゆの寂しさが解かるような気がした。ちなみに、修学旅行の2日目。富良野のラベンダー畑では雪が降ったそうだ。****――【 新暦68年/地球暦10月 】――もう少し甘えてくれると嬉しいと、リンディは思うのであった。あゆのことだ。態度を見るに、懐いてはくれているようである。今も一緒にソファの上で、体重を預けてくれていた。けれど、よほどの用事がない限り、この子はお小遣い――と言っても本当はあゆの正当な報酬の一部だが――を取りに来る以外ではこの執務室を訪れてくれないのだ。特殊遮蔽内へはリンディといえど気軽には立ち入れないし、そうそう八神家まで押しかけるわけにも行かない。先月、生まれたてのユニゾンデバイスを紹介しに来てくれたのが、とても嬉しかったリンディである。上層部に働きかけた甲斐があったと言っては、私情が入りすぎだろうか。「おいしいですぅ」テーブルの上では、そのエスタが栗蒸し羊羹に舌鼓を打っていた。今日のために、第97管理外世界まで買いに行った白小豆の逸品だ。期間限定だから、この季節しか楽しめない。「おかぁさん」「なあに?」「……」あゆとリンディの様子を、見上げていたのはエスタである。さすがに隠しようがないからと、エスタには2人の関係を教えたのだが、もしかしたら本気で隠し子だとでも思われているかもしれない。「この ようかん、ぜったいに くりのほうが りょうがおおいです」「ええ、すごいでしょう」食品の不正表示が相次いで問題になったとき、原材料名の表示順が【砂糖・白小豆・栗・小麦粉・浮粉・葛粉・食塩】だったため、不当表示になるからと百貨店から指導を受けた逸話を持つ。今では正しく【栗・砂糖・白小豆・小麦粉・浮粉・葛粉・食塩】と訂正されている。「とっても おいしいです」頬を押さえながら幸せそうに食べている姿に、思わず抱きつきそうになるリンディであった。****――【 新暦68年/地球暦11月 】――シャマルに言わせると、元祖【闇の書】は散歩好きであったらしい。だからという訳でもないだろうが、【碧海の図説書】が完成して以来あゆは、ちょっとした合間に周囲を散策することが多くなった。今日は、家の近くの公園に。季節でないから、桜の樹は丸ハダカだが。『もうしわけ、ないのです』『じゅうぶん、たのしいですよ』応えたのは、リュックの隙間から外を覗いているエスタである。聖王教会から借りた資料を参考にしたエスタは、フレームを展開することで人間の子供サイズに大きさを変えることが可能だ。しかしながらロードたるあゆの魔力量の関係で、長時間維持が出来ない。仕方ないので、リュックに隠れている次第であった。『おいしい【あいすくりーむやさん】がきているらしいので、それでゆるしてほしいのです』わぁいですぅ。と歓んでおきながら、エスタが首を傾げる。『こんなにさむいのに、アイスクリームですか?』『ふゆの【ほっかいどう】の【あいすくりーむ】しょうひりょうは、ばかにならないのだそうですよ。 しつどがひくくて、のどがかわくから。なのだそうです』社会科の授業での余談か、それともはやての土産話か。『へぇ~、ですぅ』ああ、あそこなのです。と、あゆが指差した先に【じゅりあぁとnoじぇらぁと】と墨痕淋漓に大書されたワゴン車。評判らしく、何人か並んでいる。「ふぇいとおねぇちゃん」行列の最後尾で揺れていた金髪に見憶えがあると思ったら、フェイト・テスタロッサその人であった。「……あゆ、きぐうだね」『こんにちわですぅ』『エスタも居るんだ。こんにちわ』「ふぇいとおねぇちゃんも、あいすですか?」……うん、ちょっとね。と向けた視線の先に、ベンチ。端っこに座ったエリオから、距離を取るようにアリシア。「まだ、こころをひらいて なかったのですか」アリシアはエリオを話題にしないので、その動向をあゆは知らなかった。「……うん。最近はアリシアまで頑なになってきちゃって。 お姉ちゃん、失格だね。私……」ふむ。と、あゆ。境遇の同じフェイトにならエリオも心を開くかと思っていたが、却って頑なになってしまったのかもしれない。『あらりょうじに なるのですけど、やってみますか?』『なにする気なの?』このあゆが荒療治と言うのだ。聞くのが怖いフェイトであった。**俯くエリオの視線の先に、影が落ちた。「みつけたのです」一切反応しないエリオを見下ろすのは、あゆである。ベンチの反対側に座るアリシアは、事前に念話で言い含められていたので口を挟まない。「かおを あげるのです」研究所時代にエリオが身につけたのは、目の前にいる人間の言うことに従うことであった。そうすれば、痛いことが減る。「あっ」のろのろと顔を上げたエリオが見たものは、白衣姿のあゆであった。特殊遮蔽区画内で働くあゆの白衣は、一種のバリアジャケットである。なので、いつでも展開が可能だ。いまはフェイトに借りたリボンで髪を縛り、そのシルエットを変えている。できれば変身魔法を使って大人に見せかけたかったが、あゆの魔力量と処理能力では一抹の不安があった。ただでさえ変身部位を常に意識し続けなければならないのに、体格まで変えてしまっては、身体感覚の把握がとんでもないことになる。もっともエリオの反応を見れば、そんな手間は不要だったと判るだろう。今までに面識があるなどと、気付いてもいまい。あゆは、エリオと自分の境遇には共通する点があるだろうと考えていた。そうして思い起こしてみたのは、養成所時代に自分が嫌いだったこと、イヤだったものは何か、ということである。そこを突いて感情を揺さぶれば、そこに道が開けるだろうと。あゆのそれは、自分たちに薬を処方していた医者だった。蠱毒房を出た次の日、消毒薬臭い一室に放り込まれたあゆを待ち構えていたのは、白衣の男性である。思い出してみると、スカリエッティに似ていたかもしれない。自分の名前は?歳は?何処から来た?両親の名前は?親しい友達は?今年の誕生日のプレゼントは?郵便ポストは何色か?犬と猫の違いは?1+1は?と質問を繰り返し、あゆが答えるたび、あるいは知らないと言うたびに一喜一憂していた。今思えばあれは、個人情報に関する記憶だけを選別消去できたか、確認していたのだろう。その後も何度にも渡って処方や投薬を受けたが、そのたびに現れるこの医者の、自分を見る目と、その笑い声が嫌だったと思い出したのだ。くふり。と、口の端を歪めてみせる。エリオの瞳孔がすぼまったところを見ると、似たようなトラウマを抱えていたのだろう。できれば、あゆも思い出したくはなかった。皮肉なことに、投薬のおかげで忘れていられたのだ。おかげで今後、白衣を着るのが憂鬱になるだろうから。「こんなところまで、にげてくるなんて。 さがしましたよ」にやり。と、今度は嗤ってみせる。妙に似合うから、止めて欲しいと思うアリシアであった。「あ……、あ……」「いまなら、ゆるしてあげるのです。 さあ、もどりましょう」呻き声をあげ、ガタガタと震えだしたエリオの手を握る。その体に、ぱりぱりと走り始めたのは電撃。魔力変換資質かと思い当たったあゆは、この白衣がバリアジャケットで良かったと内心で胸をなでおろしながら防御特性を調整した。「……あ、……う」ふるふるとかぶりを振っていたエリオの、その眉尻が吊りあがったその時だ。「私の家族に、手を出すな!」2人の間にフェイトが割り込んできたのは。「そのこは、だいじな じっけんざいりょう、なのです」びくり。と肩を震わせ、眉を落としたエリオの目尻に涙。危ないところであったのだ。あと一瞬でもフェイトが遅かったら、エリオは暴れだしていただろう。エリオがテスタロッサ家に引き取られた詳しい経緯を知らないあゆの読みが、少し浅かった。「かえして、もらいましょうか」「違う!エリオは私の家族だ!」その目の前には、小さくとも頼もしい背中。いつの間に寄り添ってきたのか、傍らにはアリシア。「そうなのですか?」と、これはアリシアに。そんなことを訊かれるとは聞いてないが、「そうよ、エリオは私たちの家族よ」と答えざるを得ない。エリオをこころよく思ってないアリシアにしてみれば、不本意であろう。『あゆちゃん、あとで覚えておいてね』と念話で恨みごとを言うありさま。少し立ち位置をずらして、エリオを見据えるあゆ。ヘビがカエルを見ているようで怖かった。とは、テスタロッサ姉妹の感想だ。「もどりますよね? このかたたちが あなたのかぞくだなんて、うそでしょう?」猫なで声に、エリオの震えは酷くなるばかり。「……あ、あ、あ」再び、にやりと。「ほら、ね。 こたえられもしないのです」「それでもエリオは私の家族だ!」あゆが内心で驚いていたのは、意外なフェイトの熱演振りである。もっと、しどろもどろになると思っていたのだ。「か…、か…」か?とあゆは、エリオに水を向ける。フェイトが期待に口元をふるわせているのを、あゆだけが見ていた。「……か ぞ く です」あゆの視線が、お芝居を忘れてエリオに抱きつきかねないフェイトを牽制する。「……ほら、エリオもこう言ってる」「ふむ、いたしかたないのです。 きょうは、ひきさがるとしましょう」踵を返したあゆはゆっくりと、実にゆっくりとその場をあとにした。「……あの、……ぼく」「いいんだ。無理しなくて、いい」「言っとくけど、お姉ちゃんはアリシアのお姉ちゃんなんだからね。エリオになんか、あげないんだから!」いまようやく始まったであろう不器用な家族の声にも、振り返らない。『いいんですか?あゆちゃん、かんぜんに わるものですよ』『かまいません、なのです。 わたしがこううんにめぐまれて、あのこがめぐまれてはならない。などということはないのです』かつて暗殺者として教育されていたあゆは、別の意味で社交性を身につけさせられようとしていた。無愛想な殺人マシーンなど、誰も寄せ付けてくれないのだから。暗殺者にも自爆テロ要員にも、愛想は不可欠だ。爆弾を隠した花束を抱えた子供は、天使の微笑みで標的に歩み寄るのである。だが、壊され消された感情を、ニセモノの演技で上書きされきる前に、あゆははやてに出会えたのだ。「わたしみたいな そんざいが、だれかを しあわせにできたかも しれないのです。 それでじゅうぶん、なのです」エスタの危惧したとおり、後々事情をバラした後にもエリオはなかなかあゆに懐かなかった。当の本人は、まったく気にしてなかったが。『あいすくりーむを、たべそこなってしまいました。 ごめんなさい。なのです』「そんなことはどうでもいいんですぅ!」思わず肉声で怒鳴ってしまうエスタであった。****「工作の宿題なん?」リビングに所狭しと様々な種類の紙を広げ、ハサミで切り刻んでいるのだからそう見えるだろう。足の踏み場がなくて、はやてはリビングに入れない。「【へきかいのずせつしょ】の かーとりっじように、いろいろためしているのです」実際にカートリッジ化するにはインテグレータなどの設備が要るので、今はただ、しおりの形に切っているだけだが。「シグナムたちみたいなのんと違って、ただの紙やのに、ちゃんと魔力を貯めれるんやなぁ」一枚手にとって、しげしげと。「ざいしつによって ためやすさがちがうので、いがいとおもしろいのです」「へぇ。どないなん?」あゆが言うところに拠ると、基本的に魔力は、質量があるほうが篭め易いそうだ。ヴォルケンリッターや一般的なカートリッジの弾芯が鉛なのは、入手しやすさも含めてそういう理由だろう。例外としては、生物由来の素材は軽くても篭め易いらしい。なので、紙は意外にカートリッジ向きではあった。それでも、こんな変則的な素材をカートリッジ化できるのは、魔力蓄積ということで人工リンカーコアと相通ずるところがあるからであろう。「もっといろいろ、ためしてみたいです」【碧海の図説書】は、あゆ個人のデバイスなので、カートリッジの作成も自腹である。インテグレータの使用は許可が下りているが、あゆの小遣いでは材料費が莫迦にならない。来年の誕生日プレゼントは、様々な材質のしおりセットがええやろか。と、はやて。「ひとの ずがいこつとか、ほしくびとか、のうみそや しんぞうの ひものとか、きっと すごいりょうのまりょくを こめられるのです」「怖いこと、想像させんといてや」ちなみに、リビングの片隅で「ビーフジャーキーあたりは、どうであろうか?」などと考えていたのはザフィーラである。