――【 新暦68年/地球暦3月 】――色々と手土産を持ってきたりするのだが、クアットロはなかなか口を割らない。警戒心が強いというか、猜疑心が濃ゆいというか。口裏を合わせての世間話しには応じてくれるものの、あゆが知りたい技術的な情報や戦闘機人の能力などの話題ははぐらかされてばっかりだ。まあいずれにせよ、本日の話し相手はクアットロではない。「あの男はどうしている」これまで、あゆに対しても口を開かなかったチンクの、第一声がそれであった。戦闘機人というものは、体内の機械部品に対しても自動修復ができるそうで、ゼストとの戦闘で機能停止寸前だったチンクも昨年の内に完調にまで復帰していたらしい。拘束服で縛められていて、確認しようもないが。「ちんくさんと たたかった、ぜすとたいちょうのこと ですか?」動作少なく、微妙な首肯。「ちんくさんと たたかった1しゅうかんごに いしきをとりもどし、2かげつまえに せんせんふっきされました。 みぎめを うしなわれておられますけれど、あえて ちりょうはうけられていません」なにか、感じ入るところでもあったのだろうか。チンクがその両のまぶたを閉じた。しばし、そのまま瞑目していたチンクが、すっとあゆを見下ろす。「……そうか、かたじけない」位置関係的に見下ろされざるを得ないのだが、なぜかそう感じない視線であった。「悪いが、クアットロのように器用ではなくてな。 会話をしながら、話してはならぬことの選別などできん。 黙秘を貫かせてもらうぞ」『どくたーから、おふたりのようすをみてきてほしいと たのまれているのです』「めんかいと、さしいれは させてもらってもよろしいですか?」「差し入れは不要だ」『ごしんぱい、なされているのですよ。 ああみえて、やさしいおかたなのですね』嘘である。スカリエッティがチンクたちの安否を気遣っているのは確かだが、差し入れまで用意するわけがない。「……控えめに頼む」「わかりました」この武人気質な戦闘機人から情報を引き出せるなどと、あゆも期待していない。だが、それはそれ、これはこれである。少しでも気を許してくれれば、つけこむ隙を見出せるかもしれなかった。****暗殺者でも、風邪は引くらしい。あくまで候補、どちらかと言えば自爆テロ要員にすぎなかったから当然か。「なぜでしょう?てんじょうが、たかくかんじるのは」熱で朦朧とする頭で、あゆはそんなコトを考えていた。それに、普段はやてとヴィータとの3人で寝ているベッドだからか、やたらと広く感じる。なぜだか、この世に自分独りのような気がしてくるのだ。「どうりに あわないのです」と、あゆは独り語ちる。リビングにはザフィーラもリィンフォースも居て、念話で呼べばすぐ来てくれるだろう。昼休みや休憩時間などには、シャマルも顔を見せてくれていた。なのに、どうしようもなく距離を感じるのだ。「ただいまやで」と静かにドアを開けたのは、はやてである。今まで気付かなかったとは、あゆの感覚がどれほど鈍っていることか。「ああ、起きてたんか。 どないや?調子は」はやてのリハビリは、順調に進んでいる。いまも手にしているのはステッキで、6年生に進級する頃にはそれも要らなくなるだろうと診断されていた。「ねつは さがってるよう、なのです」先ほどまで感じていた自分の体の外は闇しかないような感覚は、はやての出現と共に消えていたから、口にしない。「あれ?」けれど、あゆの目尻からは涙がこぼれるのだ。「おかしいのです。いまはもう、なんともないはずなのに」ほうか。と歩み寄ってきたはやてが、ベッドの枕元に腰を下ろす。「寂しかったんやな」「さびしい?あれが、さびしい。なのですか?」そうや、ごめんな。と、頭をなでてくれる。「独りで居ることの寂しさは、よう知っとるつもりやったのにな」「おかしいのです。 ざふぃーらにぃさまもいて、りぃんねぇさまもいて、しゃまるねぇさまだって、おかおをみせてくれました。 わたしは ひとりではなかったのです。さびしいなんてこと、あったはずが ないのです」はやてが背筋に差し込んでくれた手が、冷たくて心地よかった。ただそれだけのことが無性に嬉しくて、あゆの涙が止まらない。「人の感情に、理由なんて要らへんのや。 どれだけ傍に人が沢山居ようと、寂しいときは寂しいもんや」かつて1人で生きていたとき、風邪を引いたはやてはそれでもスーパーへ買出しに行かねばならなかった。人は沢山居たけれど、何の慰めにもならなかったことを憶えている。「こんな時くらい、わがまま言うてもええんやで」むしろ、言って欲しいはやてであった。あゆの独断で与えられた猶予に、はやてはいまでは感謝している。友達と一緒に通う平穏な学校生活がどれほど愉しいか、実際に体験するまでは実感できなかったのだ。それを、あゆは知りもしなかったというのに、はやてに与えてくれた。本人は管理局での役務を愉しんでいて学校を辞めたがっているが、それが慰めになるはずもない。「ねむるまでのあいだ、そばにいてほしいのです」「おやすいご用や」布団にもぐりこんで、はやてがあゆを抱きしめる。「せいふくが、しわになるのです」「病人は、そないなこと心配せんでええんや」普段は、そうしたことにうるさいはやてなのであるが。「おねぇちゃんは いつもあったかいのに、いまはつめたくて きもちいいのです」「あゆは熱が出とるからな」ほどなく寝息をたて出したあゆを、はやてはずっと抱きしめていた。 ……それは、あゆの知るかぎりで初めての、熟睡であっただろう。****――【 新暦68年/地球暦5月 】――「おや?くろのせんせぇ」あゆは心の中で「おにぃちゃん」と付け加える。リンディと正式に養子縁組をしたわけではないので、彼女のことを「おかぁさん」と呼ぶのは2人きりの時だけであるし、そのことはクロノにも内緒だ。「君か」クロノ・ハラオウン執務官が本局に居るのは珍しい。「かくしご、ですか?」「誰のだ!」しかも、子連れとあってはなおのこと。「じょうだん、なのです。 いくらせんせぇでも、こんなにたくさんは むずかしいでしょう」「当然だ。 と言うか君は、1人ぐらいなら居てもおかしくないとか思っているんじゃあるまいな?」まさか。と両手を挙げて降参してみせるあゆである。「ははは、さすがのハラオウン執務官も、愛弟子にかかっては形無しだね」「ヴェロッサ、君は黙っててくれ」クロノに付き従って一緒に子供たちの引率をしていたのは、ヴェロッサ・アコース査察官だ。あゆにしてみれば微妙な相手である。嫌いではないが、かといってあまりお近づきになりたくもない。もしヴェロッサのレアスキルのことをもっと早く知り得ていたら、あゆはスカリエッティのラボに乗り込んだりはしなかっただろう。スカリエッティが捕まりでもしたら、芋づる式に累が及ぶのだから。査察官という職務について質問した際に本人からレアスキルのことを聞かされて、あゆは冷汗が止まらなかったものだ。今だって記憶を読まれる可能性を恐れて、さりげなく立ち位置を変えている。「ごぶさたなのです。ろっさ」「うん、ひさしぶり」あゆがヴェロッサのことをロッサと呼ぶのは理由がある。舌足らずなあゆの発音では「べろっさ」になってしまうので、本人が嫌がったのだ。愛称で呼んでおいて敬称をつけるのもおかしな話なので、呼び捨てになった。「今日のは自信作だけど、食べるかい?」「ぜひ」ヴェロッサがどこからともなく取り出したのは、ホールケーキを入れる紙箱である。「この子たちに食べてもらおうと思ってね。たくさんあるんだ」「その件については、歩きながらでいいだろう」子供たちに視線を向けたあゆの疑問をさらって、クロノが歩き出す。ついて行く子供たちが一切口を開かないのを見たあゆは、かつてのシグナムの生徒たちやクラスメイトたちと比較して、なにやらワケありらしいと納得した。『君は確か、プロジェクトFを知っていたな?』『はい、なのです』かつて【時の庭園】に乗り込んだとき、ほかならぬプレシアから聞かされている。どういう計画かはフェイトとアリシアを見れば見当は付く。『プレシア・テスタロッサから情報提供を受けた僕は、ヴェロッサと組んでずっとプロジェクトFを追っていた』『これまでにも、いくつかの違法プラントを摘発してきたんだよ』『このこたちも?』『いや』とクロノ。『残念なことに、時空管理局の研究施設からだよ』疑問符を浮かべたあゆに、ヴェロッサが説明を続ける。『プロジェクトFが違法であることを盾にとって、研究素材として集めていたんだ』『……』歯軋りが聞こえてきそうな、無言の念話はクロノだ。『管理局の人手不足を、違法ででも解消しようとした動きがあってね。これもその一環みたいなんだ』何の気なしに歩きながら、しかしヴェロッサは細やかに子供たちの様子を見ている。「……」一方あゆはというと、管理局とスカリエッティの関係の答えをそこに見出して、納得していた。『地上本部の方は特にそういう傾向が強かったようだが、最近はそうでもないらしいな』『そうなのですか?』『クロノはね、君に感謝してるって言いたいのさ。 管理局からそういうよろしくない動きが消えつつあるのは、君の研究のおかげだろうからね』『ヴェロッサ、余計なことを喋るな』おやおやと肩をすくめたヴェロッサが、あゆにウインク。『それで、このこたちは どうなるのです?』『とりあえずは、ここの保護施設に預ける』『里親探しは、聖王教会が全面的に引き受けてくれるよ』そうですか。と、あゆは、無言で歩く子供たちを見やる。そこに、かつての自分の姿が重なるような気がして、視線を逸らせないのか、逸らしたくないのか、判らないあゆであった。****「ふむ、ずいぶんと からいですね」あゆが舐めたのは、ミッドチルダの海水である。地球のそれとはずいぶんと組成が違うようだ。「どないしたん?」はやてである。その手には松葉杖もステッキもない。その全快祝いにどこか旅行しようという話になったのは、1ヶ月前のことだ。どこがいいかで、ミッドチルダに決まったのがその1週間後で、皆の予定が合わせられたのがこの週末であった。「せいめいのしんぴに、きょうたんしてました」「?」海水の成分が違うのに、ミッドチルダと地球で人類の姿が同じなのである。収斂進化の凄まじさに、あゆは驚いていた……「じょうだん なのです」わけではないようだ。「ここまでじょうけんが ちがっていて、すがたがおなじになるだけでなく、こんけつまで かのうなはずはないのです。 そのあたり、どうなのですか?めがーぬさん」ん?と振り返ったのは、娘ともども波に踝を洗うに任せていたメガーヌである。せっかくだからとゼスト隊にも声をかけた結果、アルピーノ母子とナカジマ母子が日替わりで参加してくれることになったのだ。地球組では、なのはとテスタロッサ姉妹。クラナガンでの知己をはやてに紹介できて、ちょっと嬉しいあゆであった。ちなみに今晩は、カリムの手配で聖王教会の宿舎に泊まることになっている。「ええ…とね。今はない世界が、次元世界の人類の共通した出身地だというのが定説かしら。 アル・ハザードだとか、アル・カディアだとか、アル・パチーノだとか、いろいろ言われてはいるけれど……」なるほど。と、あゆ。生存可能な惑星のある世界に、手当たりしだいに進出していったのだろう。見上げるのは、天文学的にはありえない空。本物であれば、とっくにこの惑星を壊すか落ちてくるかしている大きさと公転軌道を持つ衛星が、しかも2つ。聞くところによると、あの2つの月は魔力の塊なのだそうだ。太古に作られたと思しき、魔力の集積装置。だから見かけほどの質量もないし、潮汐力も小さい。この地では、本当に月が魔術を支配しているのだ。だからミッドチルダの海は、干満が小さいのだとか。「おや?おおきな あめんぼなのです」水面を滑っていくのは、もちろん地球のアメンボと同じものではない。よく似た生態の外骨格生物というだけだ。思わず追いかけたルーテシアが波に足をとられて転んだのは、まあ余談である。