――【 新暦67年/地球暦12月 】――入る時には、指紋・掌紋・声紋・静脈認証・網膜照合・耳形判定・魔力計測・各種電磁波による透過解析、ID・パスワードなどと手続きのややこしい区画なのに、出る時は何のチェックもない。もっとも、たとえ在ったところで、彼女の能力を以ってすれば入る時同様、息をするより簡単に騙しおおせてしまえるのだが。それでも、あんな醜い連中と同じ空間から出られたという開放感でか、嘆息めいた深呼吸をひとつ、こぼした。「……」そんな管理局員姿のお姉さんを見つめていた瞳が、一対。は!と気づいたドゥーエが見下ろす先に、幼児。「何でこんなところに子供が」と内心動揺するドゥーエではあるが、そのISはまるで心や性格まで偽れるのだと云わんばかりに笑顔でしゃがみこんだ。「お譲ちゃん、どうしたの? 迷子さんかしら?」「……」地上本部には託児施設もあるし、事実、幼児はそこのスモックを着ていた。ゆえに子供が居ることそのものは、ありえない話ではない。この区画周辺は知る人ぞ知る極秘の領域で、おいそれとは辿り着けないことを除いては、であるが。だからドゥーエは、気を抜いてない。差し出した右手にピアッシングネイルを展開すれば、それだけで小さな心臓を串刺しにできるだろう。「……」しかしながら幼児が指差したのは床で、そこにはアリに良く似た昆虫――3対6肢の外骨格生物門というだけで、もちろん別物である――が1匹、宛てどなくさまよっていたのだ。「……もしかして、これを追いかけてきたの?」こくん。と頷いた幼児は、昆虫を追いかけてさらに奥へと進もうとする。「ちょっと待って!そっちはダメ!」慌てるあまりか語気が荒い。もしや、これが彼女本来の口調だろうか?「怖いオジサンがいっぱいなんだから!」思わず抱きしめるように引き止めたドゥーエを見上げる、悲しそうな瞳。「……」「……あ、うぅ……」無言の圧力に視線を天井に逃がしたドゥーエだが、かくんと落ちるように溜息をついた。「……あのコも一緒なら、いいでしょ?」「……」なにやら色々と懊悩して見せた幼児は、しかし自分を抱きとめる綺麗なお姉さんを見上げてなにやら決心したらしい。こくりと小さく頷く。「いい?内緒だからね?誰にも言わないのよ?」と幼児に念を押したドゥーエが指先を床につけるやいなや、それまで迷走していた昆虫が触角を震わせ寄って来る。ドゥーエが行使するライアーズ・マスクは、いかなる身体的特徴でも偽装し、あらゆる身体検査を欺くISだ。当然、体臭を調香することも可能で、その延長線上でこうしてフェロモンを作り出し、限定的ながら昆虫などを操ることができた。何が役に立つか判らないからと、スカリエッティのライブラリからそうしたデータまでもインストールしてくれた姉に感謝しながら、指先に這い登ってきた昆虫を肩の上に移す。「……」これでよし。と内心で自らの上首尾を褒めたドゥーエが、腕の中の幼児の熱い視線に気付いたのはその直後である。「……」お天道様の下を歩けないような役割を担ってきた戦闘機人にとって、無垢でまっすぐな憧憬の眼差しはあまりに眩しすぎた。「……ぅう」気恥ずかしさと、なにやら説明できない情動で頬を赫らめたドゥーエが呻く。クアットロ曰く「敵には等しく残酷だが、スカリエッティや姉妹達には優しい人格」と評されるドゥーエの、敵でも味方でもない者へ見せる一面が現れているのかもしれない。つい目を逸らしながら、しかし、今更ここで放り出すわけにも行かず。ドゥーエは幼児を抱きかかえて立ち上がる。お姉さんはねぇ。と現在の偽名を名乗ったドゥーエが「お譲ちゃん、お名前言えるかなぁ?」と踵を返す。「……うぅてしあ」「ルーテシアちゃんね。保育園から抜け出してきたの?」舌足らずの発音を、体越しに直接検知した振動とライブラリの検索結果から訂正して、ドゥーエが通路を後にする。生命の息吹など存在しない区画。カツコツと鳴ったヒールの音が無機的に、いつまでも残されていた。**「ルーテシアが、また居なくなった」との報を受けたメガーヌが、予想通りの結果に嘆息したのは、その2時間後である。八方手を尽くして探している最中に、案の定「帰ってきた」と連絡が入ったのだ。ゼストが不在の今――来月には復帰できる見通しだが――、分隊長であるメガーヌの職責は重い。そのぶんルーテシアとの時間を作れずに、寂しい思いをさせていることは解かっていた。頻繁に託児施設を抜け出すのは、それが理由だろう。想定外だったのは、女性局員に送り届けられたらしいルーテシアが新たに何種類かの昆虫を従え、口には大きな――柄付きの――キャンディを咥えていたことくらいか。いったい誰が送ってくれたのか、誰にキャンディを貰ったのかと問いただすのだが、まったく口を割ろうとしない。この頑固さはいったい誰に似たのだろうかと再び嘆息したメガーヌが、せめて託児施設を抜け出したことを叱ろうとしたその時だ。左手首に巻いたブレスレット――宝玉と、昆虫の翅を思わせる透明なプレートをあしらったそれは、待機状態のアスクレピオスである――が非常召集のアラームを鳴らしたのは。**さて、一方その頃。くちゅん。と意外にも可愛らしいくしゃみをしたのは、ゼスト隊が緊急出動することになった事件の原因となる情報をウーノに送信したばかりの【姿偽る諜報者】である。「風邪かしら」などと戦闘機人らしからぬ言葉を漏らしつつ取り出したのは、これまた似つかわしくないフリルのハンカチ。本物のレース編みだ。しかし、よもやこの出会いが縁で将来自分がアルピーノ家に引き取られることになるなどと、プロフェーティン・シュリフテンを持ち合わせてないドゥーエに判るはずもなかった。 おわりspecial thanks to HALさま。「ナンバーズが偵察に来てハートフル」とのお題でリクエストを戴きました。偵察ということだったので、当初セイン一択でシチュエーションを考えていたのですが、地球や本局特殊遮蔽内はセインといえど無理があるし、地上本部ならドゥーエで済む。と言うことで、原作でほとんど言及されてないのをいいことに次女の性格とIS、それにアスクレピオスの待機状態などを捏造してみました。IF話である「#79-1 集結」を前提にしているので、これもIF扱いです。